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21 一方向にしか流れない

 他の先生から何か咎められることもなく、中野先生裁量でのガクちゃんの進路資料室通いが始まり、手伝いを申し出ても「半病人は足手まといだ」とからかわれて一蹴された。

 資料整理という名目の部屋掃除が楽しいらしく、昨日は段ボール七箱分も要らない物が出たよと笑っている。

 翌日には進路相談室に寄った平岡さんも一緒に資料室の片付けを手伝ったと聞いた。

 ガクちゃんからの朗報としては、平岡さんは前夜祭の日のガールズトークが他者に聴かれていたと思っていない様子だったらしい。そして僕が他クラスの男子からバッシングの標的になっていることも、もちろんそれが引き金でガクちゃんたちの乱闘騒ぎになったことも知らないという。

「どうして東堂くんが資料室掃除してるの?」と訊かれたそうだけど、事情を知っている中野先生が「私がやろうとして腰を痛めた時にたまたま東堂くんが進路相談に来てたのよ。それで代わりを買って出てくれたの」と、いかにもガクちゃんならそうしそうなことを言って誤魔化してくれたとか。

 体調も回復してきたし手伝いに行こうと思った矢先だったけど、やめておくことにした。

 中野先生の話を聞いて、平岡さんも手伝うと申し出たらしいから。

 ガクちゃんのペナルティも元はと言えば僕のせいだし、もちろん手伝いたい。だけど、純粋にガクちゃんを手伝いたい気持ちでも、そこに平岡さんがいるとなれば結局は彼女目当てみたいな不純な動機に摩り替えかねない自分が嫌だ。そして、放課後楽しそうに段ボール箱を運ぶ二人の姿を見たら、ますます僕が入って行くべき空間ではない気がした。


 結局その後も、乱闘騒ぎの原因もそれに付随する諸々も、女子たちに知られることはなかった。

 最初のうちは、永田さんが浜島に、栗原さんがガクちゃんに「乱闘騒動の原因って何だったの?」と訊いていたが、それぞれが曖昧に茶化していたせいもあって女子たちの興味からは早々に外れたらしい。そして誰一人その話題に触れる者はいなかった。男子も女子も。特に男子側の結束の固さには痛み入るばかりだった。

 女子には情けなく映っているようだけど、このクラスの男子たちって漢気(おとこぎ)あると思う。



 ◇

 隣の席ではガクちゃんと平岡さんが楽しそうに資料室の模様替えを企んでいる。紙に簡単な見取り図を書いて、指差しながら二人であれこれ思案しているようだ。

「ねぇ、畠中くんはどう思う? 思い切って動線を悪くしてる机の位置を変えちゃおうかと考えてるんだけど」

 不意に話し掛けられる。

「畠中くんも進路資料室でよく会うし、カスタマー目線の意見が欲しいな」

 屈託なく彼女は微笑む。

 彼女の言葉の中には特別な響きが一切含まれていないのがありありとうかがえる。

 畠中くん“も”、だよね。やっぱり。

 僕にとっての心密かな特別な時間は、彼女にとって所を選ばすサラッと言葉に出せるほど、なんてことのない普通のこと。そんなことは分かっていることだし、そんなことで落胆したりはしない。

 そもそも最初から期待する要素なんて何処にもないのだから落胆しようがない。

 彼女はあの部屋で誰かに遭遇するのは特別なことでもなんでもないのだ。

 彼女は人一倍の努力家であり、進路についても具体的に考えているようだし、進路に関して呑気な僕とは心構えから違う。頻繁に利用している彼女にとって、あの場所で遭遇する僕は、まさしく“よく遭遇するうちの一人”なのだ。

 ガクちゃんも話しに交ぜてくれようと簡単な説明を加えてくれるのだけど、その優しささえも今の僕には分不相応な気がして曖昧に笑って、会話から逃れた。


 前夜祭の日に壁越しに聞いた僕の名に特別な意味合いは含まれていなかったと改めて再確認する。

 容姿も社交性も存在感も人並み以下な僕のような非モテ男に話し掛けてくる物好きな女子なんてまずいないから、彼女は唯一絶対的な存在だ。

 けれど彼女のように誰からも好かれる華やかな人にとって、僕はクラスメイトの一人に過ぎないのだ。つまり、人気アイドルのコンサート会場で一人の男が特別に何度か目が合ったとか自分に向かって手を振ってくれたと思い込んでいるのと同じ次元なんだ。

 実際、あの時彼女が僕の名前を挙げてくれたのも暇を持て余した女子たちのゲームみたいなもので、それぞれがクラスの中から誰か一人と条件付きの遊びだった。栗原さんあたりから当然ガクちゃんの名前は出ていただろう。

 前に小池がこんなことを言っていた。

 男同士で気に入った女子を挙げて行く時、まるで人気投票みたいに票が偏ることがあるのに対して、女子は本能的に友達と被らないように気を使う傾向があるらしい、と。

 “人気投票”という前提を用意しない限りあまり同意見を被せて来ないらしい。

 被りそうもない中から選ばれた“安パイ”が僕だったというだけのこと。

 だって、そもそも彼女は富樫以外の誰かを思い浮かべる選択はなかっただろうから。もし、あったとしてもそれは2組の中ではなく徳山先生だったはずだから。

 それでも嬉しかった。

 同級生の中の一体どれくらいの人が、卒業までに僕を認識することか。一体どれくらいの人が、僕の名前を口にすることか。

 女子に至っては、ほとんどいないだろう。

 平岡さんはそんな僕のことを個人として扱ってくれたのだ。


 僕の視野なんて本当に狭い。僕の世界なんて本当に小さい。

 もしまいちゃんか兄さんか…、他の誰かに僕視点で僕の好きな女の子──彼女のことを話すとする。

 たとえばそう、教科棟の屋上で彼女の作ったサンドイッチを頂いたこと。それからこの間の前夜祭の出来事。それだけ聞いたら、きっとその人は、彼女も僕に対して満更でもないという印象を抱くかもしれない。

