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16 口実

 中野先生がひとしきり平岡さんをからかって相談室の方へ引っ込む。傍から見ていると感情豊かにリアクションする平岡さんは、一つ一つ面白くて一つ一つ可愛い。中野先生がからかいたくなる気持ちも分かる。その光景はあまりにも微笑ましくて、好きな女の子を目の前にして緊張しかけていたこともうっかり忘れそうになるくらい。

 彼女自身は至って真面目な性分だから、自分の反応がからかいたくなる気持ちを刺激してる自覚ないんだろうな。そういう僕も、まいちゃんやガクちゃんや……、1年の時は富樫にもからかわれては笑われて──第三者から見たらこんな感じなのかな。いやいや違う、平岡さんは特別だ。

 前に阪井が平岡さんのことを“完璧女子”と敬遠気味に形容した時に柳瀬が、知らない人から見たら面白味のない優等生に見えても面白い所もあると言っていたこと、今ならよく分かる。

 こんなに表情が素直でこんなに感情が豊かなのに、いざ言葉で自分の内側にあるものを表に出そうとすると途端に詰まってしまう一面もあるのが不思議だ。


「ごめんね、勝手に騒いだりして。畠中くんは悪くないから。でも聞こえたことは出来る限り忘れる方向でお願いします」

 彼女はまた頬がぼうっと赤くなる。

「調べ物の最中だった? 邪魔してごめんね」

 短く挨拶して立ち去ろうとする彼女の目に、中野先生と話していた時とは違う隔意の色が浮かんでいた。

「あのさ」

「ん?」

「少しだけ時間大丈夫?」

「……大丈夫だ、けど」

 少し驚いた顔で固まってから、ちらりと壁の時計を見た平岡さんが不思議そうに僕を見返す。その表情はまだ硬い。

「進路、少しずつ決まってきたというか……」

「そうなの?」

 優しい響きの澄んだ声。緊張の解けた笑みで柔らかそうな丸い頬。座ったまま見上げた先で彼女の視線とぶつかる。普段の僕なら女子と一瞬目が合っただけでも逸らしてしまうのに、何故か彼女には時々釘付けになってしまう。どの女の子よりも目が合ったら緊張するしドキドキしてしまう相手なのに、時々すうっと心の波立ちが止まったように目が逸らせなくなる時がある。

 教科棟の屋上での口約束、彼女は覚えてくれているだろうか。

「でも、いいの?」

「何が?」

「私なんかに話してもアドバイスも出来ないし、奥の部屋に中野先生がいるんだから中野先生に聞いてもらった方が良くない?」

 戸惑いと鈍感が入り混じる、何とも彼女らしくて──可愛くもあり、歯痒く、残酷だ。中野先生に聞いてもらった方が良くない? なんて言われたら返す言葉がない。進路指導担当の先生だし、壁を隔てたすぐ向こうにいるのは明らかだし。「平岡さんに聞いてもらいたいんだっ!」と言えないウジウジ男の自分が情けなくて仕方ない。


「あ、そういえば……。1年生の男の子たちから聞いたんだけど、この間浜島くんに頼まれて日報を届けてくれた日、もう一度寄ってくれたんだって?」

 道着に“山本”と刺繍で書かれた男子を思い出した。

「ごめんなさい」

「どうしたの? 唐突に」

 彼女は少し驚いたように微かに眉毛を上げて瞬きした。

 彼女にあんな態度を取ってしまった以上、謝ることは避けられない。謝ることで彼女を余計に傷つけるとガクちゃんは言ったけど、傷つけたまま知らん顔をしているわけにはいかない。僕はそれだけあからさまな態度を取った。

「この間、僕、感じ悪かったと思って」

「えぇ? ちっともそんなことないよ」

 彼女は戸惑ったように不器用な作り笑いをする。「蒸し返すのはやめて」と釘を刺しているのかもしれない。わざわざ言葉にすることは、やはり余計に彼女を傷つけてしまうことなのだろうか。

 あの時、彼女に問いかけられたのに僕は彼女を遮るように踵を返した。それで今更こんなことを言い出されたって、気分悪いだろう。


「そんな困った顔しないで。皆から避けられる理由に心当たりないわけじゃないから。なのに声かけてくれて、ありがとう。本当に嬉しい。私、畠中くんのこと感じ悪いなんて思ってないよ。一度も思ったことないからね」

 心当たりないわけじゃないという言葉が意味するのは、富樫とのことだろう。胸がズキズキした。だけど、ここで何も言えずに彼女を見送ったら同じことの繰り返しだ。

「サンドイッチ、美味しかった」

 何言ってんだ、僕。彼女だってキョトンとしてるじゃないか。

「い、意外と焙じ茶と合うんだね」

「そう?」

 彼女がクスッと笑う。僕はそれがなんだかとても嬉しくて、バカみたいに首を縦に振る。何度も何度も。

「進路のこと、聞いてもらえる? 実を言うと話せる相手ってそんなにいないんだ。聞いてもらうだけで、決意表明───って言ったら大袈裟だけど、公言になるから」

 話せる相手なんて、そんなにどころか全然いないけど。本当は。

「本当に私でいいの? ……って、こういうこと何度も訊くのってくどいね。ごめんなさい。私で良ければ喜んで」

 近づいて来て隣の椅子に腰掛けた彼女は、僕の手元に置いた資料集を覗き込むために椅子ごと距離を詰めて少し体を寄せた。

 それだけで僕の左肩は緊張して固まる。チラリと横目を向けると資料集に視線を落とした彼女の顔の長いまつ毛が目の前にあった。

 ───今までで一番の最短距離!!

