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23 置き土産(前編)

注釈をつけるほどではないのかもしれませんが、少し暴力的な描写が入ります。

 昼休み、売店から戻る途中に富樫とばったり出くわした。いつもなら6組の男子か加納さんあたりと一緒だけど、今日の富樫は一人だった。

「よぅ。そんなに持って。相変わらずよく食うな」

 先に声をかけて来たのは富樫だった。


「飲み物まだだろ? 下の自販で奢るからさ、付き合えよ。いいだろ? 一緒に飯食うの1年の時以来じゃん」

 なかば強引に富樫に促され、中庭の見える渡り廊下まで階段を降りてきた。

「好きなの押せよ。俺が損得なしで誰かに奢るなんて、一生で片手くらいだぞ」

 硬貨投入口に百円玉を入れた富樫が悪びれなくニヤリと笑う。

 何だか富樫のテンションが変で、1年の時の富樫じゃないみたいで、そのノリについていけず返却レバーを押した。

 歪んだ音と一緒に百円玉が返金口の中で踊る。

 僕はその百円玉を取り出して富樫に渡した。

「奢ってくれなくても付き合うし、一生のうち片手なら他の機会に使って」

 ズボンのポケットに入れていたパンを買った時の釣銭から百円を取り出して投入口に入れコーヒー牛乳のボタンを押した。ゴトンと鈍い音がして取り出し口に四角い紙パックが斜めに滑り落ちる。釣銭をポケットにねじ込んで、コーヒー牛乳の紙容器にストローをさした。

「ごめん、気分の良いジョークじゃねぇな。悪かった」

 富樫はくしゃくしゃと音を立てて髪を掻き乱して溜め息をつく。確かに少しだけ気に障りはしたけど、怒ってはいない。そんなことは気分屋で皮肉屋の富樫の冗談の範疇だと分かってる。

「怒ってないよ。中庭で食べるならコートくらい着て来たかったけどさ」

 教室に戻るつもりだったのでブレザー姿のままだった。晴れているとはいえ十二月に綿シャツと薄手のセーターにブレザーだけじゃ中庭は寒い。パンはギリギリ常温でも、飲み物は冷たいの買っちゃたし。

 富樫は一番日当たりの良いベンチを選んで先に座った。それはまさしく尾崎と僕が教室のバルコニーから見下ろしたベンチだった。富樫と加納さんが仲良く戯れていた現場の。……なんていう表現はちょっと下世話か。

「うはー。あったけえー。しみるぅぅぅ!」

 富樫の手には、僕の後に買った温かい缶コーヒーが握られている。……なんてヤツだ。さすがにこれは恨めしかった。



「まあ、巷でワタクシめの評判が悪いのは重々承知でございますが」

 勿体つけた咳払いから始まる富樫のわざとらしい独演口調が懐かしい。

「えー、一部の噂により、善良なる畠中氏にまであらぬ嫌疑が飛び火したと聞き及んだ次第にございます」

 はあ、と僕は溜め息をついた。

 こんな内容じゃなかったら、富樫の独演会も楽しめたのだろうけど、内容が内容だけに笑う気が起きない。この口調で続けるつもりだろうか。いっそ話題を変えて独演会だけ続けてくれないだろうか。

「いいね、畠中ちゃん。相変わらず思ってることダダ漏れ。いつまで茶化してんだよ? って考えてるっしょ」

「うん、まあ」

 そりゃあ顔にだって出る。言葉に出すのが遅れただけ。と、いうより、富樫がそう焚き付けたんじゃないか?


「で、サッカー部のガングロイケメンから聞いたんじゃない? 俺ら終わってたって」

 サッカー部のガングロイケメンとは尾崎のことだろう。イケメンは確かだと思うが、ガングロは言い過ぎだ。尾崎はガングロというほど黒くはない。それを言うなら、そういう富樫だってイン───

 いや、よそう。

 僕は言うべき言葉が見当たらず、コーンパンを頬張ったまま頷いた。


「言っとくけど祐美…、加納祐美とはマジで何もないから」

 あれだけあからさまに振る舞えば隠すような間柄ではないのかもしれないと、ベタな推理小説仕込みの見解を持っていたわけなのだが。

「あれはガチな幼馴染み」

 富樫が茶化す風もなく語り始めた。

「児童館って分かる? 学校が終わった後に家が留守の子供が待機する、託児所っつーか福祉施設みたいな場所。俺も祐美も小1から児童館にお世話になってて、迎えが一番最後の常習だったんだ」

