17 修学旅行 (後編)
京都駅に到着するとクラスごとにバスに乗り、三十三間堂と知恩院の見学をして宿泊するホテルに着いた。
これで二条城と清水寺が付いていたらまるで中学の修学旅行だなと小池たちが笑っていたけれど、たった二年半前のことなのに中学の時に観た京都の寺院と高2になって観たのとでは、感じる何かが違っている気がした。侘び寂びが分かるようになった、なんて一人前なことは思わないけど、中学の頃は古い建物全体像に圧倒され、今観ると古い木材独特の味わいや釘を使われていない宮大工の技術など細部に唸らされた。
旅程は当たり障りなく過ぎて、以前のように平岡さんと打ち解けた浜島は上機嫌で平岡さんたちと撮った平等院での楽しそうな写真を自慢げに見せてくれた。
久保さんも柳瀬も教室では見せないような破顔で写っていて、剣道部の仲の良さとそんな彼らが作った思い出が羨ましくもあった。
「中でもこれがお気に入りの一枚なんだ」と浜島が見せてくれた写真には、斉藤さんが平岡さんの口元にみたらし団子を運び、平岡さんが口を開けて──頬にみたらしのタレをたくさん付けている様子が写っていた。
「これ何度見てもウケるなぁ。本人に見せた? 見たら怒るぞ」
ガクちゃんは腹を抱えて面白がった。
二日目の夕食の時には久住くんが平岡さんと交換したと三千院の袋に入った学業成就のお守りを大切そうに眺めていた。
四日目のクラス行動は、僕たちのクラスは事前にネットで見学申し込みをしていた京都御所だった。見学が終わった後の休憩時間に、永田さんと斉藤さんが蛤御門の弾痕を大袈裟に撫で回し、久保さんと柳瀬の笑いを誘っていた。
連日の夕食後の夜間自由行動の時間には多くの人が新京極や木屋町などに散策だったり土産物を買いに出掛けた。この夜間自由行動の時間こそが数少ない校内カップルの醍醐味と言われていたけど、富樫たちは連日6組の男女グループで出掛けていたようだと浜島が言っていた。
最後の晩、多くの人が夜間自由行動で出払った後のホテル内の非常階段の手前の踊り場で話しをしている富樫と平岡さんを見かけた。
そして最終日の今日の朝、ロビーで平岡さんが6組女子グループの集中砲火を浴びていた。
「昨日、富樫くん外出先から早抜けしたんだけど平岡さんが呼び出したの?」
「そのカメラ、徳山先生の気を引いていたってやつ? いるよねぇ、今どきのミラーレスの一眼なんか使ってお洒落カメラ女子気取りな勘違い女」
「富樫くんにフラれて徳山先生に乗り換えたの? かなり色目使ってたらしいものね」
酷い言われように永田さんが抗議をしようと身を乗り出したが平岡さんに制されていた。自軍優勢と判断したのか6組女子たちが「黙ってないで何か答えなさいよ」と畳み掛けた。
「えっと、私はお願いされてるのかな? 命令されてるのかな? 神経を逆撫でするようで申し訳ないけど、答えなさいなんて命令される言われはない気がするの。お願いしてほしいとは思わないけど、命令される間柄でもないと思うんだよね」
彼女は困ったように微笑して一礼すると、ぽかんとしている永田さんの背中を押して、何事もなかったような顔で毅然とバスに乗り込んだ。バスの中では待ち構えていた松野さんに「申し訳ないなんて言わなくて良いの!」と横抱きに抱き締められて苦しがっていた。
「悪くないのに謝ったのはこの口か〜!」
栗原さんに唇の両端を摘まれ、次いで永田さんや松野さんが手荒くねぎらう。仕上げに永田さんからは髪がクシャクシャになるまで頭を撫でられてバスの中全体の空気が弛んだ。
あっけらかんとした平岡さんの空気が彼女の周りの友達を動かす。あわや一触即発の空気をあっという間に消し去ってしまう彼女たちは大人だ。
結局平岡さんとは学校の中と変わらぬ程度にしか関わりがないまま、彼女と一緒に修学旅行の思い出を作った浜島や柳瀬や久住くんたちを羨んで僕の修学旅行が終わろうとしていた。
帰りの新幹線の中は前の晩に遅くまで話し込んでいた人たちが眠りこけ、まだまだ旅の高揚を継続中な人たちがあちこちで写真を撮り合っていた。
「浜ちゃんたち、写真撮ってあげるよ!」
永田さんがやって来て僕の隣の座席で爆睡していた浜島が飛び起きる。
「ガチな寝起きは勘弁してよ」
情けない声を出して頭から上着を被って逃げて行く浜島を永田さんが笑う。永田さん、絶対にわざとやってるよ。
「あ、繭子も撮ってあげるから、そこ入れてもらって。もう、浜ちゃーん! 戻ってきなよー」
岩崎さんたちを写してあげていた平岡さんが席に戻ろうと通り掛かり、呼び止められた。浜島は逃げて車両を出て行ってしまった。
「いい?」
平岡さんが僕の隣、浜島が座っていた窓際の席を指差した。僕が頷くと平岡さんが隣に座った。
「もうっ、浜ちゃん、しょうがないなぁ。またお仕置きが必要かな。ちょっと捕まえてくるわ」
撮るからと平岡さんを呼び止めた永田さんが浜島を追って行ってしまった。
「理恵ちゃんって浜島君のお姉さんみたいだよね」
置き去りにされて困ったのは平岡さんも同じだった。
「永田さんて、浜ちゃんに煮え湯を飲ますことに命かけてるよなぁ。代わりに俺が撮ってやるよ」
戻ってきたガクちゃんがデジカメを構えて撮ってくれた。シャッターの音がするまでの僅かな数秒の居心地悪さったらなかった。どんな顔をして良いか分からなかったし、隣に平岡さんがいるのだと思うと緊張して仕方なかった。
「ねぇ、私も一枚いい?」
平岡さんが例の年代物のカメラを持った手をそのまま垂直に持ち上げた。
「コンデジと違って綺麗に撮れないかもしれないけど」
独り言みたいに呟いて、少し僕の方に体を寄せた。瞬間にカシャンという渇いた音がして平岡さんが素早く体を離して立ち上がった。
やっぱり触れ合う距離まで近づくのは抵抗あるみたいだ。体を寄せた時も座席に付いた左手に力を入れて、僕の肩と触れないギリギリで支えていた。僕が嫌われているのか、彼女がいまだに“私なんか”と卑下して遠慮しているのか、僕には皆目見当もつかなかった。
「そんなに切ない顔しなくても大丈夫だよ。嫌われてたら、自分のカメラにまでツーショットを収めないよ」
入れ替わりに僕の隣の座席にやってきた徳山先生が小さな声で僕に耳打ちした。
えっ? バレてる?!
ドキリとした。
視線の先では、ガクちゃんと平岡さんが通路に立って二人で写真を撮っていた。平岡さんは僕の時と同じように自分たちに向けて素早くシャッターを切って体を離している。
違っていたのは、ガクちゃんと撮る時にはカメラを持っていない方の手でピースをして、にっこりと笑っていたこと。
「みんな平岡さんのこと好きなんだな。畠中くんもなんだろ?」
戻ってきた浜島と永田さんを撮影している平岡さんの横顔を見たまま徳山先生が言う。
先生、彼女には1年の時から付き合ってる彼氏がいます。そしてそれは、僕にとって友人です。
もし彼女の気持ちが、富樫から離れているとしたら───
彼女が惹かれているのは、徳山先生、それはきっとあなたです。




