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27 顔見知り以上、友達未満

 五月が過ぎて中間テストが終わる頃には、クラスの中は受験ムードに染まっていた。

 誰が貼ったのか、教室の後ろの掲示板には色々な大学のオープンキャンパスの告知や有名予備校の公開模試の日程表などで埋め尽くされている。


 女子が五人しかいない1組は、2年の時のクラスとさほど変わらない様相ではあるものの、更に偏った男女比でむさ苦しさは倍増していた。

 おとなしい男子ばかりでも、やはりむさ苦しいものはむさ苦しいようだ。これから梅雨を迎えたら、むさむさ蒸し蒸し暑苦しいこと間違いない。

 このクラスは女子もまた控えめな人ばかりで、神崎さんの存在が唯一にして異質だった。

 そんな神崎さんは、もう既にクラスの半数の男子を信者として取り込んでいた。

 予習復習もしっかりやって来るようで、授業の合間には近くの席の男子に分からない箇所を質問している。ノートに向かって寄り添った時に感じる彼女の甘い髪の匂いに昇天しそうだ、と体育の前後の着替えの折に近くの男子が恍惚の表情を見せる。

 谷口くんは言う。

「あんなに可愛いのに誰にでも優しくて、平岡さんみたいだよなぁ」


 実際、似たようなことを言う男子も少なくない。

 いやいや、それどころではない。

 どちらも畏れ多いほど可愛いけど、神崎さんの可愛いさの方が洗練されていると言う人が徐々に増えている。

 そんな風に色めき立つクラスの過半数を尾崎や杉野が遠巻きに揶揄する。

「俺はああいうの好きじゃない。こんな可愛い私に話し掛けられて非モテ男子諸君どうよ? って匂いが神崎絵菜からはプンプンする」

 尾崎がそう言えば

「平岡さんみたいだって? 一緒にする奴らの気が知れないよ。平岡さんはあんな目のやり場に困るような短いスカート丈になんかしない」

 杉野が続く。

 平岡さん派の尾崎や杉野にしてみれば、可愛いという容姿で平岡さんと神崎さんが一括りにされていることや、まして神崎さんと比べて平岡さんが劣っているみたいに言われていることが面白くないらしい。


「だからって神崎さんを悪く言うことないだろ。神崎さん本人には全然罪はないんだから」

 今や平岡さん派の頂点とも言える彼氏のガクちゃんに諌められると、尾崎も杉野も謹まないわけにはいかない。

「女の子に対して“ああいうの”って言い方は、ちとヒドイな。神崎さん、尾崎の好きな女子アナ系じゃん」

 ムキになって反論しようとした尾崎を意にも介さず、ガクちゃんは笑う。

「こんなむさ苦しいクラスに神崎さんの存在が華を添えてくれてるのは間違いないんだし」

 確かにガクちゃんの言う通り、神崎さんがいなかったら留置所のような雰囲気だったかもしれないと思う。もちろん留置所にお世話になったことはないので、あくまでイメージだけど。もう少し近い表現をするならば、映画に出てくる刑務所内の自習室や図書室のような無機質な雰囲気だ。



 彼らが平岡さんだ神崎さんだと話していると、噂をすればなんとやら。教室の後ろの扉越しに上体を傾けるようにして半分くらい姿を覗かせる平岡さんがこちらに向かって遠慮がちに手を振っている。

 同じタイミングで気付いた杉野が、ガクちゃんの肘を小突く。

 彼女は僕にも目を合わせてくれて、丸い大きな瞳を細めて微笑む。僕はなんとか口角だけを上げて軽く会釈をして応えた。3年になってからの定番のやり取り。笑顔のお裾分けにあやかる僕。これが僕と彼女の正しい間柄なのだ。間柄なんて言葉を使うのもおこがましいくらい。


 急ぎ席を立って彼女のもとに走り寄ったガクちゃんに、彼女が笑顔で何か話している。そこで僕は二人から目を離す。これも定番。というか習慣。ジロジロ見るものでもないし、見ないくらいが丁度いいに決まってる。

