18 ガールズトーク
「わあっ、良く出来てるじゃん」
壁から天井をぐるりと見回して、栗原さんが感嘆の声をあげた。
男子一同、曖昧な笑みでなんとかその場をやり過ごす。
作業は完璧。特に落ち度はないだろう。
それは教室内の様子を見て関心している女子たちの表情からも窺える。
「とりあえず作動させてみない?」
屈託なく促す栗原さんに男子一同ギクリとたじろぐ。
そうだよな、気づいてないだろうな。
隣の教室で彼女たちが話していたあれこれを聴いていただなんて───
「いっ、一回電気を消させて頂いて投影させて頂きましょう。同時に映写機のスイッチを入れて頂けません?」
ベニヤ板班リーダーにして絶賛動揺中の小池が変な日本語で指示して、久保さんが映写機のスイッチに指を添える。
パチン
音と同時に暗闇が広がり、天井から壁一面に宝石の銀河が広がった。
「わあ」
声にならない溜め息のような感嘆が各々の口から漏れる。
それは素人高校生の手作り映写機だということを忘れてしまいそうなくらい見事な星空。
女子たちが最終段階で、カラフルに光るようにと手を加えたと言っていた通り、プラネタリウム館で見た白や黄色が散らばる星の世界ではなく、ピンク色や青や紫などの光が星の花火のようだった。
「いいね、うん。これ、すごくいい」
「早く他の班の人たちにも見せたいよね」
ほんの僅かなひと時だったけど、達成感と充足感を見上げた皆で共有出来た気がした。
「じゃあ畠中ちゃん、こっちの片付けは頼んだ」
無事に仕上げ作業を終えると、ある者は部活の催し物の準備に向かい、ある者は壁板の設置のために借りて来た工具を返しに行く。気のせいでなければ、逃げるように。
久保さんは浜島と共に剣道部の催し物の支度に戻って行き、岩崎さんたち三人組は荷物を置いてある隣の教室に戻って前夜祭が終わるまで時間潰しをするという。
教室内の片付けは部活に入っていない僕が引き受けて散り散りになるクラスメイトたちを見送って、急にがらんとして室内を見渡す。まずは簡単に掃き掃除をして、それから全体をざっとモップがけすれば良さそうだ。
窓を開けるとすっかり暗くなった空の下、中庭では吹奏楽部と軽音部が照明の位置を調整したりパイプ椅子を並べたりしていた。その中には、ほんの少し前までこの教室内にいた小池の姿もあった。張り切って動いている。
そのもっと向こうの講堂の方角からは音楽の重低音のような響きと一緒に時々歓声が湧く。Mr.&Miss東高出場者たちのステージ上でのピーアールタイムになったのだろう。
隣の教室からは戻って行った岩崎さんたち三人組の笑い声が廊下の方に響く。
彼女たちの雑談を興味津々で盗み聴きしていた面々は散り散りになって、ここには僕一人。もちろん盗み聴きなんてするつもりはない。知らぬが仏ってことが世の中にはたくさんある。そうでなくても盗み聴きなんて悪趣味だ。
だけど、一旦「聴こえる」と神経が認識してしまうと、条件反射的に聴覚がアンテナ化してしまいそうだった。
いけない、いけない。頭を振って彼女たちの笑い声から聴覚を引き剥がす。
さて、前夜祭参加組が引き上げて来る前に僕も片付けてしまおう。
隣の話し声なんて気にしてる場合じゃない。気にしてる場合じゃ──なかったんだけどね。
◇◆◇
十月末、実習を終えた徳山先生は大学へ戻って行った。
女子たちの多くは“徳山先生ロス”に陥っていたけど、項垂れている暇もなく文化祭の準備に追われる日々になった。
ガソリンスタンドのある街道沿いの欅や、裏門から駐輪場までにある銀杏も黄色く色づいている。
京都が寒かったこともあり、修学旅行から帰って来て少し風邪を引いたけど、僕はまだマシな方だった。修学旅行の翌週の月曜日から三〜四日間はクラスの三分の一くらいが風邪で欠席し、普段元気な浜島や小池も休みだった。
