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39 歪んだ執念

 教室に戻るとガクちゃんの姿もまいちゃんの姿もなく、尾崎も杉野もいなかった。

 学食に行ってそのままフットサルのコースだろう。


 寒さに指先を擦り合わせて席に座り、三時限目の休みにガクちゃんが買い出ししてきてくれたパンを机の中から取り出して封を切る。

 頼んだパンはカスタードのコロネとアンバターのコッペパンだったのに、ガクちゃんが買って来たのはシナモンロールと揚げあんぱんだ。間違えたんだよ、なんて笑っていたが、あれはどう見ても意図的だった。

 だがしかし、なかなかどうして。一口嚙ったシナモンロールのイケること。3年も残すところ僅かになって売店のシナモンロールがこんなに美味しかったことを知るなんて。

 やっぱりわざとだ。

「メシに甘いパンとか酔狂すぎるだろ」

 いつもガクちゃんに言われるセリフだけど、売店の惣菜パンは手作りが売りなのは結構なのだが、アツアツを袋詰めしているため水蒸気が篭ってしまいパンが蒸れて柔らかくなっていることもあり当たりハズレが大きい。大ハズレを引いた日は金魚や亀の餌を食べている気分になるから、リスクを考えるとなかなか手が出せない。



「あの人といると、あからさまに無視するのね」

 刺々しい声と一緒に目の前に神崎さんが現れた。

 自分の存在感を示すような彼女の甘い香水の匂いにすぐに気付けなかったのは、香りが強いシナモンロールのせいかもしれない。

 あの人とは平岡さんのことを言ってるのだろう。

「ザッキーから聞いた?」

 きっと尾崎が言っていた元カノと神崎さんが友達だとかいう件だ。聞いた? なんて漠然とした訊き方をされても何を指しているのか分からない。“何について”の部分を明確にしてくれれば答えやすいのだが、願わくば聞かれたくない案件を抱えている人は一様にこういう訊き方をするから困ったものだ。


 それにしてもどうしたというのだろう。この吐き捨てるような喋り方は。喋り方だけじゃない、僕を見る目も違う。今までの親しみを込めた視線はなく、まるで価値のないものを忌むような視線だ。

 そんなに無視したことが気に障ったのだろうか。なら何故、尾崎の話なんかを切り口にするんだろう。

「そう、聞いたのね」

 え? 今、舌打ちした??

「私、謝んないわよ」

 ほえ? 言ってる意味が分からない。「何を?」と訊いてみたいけど、やや興奮気味の神崎さんは僕が口を開く間も与えないくらいに自分の言いたいことを畳み掛けた。

「だってあの子、ムカつくんだもん。ダサいし可愛くもないのに男ウケだけは良くて。おまけにミスコン辞退するとか偉そうなマネしてくれちゃって」


 ああ、平岡さんのことか。それにしても相変わらずの酷い言われようだ。そう思うと、怒りや悲しみではなく笑いが込み上げてきた。

「何がおかしいの?」

「いや、」

 説明しても分かってもらえないよ。思うところはなくもないけど、今の神崎さんに平岡さんの誤解を解こうとしても聞き入れてもらえるとも思えない。国語力ないし。


「笑わないでよ。なに笑ってるのか知らないけど、気持ち悪い」

「あ、ごめ……」

「あんたみたいなキモヲタに笑われるとかあり得ないって言ってるの」

 低く低く、呪文を唱えるように、冷めた目の神崎さんは形の良い唇をそっと動かした。

「そうよ、あの子と噂になってなかったら、あんたなんか相手にしてないわ。だいたい同じ教室にいても存在すら気づかなかったもの」

 神崎さんがガクちゃんに数学を教わりに来だした頃のことを思い出す。ガクちゃんが僕を名指しした時に、神崎さんは見たことないものを見た時のような目で僕を見ていた。

 平岡さんのことは、以前から気になって知っていたのだろう。完成度の高い洗練された美少女である神崎さんにとって、素朴な平岡さんが評価されることは気に入らなかったのかもしれない。とにかく神崎さんにとって平岡さんは目障りな存在だったんだ。

 だからまずは“推定彼氏”のガクちゃんに近づき、ガクちゃんが名指しして初めて僕の存在を認識し、2年の時に噂になっていた名前だと気づいたのだろう。


 神崎さんは僕にクラスの皆と仲良くなりたいと言った。もし彼女のその気持ちが本心だったなら、学年がスタートして一ヶ月以上も、クラスの中に“見たことなかった”奴がいるって、どう考えても変だろう。