 口から心臓が飛び出そうと最初に例えた人はすごいと思った。喉に力を込めて息を止めないと彼女の顔は僕の心臓を被ることになったかもしれない。

 異様な緊張感に不穏な雰囲気を感じたのか、彼女が不思議そうにゆっくりと顔を上げる。顔と顔の距離、たぶん10cm。すぐそばには見上げる大きな澄んだ瞳の破壊力。卒倒しそう、大袈裟でもなんでもなく本当に。

 口から心臓が飛び出ないかばかり気にしてノーマークだったけど、鼻血が噴き出そう。興奮して鼻血なんて少年マンガにありがちなベタな設定だと思ってたけど、ごめんなさい、今日を最後に撤回します。

「ごっ、ごめんなさい!」

 最初に謝ったのは彼女だった。椅子を離して距離を取った彼女の瞳が震えている。


 どうして? どうしちゃったんだろう?

 僕らが彼女を避けてしまったことで彼女は自分のことを汚れたと思ってしまったのかもしれない。こんなにも彼女を傷つけてしまったなんて──自分たちの幼稚さと浅慮さが悔やまれて仕方なかった。


「あんまり大きな声では言えない話しだから、もう少しだけ戻ってきてくれるとありがたいんだけど」

 不思議なもんだと思う。僕は今まで自分から女子に近寄れる人間じゃなかった。だけど。

 人間って相手が明らかに躊躇していたり強張っていると、自分の中にないはずの余裕を感じられる。悲しい時に自分の隣で号泣している人がいると泣けなくなるのと同じなんだろうか。

 彼女は椅子は離した距離のまま恐々と表情を強張らせて、少しだけ身を僕の方へ傾けた。なんだかやっぱり遠いなと思いつつも、これ以上近づかれたら僕の緊張が爆発しそうな気もした。

 コホンと勿体つけて咳払いをしてみる。

「機械とか電気とかそっち方面を目指してみようかなぁって思って」

「具体的にどんなこと勉強するのか、難しくて私にはよく分からないけど、イメージ的になんとなく畠中くんに似合ってる気がする。技術系のお仕事。格好良いね」

 平岡さんに格好良いなんて言葉を使われて顔が熱くなる。言われたことないんだよ、今まで誰にも。親や兄弟にさえも。

「かっ、格好良くなんてない……よ」

「そう? 理系分野の技術職って格好良いと思うけどなぁ」

 あ、なんだ。そういう意味ね。なんだ、じゃないか。当然だよな。

「うちのクラスの子たちは理系に進む人が多そうだよね。東堂くんも建築系を考えてるって言ってたもんね」

 そう。ガクちゃんだって平岡さんと進路の話をしているのだ。偶然そこを通りがかった時にがくちゃんに声をかけられて話しに加わったこともあったけど、平岡さんと進路の話をしている頻度に関して言えばがくちゃんや柳瀬の方が圧倒的に多い。親密度で比較しても、僕なんて彼らの足下にも及ばない。

「じゃあ畠中くんも志望校を考えていく段階になるんだね」

 まるで自分のことのように喜んでくれる彼女。でも夏休み前日の教科棟の屋上で彼女がまた進路の話をしてほしいと言ってくれたことは、話題もなく内向的で退屈で非モテ男の僕にとって、彼女との唯一の接点だと思っている。

「さっきも言ったけど、進路のこと話せる人、他にそんなにいないから、また良かったら聞いてもらえる?」

 ごめんね、口実にさせてもらいます。

「ありがとう。身近な友達にもなかなか話せないような大切な話しを聞かせてくれて」

 神妙に感謝の意を述べる彼女に少し後ろめたい気持ちになった。身近な友達にもなかなか話せないって部分も、そもそも身近な友達も殆どいないと訂正したくなった。


「平岡さんも目指してるもの、あるんだよね?」

「私? ……うん、一応」

 言い淀む彼女に、何度か相談室から漏れ聞こえてしまった断片的な部分から家族を説得しなければならないことだけは分かっていた。言い難いことなら、無理に聞くつもりはないけど。

「いつか、固まったら……僕で良かったら聞かせて」

 進路の話しなら僕じゃなくても彼女には、永田さんも柳瀬もガクちゃんも、富樫だっているだろう。でも他人に話すことで平岡さんが頑張れる後押しになるのなら、僕は平岡さんの言霊が天に届くように祈る。

「今はまだ、現実的じゃない……というか、絵空事みたいで聞かせられるような段階じゃないんだけどね。もう少し具体的になったら私も話すね」



「でも、その代わり」

 不意に思い出したように平岡さんが言う。

「その代わり?」

「忘れて欲しいの、さっきの話し」

 これだけ話しをして、さっきのって言われてもどの話しだか分からないよ。

「何の?」

「何の? って……。えっと、その、胸の話し!」

 彼女は真っ赤になってドアまで走って行くとそのまま勢いよく引き戸を開け閉めして出て行ってしまった。思い出して僕も伝染したように顔が熱くなった。金縛りにあったみたいに彼女の去った扉をただ見つめて廊下をバタバタ走る音を聞いていた。

 隣の部屋から中野先生がクスクス笑う声が聞こえたけど、その時は平岡さんの赤面ダッシュで頭がいっぱいだった。

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