表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/62

40 僕の脳が写す景色

 ねえ、畠中くん。

 目で直に見た景色と写真で見た景色が同じじゃないって知ってた?

 彼女は言った。



 目で見ているようで、実際は脳で見てるんだって。

 だからね、正確に写しているようで実は無意識に見たいものを選んで見てるんだって。


 ある写真家さんが昔、「写真には風や匂いや奥行きはないが肉眼よりも真実を写す」って本の中で言ってたのを読んだの。私には難しくて、その言葉の意味をずっと考えた。ううん、今も考えてる。

 もし写真が肉眼より真実を写していたとしても、また人の目を通してその写真を見たら、脳が見たいものを選んでしまうんじゃないかって疑問が残ったの。

 変かな?


 私は、写真だって正確な真実じゃなく、見たいものだけ選んだ自分の脳に素直なものが写し出せると思うの。

 たとえば公園の風景があって、散歩している犬に着目する人やお母さんに抱っこされてる赤ちゃん、それから光が反射してる池、それぞれ見るものは違うと思うの。

 それら全部をひっくるめた一つの景色を正確に写しても、見る人によって主題は変わるし、フォーカスを当てなくても撮る人の意識でも変わってくると思うの。


 綺麗な写真も好きだけど、私は私の見たものが伝わる写真を撮ってみたい。ありのままの景色じゃなくても、私の脳が見たいものを選んだ、っていう写真を作って表現してみたいって、ずっとそんなこと考えてた。





 二学期の最後の日、中庭で彼女が話してくれたことだ。

 写真を撮る道に進みたいと話してくれた時、理由は追々と彼女は言った。それを話してくれたのだ。


 その日、彼女には旭大の推薦入試の不合格が通知されていた。

 彼女の成績からすれば旭大は間違いなく合格安全圏内のはずだ。不合格だったことを平岡さん本人から聞いて、信じられない気持ちと何と言葉を掛けて良いのかという戸惑いが入り混じったが、意外にも彼女自身はケロッとした顔をしていた。

「そもそも写真部に所属してもないし、写真コンクールへの応募実績もないのに、推薦入試を受けても取ってもらえるわけないよね。推薦入試で欲しいのはそういう子たちだよ。私が大学側でもそうだもの」

 彼女は一般入試で頑張ると言って曇りない笑顔を見せた。

 お互いに頑張って絶対に合格しようね、彼女がそう言って晴れやかに手を振る姿が脳裏に焼きついた。

 それが冬休み直前に僕の脳が選んで写した景色なんだ。



 冬休みに入ると、朝から図書館で勉強して、閉館の合図で帰宅する生活が始まった。帰宅後は早めの夕食を食べて部屋で勉強して、風呂に入って寝る生活。ルーティーン化しているため苦痛はない。別に勉強が好きなわけではないけど、もともと非リア充なので勉強くらいしか時間を潰す手段がない。受験まで一ヶ月を切っているから、勉強しかすることがないくらいが丁度良い。


 年末には、ギリギリまでバイトに明け暮れていた兄さんが帰省して、家族揃って粛々と地味な年末年始を過ごした。我が家らしいと言えば我が家らしい。

 年末年始の図書館の休館明けはいつもより混んでいて、暖房が効きずぎているのか人が多すぎて二酸化炭素が充満しているのか、蒸し暑さにのぼせるくらい息苦しくて頭がぼうっとしてきた。

 曇り切った窓ガラスに幾筋もの結露の跡が連なり、それを見ているだけで集中力が途切れたので、荷物を片付けて自習室を出ることにした。

 閲覧室は床からの冷気がひんやりと心地良かった。

 目に留まった本棚がジオグラフィック系の写真集だったため、適当に背表紙を触って手に取ってはパラパラとめくり棚に戻しては他のものを手に取って……を繰り返す。

 壮大な水飛沫を上げて海原に顔を覗かせるクジラや、黄褐色の大地の果てに群れを成すシマウマたちや、高僧たちの赤い袈裟に染まったチベット仏教の法要の儀式など迫力を感じるものや、花の写真、外国の有名な観光地の写真など、普段テレビや雑誌などで目にしているようなものでも、関心を持って見るとこんなにも違うのかと新鮮な気持ちになった。

「撮った人が見たもの」

 僕の脳が選んで写したもの───


 ふと、閉じた本の背表紙を眺めると下の方に“矢野 昌孝”と書かれてある。

 矢野昌孝?