 児童館はなんとなく分かる。

 小学校に入学した頃から同じ児童館に通い、暗くなり児童がまばらになった時間まで残っている同士が親しくなるのは自然なことだと思う。

 特に女の子の加納さんは、他の子たちが次々に帰り淋しくなった館内で、暗い窓の外を見ながらどんなに心細い気持ちだっただろう。

「よその親は夕飯前くらいには迎えに来るんだけど俺らの場合、星が出る頃とかザラだったわけ。祐美の家は両親とも看護師だから迎えが遅かったんだったけど、俺ん家はリストラ親父がアル中とDVやらかして家がどーしょもなくて、役所の福祉課が乗り出してな。しまいにはお迎えどころじゃなくなってさ。平日は児童館の別棟にある児童養護施設で寝泊まりするようになったんだよ」

 荷物も貧乏丸出しでさぁ、と富樫は苦笑いした。

「俺らが小3になる頃、祐美の所は弟が生まれたのを機にお袋さんが仕事やめて、小学校卒業まで週末は俺も祐美のお袋さんに連れられて祐美の家で、お袋さんの飯喰って、親父さんや弟と風呂入って過ごしてた。親同士が知り合いでもないのに、まるで甥っ子みたいに面倒みてさ、親子揃って世話焼きなんだよ。だから加納家は俺にとって家族みたいなもんなんだ」

 黙って聞いている僕に構わず富樫は続けた。

「中学からは家に戻った。親父も親戚にうるさく言われて渋々だけど仕事始めたしな。ただDVっつーのは治らないみたいだな。ある日、親父が放り投げた爪切りが母親の額に当たってパックリいっちゃってさ、四針縫う傷になったんだよ。そしたら次の日知らない男が来て、この家にマサエさんを置いておけませんって。あ、マサエっつーのは俺の母親の名前」

 凄惨な話だとは思いつつも、平岡さんと別れたこととどんな関係があるのか、富樫が僕なんかを相手に何を言おうとしているのかが分からず、ただ聞いていることしかできなかった。


「それが去年くらい。昼ドラみたいな話だけど、パート先の上司とデキて家を出ちまった。その上司とやらに“啓太くんも出よう”って言われた。でもどう考えても無理があるだろう」

「何故?」

「母親が居心地悪いだろ? 上司とやらは独身でも、母親は不貞になるわけじゃん? そこに俺がついて行ったら全然ハッピーじゃないだろ。俺たちが成人するまでは我慢するつもりだったらしいけど、とっくに限界だったはずだしな。あの怪我がなかったら、親父と離婚した後に頃合い見て紹介したと思うんだよ。離婚してからのお付き合いです〜、なんて顔してシレッとね。結果として順番は狂ったかもだけど、あのDV野郎から引き離してもらえたんだから、息子の顔色を気にせず幸せを満喫して欲しかったんだよ」

 富樫はカラカラと笑った。

「その一件で不貞腐れた親父は、慰謝料取ってやるって言って仕事も辞めた。慰謝料なんか取れるわけもねーのに。そうなるとDVの矛先は姉貴か俺なんだけど、姉貴は就職して寮に入ってたから俺になるわけ」

 その先の言葉を想像すると背筋が凍りついた。しかし富樫の答えは僕の予想とは違っていたた。

「でもな、ニート根性の染み付いたアル中のオッサンと、剣道で鍛えてる成長期の若者がやりあったって勝負は決まってるだろ。親父なんて秒殺でのしてやったよ」

「所詮親父は自分より力の弱い者に威張り散らしてただけの社会の負け犬だったんだよ。先に掴みかかったのに一発も入れられず俺に返り討ちにされて、以降俺に怒鳴らなくなった。背中に向かってボソボソ文句は言ってくるけどな。それで俺すげえ後悔しちゃったわけ。もっと早くそうしなきゃいけなかったって。母親が限界になる前に。姉貴や母親を守れるのは俺しかいなかったのに、何でもっと早く親父を戦意喪失させなかったのかって」

 もっと早い時期には富樫も小さかっただろうし、それに──力負けしないと思っても、親に手を上げるというのはとても勇気の要ることだったに違いない。

「あんなショボくれ野郎、どうにでもなっちまえとは思うんだけど、見捨たら夢見が悪いからな。だからバイト始めて、金は俺が全部管理してる。高校やめて働こうかとも考えたけど、高校中退じゃ不況になったら真っ先に切られるしな。母親も姉貴も生活費を入れるから大学行けって言うけど、親父の酒代になるのはご免だから。家の中も汚いし飯も出来あいだし、暮らしはカツカツだけどな。とりあえずなんとかなってる」

 富樫は寒さに手を擦り合わせる僕の手に、握っていた温かい缶コーヒーを差し入れた。

 ……すっかり冷めてるじゃないか。

 僕の様子に満足した富樫は愉快そうにニヤニヤと笑う。


「こういう底辺な暮らししてると、育ちの良さへの執着が強くなるわけ。飢え、だよな。どんなに頑張っても自分のバックグラウンドを塗り替えることって出来ないじゃん? あの親の血が流れてる事実も変えられない。だから貧しさも卑しさも穢れた心も知らないようなアイツが眩しかった。ついでに言うと柳瀬や浜島や、畠中ちゃんもな。おまえら、いかにも愛情を注がれて育った感じでさ。自分のバックグラウンドを平凡だと思える奴って、穏やかな家庭で育ってるって証拠じゃね?」

