表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/62

41 霧の中の輪郭(前編)

 あなたは誰なんだ……

 あなたは誰なんだ……

 家に帰るなり部屋に入り、しばらく仕舞い込んでいた写真を引っ張り出した。返事なんて返ってくるはずないと分かりながらも、僕は写真の中の彼女に問い掛けていた。

 矢野夫妻の真ん中で無邪気な笑みを見せる小さな女の子は平岡さんではないのだろうか。矢野さんたちは十三年前に事故で亡くなっている。恐らくはあの少女も。

 成長して小さい頃の面影が残っていない人なんてたくさんいる。だけど、あんなに似ている女の子の写真を見て、その子が写真家の娘で、平岡さんが目指しているのも写真の道だなんて、全てが偶然には思えなかった。

 あなたは誰なんだ……



「平岡繭子じゃん」

 いきなり背後からの声に体が跳ね上がった。

 机の上からひょいと写真を取り上げてしげしげと見つめているのは、あろうことかイトコの美帆だった。

「てっきり根暗なコミュ障かと思ってたけど、あんたも意外と隅に置けないわね。しかも相手が平岡繭子って、ダサい地味男のくせにやるじゃない」

「あああ、あのさ、なんでここにいるの?」

「なんでって。入るって言ったけど?」

「いや、そうじゃなくて。なんで家にいるの?」

「はぁぁぁ!? あんたが帰宅する前からフツーにいましたけど? 亡霊みたいに帰宅してきて、伯母さんが話し掛けてるのにあんたが生返事してたんじゃない!」

 美帆たちは、叔母さんの実家への正月の挨拶帰りに、たくさんもらってきた野菜をお裾分けするために家に寄っていたらしい。

 午後三時半という中途半端な時間に帰ってきて、母さんの呼び掛けにきちんと応じることもないまま客人への挨拶もせずに部屋に引っ込んでしまった僕を、叔母が心配して美帆に様子見を命じたようだった。美帆はそんなこと引き受けたくなかったと、あからさまに迷惑そうな顔をした。

「平岡繭子が東高に行ってたとは意外だったわ。あの子なら桜ノ宮西高くらいには行けると思ってたのに。西高じゃなかったら、私立のお嬢様学校にでも行ってるかと思ってたけど。しっかし、全然変わってないねぇー」

 自分が通っている桜ノ宮女子(サクジョ)とは言わないあたりが選民意識の強い美帆らしい。あくまで平岡さんを同レベルに置くつもりはないのだろう。


「知り合い?」

「小学校が同じだったからね」

 叔父さんが東雲市に土地を購入して家を建てるまで、美帆たち一家は叔父さんの勤め先の社宅がある桜ノ宮市に住んでいた。

 こう言っては失礼なのだが、駅から近いという以外に利点は殆どない築三十年超えの狭く簡素な灰色のメゾネット様式だった。美帆たちの住んでいた棟以外に数棟あったが他の棟には入居者がいるのかさえ分からないくらい閑散としていて、枯れきった草が伸びていたり錆びた三輪車が放置してあったり、日焼けして色が褪せたカーテンが半開きで掛かっている窓など、まるで小さなゴーストタウンのようだった。

 子供の頃に母に連れられて行ったことはあるが、人の気配のない団地特有の薄気味悪さは、何度訪れても慣れることが出来なかった。


「私まではいかないけど、勉強もできたわ。運動もできたし作文とかも上手だった記憶があるけど。……っていうか、あのオンボロ社宅に遊びに来たことがあるのは平岡繭子くらいよ」

 話しの内容から察するに同じクラスだったこともありそうだけど、それにしてはあまり仲が良かった風には聞こえない。いくら美帆が傲慢だからといって、今は交流がなくても昔仲が良かったら“平岡さん”とか“繭子ちゃん”と呼ぶだろう。

 けれど美帆はさっきからずっと“平岡繭子”と呼んでいる。

 プライドが高い美帆が、ずっと憎み嫌っていたあの社宅に遊びに呼んだ唯一の友達なら、もっと親しみを持って呼んでもいいはずだ。

「仲良かったの?」

 敢えて訊いてみる。

 美帆は苦々しげに顔を歪めて首を横に振った。

「小学校で仲良かった子なんて、私にはいないわ。小学校なんて嫌いなヤツらばっかりだったから。男子は下品で低俗だし、女子もつまらないことですぐに泣いたり騒いだりする情緒不安定なヤツばっかだったし」