 聞いたことがある。唇の先だけで呪文のようにその名を復唱しながら記憶の糸を辿る。

 …… …… ……。

 そうだ、徳山先生だ。徳山先生が言っていた人だ。

 もう一度、本に開いてページをめくってゆく。

 外国の湖でレガッタを漕ぐ選手たちの力んだ表情が鮮明に写し出されている写真や、日本の建設現場で大きな資材を組み立てる作業員の写真など、見る側に被写体の熱量が伝わってくるほどヴィヴィッドで臨場感の溢れる写真ばかりだった。

「なんかすごい……」

 思わず呟いてしまう。

 綺麗な景色の写真はいくらでも見たことはあったけど、非日常ではない中に生命力や力強さを感じる写真は初めてだった。と、いうより、写真にそういうエネルギーを感じたのが初めてだった。

 終わりの方までめくって行くと、白いページの真ん中辺りに小さな正方形で本人の写真があり、その下に簡単な経歴と撮影機材の名前らしきものが書かれている。

 日に焼けた肌に白い歯が印象的で、この写真の矢野さんは僕たちよりも少し年上くらいに見えた。


 矢野昌孝

 19××年 東京都生まれ

 国立上野芸大卒

 20××年没 享年32歳



 え……、この人、亡くなってるの?

 写真の持つ活力や健康的な笑顔を見て、たった数分前に知った人だけどこの人が死んでしまっているなんて、にわかに受け入れ難かった。僕たちが生まれずっと前の著名人ならともかく、僕たちが生まれてから同じ時間を生きていた人なのに。しかもすごく若いのに。

 ページは殆ど残ってなかったが、もしかしたら解説や後書きみたいなので、生前に親交のあった人の寄稿がないだろうか縋る思いでページをめくった。

 


 まず目に飛び込んできたのは文字ではなく写真だった。

 白黒で少し粒子は粗いけど、見ただけで心臓が止まりそうなほど驚いた。

 平岡さんによく似た女の人と、その隣に矢野さん、そして二人に挟まれるような形で三〜四歳くらいの丸顔の女の子が写っているのだ。その子はポンチョのような服を着て、子供らしいリンゴ頰っぺで二パッと笑っている。

 その下には“ご家族最後の写真”と書かれてあった。



 生前の矢野くんがよく言っていた「写真には風や匂いや奥行きはないが肉眼よりも真実を写す」という言葉を思い出す度に、私は矢野くんがいないこの現実の世界よりも、写真の中に矢野くんが生きているというのが真実なのではないかと思う。

 あのような事故であなたたちが亡くなってしまったことは今でも信じられない。………娘さんはまだ小さく………これから成長が楽しみだっただろうに………


 連々と綴られてた哀悼の後書きの文字を目で追っているのにショックすぎて脳が拾ってくれない。

 平岡さんにそっくりな───彼女より少し面長で髪の長い女性は───きっと平岡さんのお母さんだよね。

 矢野さんの没年と写真に写っている女の子の年頃をざっくり計算してみても、現在のこの女の子はきっと僕たちくらいの年齢だろう。


 だけど、平岡さんにはちゃんと家族がいて……、そうだよ、進路についても家族に承諾してもらわなきゃって言ってたじゃないか。

 五歳から剣道やってる柳瀬が、ずっと平岡さんと同じ道場だって言ってたじゃないか。それ以上のことは何も言ってなかったじゃないか。

 だとしたら、この写真の女の子は誰なんだ。

 少なくとも、平岡さんと関係はあるはずだ。

 矢野さんが写真家で、平岡さんが写真家を目指しているというのも偶然ではないだろう。

 けれど、僕の知っている平岡さんは平岡さんで、写真の女の子は矢野さんだ。

 しかも事故で亡くなっていると書いてある。

 なんだか頭が混乱していた。



 平岡さん、あなたは一体誰なんだ?!

 あなたは本当に実在するの?

 本当に二次元の人なの?


 なんだかオカルト風味になってきたじゃないか。

 いくらミステリー小説しか読まないからって、想像力が貧困すぎるだろう。もはやボキャ貧どころの騒ぎじゃない。

 酸欠か。自習室の暑さに完全にのぼせたのか。

 蒸れ切ってしまった売店の惣菜パンの大ハズレみたいに、僕の頭の中はデロデロに泥濘(ぬかる)んでいた。


 出直しだ。今日はダメだ。

 頭の中はダークファンタジー。

 二学期の最後に見た平岡さんが、笑顔で手を振っている。

 安いドラマなら幻影か、もしくは何かの予兆といったところか。

 そういう発想にしか結びつかなくなってる僕の頭の中が何よりも安っぽい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