 アイツ───平岡さんのことだろう。

 それにしても富樫は、平岡さんや柳瀬や浜島だけじゃなく僕までそんな風に。

「なんで自分の名前まで出てくるんだ? って思ってんだろ。畠中ちゃんは紛れもなく恵まれた家庭で育ってるさ。裕福とか親の肩書きが立派とかじゃなく、穏やかな日常が当たり前の家庭」


 僕は言葉に窮した。

「ははっ、いいね、その顔。俺、他人の不幸話を聞いた時に自分が恵まれてると気づいて二の句を失くしてる奴の顔を見るのって大好き。悪趣味だろ?」

 意地悪い笑みを浮かべて富樫が僕の顔を覗き込む。

 自虐にも程がある。

「じゃあどうして話さないの? 他の人に」

 人の不幸話に二の句を失くしてる奴の顔を見るのが好きだなんて、嘘ついて。好きなら、とっくに誰かに話して聞かせてる。知ってたら、部活に出ないで帰って行く富樫を浜島が詰ったりしない。

「キミ、可愛い顔してイヤなところを突いてくるねぇ」

 笑って誤魔化しているけど、本当は話したくも知られたくもないはずだ。人一倍強がりで弱いところを見せたがらない富樫なら、きっと。

 でもそう考えると何故そんな話を僕にするのか尚更分からない。


「俺、こう見えてかなり格好マンでね。自分と肩を並べる立ち位置にいる奴には憐れまれたくないの」

 富樫と肩を並べる立ち位置とは、柳瀬や浜島や永田さん、そして平岡さんのことだろう。

 柳瀬たちとは部活も一緒で競い合う仲でもある。平岡さんはそこに加えて恋人でもあり、対等というより富樫としては“男のメンツ”みたいなものも感じでいたのだろう。

 富樫が、特に彼らに対して弱い自分を見られたくないという気持ちが、なんとなく理解できた。

「なんか、アイツらに可哀想な人を見る目で見られたら生きて行けなさそうなんだよね。こうやってふざけていられるチープなプライドが粉砕されて、親父みたいに堕落が快楽になり果てそうで」

 でも、誰かに聞いて欲しかった───

 身近すぎる友人じゃなく、無責任な友人や赤の他人じゃなく、近からず遠からずで利害のない僕に。

 富樫のガス抜きになるなら、そして僕が富樫を可哀想な人を見る目をしてしまっても許容範囲だと思えるのなら、そう思った。


「成り金が品性を手に入れたがってガツガツ空回りしてるのと同じなんだよ。アイツが持ってる穏やかで柔らかい雰囲気に嫉妬するほど憧れた。手に入れて自分のものにしたら自分も同じステイタスに立てるんじゃないかって錯覚したんだよ。バックグラウンドは塗り替えられないことを忘れて夢中で追いかけた。手に入れたつもりで自分のものにならなくて苛立った。俺、アイツのそばにいればいるほど、劣等感が増していくんだよ」

 富樫の告白に鼓動が早くなった。

 憧れの女の子と付き合うことになって、どれ程嬉しかっただろう。

 そして“釣り合わない”という心ない妬みの声を浴び続け、憧れは日ごとに屈折して、一層自分を蔑むようになったに違いない。

 間男嫌疑がかけられた僕も、さんざんその手の中傷を浴びてどれだけ劣等感を植え付けられたことか。本当に彼女と付き合っていた富樫が受けた仕打ちは僕の比ではないだろう。

 もちろん平岡さんのせいじゃない。

 だけどそれで消化できるほど、僕たちはそんなに大人でない。


「どうしようもない俺に反論もしないでただじっと寄り添おうとするアイツが、俺に憐れみと蔑みを上から注いでいるように見えた。本当に劣等感の塊なんだよ。だからアイツの眩しさが辛くなって、憧れが歪んで最後には僻みになってた。もうそんな自分にウンザリしてさ」

 浅く腰掛けた姿勢のままベンチの背凭れに背中を反らせて富樫は大きく息を吐いた。


「祐美は俺に彼女ができたと知って“啓太”って呼ぶのをやめてた。“富樫くん”なんて慣れない呼び方して、祐美なりに気を使ってた。けど俺が“啓太”って呼ぶように頼んだ。アイツが妬いてくれるんじゃないかって、幼稚な期待して。妬かれたら少しでも優越感を感じられそうな気がしたんだ。情けない小細工だけどな」

「効果はあったんじゃない?」

 理科室でのことを思い出した。

 二人を見て走り去った平岡さんを。

 富樫の言い分を聞いていて気持ちは理解できなくもなかったが、あの日の平岡さんを思い出すと富樫のしたことを肯定する気持ちにはなれなかった。

「いや、全然」

 あれを見て全然って……。


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