 彼女への恋心も着々と封印が進んできて、並ぶ二人を見て胸がズキズキすることもなくなっていた。

 それでも反射的に二人から目を逸らすことだけは、習慣として残ってしまっている。習慣というのは厄介なもので、吹っ切れたはずなのに、並ぶ二人を視界から遮断したいと一瞬だけ思うことさえ残っているからタチが悪い。

 あとはここを乗り越えれば僕の初恋はひっそりと終焉を迎えられる。


「お似合いだよなぁ。相手がガクちゃんじゃ嘆く気も失せるな」

 尾崎が杉野と顔を見合わせて溜め息をつく。

「でもやっぱ、俺は神崎さんより断然平岡さんだな」

 まあな、と合意して二人は笑った。

 近くの席で聞こえていたと思われる久住くんも「俺も」という顔で頷いてから、恥ずかしそうに俯いた。きっと修学旅行で平岡さんと交換したお守りを今も大切にしているのだろう。

 昨年までは平岡さんのファンだった男子たちが、次々に神崎さん旋風に呑み込まれていっている中、今でも平岡さん派を貫く僕たちの想いはまるで地縛霊だ。

 身の置き場のない想いに深入りなんてするもんじゃない。ただただ苦しいだけ。ここから動けない。少なくとも卒業するまでの間は。

 だがしかし、悪いが僕は一足お先に成仏させて頂きます。

 平岡さんを見守るという、富樫に託された任務も何の役にも立たないまま終わったし、何より彼女のそばには最高の主役(ヒーロー)が寄り添っている。僕の出る幕など、どこにもない。