ただでさえ中間テストからの鬼日程。それに加えての多数欠席となれば文化祭の準備が付け焼きになることは否めなかった。
文化祭後は息つく間もなく期末テストになるのだから、この日程自体どうなんだろうと思う。第一、期末テストの範囲なんてあるのかとツッコミたくなる。
前夜祭の二日前からクラスや部活単位での本格的な準備作業が始まり、文化祭実行委員の永田さんや剣道部の部長・副部長の平岡さんと柳瀬、ラグビー部の主将のガクちゃんなんかはクラスと部活の方を行ったり来たりで忙しそうだった。
剣道部はワッフルの模擬店を出すと浜島が言っていた。
3年生は引退していて2年が中心なのだそうだけど、剣道部の2年女子は久保さん以外お菓子作りに自信がないとかで、久保さんと1年女子が調理を担当するとのこと。
「畠中ちゃん、甘い物好きだったよな? 試作を食べさせてもらったんだけど結構イケるんだよ。一般公開日はたぶん混むから土曜日にでも食べに来なよ」
平岡さんと仲直りが叶った浜島は機嫌が良い。病み上がりで鼻を啜りながらも楽しそうに剣道部のことを話すその姿に、こちらまで気持ちが明るくなる。
修学旅行以来、クラス男子の半分以上が平岡さんとまた普通に話すようになった。旅行最終日の朝のホテルのロビーで6組女子たちとの一件を聞き囓った人たちが、富樫と平岡さんが別れたようだとまことしやかに噂した。それもあってか、他のクラスの男子たちが表立って平岡さんにアプローチをかけるようになった。
本人はいつも通りで、授業中は熱心にノートを取ったり時々睡魔と戦ったり、休み時間は女子たちの中で談笑し、クラス内の男子に話し掛けられれば誰にでも同じ態度で笑顔で応じていた。僕と話してくれる時と変わらぬ態度、変わらぬ笑顔。
修学旅行後は進路室で平岡さんと遭遇していない。浜島が言うには、中間テスト期間と修学旅行ですっかり間があいてしまったと、通常の五割増しでストイックに稽古に打ち込んでいるとのことだった。春に痛めた手首は大丈夫なのだろうか?
相変わらず富樫は部活に顔を出していないとか。
2年2組はプラネタリウムをやることになっていて、壁面はベニヤ板を真っ黒に塗装した後に乾いてから無作為に発光塗料を吹き付けたり散らす工程になる。窓はスモークフィルムを貼り、更に遮光カーテンを施す。そしてネットの自由研究サイトなどで調べた作り方で映写機を作る。
作業はベニヤ板を塗装するチーム、窓にスモークフィルムを貼るチーム、遮光カーテンを作るチーム、映写機を作るチーム、星や星座の名前が書かれたパンフレットの原稿を作成するチームに分かれて進んだ。各々手が空いたら別のチームを手伝いに行くという流れだ。
僕たちベニヤ板班は、晴天が続いたこともあって下塗りも早く乾き黒塗り工程に入っていた。
順調に進むと思った作業も気がつけば前夜祭の当日まで押した。壁板は完成したものの設置に手間取り、ベニヤ板班と映写機班が教室棟での居残り作業。あとは壁板を設置して映写機の作動確認をするだけだったので、他のチームは講堂での前夜祭に参加していた。
僕たちの壁板の設置が終わるまでは危ないので、映写機班の女子は空いていた3組の教室で待機してもらうことにした。
僕たちの他にも、残った作業をしていたり前夜祭をサボって宴会をしている他クラスの生徒の声も違う教室からちらほら漏れ聞こえていた。
壁一つ向こうの3組の教室から、壁板設置待ちで待機している2組女子たちの笑い声が響く。
「しーっ! みんな静かにしろよ。女子チームが平岡さんの話してる」
誰からともなく好奇心に火がついて、ガールズトークに耳を傾け出す。
剣道部の久保さんと斉藤さんに、岩崎さんと栗原さんと松野さんだったかな。一見意外な組み合わせではあるが、修学旅行のホテルで同室だったらしく五人は随分うち解けているようだった。おとなしくて真面目な久保さんと斉藤さんに、巻き髪や茶髪に化粧にネイルに香水に…と大人っぽい岩崎さんたち。異色の組み合わせの会話に一同興味津々だった。
