36 獰猛な彼女
十月に入るとすぐに球技大会が行なわれた。
今年は凶暴な夏の爪跡が深く、まだ残暑が続いている。
東高の球技大会は縦割りで、つまり僕たちは1年から3年までの1組で一チームになり、総合ポイントを競う。
競技種目は幾つもあり、スポーツに秀でている者が試合時間が重ならない限りいくつもの種目に出ることもできる。逆にバレなければ一つも参加しないで大会の間を過ごすこともできる。
ただし、参加登録名簿などで一つも参加しなかったことが後でバレたら、体育の補習を受けなければならない。
ちなみに、内向的でチーム競技に入れない人でも卓球やテニスのシングルなどにエントリーしているので、チームを組む仲間がいなくても最低一種目参加のノルマはクリアできる。草食系男子の巣窟と言われる東高ならではのシステムである。
あれから平岡さんとはよく話すようになった。
そんな風に言うと、さも親しいような言い方だけど実際は違う。僕が一方的に彼女に話し掛けているだけだ。
平岡さんが1組の近くを通り掛かればすかさず話し掛けに出向き、中庭に出てくる可能性がある曜日や時間帯にはわざと自販機に買いに出たふりをして偶然を装って話し掛けた。
二時限目休みや昼休みなど少し長めの休み時間や、7組が体育でグラウンドに出るために1組の前を通るタイミングは逃したくないのだけど、問題集を手にした神崎さんに阻まれることも少なくない。
僕じゃなくても解けそうな問題も多いけど、そんなこと言えない。自分は放棄して他に丸投げしてるみたいで気が引ける。
それでも一度だけ「竹村くんたちでも解けるよ」と、やんわり言ってみたことはあるが「どれなら竹くんに解けるとか私には分からない」と言い返されてしまった。
しまいには「私は秀悟くんの教え方が好きなの!」と半ギレされてしまい、絶賛逃げ道失い中である。
障害は神崎さんばかりではない。7組の男子たちからも冷たい視線を向けられている。中には2年の時に体育の授業中に足を引っ掛けたりボールをぶつけてきた奴なんかもいる。当然ながら僕はまったく歓迎されていない。
だがそんなことで途方に暮れてばかりもいられない。
僕は平岡さんにとって、一番身近な“ただの友達”の立ち位置を死守しなければならないのだ。ガクちゃんや柳瀬のような、彼女にとっての“大切な友達”じゃなくてもいい。友達の中でも“ただの友達”、目指すはキングオブ・ジャストフレンドだ。
◇
「尾崎、ナイスシュート!」
「おう、ガクちゃんたち、バレー終わったの? 一応登録名簿に名前書いといたから点差が詰まったら後半から出てくれよな」
手の甲で額の汗を拭った尾崎はコートの中央に戻って行く。どうやらボランチのようだ。
キーパーをしている杉野が僕たちに気づき、軽く手を上げて挨拶をした。
ハンドボールの試合を終えた僕たちは、埃っぽいグラウンドの端で1組チーム対4組チームのサッカーの試合を観戦していた。前半スコアは3−0で我が1組チームがリードしている。
近くにいた1年の女子にガクちゃんが経過を尋ねると、一点目は1年生のサッカー部員の子が尾崎のパスからゴールを決め、二点目と三点目は尾崎だった。
「後半からとか容赦ないよなぁ。まあ、この分なら出る必要なさそうだけど」
球技大会の種目にラグビーがないことをボヤくガクちゃん。
仕方ない。ただでさえ男子の少ない学校だ、縦割りにしたところで十五人集めるのは難しい。なんとかかき集めたとしても、ちゃんとルールを知っているかどうかも怪しいもんだ。
「あ、ここにいたんだ」
後ろから聞いたことのある声がした。
振り向くと栗原さんが同じクラスの友達らしき女子と三人で歩いているところだった。
栗原さんは一緒にいた二人と別れてこちらに近づいてくる。
「東堂くん、今から出番?」
はい、僕たちは見えていないようです。ガッツリと。
ガクちゃんの隣りに腰を下ろした栗原さんは、足元に落ちていた棒切れで地面に弧を描き始めた。