 2年の頃は、僕もガクちゃんも“友達”という同じカテゴリーに入っていた。もちろん親しさの天秤の上で水平だったわけじゃない。

 平岡さんにとって、ガクちゃんは友達の中でも彼氏になりうる友達だったが、僕は元クラスメイトという位置に収まる以外の何者でもない。

 無理もない。だいたい3年になってから彼女とは一度も言葉を交わしていない。

 彼女が富樫と付き合っていた頃のように、僕が間男だなんて噂が立ってしまっては二人に申し訳ない。

 それになにより、もう今の僕には彼女と話す口実も理由もない。

 そして、3年になってからガクちゃんとの間で平岡さんを話題にすることもめっきりなくなった。

 それはきっと、ガクちゃんは彼氏だから。僕とは同等ではないのだ。

 彼氏というのはやっぱり特別だ。たとえ二人の間で交わされる会話が他愛もないものだとしても、それは絶対的に他とは違うのだろう。

 どんなに他愛もないものだとしても、二人の間で交わさた会話は二人だけのもの。友達とシェアする必要などない、ガクちゃんだけのものなんだ。

 ガクちゃんは惚気(のろけ)たり自慢したりする人じゃないから、彼女のことを話題にしなくなったのかもしれない。

 いずれにしても、きっとそれは二人が幸せだという証拠なのだ。


 彼女にとってガクちゃんは彼氏で、僕は顔見知り以上、友達未満と、すっかりカテゴリー格差が開いてしまったが、僕たちが友達であることは変わりなかった。

 相変わらずガクちゃんは僕をライバルだといってからかう。英語や現国では毎回ガクちゃんに点数負けてるんだけどな。



「あの、東堂くん? ちょっといいかな」

 胸の前に問題集を抱えて躊躇いがちに声を掛けてきたのは神崎さんだった。

 昼休み、花札に興じていた尾崎、杉野、まいちゃん、ガクちゃん、ビジターの小池が一斉に顔を上げた。

「あ、ごめんね。お邪魔…、だったよね。積分計算でちょっと分からない問題があって」

 薄紅梅色をした形の良い唇から、その唇のイメージ通りの甘やかな声が発せられる。

 小池が分かりやすく見惚れていたのは言うまでもないが、杉野やまいちゃんまでもが一瞬放心していた。

 いや、ガクちゃん以外のその場の皆が一瞬同じように神崎さんに目を奪われた。もちろん僕も。

 中でも尾崎の反応は、本人には悪いけど面白かった。

 一瞬目を奪われ、すぐに我に返って眉を顰めるという心の中がダダ漏れの表情変化は、平岡さんに勝るとも劣らなかった。


「俺で分かるかなぁ。ちょっと見せて」

 快く引き受けたガクちゃんに、神崎さんの表情がパアッと明るくなる。そりゃあもう神々しいくらいに。

 小走りに外側を回ってガクちゃんの座っている席の前まで来ると、その横で中腰になって問題集を広げた。

「どうぞどうぞ」

 小池が椅子を差し出して彼女を促す。

 ありがとう、と微笑まれて小池はギャグ漫画のように鼻の下を伸ばす。のぼせた男が鼻の下を伸ばすのって漫画だけの世界じゃなかったんだと、小池を見て初めて知った。


「いつも訊いてる大塚や竹村でも解けなかった?」

 問題に目を通しながらガクちゃんが訊く。

「うん。竹くんたちが、東堂くんなら学年トップクラスだから解けるんじゃないかなぁって」

 た、竹くんですか。

 ガクちゃんは普通に聞き流してるけど、そこ流すところじゃないよ。

 クラスの中でも久住くんや谷口くんと一二を争うくらい、…いや三、四か。ええい、そんなことどうでもいい。とにかくクラス内でおとなしい順に数えた方が早い物静かな二人だ。他人(ひと)のこと言えないけど。

 女子と話しているのはもちろん見たことないし、特定の仲間としかほとんど喋らない。

 そんな二人のうちの一人、竹村くんのことを「竹くん」って呼んだんですよ、この女の子は。

「そっかぁ。竹村たちも結構デキるんだけどなぁ。彼らが解けなかったのが俺に解けるかなぁ」

 視線を問題集にロックしたまま、そんなことを呟いてシャープペンを走らせる。

 よし、と言い、シャーペンの先でカツンと短く紙の上を打ってガクちゃんが顔を上げた。

 神崎さんは息を呑んで言葉を待っている。

 そして丁寧に説明し始めたガクちゃんの顔と紙の上の回答を忙しなく見つめる。進行について行くのに必死な様子だ。

 それを見て取ったガクちゃんが、ゆっくりと確認しながら続ける。

「ありがとう。すごく分かりやすかった」

 一通り説明を聞いた後、神崎さんは緊張を解いたようににっこりと笑った。

「また分からなくなったら訊いていい?」

 じっとガクちゃんの目の中を覗き込むようにして彼女は小首を傾げる。

「いいよ。でも理数なら俺なんかより畠中ちゃんの方がデキるよ」

 ガクちゃんは視線で僕を指す。

「畠中、くん?」

 まるで今まで見えなかった物が急に見えたようなキョトンとした顔。仕方ないよ、存在感薄いから。

 こういう反応、慣れてる。中学時代、なにかの係や委員になっていて呼ばれた時に、その口で僕の名前を呼んだ人が同じように僕を見た。

 こんな人いたかしら?

 名前と顔が一致しないんですけど。

 と、いうその顔で。

 そして必要ない情報を消去するように忘れられた。

 覚えてもらえてない分には一向に構わないんだけど、その顔で見られた時にどんな顔すれば良いのかと毎回困るんだ。

 気にしないでもらえると助かる。


 しかし女子アナ級の美女に見つめられるというのは、非常に緊張する。

 平岡さんと目が合うのも緊張したのに、キョトンとしたまま僕を見ているのは、二年連続ぶっちぎりでMiss東高に輝いてる神崎さんだ。

 だいたい注目されること自体が苦手なのだ。そろそろ我に返って戴けないものでしょうか。このままでは窒息します。


「あ、ごめんね。そっか、東堂くんよりデキるってことは数学は畠中くんが学年一デキるってことだよね。それってどういうレベルなんだろうって考えたらびっくりしちゃって」

 神崎さんは明らかに即興な口実で一生懸命に取り繕った。


 無理しないで。気にしないで。心置きなく僕のことは忘れちゃって。

 二度寝みたいに意識の下に沈めちゃっていいから。


 それにしても、高校生活の中で、僕の名前を口にする女子がもう一人現れるとは。

 しかも両者が東高屈指の美少女だなんて、これからの人生が搾りカスでしかなさそうに思えた。

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