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17 修学旅行 (前編)

 いくら県立でも今どき京都はないなとは思うけど、インドア派の僕は内心国内でホッとしている。

「やっぱり納得いかない。今どき中学生だって飛行機で沖縄とかだぞ? 新幹線で京都ってアリか?!」

 この類のブーイングがあちこちから聞こえる。


 遡ること一年前、今の3年は学校初の海外修学旅行で行き先はなんとグアムだった。翌年の僕たちは、当然一年後の自分たちの修学旅行もグアムになるだろうと歓喜していた。しかし、現3年が修学旅行から帰ってくるなり状況は一変した。

 修学旅行の規則として自由行動の時間にビーチで遊ぶのはOKとしても水着は学校指定のものかフィットネス用に限るとのことだった。けれど、いくら修学旅行とは言え外国のビーチリゾート地でスクール水着を着たいと思う勇者なティーンエイジャーなんかいるはずないことくらい、女子に免疫のない僕にも容易に想像がつく。

 結果、規則を破り大胆なブラジリアン・ビキニでビーチ遊びをする女子まで出るわ、メディアからの読モのスカウトや撮影まで請けるわで、帰国後は職員会議とPTA懇談、更にはOG会で“学生らしい品位の欠如”ということになり、僕たちの年は改めて“謹粛元年”というとばっちりを受ける羽目になった。ちなみに言うと、ブラジリアン・ビキニとは如何なる物なのか僕にはさっぱり分からない。


 僕たちの学年が悪いことをしたわけてもないのに、つまり「寺院仏閣でも回って浮ついた心を清め戒めて喝を入れなさい」と言われているような分かりやすさ。寺院仏閣を巡ったくらいで中高生が改心出来るほどの御利益があれば日本は今頃、心優しい大金持ちだらけだと思う。

 しかし哀しいかな、僕を含め日本の中高生のほとんどはどこにどの神仏が祀られているのかもまともに知らない。ちなみに知っているのは法隆寺を聖徳太子が建立しただとか、太宰府天満宮に菅原道真公が祀られているだとか、それくらい。


 さすがにこの処遇は可哀想だと僕たちの学年の先生たちが頑張ってくれたおかげで、旅程の中で半分以上が自由行動にあてられている。とは言え、事前にプランを申請して許可を取らなければならないのだけど。


「グアムに行けないのは悔しかったけど、徳山先生が来てくれたし結果的に京都で良かったかも」

 修学旅行の学生用の貸切車両は、一両が二クラス分で同じ車両になった1組の女子が群れになって徳山先生に貼りついている。

 1組と合同のせいで、普段の男子だらけの教室内と比べ女子密度がアップして居心地が悪い。尾崎や小池たちは最初は少し嬉しそうにしていたけど、どんなに女子がたくさんいても男子たちが相手にされない当たり前の東高の状況に戻っただけだと気づくのに十分もかからなかった。

 男子は各々マンガを読んだり音楽を聴いていたり、グループになってトランプをしたりして過ごした。

 通路を挟んだ反対側の座席の辺りに目をやると平岡さんと久保さんが京都の地図を広げていた。平岡さんの手元には教科棟の屋上で焙じ茶を飲ませてもらった時のステンレスボトルがあり、平岡さんがあのボトルを手に取ってカップに口を付けるところを思い浮かべて顔が熱くなった。

 毎日洗って使うのは明らかだし、しかも一緒に使わせてもらったのは数ヶ月前で、それから今まで彼女の周りの友人たちが何度となくあのボトルからお茶を口にしている。

 なのに、たった一度シェアしてもらった数ヶ月前の出来事を思い出してそわそわしている僕はどうかしているのだろう。こんなこと思っているなんて知れたら、それこそど変態だと気持ち悪がられるかもしれない。

