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20 弱り目に祟り目

 文化祭の代休が明けた火曜日に登校すると、いつもは僕など気にも留めず通過していくクラス中の目が、見えない糸に引っ掛かったみたいに僕の顔で止まるのを感じた。

 廊下からも時折視線を感じる。名前も知らない、同じクラスになったこともないような人から。


「よっ、おはよーさん。時の人だな」

 普段は僕なんかにあまり声を掛けることもない尾崎が僕の肩をポンと叩いて席の方へ行ってしまった。

 数分後には小池が登校してきて「東高の週末検索キーワード急上昇だな、色男」と皮肉を込めた言葉を浴びせてきた。

 柳瀬とガクちゃんは開口一番「風邪の具合、大丈夫?」と労わりの言葉を掛けてくれた。

 登校早々にして滅入ってしまい、項垂れかけていたところに、いつもと変わらない柳瀬とガクちゃん。顔を見るなり心配して声を掛けてくれる二人の優しさがいつも以上に沁みる。


 ガクちゃんは席に着くと椅子を寄せて「文化祭の時に他のクラスの男子が畠中ちゃんを見に来てたよ。平岡さんの“新しい彼氏”とか何とか言って」と声を殺して教えてくれた。

 そういうことか。

 案の定、岩崎さんたちのガールズトークを聴いていた人が他にもいたわけだ。そして尾鰭が付いてるわけか。


「ラグビー部の中に前夜祭をサボってた奴がいてさ、そいつらから事情は訊いた。岩崎さんたちと2組の中で気に入ってる男子を一人あげる的な遊びやってたみたいだな」

 そうなんだよ。クラス内からという条件付きで、彼氏のいる平岡さんや松野さんも誰か一人名前を挙げなきゃいけないという、ある種の罰ゲームみたいな時間潰しだったんだ。

 ガクちゃんの友達みたいに、彼女たちが遊びとしてやっていたことだって状況を理解している傍聴者もいるのに、どうして話が大袈裟になってるんだよ。普通に考えれば理解できるだろう。むしろ誤解する方が難しいレベルで彼女と僕は釣り合ってない。


 平岡さんは、誰か名前を挙げなきゃいけないのなら…と、当たり障りない僕を選んだだけだ。柳瀬や浜島の名前を挙げるのは、彼らに一番近い富樫への義理だと思う。

 ガクちゃんを選ばなかったのも、いつも栗原さんとガクちゃんが仲がいいから、栗原さんに遠慮したのだろう。

 僕の名前を挙げておけば───クラスの男子とはガクちゃんくらいしか話さない岩崎さんたちでも、分かりやすいと思ったからに違いない。僕とガクちゃんが隣の席だから。

 これが僕なりの結論。病床に伏せて頭を支配することはそればかりの三日間で、辿り着いた僕なりの結論。

 せっかく平岡さんが諸々配慮して僕を挙げておいたにも関わらず、岩崎さんたちに認識されていなかったというオチがついたわけだけど。


 そりゃ、できることなら勘違いして浮かれてどっぷりと有頂天になりたかった。彼女の顔をまともに見られないくらい意識しまくりたかった。

 だけど、いくら騙されやすくても恋愛経験がなくても己の身の程くらいわきまえている。


 ましてや相手は平岡さんだ。

 全校男子の間で校内屈指のモテ女子だと評判の、あの平岡さんだ。剣道部の後輩たちを根こそぎ夢中にさせてしまう、あの平岡さんだ。運動不足を口実にしてるけど、片道十五kmの距離を時々自転車に乗ってくるのは電車で通学中に他校の男子から告られるのが困るというのが本当の理由だと噂されている、あの平岡さんだ。

 クラスメイトにも覚えてもらえないような男が、そんな女の子に相手にされるはずがないんだよ。そんなこと、誰だって容易に分かりそうなもんじゃないか。



「冷静に考えれば、騒ぎ立てるような次元の内容ではないはずだよな。男子だって、彼女いる奴も女子を品定めする類の雑談に加わることなんて、よくある話だし」

 まったくその通りだ。その状況だった。

 騒ぎ立てるような次元ではない、よくある話だ。

「だけど良くない偶然と誤解が重なったっぽいんだよな。修学旅行の最後の晩に平岡さんと富樫くんが重い空気で話してたから、それを見た奴らが別れ話じゃないかと噂してたらしい。そこに来て今回の件だろ」