「まあ、出番ていや出番だけどさ。後半からだからまだ待機中」
相変わらず地面に弧を描いては靴底で消して、栗原さんはあまり興味なさそうに「ふうん」と低く応えた。
「栗原さんは?」
「さっきバスケやってきたところ。負けたけどね、7組チームに。マユいたよ」
「あんまり悔しくなさそうだな。終わってめでたし、ってトコ?」
「まあそんな感じ。マユたちのチーム、すごかったわ。東高かと疑うくらい男女仲が良さそうだった」
彼女は手の動きを止めて、チラリとガクちゃんの反応を伺う。
「それよりさぁ、ちょっと話したかったことがあるの」
「ん? なに?」
「エナ……、神崎絵菜には気をつけて」
思いもよらない話の展開に、僕たちは栗原さんの顔を見ないわけにはいかなかった。
「……神崎さん?」
「そう。エナって馴れ馴れしくない? 他の女子と違ってキモヲタにもフツーに話し掛けるでしょ」
「キモヲタは言葉が悪いよ」
「じゃあ、ダサヲタ」
「……」
ガクちゃんは諌めたけど、栗原さんはそんなことはどうでも良さそうで、少し険しい表情になってガクちゃんの言葉を遮った。
「私だってこんなこと言いたくないのよ。陰口を垂れ流して巻き込むの好きじゃないし。でも東堂くんたちには忠告しておいた方が良さそうだから」
栗原さんは見た目こそ奔放な感じの人だけど、悪い印象を植え付けるために誰かを悪く言ったりする人じゃないのは昨年一年同じクラスにいて、なんとなく分かった。
文化祭の前夜祭の日に岩崎さんたちと話していた内容からも、そういうことが好きじゃないことは明らかだった。
だから彼女の言おうとしていることは、仲の良いガクちゃんへの心からの忠告なのだろう。
「エナの馴れ馴れしさには、好意とか一切ないから。エナに馴れ馴れしくされて鼻の下伸ばしてる男子、結構いるんじゃない? 東堂くんも懐かれてるんじゃないの?」
「でも俺、…好きな子いるし」
「分かってるわよ。だから気をつけてって言ってるんじゃない」
「もう少し分かりやすく説明してくれないかなぁ」
ガクちゃんの暢気な問いかけに栗原さんは片足を地面に叩きつけた。
「エナは皆が自分に惹かれてないと気が済まないだけなの。だから目の前にエナがいるのに、エナ以外の女に夢中なってる男が許せないの。目が合ったくらいで堕とせる男なんかどうでも良くて、あの規格外の可愛さにも簡単に靡かない男には異常な執念を燃やすから」
栗原さんの言っていることが確かなら、神崎さんは異常な執念さえも好意と結びつかない感情だということになる。なんという執念の無駄遣い。美しすぎる女の子の余興とは計り知れないものだ。
「もちろん、それでもエナに靡いてないんでしょ? そういう男にはホントにあの手この手なの。心当たりあるんじゃない?」
ガクちゃんはチラリと僕に横目を流して押し黙った。
「……やっぱりね。心当たりアリアリなわけね」
栗原さんは大きく溜め息をついた。
「いや、でも、皆が神崎さんに惹かれてないと気が済まないって、神崎さん本人が言ったわけじゃないだろ?」
「まあね、本人がそんなこと言うわけないわ」
「だったら、そう見えるだけかもしれないよ。神崎さん、皆と仲良くなりたいみたいだし。それが誤解されるってことも…」
「ねえ、東堂くん」
「神崎さんを擁護してるわけじゃない。栗原さんにそんな顔させたくないんだよ。同性の陰口言うなんて栗原さんに似合わないよ」
「東堂マナブ!!」
「お、おう。どうした、いきなり」
栗原さんが突然大きな声を出したから、ガクちゃんの横に座っていた僕やまいちゃんの体もビクリと跳ね上がる。
「自分が“イイヒト”に徹してれば何でも丸く収まるとか思ってるわけ?!」
「別にそんなつもりじゃないけどさ」
「あんたの“イイヒト”ぶりっ子のおかげで傷つく人間だっているのよ! さっきのあんたの言葉をそっくりお返ししたい。私はあんたにそんなつまらない“イイヒト”の顔させたくない。ねえ、東堂くん、その“イイヒト”、誰に見せたいの? 皆に? まさか自分に対してそうでありたいとか気持ち悪いこと言わないわよね?!」