「マユはねぇ……。あれはズルいわよね、反則だわ。制服も校則通り、スッピンで座敷童みたいな髪型して、あのアイドル感。リアル朝ドラヒロインだもん」
「座敷童子は可哀想よ。ミディアムボブって言ってあげてよ」
やはり共通の話題なんだろう。岩崎さんたちがクラス内で話しているのは平岡さんかガクちゃんくらいだったし、久保さんたちも話しをしているのは主に平岡さんや永田さんだから。
「そうそう、オマケに微妙に天然で感情一つ一つにご丁寧に可愛い顔芸つけてくれちゃって」
松野さんに続く栗原さんの言葉に久保さんと斉藤さんが遠慮がちに、けれど楽しそうに笑っている声が聞こえてきた。
「クラスの男子はみーんなマユのファンでしょ。尾崎くんも小池くんも東堂くんも、剣道部のお二人さんもね」
聞き耳を立てていた小池が耳まで真っ赤にして、バツが悪そうにニヤニヤと照れ笑いした。名前が出されたら恥ずかしいなと少し身構えたけど、岩崎さんが“その他大勢”の名前なんか覚えてるわけがないのだ。自動的に僕は“クラスの男子のみんな”の中に加算されたようだ。
「あれだけモテたら同性から反感買うのも無理ないけど、本人が望んでないだけに気の毒よね」
「あのぉ、私よく分からないんだけど」
躊躇うように斉藤さんが声を上擦らせた。
「どうして反感買うのかな? 東高の女子は東高男子に興味ない人多いよね? 興味ない人たちが誰を好きになろうとどうでも良くない?」
「斉藤さんの言ってること、よーく分かる。私も同感。でもそういうのが面白くない人って世の中に結構いるわけ。自分と他人を勝ち負けだとか上か下かだとかいう優劣でしか見られない人種」
松野さんの声だ。
「興味ない相手でも、好感持たれたら悪い気しないでしょ? 好意の矢印があからさまに別の子に向いてるのを見ると自分は誰からも見向きもされないって解釈してしまう人もいるのよ。モテる子がこの世の全てを手に入れてる気がするのかしらねぇ」
突き刺すような迷いのない声の松野さんとは対照的な岩崎さんの柔和な声は、まるで猫の鈴だ。そして彼女の甘い声と口調が、諭すような言葉を一層和らげる。
「そんなのお門違いだよ……」
「そうね、斉藤さんの言う通りよ。下らないことで他人を妬むような心根だから見向きもされないって気付けたら良いのにね。まあ、私は自分が好きでもない男なんて興味ないし、まして他の女の子を好きな男なんか論外よ」
彼氏付きの女の子にご執心の僕たちとしては、他の女子を好きな男など論外と言い切ってしまう岩崎さんは天晴れの極みです。
高2にしてコケティッシュでアンニュイな雰囲気を存分に醸し出してる彼女なら手玉に取れる男なんか星の数なのだろう。
「剣道部の先輩たちが……まゆちゃんに冷たいのは、先輩たちより上手なのと、富樫くんのことでヤキモチだと思うの。先輩たちのお気に入りだったし。でも6組の人たちって富樫くんのこと好きなわけじゃないよね?」
「加納さんって子以外は、あの男なんて眼中ないでしょ。だから6組の女子たちが鼻息荒げて加納さんって子に肩入れしてるのも、友情を口実にしてマユを叩きたいだけよ」
松野さんの言葉に、斉藤さんや久保さんの溜め息が聞こえて来そうな気がした。実際に聞こえたのはその話しに聞き耳を立てていた僕たちの側からだった。
「ややこしいな」
小池が小声で口を挟むと、肩を落とした皆が重く頷いた。
「ていうかさぁ、6組女子もムカつくけど、マユもマユよ。あの暑苦しい顔の残念な男はいくら何でも趣味悪過ぎ。あんな男を巡って妬まれるとかマジで意味分からないんだけど」