「どういうこと?」

「まぁ、まともに取り合うのもバカバカしい話なんだけどさ。三角関係のもつれってやつ。畠中ちゃんが間男なのか、って邪推に行き着いたみたいな。それで富樫くんとモメ別れしたのかって話になってるみたいなんだ」

 何だよ、それ。まままま間男って何ですか? 誰ですか?

 僕、女の子の手にもまともに触れたことないんだけど…。

 もはや絶句するよりほかなかった。


「バカバカしいだろ? 俺も浜ちゃんもヤナちゃんも全力で否定したよ。だけど意外と真に受けてる奴もいるみたいで……。大した火消しにはならなかった。すまない」

 肩を落として溜め息をつくガクちゃんに返す言葉がなかった。

「なんていうか……、暢気に休んでたりして。迷惑掛けてごめん」

「何言ってんだよ、畠中ちゃんのせいじゃないだろ? むしろ被害者じゃないか。……かと言って、平岡さんたちが加害者かって言ったらそれもちょっと違うしなぁ」

 彼女は──平岡さんは、またこんな噂が立ってしまって嫌な思いをしているのではないだろうか。冷ややかな好奇の目に晒される気分は、まさに針の筵。


 僕の反応から察知したガクちゃんは大丈夫だ、と言った。

「女子には殆ど噂が回ってないみたいなんだ。そもそも、夏休み明けに広まった平岡さんの噂もそうだったけど、特に女クラの子なんか興味ない話だろ。ゴシップ好きなのは一部の男子たちだけみたいだ。そういう奴らは女子と距離あるからな。……あ、それから剣道部の後輩たちが少し厄介だったみたいだけどな」

 武道体育館の前で排他的なプレッシャーを掛けてきた1年生たちの姿が浮かぶ。あの時の三人以外も平岡さんのファンなんだよな。

「剣道部の方はヤナちゃんが文化祭中に鎮火したみたいだ」

 柳瀬だってこんな話しはガセだって重々分かっているだろうけど、平岡さんのことを好きなのにこんな不愉快な噂の後始末をさせられて嫌な思いをしたことだろう。

 ううっ、柳瀬ごめん。本当にごめん。


 チャイムが鳴り、日直の永田さんと平岡さんが日誌を持って席に滑り込んだ。すぐに授業が始まったので目は合わなかったけど、いつも通りに笑っている姿を見て少し救われた。


 二時限目の体育の時間は悲惨だった。

 女子は陸上トラック種目で校庭に出ていて、男子は体育館でバスケだった。

 始業のチャイムが鳴る前から1組男子たちの聞こえよがしの中傷が始まり、試合形式になると背中にボールをぶつけられたり体当たりされたり、足を引っ掛けられたり散々だった。ひょっとしてイジメに遭ってる? と思ったけど、ガクちゃんや浜島が「ぶつかったら謝れよ」と擁護してくれたし、朝の段階では辛辣だった尾崎や他の運動部系の男子たちも、僕が転んだ際に手を伸ばしてくれた。

「それにしても、ひでぇな。6組の次は1組かよ。このクラス、どんだけ目の仇にされるんだよ」

 僕の肘を掴んで立たせた尾崎がでプレイ中の1組男子に向かって舌打ちしながら、コートの外へ促す。

「ごめん、たぶん僕が誤解されたせいだ」

「違う、畠中ちゃんは悪くねぇよ。朝は変に突っ掛かったりしてごめんな。考えてたら畠中ちゃんが間男なわけないよな。そんな関係だったら、あの平岡さんが表情に出さずに過ごせるはずないもんな」

 クラスメイトたちに密かに “顔芸” とか “百面相” と言われるくらい彼女が表情豊かであることは、2組内では周知の事実。けれど同じ空間を共有しないと分からないことなのかもしれない。

