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11 この鳥籠の中で

 朝のニュースを見流している終わりの方で、天気予報が梅雨明け宣言をしてから一週間以上もジメジメとした長雨が続いた。

 湿気を吸い込んだ制服で一日を過ごす不快さにも辟易していた。


 テスト終わりの解放感は、夏のパワーをもってしても昨年ほどではなかった。

 進学を意識している人が大半で、予備校の話題や勉強のペース配分について話している声もちらほら聞こえる。

 中でも浜島の放つ暗いオーラといったら、解放感なんて言葉とは程遠かった。

 元々理数科目が苦手な浜島は、富樫や柳瀬たちとクラスを合わせる目的で仕方なく物理を取ったわけで、ギリギリ赤点を免れたレベルだったらしい。

 おまけに2年からは数学の科目が二つに増え、ただでさえ物理で苦戦している彼にとって二重三重もの負担になったようだ。

 浜島と同じく文系進学希望の柳瀬は相変わらずの勤勉で、どの教科も平均点を大きく上回っていた。


 夏休みに入る前の面談のための進路希望調査のプリントが配られた。教室内のあちこちがざわめき出し、僕の視線はプリントではなく窓際二列目の前から三番目の席に向いた。

 プリントを凝視しているせいか、それとも睫毛が長いせいか、俯いてひどく悩んでいるように見えた。


 期末テストが終わる頃に合わせて、夏の鋭い陽射しがアスファルトに降る。水圧の強すぎるシャワーみたいに。

 溢れかえったエネルギーは、割れたガラスが飛び散って反射しているみたいで集中力を溶かす。浮き足立って弾ける空気が、僕の嫌いな寒い季節とは違った意味で好きになれない。好きになれないというより、何故か敬遠してしまう。自分の居場所じゃないみたいな気がする。


 屋上でガクちゃんと平岡さんと一緒にパンを食べた日から少しの間は、いつもと変わらない平岡さんだった。

 クラスの皆とも談笑していたし、授業中もいつもと通りだったし、放課後に富樫が待っていれば一緒に部活に行っていた。

 理科室での一件があったせいか、少しの間は富樫と平岡さんの様子を窺っている人も多くなっていた。しかし二人にこれといって変化が見受けられなかったせいか、理科室騒動はすぐに皆の興味の対象外になったようだった。


 それから運動部の県大会が始まって、授業の出席者は疎らになっていた。

 剣道部が登校してきた朝、左手に包帯を巻いた平岡さんの姿にクラス中がどよめいた。


 2年の女子からは永田さんと平岡さんが団体戦のメンバーに入り男子は富樫と柳瀬がメンバー入りしていたようだった。富樫は個人戦にも出場して関東大会出場になったと聞いた。それについては永田さんが不服そうだった。

「私、富樫くんの剣道好きじゃない。学生剣士のくせに勝てばいいってやり方がえげつなくて、騙し討ちか喧嘩みたいだもん」

 永田さんは時折、柳瀬にそう漏らしていたから、やはりそういう理由なんだろう。


 3年生は個人戦で全滅して団体戦に期待したものの、次鋒を任せた平岡さんの奮戦で準々決勝まで進み、彼女が左手首を負傷したため試合続行不可能となり団体戦を棄権したという。

「永田姐さん怒ってたな。繭子さん一人に何戦も勝ち抜いてもらって、平岡さんが怪我したらあっさり棄権なんてな」

 タイミング良く通りかかった永田さんと平岡さんを浜島が呼び止めて、再び県大会の話しが続いた。

 平岡さんが自分の負傷を3年生たちに謝ると、3年生たちは「気にしないで。平岡さんはよく頑張ったから」と言い、彼女が斉藤さんに連れられて医務室へ行ってしまうと「使えない子。上級者だと思ってレギュラーに入れてあげたのに」と悪態を吐いていたとか。怒る永田さんに平岡さんは「そう言われる気がしてた」と笑っていた。