 ……美帆さん、それが正しい小学生というものです。

「平岡繭子のことは別に好きでも嫌いでもなかったけどね。だけど、友達かっていうとかなり微妙だわ。あの子自体、他人と一線を引いてるバリアみたいなものがあったし」

 と、いうことは美帆基準では好きだったうちに入るのかもしれない。ただ仲良くなれなかっただけで。

「ちょっと変わった子だったから。普通、小学校で“勉強も運動もできる子”って言ったら、活発でクラスのヒエラルキーの最上層にいるもんじゃない? だけど、平岡繭子は逆。おとなしかったの。いつも緊張してるみたいに(こわ)ばった顔してさ、何考えてるか読めない変わった子だった」

 美帆の語る平岡さんは、僕の知る高校生の平岡さんとは別人に思えた。たしかに平岡さんはクラスの輪の中心にいてもおかしくないような人でありながら、派手に笑ったり騒いだりせず、さり気なく輪の中心から外れている所はある。だけど、特別におとなしいと指摘されるほどではない。目立つ女子たちみたいに前には出てこないけれど、いつも笑っていて、誰とでも打ち解けて、友達に囲まれている。


「二年生くらいだったかしら。まあ、あれは間違いなく平岡繭子のことが好きで意地悪したかったんだと思うけど、男子たちがひどいこと言って平岡繭子のことをからかったのよ」

「なんて?」

「……彼氏相手にちょっと言いにくいわ。子供の口から出る残酷さだから、この年で気にしないでよ? あのね、平岡繭子のこと“拾われっ子”って言ったの」

 拾われっ子?

「正確に言うと拾われっ子じゃなくて養女なんだけどね。しかも平岡家とはちゃんと血が繋がってるのだから、拾われたなんてタチの悪い戯言。親たちの低俗な噂話を聞き齧った子供の出来心なのよ。自分の家の子がどう頑張ってもよその子に勝てないとか、旦那が劣ってるとか、そんな理由でその家庭の粗をほじくり出して悪く言う暇な主婦っているわけ。私の所も“大手に勤めてるくせに住み手がいないようなボロ社宅暮らしなんて、会社で窓際社員か相当なドケチ一家なんだ”って散々言われてたから」

 大人が言わなければ知らないような下世話な話。それを聞き齧った子供たちが悪意なく子供翻訳して不用意に友達に直球でぶつける。

 話しのネタにしてる大人たちに悪意があったのかなかったのかは知らない。だけど、テレビのニュースでイジメの話しを聞いて批判している人たちが、そうとは知らずに我が子たちを加害者へと育てているのかと思うと背筋が寒い。


「あの子は小さい頃に事故でご両親をいっぺんに亡くしてるみたい。今のお宅は母方の実家で、あの子のお母さんの妹さんが母親代わりなの。すごく若い妹さんで私たちが十歳当時で二十代前半くらいだったかしら」

 ある日突然、留学してた妹さんが幼い平岡さんを連れて桜ノ宮に戻ってきたらしい。近所の噂では、最初は“留学中に無計画に子供産んだ挙句、相手の男性には認知もしてもらえずに捨てられて実家に泣きついた”という憶測が飛び交っていたそうだ。姉妹二人とも優秀だったのに、姉は駆け落ちで妹は未婚の母か……と、想像から邪推を掻き立て面白半分に揶揄したという。

 しかし実際は、平岡さんのお母さんの妹さん──つまり叔母さんが、姉夫婦の訃報を聞いて留学先から駆けつけて平岡さんを連れて桜ノ宮に戻ったというのが真相のようだ。

 最初は“若い未婚の母から生まれた子供”と噂され、それが亡くなった姉夫婦の娘だと分かると今度は“父親方の親戚中をたらい回しにされた末に、母親方の、しかも若い未婚の妹に養育が押し付けられた”という噂に変わったという。噂というのは本当に無責任だとは思うが、軽々しく井戸端のネタにするような人たちにとって“込み入った真実”なんてどうでもいいのだろう。まして相手が妬ましい対象であるならば、“込み入った真実”なんかよりも“無責任な醜聞”の方が彼らのコミュニティにおいては何倍も何十倍も価値があり、都合が良いに違いない。


「どういう続柄になってるのかは知らないけど、お祖父さんが世帯主なのよね。めちゃくちゃ厳格な人らしくて、“娘を奪われた上に孫まで渡させるか”って平岡繭子の実の父親の家に怒鳴り込んだって噂もあるわ。剣道の有名な師範代らしいんだけど、大豪邸よ。行ったことある?」

 僕はただただ首を横に振った。

「まあ、そうよね。娘の結婚にも大反対だったっていうし、反対を押し切らなければ死ぬことはなかったって思ってるでしょうから、一粒種の平岡繭子がどんな男を連れて来たって許すはずがないわよね」

 なんだか勘違いされたまま話しが進んでいるが、話しの流れを変えるわけにはいかず、訂正のタイミングはその時を待つことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