 そんなことを頭に巡らせていると、平岡さんのがマグボトルを手に取った。

 そして、にこやかに受け取った久保さんが湯気の立つお茶を啜る。あはは、現実とはかくなるものだ。


「明日の自由行動、繭子さんと久保ちゃんは久住(くずみ)くんや谷口くんたちと三千院に行くんだってさ。永田姐さんと斉藤さんは太秦に時代劇の撮影見学だって。あの二人らしいでしょ」

 柳瀬が斜めに刀を振り下ろすゼスチャーをしてニヤリと笑った。

 久住くんや谷口くんは僕たちのクラスで一番大人しいグループの男子で、久住くんは時刻表マニアらしいと浜島が言っていた。久住くんたちが羨ましい。

「畠中ちゃんの明後日の予定は?」

 明日の自由行動は、浜島や柳瀬やガクちゃんたちと観光スポットを巡回するバスで二条城や金閣寺や八坂神社などを回ることになっていた。

「明後日はガクちゃんたちとレンタサイクルで嵐山に行こうって予定になってるけど」

 新京極エリアから嵐山まで自転車は結構キツそうだと思う。誘ってもらったのは嬉しいけど、同行メンバーを聞いてガクちゃんたちラグビー部のクォーターバック陣だと聞いて尻込みしている次第。

「畠中ちゃん大丈夫? そんななまっちょろくてガクちゃんたちについていけるの?」

 柳瀬にまでからかわれて益々気が遠くなる。

「明後日は僕たち、2組の剣道部メンバーで清水寺に行く予定なんだ。良かったら来ない?」

 これまで永田さんのマークが厳しくて平岡さんに近寄らせてもらえなかった浜島も一緒だという。せっかく選択科目を揃えて同じクラスになったあの仲の良い2組剣道部の皆の高校生活の思い出作りに部外者が混ざるのは気が引けた。

「遠慮しておくよ。ありがとう、そっちはそっちで楽しんできて」


 ◇

「ここ浜島くんがいた所だよね? 今空いてる? ちょっと座らせて」

 1組女子たちの包囲網から抜け出して来た徳山先生が僕たちの座っていたボックス掛けの空いた所に腰掛けて、汗を拭う。

「先生、何て言ったら良いか……、お疲れ様」

 同情したガクちゃんが未開封のミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。

「ありがとう。後で何か奢るな」

「モテないのって淋しいと思ってたけど、先生を見てるとモテるのも楽じゃないなって思うよ」

 後ろの席から尾崎が顔を出して先生を労わるように呟いた。

「こういうのはモテてるのと違うよ。本当に好きな相手には、何をするにも言うにも躊躇するもんだろ」

 何人かが見に覚えのある表情で肯きかけて、徳山先生がクスッと笑う。

「あれ? 平岡さん」

 僕たちと話していたかと思った矢先に徳山先生が唐突に平岡さんを呼び止めた。

 平岡さんとしばらく口を聞いていない尾崎たちがバツが悪いのか慌てて自分の席の方に引っ込んだ。

 彼女は車両を出ていて戻ってきたところのようで、通路を通っているのを呼び止められたのだ。

「すごいの持ってるね。ちょっと見せてもらっても大丈夫?」

「あ、はい。骨董品なのでお恥ずかしいですけど」

「恥ずかしくなんてないよ! ライカのM3じゃないの? レンジファインダーだよね?」

「そうです、ご存知なんですか」

「ご存知もなにも…! フィルム式だろ、この年代のライカがこの状態で現存してるってすごいな。しかも持ってるのがモバイル撮影世代の女子高生って!」

「はあ……、そうなんですね。私のというより父のお下がりなんです。たぶん私にはこのカメラの真価は理解出来ていません。ただケータイもデジカメも持っていないので、ちゃんと使えるようにはなりたいなぁと思っているんですけど機械が苦手なので扱いが難しくて」