 けれど、ここで重要なのは僕の視野が狭く、僕の世界がちっぽけだということ。

 僕は殆どの場合、僕に対してこんな風に優しい彼女しか見えていないのだ。実際は部活の帰りが遅くなったら柳瀬や1年の男子が送っているようだし、進路資料室で2組の他の男子と遭遇したら彼らの話しを親身に聞いていることもあるらしい。

 平岡さんと同じ中学だった杉野は桜ノ宮の市立図書館で偶然出会って一緒に勉強したと言っていた。そして夕方に近くの商店街で二人でコロッケを買って食べたと嬉しそうに補足した。

 小池は小池で、体育終わりの彼女に廊下の水道で、濡れた手を振り回す子供っぽいイタズラで彼女を笑わせている。ひとしきり笑った彼女はハンドタオルを小池に貸していた。


 そんな風にして、彼女に好意を抱いている男子たちの一人一人に彼女との特別な一コマがある。ステージの上のアイドルが手を振る瞬間に自分の方を向いていたような、握手会で順番が回ってきた時に声を掛けたら応じてくれた時のような───

 思春期の僕たちにとって、手の届かないたった一人の女の子が、それぞれの中で唯一絶対の存在であるくらい、僕たち男子は単純で純粋で痛々しくも愚かしくもある。

 そして悲しいことに僕たちは、頭の隅でちゃんと理解していた。まるで集合写真を切り抜いて勝手に彼女のツーショット写真に仕立ててしまうみたいに、どんなに都合良く、幸せな瞬間を切り抜いても、自分以外の男子も同様にそんな切り抜きを持ち合わせていることを。些細なことでウジウジと嫉妬をしたりいじけたり、なかなか成長できない生き物だということを。


 ガクちゃんが平岡さんのことを特別な感情で想っているかどうかは分からない。仲は良いし、嫌いではないのは確かだろう。

 ガクちゃんは僕のように女子と接点のない非モテ男でもないし、そういう意味でガクちゃんにとって平岡さんは唯一絶対的な存在というわけではないと思う。

 栗原さんと二人で話していることも多々あるし、1年で同じクラスだったという女子にCDを貸していたり相談事に応じていたり、女子側から請われる形での女子との接点が多い。

 そんな人に、非モテ男の分際で気を利かせるような真似なんて勘違いもいいことだろう。


 ◇

 ガクちゃんのペナルティが終わり、期末テスト期間に入った。

 2年になって平岡さんと同じクラスになり、あっという間に八ヶ月が過ぎたことになる。同じ教室で過ごせる時間も残り少ない。

 そう思ってはいても登下校時に挨拶を交わすくらいで、なかなか話し掛ける機会も用件も見つからなかった。

 足を掛けられたりボールをぶつけられるような物理的な攻撃はなくなったものの、依然として体育や芸術の授業の時には他クラス男子の風当たりはキツかったし、その度に抗議しようとするガクちゃんたちにも申し訳なかった。

 女子たちには何も飛び火していなかったとはいっても、この状態が続けばどうなるかは分からない。つまらない噂だとか僕が受けている仕打ちで平岡さんに嫌な思いをさせてしまうかもしれない。

 彼女を避けたりするのはやめようと決めたはずなのに、やっぱり僕は弱かった。彼女に嫌な思いをさせたくないと自分の心の中にもっともらしい口実を植えつつ、彼女から逃げているのだろう。彼女が嫌な思いをしたり傷ついても無力な僕じゃ守れそうもないから───



「畠中ちゃん、ちょっといい?」

 珍しく尾崎が僕に声をかけてきた。神妙な面持ちで。

 尾崎について窓際の後ろのガラス戸からバルコニーに出る。寒がりとはいえ、閉め切った教室の暖房で気怠くなった頭にひんやりした外気は気持ち良い。一定の間隔で植えられた中庭の細い落葉樹たちは、着込む僕たちとは対照的にすっかり衣装を落としてしまっていた。

 横に伸びた円柱の手すりに肘をついて中庭を見やる尾崎の隣に並んで、彼が口火を切るのを待った。

 なかなか切り出さない尾崎の目線を追うと、中庭の奥手の渡り廊下の隅にあるベンチで開いた教科書を顔の上に乗せて寝そべる富樫と、その富樫に何か小言を言っている風な加納さんの姿があった。


「あいつら付き合っちゃったのかな」

 加納さんが剥がそうとした教科書を押さえて寝そべり続ける富樫。教科書の下はどんな表情をしているのかも、加納さんに向かって何を言っているのかも分からない。少なくとも、遠目にも仲良さそうな雰囲気は充分に伝わってくる。

 永田さんや松野さん辺りが見たらすぐさま富樫に抗議しそうだ。

 ふと思う。永田さんや松野さんに正面切って批難されたのに、富樫の態度が何も変わらないのは何故なんだろう。もしかして、僕の噂のせいで富樫と平岡さんが拗れてしまっているのだろうか。自意識過剰も甚だしいようだけど、もしそうならば富樫にも平岡さんにも申し訳ない。彼女が僕の名前を挙げてくれたことを一瞬でも喜んでしまった浅はかさを深く後悔した。



「畠中ちゃんさぁ、平岡さんが別れたのって実は知ってたりした?」

 中庭を見ていた尾崎が体を半回転させて手すりに凭れる。試すような眼差しで僕の目を覗き込む。耳から入った尾崎の言葉の言葉の意味を頭が捉えるまでに少し時間がかかった。

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