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22 彼女のためなら

 ほんの数秒だったとは思う。

 だけど、その数秒間は時間が止まっていたようにさえ感じられた。息を詰めたまま、呼吸することすら忘れていて、息苦しさで自分が返事をしていないことに気づいた。

 急いで首を横に振ったが、尾崎はその必要がなかったような返答をした。

「…だよなぁ。ごめんな、疑ったわけじゃないんだけど、一応な」

 尾崎が顔の前で両手を合わせた。


 まさに青天の霹靂。

 訊きたいことは後から後から押し寄せる。

 いつ? どうして? 本当の話し? 僕のことが誤解を生んでしまった?

 何か訊こうにも、我先にと押し寄せ疑問たちが縺れ合って言葉が何も出て来ない。

「畠中ちゃんは相当信じられないって反応だけど、俺からしたら“やっぱりか”って感じだな。意外だったのは平岡さんがこれまで平然としてることなんだけどさ」


 尾崎は知っていることを順序立てて話してくれた。出元は夏休み明けの噂と同じ、富樫と同じ中学出身の6組のサッカー部男子。その話では、修学旅行の最後の晩に二人が宿の階段の所で揉めているようだと噂になったあの時に別れ話になったのだとか。そんなわけで、僕がらみの根も葉もないバカげたゴシップが再浮上したらしい。当の富樫は笑って否定したという。


「こういう話しってさ、前のものそうだったけど拡まるのも時間の問題だと思うんだよな。また誤解された形で拡まれば、畠中ちゃんがとばっちり受けるよな」

 僕がとばっちりを受ける分には構わない。もちろん気分の良いものではないけど、やり過ごせる範疇だ。自慢じゃないが少しは耐性も免疫もついたつもりだ。

 しかし。しかし、だ。

 平岡さんのことが好きで、推定間男である僕のことが気に食わないという発想は分からなくもない。だけど自分が好きな女の子のことを、そんな不誠実で不埒な子だと決めつけられる心情が理解できない。

 もし平岡さんが本当に彼氏を裏切れる人だとして、彼らの好きな平岡さんって一体どんな人なのだろうと、彼らの描く“平岡さん像”を疑問に思う。



「僕はいいよ。大丈夫」

「……強いな」

「え?」

「気を悪くしたらごめん。畠中ちゃんて華奢だしおとなしいし、どちらかっていうとガリ勉強寄りなイメージだったから。意外と肝が据わってるんだなぁって思って。バスケの時だって転ばされてもボールぶつけられても平然としてたじゃん」

 いや、あれは実際かなり痛かったしかなり参ってたんだけどなぁ。

 強いなんて思ったことはない。平然としているように見えるとしたら、それは多分自分の置かれている状況を理解していない能天気な性分と、見下されることに慣れてしまっているからだ。

 彼らのルールや価値観で勝手に優劣をつけられても、所詮それは彼ら以外には通用しない勝利でしかないと思っている。元々争いごとは好きではないし、争う必要のないことを争う気なんて毛頭ない。上から勝利を押し付けられても、僕には屈辱感も敗北感もない。

 決して僕は強くなんかない。確固たる自己主張もなく、保守的で自分の殻の中から出られない弱くて臆病な人間なんだ。



「富樫の今までの行動とか見てたら、いつダメになってもおかしくなかったとは思うけどな。だけど、今にして思えば富樫の気持ちも分からなくはない、っていうか」

 尾崎は言葉を切った。

 6組側から見て平岡さんがヒール的な立場であるのと同様に、2組側では富樫が完全悪の位置にあった。

 僕の知る限りでは、小池や浜島と並んで尾崎もまた富樫を批難していたはずだった。

「平岡さんって可愛いし優しいし、非の打ち所がないじゃん? ワガママ言いそうもないから、そうそうケンカなんかならないだろうけど、それって男からしたらちょっと淋しいよな。 ワガママ言って欲しいだろ、特に普段ワガママ言わない子には尚更な」


 ふと彼女の言葉とその時のどこか淋しそうな表情が脳裏をよぎる。

 “今までずっと、良い子にしなさいって言われて来たから、良い子過ぎて面白味がないとか、良い子ぶってるってダメ出しされても、直せなくて”