 僕が平岡さんを好きだから───神崎さんじゃないから、僕を好きにさせることに執念を燃やしていたのか。

 それとも一年前の噂を間に受けて、平岡さんが僕を気に入ってると思い込んで、平岡さんから奪ってやるなんて思ってしまったのだろうか。

 もし後者なら、神崎さんの執念はまったくの徒労ということになる。だって、向こうは向こうで勘違いして、僕の良さを分かってくれる人がいて嬉しいとか言っちゃってるんだから。



「あの子から“お気に入り”を奪ってやったら、どんな顔するだろうって思ってた。泣けばいいって、ね。どう見てもモテそうもないこんな男、チョロいって思った」

 あ、後者ね。

「なのに、ちっともあの子から目移りしないんだもん。すごい腹立つ。あんな田舎臭い子のどこがいいのよ。私を無視してまであの子に良く思われたいの? そんなことしても、あんたみたいな冴えない男、振り向いてもらえるわけでもないのに。付き合ってるわけじゃないんでしょう?」

「付き合ってないよ、そんなんじゃないから」

 無駄なんだよ、神崎さん。平岡さんが僕なんかを恋愛対象として相手にするわけないんだ。難しいことではない、普通に考えたら分かるはずだ。

「じゃあなんであの子なの? あんな純情そうなフリして元彼に股開いちゃっ…」

「神崎さん、ストップ」

 神崎さんの目の前に手のひらを出して彼女が皆まで言わないでくれることを願った。僕の指図を受ける気など毛頭ないだろうと思っていたが、彼女は催眠術に掛かったようにピタリと言葉をとめた。



「ごめんね、分からないんだ。自分でも」

 そう、こればっかりは本当にお手上げなんだ。数学の問題集が基礎編から応用編に、応用編から難問編にレベルアップしても、こればっかりは分からないんだ。なんで平岡さんを好きになったのかも、どうやったら好きじゃなくなれるのかも。好きになって自分が何を望んでいるのかも。さっぱり分からないんだ。

「神崎さんを好きになる人には理由があると思う」

 神崎さんはすごく綺麗だから。

 それに───

「どうせ見た目だけだって言いたいんでしょ?」

「違うよ、それだけじゃない」

 怒りに潤んだ彼女の瞳が問い掛けの色に変わる。

「神崎さんはすごく努力家だ。問題集、もう三冊目だよね?」

 彼女の唇が微かに震えた。


 僕には分かる。何度も彼女に教えているから。

 本当は彼女が数学が得意ではないこと。

 不本意にも二年間女子クラスで過ごし、男子の多い数学クラスで自分が男子たちの注目を浴びていることを日々実感したかったのかもしれない。けれど、3年は進路が関わる大切な学年で、チヤホヤされたいだけの理由で不得意教科を選択するのはあまりにも無謀なことだ。そんな目的だけで、あそこまで頑張れるはずがない。

 そして教わることを口実に近づくにしても、適当に分かったフリだけすればいいはずだ。

 だが、彼女の問題集やノートは線を引いた箇所やメモ書きや計算式がびっしりある。問題集の折り目には消しゴムの消しカスが残っていたりして、彼女自身の努力の跡が存分に窺えるのだ。何より、一つレベルが高い新たな問題集を手にした時の彼女の嬉しそうな顔が作り物なわけがなかった。



「あんたに何が分かるの?」

 くるりと背を向けてしまった神崎さんの肩は震えていた。まずい、余計に怒らせてしまったかな。

 そのまま去ろうとする彼女に、一つ言いたいことを思い出して呼び止める。彼女は背を向けたまま黙って足を止めたので、一応耳は貸してくれそうだ。

「尾崎は何も言ってないよ」

 それだけ聞くと短いスカートをはためかせて教室の外に出ていってしまった。



 神崎さんにとって都合の悪い何かを、尾崎は元カノを通じて知っているのだろう。そして、尾崎は神崎さんにほのめかした。その流れで僕やまいちゃんが尾崎に詮索し、尾崎が喋ったと思ったようだ。

 神崎さん、墓穴を掘ってしまったんだな。

 だけど今までの演技力なら「ザッキーが何を言ったか知らないけど、たぶん事実無根なの」と目を潤ませればそれで充分だったはず。

 墓穴を掘った挙句に、自分の本音を曝け出してしまうのだから彼女も案外不器用で、根は実直なのかもしれない。


 チャイムが鳴り始め、慌てて残りのシナモンロールを口に押し込みコーヒー牛乳で流し込んだ。



 五時限目の英語の授業に神崎さんの姿はなかった。

 席が近い大塚くんや竹村くんは心配をしているようだったが、尾崎が彼らに「髪型が気に入らないとか言って保健室に行ってたぞ」と伝えていた。

 尾崎が席に着く時に、まいちゃんが「本当?」と訊くと「すれ違った時に本人が言ってたからマジ。本人が嘘ついてたら知らんけどな」と涼しい顔をした。

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