「富樫くん、入部当初からまゆちゃんに夢中で何度も告って…まゆちゃん困ってたし、オッケーしたのは根負けだとは思うけど、それでも二人はすごく仲良くて」
「そんなに好きで落としたくせに、どうしてあんなにだらしないの?」
「今の富樫くんはいい加減な感じだけど、1年の頃は先輩ウケも良くて部のムードメーカー的な存在だったの。他の男子は煮え切らないんだけど、富樫くんの一声でミーティングもスパッと終わったし、帰りが遅くなった時も富樫くんが女子を送るように方面ごとに男子たちを割り振ってくれて」
僕の知っている富樫も快活で頼りがいのある人だった。
「ふうん、ああ見えて意外としっかりしてたのね」
「うん。むしろ最近の富樫くんが別人みたい」
「まあ、うちのクラスの男子も腹立つけどね。彼氏の家にお泊りした噂が流れただけで、マユのこと避けて」
「ハッキリ言って、どこの高校に行っても彼女なんか出来そうもない奴らのくせにね。女子と話しが出来るだけ奇跡な立場で、唯一話し掛けてるマユなんて神でしょ。それなのに無視とかあり得なくない? あいつら本当にタマついてるの? リアクションがいかにも“モテない童貞男”って感じで呆れるわ。神の恩を仇にして、あいつら絶対に天罰くだるし」
松野さんと栗原さんの正論に僕たちは耳が痛かった。それ以前に盗み聴きに対して胸を痛めるべきなのだけど。
「マユのお人好し加減も良くないわ。調子に乗らせてるのよ。富樫って男も、6組女子たちも、2組男子たちも。甘い態度でいるから付け上がって来るの。だけど、下らない噂に踊らされて仲良かった子を避ける奴らとか的はずれの妬みで集団で嫌がらせする奴らは許せない。マユが許してても私は絶対許さない」
声を聴いてるだけで松野さんがどんな表情で喋っているのか想像がつく。松野さん、あの三人組の中で一番目が怖いんだよな。
「もし6組になってたら、松野さんたちも今の6組の人たちみたいに理恵ちゃんやまゆちゃんのこと嫌ってた?」
「それはないわ」
斉藤さんの問いに松野さんが即答した。
「そもそも東高の中のことに興味ないの。それに言った通り、勝手に優劣を競って攻撃的になるマウンティング女が大嫌いなの」
「そうね、6組になってたらマユと仲良くなるきっかけがなかっただけ。よく知りもしない子を周りの流れで嫌うとか、ないわ。ましてやあの子たち、仏のレイナさんの嫌いなキーワードを見事に言っちゃったもんねー」
栗原さんが意味深に笑い、岩崎さんの甘い声が続く。
「私ね、“あざとい”だとか“計算高い”なんて言葉を他人に対して平気で使う子とはあまり友達になりたくないの。言葉自体も良い響きじゃないし、その手のことを指摘する子に限って自分の中にそういう部分を持ってるじゃない。ない人には、どんな行動や仕草があざといとか計算だなんて分からないものでしょう? 自分の中に持ってる汚い部分に蓋して他人をディスるなんて気持ち悪いわ」
「まあ、物理を選んだのも、シオリが高校生活で一回くらいは共学クラスに入りたいって駄々こねたからなんだけど。ね、レイナ?」
「そうよ。一回くらいは良いかなぁって私もユオも、シオリに付き合ったけど、別にどうってことないわね。悪いけどたいした男もいないし。ふふ」
「ごめんって。しょうがないじゃない。ここまで絶望的とは思わなかったんだもん」
壁を挟んだ2組の教室内の僕たちは、さてどうしたものかと思案し始める。
栗原さんからは、タマがついてるのかとバカにされ、松野さんからは、絶対に許さないと厳しく批難され“仏のレイナさん”なる異名を持つ岩崎さんからは、たいした男もいないと一蹴されて───。
これを聞いたあとで、設置が完了たと誰が彼女たちを呼びに行ける?
皆が固唾を呑んで見つめたその先は、リーダーの小池だった。
補足
「シオリ」=栗原 詩織
「レイナ」=岩崎 麗奈
「ユオ」=松野 由緒




