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10 馬鹿馬鹿しい

 翌朝、まいちゃんが僕を待っていた。

 だいたいいつも一緒に登校しているとはいえ、意図的に待ち合わせたことなど滅多にない。

 挨拶をしてどちらともなく歩き始めると、横列に並んで何かを話しながら自転車を飛ばす中学生たちのグループ何組かとすれ違った。

「昨日は、なんか…すごかったね」

 理科室での6組女子と永田さんたちの口論のことだろう。2組の理科係の僕は、6組の理科係のまいちゃんとあの騒ぎの中で交代したのだった。

「……あのさ、平岡さんてどんな人?」

 まいちゃんの口から唐突に出た憧れの人の名前に、身体中の血が炭酸水になったみたいにサワサワと軽い痺れが走る。

「どんな人って……」

 昨日の騒動の中、本人不在の状態で渦中の人だったから気になるのも仕方ないか。

「富樫の彼女なんだろ?」

 心なしかまいちゃんの語気に棘を感じて顔を見ると、いつもなら額に散らばる赤いニキビが風で晒されるのを気にするのに、前髪に手をやることもしない。アスファルトに転がる小石をひたすら蹴り続けて歩いている。人の好い細い目も、ピリピリと鋭い印象にさえ映る。

「平岡さんがどうかしたの?」

「知らない。……っていうか、俺、その人のこと良く知らないし」

 まいちゃんも昨日理科室で平岡さんのことを散々言っていた6組の女子たちのように思っているのだろうか?

 彼女のことを“良く知らない”と言うまいちゃんの声にはフェアな感情の響きはなかった。


「富樫とは1年生の頃から付き合ってると思う。良い子だよ」

 6組では評判悪くてもね。良い子なんだよ。

 ふと、彼女が“ナンセンス”と自嘲的に言っていた昨日のことが頭に浮かんだ。彼女は“良い子”と形容されるのは不本意だろう。

 だけど優等生的な意味だけじゃなく、彼女に感じている好感を形容する言葉が他に見つからなかった。我ながら泣きたくなるほど 語彙(ボキャ)貧だ。


「ふうん。畠中ちゃんまでたぶらかされちゃってるわけね」

 驚いた。

 驚いてまいちゃんの険しい横顔を見つめた。僕の知っている彼かどうか確認したかったから。こんな彼を僕は知らなかったから。

 まいちゃんがこんな毒気のある言い方をするなんて──


 知り合ってから十年くらい経つけど、僕の知ってる彼はそんな人ではない。小学校からの付き合いのまいちゃんの方が僕自身よりも僕を正確に、冷静にとらえているかもしれない。まいちゃんがどう思うかは自由だし、僕は彼と言い争いなんかしたくない。でもやっぱり、彼女のことを噂や憶測で悪く言う人の中に入っていてほしくない。

「そう思ってもいいよ、僕のことは。でもまいちゃんに陰口は似合わないよ」

 こんなことを男同士の間柄で言うのも恥ずかし過ぎてあり得ないけど、少しでもまいちゃんに伝わってほしいと思った。


「……ごめん。俺、嫌な言い方したな。自分がよく知りもしない人のこと陰で酷いこと言うなんて、ホント最低だよな」

 許してくれる? と言ったまいちゃんの顔は、いつもの優しくて少し内気な顔に戻っていてホッとした。

「よかった」

 最低なんかじゃない、まいちゃんは充分いいヤツだよ。


 住宅地の辻から旧道に出ると、車の往来が激しくなり、会話も途切れた。ガードレールと高いフェンスに挟まれた学校沿いの歩道を歩くとずっと向こうに“東高名物”の送りの車が数台停まっていて、その中の赤いカブリオレから丈の短いスカートを履いた華奢な女の子が降りて、サングラスをした運転席の男の人に手を振っていた。白いマスクで小さな顔がすっぽりと覆われてしまっているが、同じクラスの松野さんだ。

