00 僕は脇役
拙い作品ですが、楽しんで頂けたら嬉しいです。
僕はどんな物語やドラマでも決して主役にはなり得ない脇役。
物語やドラマなんて言うとちょっと大袈裟だけど、もしも身近な誰かの人生や思い出──ある時間やある場面の一部を切り取った──その中に僕がいたとしても、決して主要キャストにはならない…という意味。
当然ながらお遊戯会や学芸会でセリフの付く役になったこともない。いつも“その他大勢”の中に埋れている。それが僕の定位置。
こうして自分の視点で物事を語っていても、スポットライトが当たる主役は他にいて、それを見ている立場のような気がしてしまう。
自分の夢の中でさえ、自分が主役だった覚えが殆どない。怖い夢を見た時も、追いかけられているのは僕ではなく友達だったり、母さんが見ていた二時間ドラマの主人公の人だったり。だから自分の人生の中でも主役になることなんてないような気がしていた。
男三人兄弟の真ん中で、兄と比べると幼少期の写真は半分以下だし、弟と比べると授業参観に費やされた時間は半分以下。それを不満に思ったこともないし、両親の愛情が偏っているなんて気にしたこともなく感傷的になったこともない。
◇◆◇
「相変わらずよね、ここん家」
僕と弟の部屋の入り口に仁王立ちしてふんと鼻を鳴らすのは、イトコの美帆。
父方の叔父の娘で僕と同じ年。
無遠慮にして高圧的なこのイトコが、正直苦手だ。
苦手というより、ちょっと怖い。いや、かなり怖い。
叔父は「息子が三人もいて、娘一人の俺んことより静かとは、……なあ」と苦笑いする。
女系家族の婿に入った叔父は、お酒が入ると決まって僕たち兄弟に発破をかける。娘から“尻に敷かれてる”と揶揄されるほど普段は穏やかなだけに、お酒が入っての言動はテレビドラマにありがちな恐妻家の夫そのものだ。
確かに叔父の言う通り、美帆は利発で口達者で、僕たち兄弟三人合わせても口数も覇気も勝てそうもない。
中学に上がる頃には顔を合わせる機会は減ってきていたものの、今日のような法事の際には避けられない。
こうして心の声では「美帆」と敬称を略させて頂いてはいるが、本人を前にして呼び捨てなんて到底できない。かなり小さい頃は「美帆ちゃん」と呼んでいたらしいが、子供の頃はそうだったとしても今はそんな風に女の子を呼ぶのは気恥ずかしい。僕もそんなお年頃。
会う機会も殆どなくなっているし、会っても僕から話しかけるような用事なんてない。それでも呼びかけなければいけないときは「あのさ」とか「ねえ」と本人に分かるよう話しかけてやり過ごすようにしている。
「男臭くもなければ女っ気もなくて、ある意味ヲタクとかより相当キモいんですけど」
一応この家にも女性はいるので母さんに失礼な気もするけど、この家というより僕たち部屋のことを言っているのだろう。分かっていても、せめて心の中でくらいは揚げ足の一つも取りたくなる。しかし決して口には出すまい。僕は勇者じゃないから。
壁際中央にパーテーション代わりの本棚で軽く間仕切ってある中2の弟進悟と僕の部屋は、兄さんが小学校に入学する時に叔父夫婦から贈られたという科学図鑑や辞書が本棚の大部分を占めている。その他は学校の教科書や資料集で、壁にはメルカトル図法の世界地図と太陽系惑星図のポスターと文字盤だけの丸い掛け時計。
宿題が出来て、寝るのに支障なければそれで充分なのでは…、なんて思いながら僕はバターロールパンを齧って部屋に入れず立ち止まっていた。僕が思ったのとほぼ同時くらいにイライラ顔で美帆が振り向いた。ギリッと奥歯を噛み締めた音まで聞こえて来そうで息を呑んだのも一瞬、叔母の声に救われた。
「美帆、帰るわよ。秀くんも進くんも困ってるじゃない」
「困ってるなら男なんだから自分で“どけよ”って言えばいいじゃない。そんなだから男と認識されないのよ。それとも東高なんか行って女子化しちゃったとか?」
…ドSにもほどがあるんですけど。
「男の子にそんなこと言う性格だから彼氏も出来ないんでしょ? ほら、帰るわよ」
「私は興味ないだけだし、それに女子高だから!」
言い訳を叫ぶ美帆をよそに、僕らに申し訳なさそうに「ごめんね、美帆の部屋だって大して変わらないのよ」と言いながら叔母さんは美帆の背中を押して玄関に促すと、母さんと親族同士のよくある挨拶を交わして帰って行った。
「興味ないとか言ってるけどさ、負け惜しみだよな。あの強烈な性格じゃ、いくら頭良くても男は寄り付かないし」
ベッドの上で胡座をかいていた進悟が脚を崩して枕を蹴った。
「あんなこと言われたら、どんなに近所でも東高にだけは行きたくないって思うね。……秀兄ちゃんには悪いけどさ」
僕の通っている東雲東高は、家から徒歩ででも行ける目と鼻の先にある県立高校。創立から百年以上経っているそこそこ歴史の古い高校で、創設期は女学校だったらしい。
僕たちが生まれる頃には既に共学だったが、創設期からの特色か全校生徒の約七割が女子生徒だ。しかも“東高は可愛い子が多い”と県下でも評判なんだとか。
最近ではちらほらと「東高は校内恋愛禁止なのかと疑うレベルのカップル率が低いらしい」と囁かれ始めているとか。もちろん禁止とは聞いたこともない。
