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25 Dear.ライバル

 手元に写真があるというのはこんなに素晴らしいものなのか。

 見るたびに平岡さんが笑い掛けてくれているようで、幸せな気分に浸れた。

 最初のうちは、写真の中の平岡さんと目を合わせるのも心臓が高鳴る思いだったけど、次第に脳が実際に目が合っているわけではない当たり前の事実を受け入れ始めた。そこを超えると、相手に意識されずに好きなだけ顔を見つめられる幸せに心が充足されるようになった。

 かつて写真というものをこんなに真剣に、こんなに長い時間、見ていることがあっただろうか。


 可愛い。すごく可愛い。何度見ても可愛い。

 まさに眼福だ。

 机の引き出しを半開きにして彼女の写る写真を眺める。

 学習机の椅子に座ったまま、身悶えしている僕はきっと薄気味悪い変質者なんだろうな。

 こんなことが平岡さんに知れたらドン引き確定だ。

 見られるはずがないのだから、言わなければ知られまい。

 それにしても、こんなに可愛い人の写真が手元にあるなんて。

 ガクちゃん、ありがとう。

 こうして毎日ガクちゃんにお礼を言うのが日課になりつつあった。

 こうなってくると、もはや礼拝に近い。

 これで心置きなく生涯片想いが続けられる。

 冬眠に入る前の動物のように、僕は心の中にたっぷりと充足感を蓄えた。

 3年になってクラスが分かれてしまえば、彼女の周りにはまた新しいクラスメイトがいて、人気者の彼女はその中心で楽しそうに笑っているだろう。

 優しい彼女のことだ、廊下ですれ違ったら挨拶くらいしてくれるだろう。それで十分じゃないか。

 同じクラスになれて良かった。三年間のうちで一度でも“クラスメイト”という間柄ができたことは、五年経っても十年経っても僕の高校生活の中の一番の思い出として残るだろう。

 本来なら無味無臭で終わるはずの僕の高校生活に、彼女は色鮮やかな“青春”をくれた。



 ◇

 三学期が過ぎるのはとにかく早い。

 間に高校入試が入ったり、学年末テストまでの期間が短いせいもあって駆け足で過ぎていく。

 僕は年度末の模試で少し成績を上げて、第二希望である県内の国立大学になんとかB判定が出るくらいまで漕ぎ着けた。


 元々理系に進むつもりのなかった柳瀬や浜島とは3年では別のクラスになりそうだけど、ガクちゃんや尾崎や小池とは来年も同じクラスになりそうだった。

 女子のことはよく分からないが、浜島や柳瀬が言うには剣道部の中で言えば薬学系へ進学希望している久保さん以外は理系クラスには進まないらしい。

 結局、平岡さんの進む方向について訊くことはできないままだった。

 進路のことで家族の了承は得られたのだろうか。

 家族の了承を取り付けなければならない進学先と聞いて思いつくのは留学だけど、彼女はどこか遠くに行ってしまうのだろうか。

 卒業したら、僕と彼女の儚い間柄なんて完全なる過去形になってしまい、こんな人間がいたことさえ思い出すこともないのだろうと分かっている。

 元々住んでいる地区が近いわけでもなく使う駅も違う。卒業したらどこかでバッタリという確率も低いだろうけど、そう分かっていても遠い外国に彼女が行ってしまうのかと思うだけで淋しい。

 手元に一枚の写真さえあれば一生片想いを続けていけると思う気持ちとの、この矛盾は何なのだろう。

 ガクちゃんに訊けばこの矛盾が何であるかなんて一発で弾き出してくれそうだけど、こんな非モテで地味な絶食系男が一丁前に恋などしてると他人に知られるなんて恥ずかしすぎる。

 しかも相手が平岡さんだなんて口が裂けても言えない。

 せいぜい前夜祭の一件で自意識過剰になってしまった非モテ男子の哀れな末路の典型として気遣いの眼差しを向けられるだろう。

 その前から好きなんだけどな、なんて。言い訳にもならない。

 とにかく平岡さんを好きだなんて、そんな身の程知らずなことは口に出すべきじゃないんだ。

 世の中には言って良いことと悪いことがある。……そういう問題でもないが、とにかく分不相応なのだ。

 ビーチサンダルを履いている人が三つ星レストランに入りたいと言っているようなものだ。





「俺、告ろうと思う」

 僕はシャープペンを落としそうになった。

 もちろん言ったのは僕ではない。

 ガクちゃんだ。


 いつになく神妙な面持ちで、ガクちゃんはそう宣言した。

 僕にだけ届く小さな声で、だけど迷いのない力強い口調で。

「本当は黙って行動したかったけど、どのみちどこかからバレるこどだしさ。一年間隣の席で仲良くしてきた畠中ちゃんには、後で他人ヅテにバレるような水くさい形になりたくないなって思って」

 フラれる気しかしないけどね、ガクちゃんはそう言う。

 フラれわけないよ。だってガクちゃんだよ?