「なんかもう、世界が違うって感じだよなぁ」

 まいちゃんが呆気に取られた風に溜め息と一緒に零した。

「昨日、富樫に啖呵切った人だよなぁ? モデルか何か?」

「そこまでは知らないけど、彼氏がモデルらしいって誰かが言ってた──」

 松野さんの姿はとっくに正門の奥に消え、僕とまいちゃんはピカピカの赤いカブリオレの主を素早く盗み見た。

「サングラスで分からないけど、なんか格好良さそうだよな。東高の男子なんか眼中にないのも、富樫なんか熨斗つけてくれてやればいいとか言っちゃう理由も分かる気がするよ」

 まいちゃんは苦笑いした。


「バカらしくなってくるよな」

 まいちゃんの言葉の意味が分からず、少し考えていると、突然横からまいちゃんに首元を羽交い締めされてバランスを崩しかけた。

「畠中ちゃんは変わらないな。なんだかホッとするよ」

「いきなり何だよ? 」

「俺さ、入学するまで“東高名物”のことをちっとも知らなかったから本当に驚いたんだよ。家から一番近い高校なのに、そんな身近な所にこんな異常な光景があるなんて誰が思う?」

 それは僕だって同じだ。まさか自分の一番身近にある公立高校が、彼女を送り迎え迎えする車で渋滞を作ると有名だなんて知りもしなかった。

「東高の男子が女子から殆ど相手にされなくて、しかもさっき見たようなハイスペックな彼氏がいるわけじゃん」

 高そうな車に乗って、高そうな服を着こなして───

「そりゃあどっちが富樫と似合ってるとか次元が低いって言われるよな」

 まいちゃんの中で何かが吹っ切れたのか、黙って聞いている僕に向かって話し続ける。

「確かに“東高名物”に驚いたよ。でも高校生になったら彼女が欲しいとか自分にも彼女が出来るかもなんて期待したわけじゃないんだ」

 僕たちの横を路線バスが通過して行き、正門付近のバス停で停まった。

 始業に間に合うには1〜2本早いからか、中から降りてくるのは1年生ばかりのようだった。

「俺、好きな人いるんだよね」

 まいちゃんの突然の告白と「そうなの?!」と反応した僕の声は停留所を発車するバスのエンジン音に溶けていった。

「1年の時から……。だから、加納さんが物理を選択するって知った時はちょっと嬉しかった。また同じクラスになれるかなぁ、って。よく話し掛けて来てくれる人だし、もう少し親しくなれたらなぁ、って」

 僕の頭の中は固まったプリンを掻き混ぜられたみたいに混乱した。


 いきなりすぎる。寝耳に水すぎる。

 1年の頃から加納さんのことを好きだって意味だよね? そんな話は初めて聞いた。……とはいえ、加納さんという人の存在を知ったのも最近だし、それに何よりまいちゃんと恋バナなんて今までしたことがない。