「ちょっとだけ触らせてもらってもいいかな」

「はい、どうぞ」

 いつになく興奮気味の徳山先生と、それに気圧されている平岡さん。徳山先生は恐る恐る平岡さんの手のひらから、そのレトロなカメラを手に取ると瞳孔だだ開きで感嘆の溜め息を漏らす。

「すごい、レプリカじゃない本物のM3だ。矢野(やの)さんのと同じだ」

 少年のように目を輝かせる徳山先生を平岡さんは熱っぽく見つめていた。

 進路相談室で中野先生に徳山先生のことを訊かれた時に素敵だと思うって答えてたし、やっぱり平岡さんもこういう格好良い年上の人に惹かれているんだろうな。付き合っている人がいるから他の女子みたいにあからさまに言わないだけで。


 愛でるように撫で回し、色々な角度からあちこち見ては溜め息をつき、礼を述べ満足したように平岡さんの手に戻す。

「いや、まさか矢野さんの愛機と同機種に会えると思わなかった」

「先生、矢野さんって先生の恩師か何か?」

 ガクちゃんが質問する。

「いや、恩師でも知り合いでもない」

「なんだよ」

矢野 昌孝(やの まさたか)さんっていうフォトジャーナリスト。ちょっと前に“戦場カメラマン”って聞いたことあっただろ? 景色や人物を綺麗に撮るとかじゃなくて、何処かの一瞬を写した一枚を見た人が状況を理解出来るようなメッセージ性のある作風なんだ。フランスの有名な写真家に傾倒していて……そのフランスの写真家もライカM3を愛用していたんだけどね」

「先生、詳しいね」

「ははっ、ちょっと囓った程度の知識だよ。そもそも俺が大学を一年休学して世界一周しようと思ったきっかけが矢野さんの写真集だったんだ」

「先生、バックパッカーだったの?」

「え? そうだけど、最初に言わなかったっけか?」

 聞いてねぇし、とガクちゃんが笑った。蒼智なんか通ってて、品があって育ちが良さそうな風貌からバックパッカーなんて想像もつかない。

「だからバイトを三つも掛け持ちしたんだ。女子釣り用のチャラい外車とか買うためじゃなくて?」

 ガクちゃんが冷やかすと徳山先生は笑う。

「おいおい、勘弁してくれよ。チャラい外車もチャラい外車で釣れるような女の子なんて維持費だけで破産するよ」

 そう言って鞄の中からタブレットを出して写真のフォルダを開いて見せてくれた。

「先生、手渡しちゃって良いの? ラブラブ写真とかマズいの出て来ても知らないからな」

「そんな写真ないから大丈夫。ホント、東堂くんたちが思ってるほど俺モテてないから」

 写っていたのは、くすんだTシャツを着て同じような格好の人たちと破顔する日焼けした徳山先生だった。

「一年じゃ全然足りなかったな。長い人だと三年とか五年とか旅してる」

 めくっていく度に違う人たちが写っている。民族衣装のようなものを着た現地の人だったり、船の上でキメ顔を作るガタイの良い漁師さんだったり、一期一会の旅仲間だったり。今の時代はネットが普及していて途上国の山奥でも繋がる所なんかもあったりして、近況や地点を報告し合いながら落ち合ったりすることも出来て、本当の一期一会というわけではないのだそうだ。

「ただ、その時に偶然一緒になったメンバーがもう一度揃って会えることは難しいんだ。君たちもそう、京都なら大人になってからもいつでも来られるけど、この面子で来ることはきっと最初で最後なんだから、しっかり良い思い出作ろうな」

 徳山先生はそう言うと一号車の方から現れた宇佐美先生に呼ばれて行ってしまった。

 徳山先生が席を立つまで、ぼうっと熱い視線で先生を見つめていた平岡さんも我に返り、少し動揺した様子で斉藤さんや永田さんのいる席まで戻って行った。

 大人が垣間見せる少年の顔に女子は弱いなんて聞いたことがある。彼女も徳山先生のそんな一面にやられてしまったに違いない。

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