 隣で聞いていたガクちゃんも「なんだよそれ?!」と眉根を寄せた。

 永田さんは何度も3年生や引率の副顧問に抗議したそうだ。平岡さんを交代させるようにと。渋る先輩たちを見て平岡さんは大丈夫と言い張ったらしいし。


「繭子がいなかったら一回戦敗退だったわよ」

 永田さんは憤慨した。

「私がいなくても理恵ちゃんがきっと倒れるまで孤軍奮闘してた気がする」

 そんなことを言って飄々とおどける平岡さんに、永田さんは「ホント繭子と話してると調子狂うわ」と肩を竦めた。

「良い経験させてもらえたと思う。あの緊張感の中でひたすら掛かり稽古した気分よ」

 平岡さんはにこやかに自分の席の方へ歩き、すれ違いざまに僕とガクちゃんの真ん中辺りでほんの少し立ち止まって「やっぱり良い子ぶってるかな」と囁いて去って行った。

 目敏い浜島は「さっき何か言われなかった?」と訊いてきたけど、僕とガクちゃんは顔を見合わせて「さあ」と気の抜けた返事をした。幸い浜島はそれきり特に気にしなかった。

 彼女の心の中にあるものを少しだけ共有できた気分で、なんだか嬉しかった。



 ◇

 それから彼女は包帯が巻かれた左手で放課後も部活を休み永田さんたちに申し訳なさそうに挨拶して帰宅組の友人と帰って行く日々だった。

 富樫は相変わらず放課後に2組の前で柳瀬と浜島を呼びに来て、三人で剣道場に行っていた。

 平岡さんは富樫が現れる前に帰ってしまっていたし、二人が並んだ姿を見掛けなくなっていた。


 彼女の小さな異変は次第に2組男子たちの密かな話題となり、憶測が憶測を呼んでいる。

 富樫と別れたのではないか。成績が悪かったのではないか。左手の負傷が剣道を続けられないほど深刻なものなのではないか。などなど。

 富樫とのことに関しては、平岡さんはともかく富樫の行動は割と分かりやすいので、富樫が2組に来ているうちは別れていないのだろうという結論になったようだった。

 平岡さんの一学期の成績については、剣道部女子たちで点数を見せ合っていたのを久保さんが浜島に白状させられていたが、成績不振が理由という線は極めて薄そうだった。

 左手の怪我についても、負傷直後に医務室に付き添った斉藤さんが捻挫だったと言っていたので、その後新たな診断結果が出ない限り違いそうだった。


 富樫は相変わらずだった。

 放課後以外で見掛ける時は相変わらず加納さんが隣にいた。

 まいちゃんの話しを聞いてからというもの、富樫と加納さんの仲の良い様子を平岡さんだけでなくまいちゃんもどんな気持ちで見ているのだろうかと考えてしまう。僕ってこんなに下世話だったっけ。

 まいちゃんはと言えば、あれから加納さんの名前も平岡さんの名前も口にしない。時々出てくる人名は“大悟くん”───つまり僕の兄の名だった。

「大悟くん、大学楽しいって?」 「大悟くん、サークルとか入ったの?」など、まいちゃんの興味は大学生活だった。もちろん加納さんのことは気になっているだろうし、気持ちも変わってはいないと思う。

 あれ以来、まいちゃんが加納さんのことを話題に出さないので、結局僕はまいちゃんに平岡さんに憧れてることを言いそびれたままになっていた。



 ◇◆◇

 一学期最後の日、帰りのホームルームが終わると僕は自分の得意科目で受験出来る学部を調べようと教科棟の二階にある進路資料室に向かった。

 ホームルームが終われば夏休みということもあってか、渡り廊下を挟んで教室棟と教科棟の賑わい方は雲泥の差だった。

 教科棟は三階の音楽室から吹奏楽部の練習の音が聞こえるくらいなもので、いつも以上に閑散としていた。

 引き戸を開けると狭く細長い室内には誰もいなかった。荷物を机の上に置き、両側の壁の高い位置まであるスチール製の本棚を見渡す。大半は進学情報の大手から発行されている、電話帳サイズの資料で、やや薄めの『理系の進路』と書かれた冊子を手に取って座った。

 隣接した進路指導室から進路相談担当の中野(なかの)先生の声と女子生徒らしき声が聞こえた。何を話しているのかまでは聞こえなかったし聞く気もなく、そのまま資料のページを捲り始めた。

 僕は進路相談をしたことはないけれど、3年生の現国を受け持っている中野先生は親身で感じが良いと評判だった。成績やレベルで頭ごなしの言い方をせずに、生徒の希望や意思を尊重して一緒に調べたり考えたりしてくれるとクラスの女子が話していたのを聞いたことがある。


「担任は江坂先生…だったわよね? 江坂先生には私から言っておくから。もう少しゆっくり悩んでみて」

 一段とハッキリ中野先生の声が聞こえた。

 江坂先生? 同じクラスの人なのか。

 そうと分かり意識が扉の向こうに集中しそうになった矢先に、相談室にいた女子生徒は扉を開けながら中野先生に挨拶してこちらへ入ってきた。


「畠中くん!」

 驚いたような声。驚いたのは僕だ。

 平岡さんの驚いた声に中野先生が資料室を覗く。

「あら、また2年2組の子。2組は熱心ねぇ。さすが学年トップね」

 冷やかすように笑うと、何かあったら呼んでねと言って指導室の方へ引っ込んだ。

「2組って学年トップなんだ。知らなかった」

 僕も知らなかったと言い、心の中で2組おそるべしと思った。


 平岡さんは椅子を少し離して隣に座ると「話し掛けても大丈夫?」と落ち着いた声で訊いた。

「あ、うん」

「この間、進路希望の紙が配られたでしょ。あれってざっくりと、 四年制大学とか専門学校とか就職っていう風に書いても良いのかなぁ?」

「ざっくりしすぎじゃない? 学部とか、それが無理ならせめて学校名くらい書いた方がいいと思うけど」

 彼女が冗談を言ったのかと僕はやや面喰らったが、彼女は困ったように考え込んだ。いつもなら「やっぱりそうだよね」なんて照れ臭そうに笑うのに。

「決まらないの?」

「ううん、違うの」

 彼女は子供みたいに俯いたままブンブン頭を振る。そしてまた何か言いたそうに少しだけ唇を動かして、そのまま黙ってしまった。いつものやつだ、と思った。彼女は自分の心の内を話すのが苦手のようだ。

「僕は全然決まってないから、書けないかも」

 彼女が言葉に詰まって困っているなら、僕が何か喋ろうと思った。人と話すことも苦手だし、好きな女の子を相手に何を話したら良いかも分からないけど。

「やりたいことがあって、何が必要か調べるのが普通なんだろうけど、僕は逆」

 夢がないつまらない人間だと言っているようで格好悪かった。

「見つかるといいね」

 彼女が資料を覗き込み、ふわっと髪の香りが鼻腔をくすぐった。

「結局得意科目で受験出来るものから選ぶことになると思うけど」

 やりたいことなんて、誰でも持てるものなんだろうか───

 溜め息をついて資料を閉じ、背表紙に書かれている “簡単なYES・NOで職業適性診断” という文字に苦笑いした。

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