 あまりに突然で、大きな告白に動揺してしまっているんだ。少し頭を冷静にしないと──

 と、思いつつ───

「あのさ、えっと、まいちゃんはさ、平岡さんのこと印象良くない……わけ、だよね?」

「そのことは、本当にごめん」

「ううん、そうじゃなくて」

 僕がたどたどしく言葉を切ったり繋げたりしてると、今度はまいちゃんが怪訝な顔をした。

「ん……、だから、えっと。平岡さんが加納さんの、なんていうかライバルみたいな立場だから?」

「平たく言うとそんなトコかな。それこそ最低だけど」

「ごめん、伝え方が下手で。責めてるわけじゃないんだ。僕が言いたいのは、まいちゃんは加納さんが好きで──」

「畠中ちゃん、声が大きいよ」

 まいちゃんは顔を真っ赤にして僕を遮った。

 そんなに大きい声を出したつもりはなかったし、元々母さんからも「もっと大きな声で話しなさい」と言われるくらい自他共に認めるレベルで僕の声は張っていない。

 と、思ったら、動揺のあまり気づかなかったが、いつの間にか僕たちは正門を過ぎて校内を歩いていた。

「あ、ごめん」

 周囲を見て慌て謝ると、長い付き合いの中で僕の注意力のなさは承知済みのようで、彼は吹き出していた。今度は僕が恥ずかしさで顔が火照った。

「まいちゃんは加納さんと富樫が付き合ったら良いって思うの? 」

 まいちゃんはそれで良いのだろうか? 加納さんを好きなまいちゃんの気持ちはどうなるんだろう?


「さっきも言ったけど、俺は自分に彼女が出来るとか──今の自分では想像出来ないし、それが加納さんなら……なんて、そんなこと夢にも思えない」

 ニキビを気にして前髪を弄り出したまいちゃんの言葉を聞いて、何故か僕は自分の胸に突き刺さるものを感じた。


 浜島や永田さんのように、別れたほうが平岡さんのためだと考える人もいる。クラスの中にも平岡さんのことを好きな男子はたくさんいて、彼氏がいるとガッカリしていたことは男同士だから知っている。

 昨日の理科室の一件より前にも、今日のまいちゃんが平岡さんのことを言ったみたいに、富樫に対して非難めいた言葉も時々耳にしている。

 その皆が、平岡さんと富樫が別れて自分が富樫の位置に収まりたいと思っているわけではないと思う。自分が好意を持っている子が周りから酷いことを言われ、彼氏は彼氏で誤解を受けるくらい他の女子と親しくしていたら、そんな相手やめとけよ……と思うのも自然なことなんだろう。

 僕も平岡さんが悪く言われているのを聞きたくないと思う。言ってほしくないと思っている。

 平岡さんが傷くのは嫌だ。

 だからと言って、富樫と別れて欲しいと思ってるわけじゃない。大きなお世話だけど彼女を大切にして欲しいと思うばかりだ。

 もし彼女が富樫と別れたとしても、彼女を幸せに出来るのは僕ではない。


 自分のことは棚に上げて、何故まいちゃんは自分じゃダメだと思うんだろう? なんて思ってしまう。

 答えは自分の胸に手を当てるまでもなく分かっているのに、他人のこととなると“自信を持って勇気を出せばいいのに”と思ってしまう。無責任だよな。軽々しいよな。


 昇降口に到達して上履きに履き替えた後は当たり障りなく「そっちは一時限目、なに?」という会話になった。

 そしてすぐにそれぞれの教室へ向かう校舎の端と端の階段の方面へと別れた。

 僕は歩きながらまいちゃんの後ろ姿を振り返った。まいちゃんは気づくことなく普通に進んで行った。

 言えなかったこと───

 平岡さんたちの話しからのまいちゃんの打ち明け話という展開で、何となく後ろめたい後味が残っていた。まいちゃんみたいに好きな人がいるって断言出来る域ではないけど、憧れの女の子がいるって。初めての憧れの──、その人が平岡さんだって言わなかったこと。

 さすがにこんな他の生徒もたくさん行き交う校内で出来る話しじゃないからやめておくけど、いつか話すよ。

 自分からそういうこと話すの得意じゃないし、……というか誰にも言ったことないからタイミング難しいけど。

 でも、もし今度まいちゃんが加納さんのことを話す機会があったら、僕も話すよ。そんなタイミングで話したら恋バナみたいで、ただの憧れだと言っても信じてもらえないかもしれないけど。言葉、下手だし。

 だけど頑張って話すから。必ず。


 最後に振り返り、角の階段に曲がるまいちゃんの後ろ姿に、視線で誓った。

 本当は言いたくないんだけどね。口に出したら余計に意識してしまいそうだし、“僕の気持ちを知る僕以外の人”が身近にいるって言うのも恥ずかしいから。

 それはきっと、まいちゃんも同じだったはずだよね。

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