 背が高くてイケメンで優しくて誠実で頼りがいもあって、スポーツ万能で頭も良くて、そんな欠点のない男がフラれるわけがあるもんか。


 だけどやっぱり相手は平岡さんなんだね。ガクちゃんも平岡さんのことが好きだったんだね。

 ガクちゃんをフる女子なんかいないよと思うのと同種の気持ちで、平岡さんを好きにならない男なんていないと思ってきたから、当然の展開といえば当然の展開なんだけどさ。

 そして、そんな二人が付き合えば周囲も納得のベストカップルだろう。

 だけど……。


 根拠はないけど心のどこかでガクちゃんは平岡さんに対して特別な感情を抱いていないのではないかと思っていたりもした。

 いや、もちろんガクちゃんも好きなのかなぁと思ったこともあった。だけどそれはどちらかというと、ほとんど習慣的な僕の被害妄想の一種みたいなものだ。東高の男子のほとんどが平岡さんを好きなのだろう、みたいなやつで、それこそ根拠がない。

 ガクちゃんは僕なんかと違って女子と接する機会も多く、意識することなく女子たちとも会話している部類だ。

 平岡さんと同等の親しさの女子はたくさんいる。

 半分の妄想の上に、ガクちゃんだけは平岡さんを恋愛感情で見ていないという推測───という仮の名の、ただの願望が半分積み重なっていたにすぎない。


 このかけがえのない友にエールを送るべきなのだろう。

 この頼もしい男なら平岡さんを困らせたり傷つけたりしないだろう。

 なのに、僕は言いようもなく泣きたい気持ちになった。

 写真の彼女に生涯片想いすると意気込んでいたのに。

 それなのに大切な友達にエールを送りきれない自分。

 うまくいった二人を思い描いて、友達も好きな女の子も遥か遠くに消えてしまった気分になる。

 ドロドロにぬかるんだ心の中で本心が彷徨う。手探りすればするほどより深くに沈んでしまって見えない。

 このドロドロの正体こそが今の僕なのかと思うと、どうしようもなくやりきれない気持ちになった。


「勝算はないけど、このまま終わったら後悔しそうだから」

 ガクちゃんは淀みなく爽やかに笑う。


 後悔とはアクションを起こす葛藤がある人にのみ与えられる、ある種の称号だ。僕みたいに自分の現状を変えるつもりもなければ、彼女との間柄を発展させたいとも思ってない者には“後悔”など無縁だ。

 血迷って何かアクションを起こしてしまおうものなら、それこそが後悔になるだろう。


「結果は……、報告しない方がいいよな。相手があることをペラペラ喋るのも迷惑だもんな」

 うん、いいよ。もしも聞くのがツライ顔をしてしまったら申し訳ないから。付き合い始めたら、聞かなくても二人を見れば分かるから。

 きっとうまくいくよ。

 だって理想のカップルだと思うもん。

 富樫だって平岡さんの次の彼氏がガクちゃんなら安心するよ。

 これですべてうまくいくよ。誰も傷つかない。

 双方のファンたちは少しの間がっかりするだろうけど、納得するよ。太刀打ちできないくらいお似合いの二人だって。


「うん、その方がいいよ」

 ごめん、あんまり長い言葉が出せない。極力口を閉じていないと声が揺れてしまいそうで。

 泣いてるみたいで情けないじゃん?


「畠中ちゃんとはおそらく来年も同じクラスだよな。学年末の成績では抜き返されたし、ライバルとして、またよろしくな」

「…ライバル?」

「そうだよ。ライバルっていっても敵対関係の意味じゃないぞ。切磋琢磨の関係としてな」

「僕なんか……」

「過小評価は畠中ちゃんの悪い癖だ。俺はこの一年で畠中ちゃんの良いトコたくさん見てきたよ。もっと自信持てってば。な?」

 ライバルになんかなれないよ。

 ライバルになる資格なんかない。

 スペックだけじゃない。人間性だって雲泥の差だ。

 心の何処かで、ガクちゃんが平岡さんに告らなければいいのにと思ってる、こんな僕なんか。


 マジマジと僕の顔を見たガクちゃんは、大きく息を一つ吐いた。

「明日、終了式が終わった放課後に告ってくる」

 ちらっと平岡さんが座る席の方を見て、決意を呟いた。



 いいじゃないか、ガクちゃんと平岡さんが付き合ったらまた新たな彼女との接点ができるじゃないか。

 友達の彼女。富樫と平岡さんが付き合っている時もそうだった。

 クラスが変わっても、“彼氏の友達”として笑顔をお裾分けしてもらえるじゃないか。

 そう言い聞かせても、泣き出しそうな気持ちは晴れてはくれない。

 自分も好きだと名乗りを上げるという選択肢がない僕には、心を曇らすものの正体も理由も見当がつかなかった。

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