 分かる人には分かる──でもそれをクラスの男子たちに伝えてくれたのは、恐らくガクちゃんだろうと思った。

 敵意の視線や聞こえよがしの中傷、さらには体育中の物理攻撃が病み上がりの体にはキツかったから、中立の立場の人が一人でも増えてくれることはこの上なくありがたかった。


 チャイムが鳴ってヨロヨロと教室に戻る道中も「あんな吹けば飛びそうな奴」なんて手厳しいエールを頂戴した。花道だな。

 病み上がりじゃなければ、体当たりの後じゃなければ、精神的にも少しはマシなんだけどな。そう思える余裕があるだけでも良しとしようか、なんて思っていた矢先にまた違う組の男子グループに足を引っ掛けられて転ぶ。

 油断していてちょっと派手に転んでしまったせいで、体育の授業中にあくまで紳士的な応酬に徹していたガクちゃんと尾崎、ついでに小池までもがついに発火した。

 三人が怒鳴りながら、僕に足を引っ掛けた男子たちに一斉に殴りかかる。体育館での鬱憤を知らない彼らにしてみれば、僕以外から突然殴りかかられるなんて思ってもいなかっただろう。僕が殴りかかるとも考えなかっただろうけど。

 もう泥沼だった。

「ダメだって! 僕は大丈夫だから!」

 だからやめて───

 あまり大きな声なんか出したこともないし、声を裏返しながら泣きたい気持ちで必死にガクちゃんたちを止めてはみたが、届かない。

 ガクちゃんが誰かを殴るのなんて見たくない。しかも、僕なんかのためになんて絶対にダメだ。

 富樫もこんな嫌がらせを受けたのだろうか。それとも僕が地味で貧弱で冴えない見た目だから、心おきなくケンカ売られたり嫌がらせをされるのだろうか。


「ちょっと、あなたたち何してるの?!」

 通りかかった中野先生が走り寄り、僕に足を掛けた方の男子たちが走り去った。

「あらやだ、2年2組の子たちじゃない」

 ガクちゃんたちのジャージのゼッケンを見て中野先生が目を丸くする。

「すみません。先に手を出したのは僕です。尾崎くんたちは止めに入っただけです」

 反論しようとする尾崎たちを手で制して、ガクちゃんは一歩前に歩み出た。

 チャイムが鳴り野次馬たちが渋々引き上げてゆく。中野先生は少しの間、腕組みして何か思案していたが「昼休みに進路相談室に来て」と言って教室に帰るよう命じた。


 教室に戻ると当然ながら僕たちは次の授業をジャージのままで受けることになった。

 先に教室に戻っていた女子たちも2組の男子が渡り廊下で乱闘騒ぎを起こしていたらしいということくらいは聞いていたようで、訝しそうに僕たちをチラ見した。事の発端が自分にあるなんて、本当に居た堪れなかった。

 ガクちゃんは昼休みに進路相談室の中野先生の所へ事情説明に行った。その間も他クラスの男子たちが入れ替わり立ち替わり2組の扉の前に訪れ、時には敵意の、時には好奇の視線を浴びせて行った。自分の存在がこんなにも他人に認識されたことも初めてだったし、意識されたのも初めてだった。

 残念ながら良い意味ではないのだけれど。


 尾崎たちが進路相談室から戻って来たガクちゃんに駆け寄った。

 中野先生からペナルティとして、今日から一週間、放課後に進路資料室の資料整理とパソコンの再設定の手伝いを命じられたという。資料室にはもう何年も前からのデータ本や、学校側から送られてきたパンフレットなどが未整理状態であちこちに積み重ねられていたり、一台あるパソコンも春に修理から戻ってきたまま設定されてないままになっている。どうやら喧嘩のペナルティは資料室の雑用になったようだ。

 僕も手伝うと言ってみたが、埃っぽいし力仕事だから病み上がりの人に向いてる作業じゃないと断られた。

「その代わり体調が良くなったら1組とのバスケで一泡吹かせてやろうな」

 そう言って握りこぶしで僕の左肩を軽く叩いて笑うガクちゃんの気遣いに言葉も出なかった。

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