畳み掛けるようにキレる栗原さんに僕たちまで圧倒される。が、そんなことお構いなしに栗原さんのキレっぷりはなおもヒートアップする。
「いくらスペックが良くても、キモヲタじゃなくても、そういう所があんたをつまらない男にしてるの! そういう中途半端さが所詮は東高男子なのよっ!!」
神様、この恐ろしい怒りはどのようにすれば収まるのでしょうか。僕が謝っても無駄でしょうか。謝罪というより祈りになりそうだ。栗原さんには見えていない存在だから何の効果もないかもしれないけど…。
「もっと発奮してみなさいよ! キン☆マついてるんでしょ?!」
ひえええええ、原語です! しかも嫁入り前の娘さんがこんな大きな声で。
栗原さんは直角に体勢を変えてガクちゃんの方を向くと、しばらく土の上で弄んでいた棒切れを逆手に持ち替えて、グサグサとガクちゃんの肩を滅多突きにし始めた。
「いてっ! やめろって。マジで痛いから!」
「あんたたちもシャキッとしなさいよ! ついてる意味がないキン☆マなら、七つ集めて回ってるヤツにくれてやりなさいよ!」
栗原さんは膝をついて素早く立ち上がると、ガクちゃんへの攻撃を止めようとした僕たちの腕をそれぞれ一回ずつ刺さして行った。
なんて恐ろしいんだ。だいたい、こんなもの欲しがるヤツなんかいない。七つ集めたって龍は出てこないのだから。
僕たちのことは見えてないと思っていたのに見えていたとは。しかも完全に流れ弾だ。
突然の痛さに腕を抑えて呻きながらうずくまる僕とまいちゃん。
松野さん最強…もとい最恐だと思っていたけど、栗原さんは怖すぎる。トラウマになりそうだ。今宵のナイトメアは鉈を振り上げて追い掛けてくる栗原さんの主演で決まりだ。
「私はいいの。可愛い子を妬んで貶めるようなこと言ってる嫌な女でも。エナが本当に興味があって近づいてるならいい。でも違うから、…うまく説明できないけど分かるから、暇つぶし感覚で振り回されて傷ついて欲しくないの、あなたたちに!」
ふたたびガクちゃんの横に座った栗原さんが言う。一瞬、僕の方にも目が向けられた。
「ごめん。…そうだな、バカバカしいよな。誰に見せたいのって、ホントそれ。栗原さんの言う通りだよ」
そうやってすぐ納得しちゃうところもダメ、と栗原さんは綻ばせた口元をわざと尖らせてダメ出しする。
「栗原さんの言う通り、俺のせいでラグビー部の連中や尾崎にヒールを被らせてしまってた。人間ってもっと腥くて当たり前だよな。すぐには直らないかもしれないけど、もっと自分に正直になってみるよ」
「まあ、いくら頑張ってみても東堂くんのお人好しは変わらないと思うけどね」
満足そうに鼻先を持ち上げて笑い、栗原さんはもう一度立ち上がった。ジャージの埃を叩き、校舎に戻ろうとする。
「対策はある? 神崎さんに負けない対策」
「そうね、靡かない態度だけじゃ足りない。エナが燃えるだけだから。はっきりと拒絶の意思を示して。無視しなくていい、一度でいいから“ノー!”という顔をするの」
尾崎がそうしたように、神崎さんに意思表示をするということだろう。
確かに神崎さんは尾崎の近くには殆ど行かない。そして神崎さんをあからさまにチヤホヤする小池に対して、良い顔はするが執着はまったく感じられない。
逆に僕やまいちゃんやガクちゃんに対しては、グイグイ来る。
神崎さんが僕のような地味男までターゲットにしているとは考えにくいが、平岡さんに話し掛けたいタイミングで頻繁に阻まれるようなら、はっきりと態度に表さないといけない。
こんな地味で非モテな僕の分際で、学校一の美人に不快な思いを与えてしまうのは気が引けるが仕方がない。
歓声が上がる。
尾崎が四点目のシュートを決めていた。
「ハットトリックなのに見てなかったのかよ!」
と僕たちに向かって怒ってる。