 おそらく彼女はワガママの言い方を知らない。それだけでなく、ワガママの大半は、本人が自覚する前に潜在意識が摘み取ってしまっている気がする。

 もしかしたら尾崎が言ったようなことを彼女自身も自認していたのかもしれない。あるいは富樫とそんな話になったことがあったのかもしれない。



「どっちが別れようって言い出したのか知らないけど、俺は何となく富樫だと思うんだよな。普通フるかなぁ、あんな可愛い子を。東高で彼女が出来ること自体、奇跡みたいなもんなのに。…まあ、ちゃっかり後釜はいるみたいだけどな」

 尾崎は気怠そうにネクタイを緩めながらもう一度中庭で戯れる富樫と加納さんをチラッと見降ろした。

「平岡さんがフリーになった話しが知れ渡ったら…」

 いや、なんでもない。尾崎は伏し目がちに少し笑った。

「畠中ちゃんはどうする? このクラスの中のお気に入り男子に名指しされてるんだし、いっとくか?」

「いっとく、って……どこに?」

 尾崎の含みのある言い方の意味が分からず、訊き返すと尾崎が吹き出す。

「ごめん、ごめん。やっぱ畠中ちゃんは畠中ちゃんだな」

 何か(つか)えが取れたように晴れやかに笑った尾崎が僕の肩をポンポンと軽く二回叩いた。


「寒いな。こんな時期に外なんか長居するもんじゃねーな」

 ふざけて内からガラス戸を締めようとしていた小池の手より一瞬早く尾崎が扉を開き、僕にも教室内に戻るように促した。

 イタズラに失敗した小池は悔しそうに舌打ちして「何話してたんだよ」と、尾崎に絡んでいた。



 授業が始まると、いつもと変わらない様子で、頷いたり顔を顰めたりしながら先生の話を聞いている平岡さんがいた。

 それは僕の目に映るいつもと変わらない彼女だった。

 強いのは僕なんかじゃなくて、この人じゃないだろうか。

 6組の女子たちに言いたい放題言われても、遣り込められる風でもなく好戦的になるでもなく飄々としていられるのは彼女の強さだ。

 恋人と別れても、顔にも態度にも出さず、友達と笑い合ったり凛とした姿勢で授業を受けている。

 恋の経験がない僕には彼女の気持ちは分からない。

 彼女が平然として見えるのは辛さに耐えているのか、それとも彼女の心の中で一区切りがついたことを意味しているのか。

 ただきっと、無傷のはずはないと思う。

 僕は1年の時からずっと、近くで見てきたから。

 富樫と並んだ時の笑顔を。照れたように手を振って去ってく姿を。富樫を見つけた時に声をかけようかと一瞬躊躇っているような呼吸を呑んだ表情を。

 そして修学旅行のあの晩、富樫が去った後その場に残り、首を反らせるように天井を仰いで唇を噛み締めていたのを。



 尾崎は、富樫と平岡さんが別れた話が拡まるのは時間の問題だと言っていた。

 そしてそれが周知になる頃には、きっと彼女に告る男子が後を絶たないことだろう。

 そうなった時に、彼女は誰かと新しい恋をするかもしれない。僕の知らない誰かかもしれないし、このクラスの誰かかもしれない。僕と変な噂が立ったままでは彼女の迷惑にしかならないはずだ。このクラスの男子は事実無根だと分かってくれているけど、間に受けている人もいるってことだし。

 彼女が幸せな顔で笑う日々が戻るなら、せめて僕はその足を引っ張るような誤解だけは避けよう。

 たぶん、これまでも特に何かあったわけじゃないけどさ。彼女のためなら、彼女の高校生活の物語のエンドロールに単体で名前が刻まれるのを諦める。

 “その他の東高の皆さん”で構わない。


 彼女のためなら、なんて僕はどれだけ思い上がってるんだ?

 そもそも、ただの“その他の東高の皆さん”のくせに。

 我ながら可笑しくなってシャープペンを回しながら心の中で自分に向かって毒づいてみた。

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