ちなみに“男子生徒の青春の墓場”しても有名だという話しは入学して初めて聞いた。
男子校じゃないため他校からコンパのオファーもなく、他校生たちは口を揃えて「学校内にハイレベルな女子がわんさかいたら紹介なんて必要ないよね」と言うらしい。
そんな風に内情を知らない人たちからは東高の男子は羨ましいと思われるみたいだが、現実はそんなに甘くない。
理由は至極単純。男子の二倍以上も女子がいたら、そこは完全なる強者と弱者の世界。
たとえば、共学になる前の古い舎屋のため更衣室というものはなく、体育の授業の前後の着替えは女子が教室を占拠する。これは学年問わず暗黙の了解になっている。男子は教室の廊下の端で黙って手早く着替えを済ます。不平を零す者もいない。
男女共部の部活動は、部員の男女比にもよるけど、女子が部長を務めるていることが多い。
生徒会役員もほぼ女子生徒。
決して男子を冷遇した結果ではなく、同じ穴の狢というのか──大多数の男子生徒が消極的かまたは受動的だ。
美帆が毒づいたように、男と認識されない男子生徒たちが御眼鏡に適うわけもなく、県下で “可愛い子が多い” と評判の東高女子たちは校外で彼氏を作る子が多いということらしい。
実際、“放課後の東高名物”なるものには本当に度肝を抜かれた。
お金持ち私立校でもなければ女子校でもない、進学校の平均レベルよりやや上にある地方のごくごく普通の共学の公立高校にして、放課後ともなれば校門の前や向かいの路肩にずらりと外車やスポーツカーが長蛇の列をなす異様とも言える光景。
大学生や専門学校生が彼女のお迎え待ちをしているらしい。
車でのお迎え以外にも校門の前で出待ちしている他校の制服姿の男子もかなりの数なのだ。
そうやって多くの女子たちが校内の男子に見向きもせず、学校外の彼氏のもとに駆け寄る姿を複雑な気持ちで指を咥えて見ている──というのが東高男子の立ち位置なんだとか。
東高まで徒歩圏内にありながら、度肝を抜かれるような“放課後の東高名物”を知らなかったのは、中学が逆方向にあったからなんだけど、これを知っていて東高を受験する男子のハートの強さもなかなかのものだと思う。
「草食系男子の巣窟だって友達の姉ちゃんが言ってた。東高に行ったら90%、三年間彼女なし確定だって」
そんな都市伝説まがいな言われ方までされる始末。けど、やっぱり草食系男子の巣窟なんだろうな。進悟の友達のお姉さん、上手いこと言う。もちろん、目立つタイプのいわゆる“肉食系男子”が皆無なわけじゃない。
割合的にはかなり少ないけど、制服を着崩したり髪を染めている男子も普通にいる。彼らもまた、女子には強く出ないし、受動的だけど。
進悟は残念そうに言うけど、女子が強いからといって悪いことばかりでもないと思う。
僕のようにクラスの中で常に“その他大勢”に分類されるようなタイプも多く、中学の頃と比べて格段に居心地が良い。女子が学校の男子に無関心な分、美帆のような怖い女の子に絡まれることもない。
進悟もそういうことに興味ある年なんだなぁ…なんて、暢気に感心していると「まあ秀兄ちゃんは興味ないか」と苦笑される。
「つーか何で東高にしたわけ? 秀兄ちゃんなら余裕で桜ノ宮高校行けたよね? まさか好きな子が東高志望だったとか?」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあどんなんだよ? まあいいか、秀兄ちゃんの人生なんだし」
進悟は手元でブブブと震えた携帯を握りあくびをした。
そう、僕の人生。
どこにも主役にならないからうっかり忘れそうになるけど、一応僕には僕の人生があり、人生を生きる責任もある。
人生の中で───なんて言っちゃうと、それなりの歳月を生きていたみたいで生意気なんだけど───繰り返し訪れる取捨選択。そして何度となく頭に巡る“たら・れば”の数々。
「東高に行ったら」と進悟は言った。誤りの選択の例えとしてネガティブな意味で。そりゃ僕だってここに至るまでネガティブな意味で、こうだったらと思わなかったわけじゃない。
でも今は、東高に来なかったら見えなかった世界もあると思ってる。ややポジティブな意味で。
僕は世間的に分類されるとしたら「暗い」「ヲタク」「そんな人いる?」なんだろうけど、あまり喋らないだけで別に暗いわけじゃないし、特にヲタク趣味もないし、一応存在している──わけなんだけど、小さい頃から“その他大勢”の立ち位置キープは安定しているのではないかと思う。
実際、僕なんて草食系どころか仙人じゃないけど学校内で霞を食べて生きてる断食系男子になるかもしれない。インドアだし打ち込めるものもないから部活も入ってないし友達も少ない。身長だって170cmあるかないかを彷徨ってて胸板も薄っぺらくてゴワゴワの癖っ毛で……自慢出来ない部分を数えたらキリがない。
地道に生きるしか取り柄のない保守派で冴えない地味男子なこんな僕にも一応気になる女の子は、いる。
その子には既に彼氏がいる。彼氏に向けられた笑顔だと分かっていながら、気が付いたらその笑顔に魅入ってしまうようになっていた。
僕視点で繰り広げられる僕の人生のドラマの中では、主役は彼女との彼氏で、僕はきっと語り手。