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「……会長。仕事はどうしたんですか?」
生徒会室に行くと、予想通りというか、橋本会長は哲学部から持ち出した麻雀本を熟読中だった。
「うむ。仕事中の息抜きという奴だよ。それより君たちの方はどうなのかね」
さきいかをつまみながら、悪びれずに会長が聞いてくる。
「えっと……」
綾莉先輩は答えが分かったみたいだけれど、僕にはまだ分からない。
「橋本会長は、カンニングと言ったらどんな方法を思いつきますでしょうか?」
僕が助けを求めるように綾莉先輩に視線を向けると、綾莉先輩は逆に会長へ質問をした。
「事前に、テスト問題と解答を手に入れることだね」
会長の即答に、綾莉先輩がこくりとうなずいた。
えっ、これが正解?
「佐以くんと色々可能性を検討した結果、この方法が残ったのです」
「……あの、そんなこと話していましたっけ」
「いえ」
綾莉先輩は首を横に振って答えた。
「消去法なのです」
……なるほど。
社会科準備室に行ったのは、テスト問題をこっそり入手できるかどうか、探るためだったのか。
僕はよどみなく答えた綾莉先輩の言葉にうなずきつつも、疑問を口にした。
「けれど先輩、さっき社会科準備室を見てきましたが、授業中であれ、放課後であれ、誰かしら教員があの部屋にいると思うんですが、毎回ばれずにしのびこめるものなんでしょうか?」
そもそもテスト問題が、あの乱雑な机のどこにあるか、さっぱり分からなかったけれど。
「佐以くん、そこのパソコンはネット接続できるのでしょうか?」
綾莉先輩は僕の疑問に答えるのではなく、生徒会室を見回したのち、会長の左向かいの席に置かれたノートパソコンを指さして、全く関係ないことを言った。
「はい。出来ますけど……」
生徒会の備品であるノートパソコンはネットに接続できるけれど、アクセス数の少ない学校のホームページの管理と書類作成くらいしか使われていない。橋本会長がネットゲームをしないのが不思議なくらいである。
「そのパソコンを使って、佐以くんにやってもらいたいことがあるのです」
「分かりました」
僕は橋本会長の視線を気にしつつ席に座って、言われたとおりパソコンを立ち上げた。綾莉先輩は座った僕の肩に寄り添うように立ちながら指示を出す。
それに従って、僕は某有名な検索サイトにアクセスする。気づくと、橋本会長も席を立って僕の後ろにいた。女性二人から見つめられて、変な気持ちだ。
「次はどうするんですか?」
「その私も詳しくは分からないのですが、サーバーにデーターを預けて、どこのパソコンからでもアクセスできるサービスがあったと思うのですが」
「あ、はい。たぶんこれですね」
僕はそのサービスをクリックする。間もなくして、ログイン画面に変わる。IDもしくはメールアドレス、それと8桁以上の英数字のパスワードを要求された。
――って、まさか。
僕は振り返って綾莉先輩を見上げる。僕の脳裏に浮かんだことが分かったのか、綾莉先輩は微かに頷いて告げた。
「はい。IDの方は、佐以くんたちが教えてもらった宇佐美先生のアドレスを入力してください」
僕は携帯を取り出し半信半疑で見比べながら入力する。「@」の後に打つ文字は、この検索サイトと同じものだった。入力終了。次はパスワード。僕は再び視線を綾莉先輩に向けた。
「ぱんつだもん、なのです」
「え? 今なんて……」
「PANTSUDAMON、です。『ん』のNはとりあえず一文字で。『つ』はTUかもしれませんが、とりあえずTSUで。それと最後に英数字で2と入力してください」
よどみなく言われて戸惑っている僕に向け、綾莉先輩が続ける。
「宇佐美先生のパソコンでうちわを扇いでいたキャラが登場する、デスクトップにもあったアニメの名前なのです。2というのは現在放送中の作品が続編だからなのです」
言われるままに、僕は「パンツだもん」と恥ずかしい言葉を小さく口で反芻しながら文字を入力し、最後に2、と打って、ログインボタンをクリックした。
『ようこそ、うさうさ、さん』
画面が切り替わって、そう表示された。
僕はおそるおそるファルダを開くと、過去のテスト、そして今作っているであろうテスト問題などの文書ファイルがいくつも見つかった。
「つまり犯人は自分のパソコンから不正アクセスをして、先生が作っている答案を盗み見ていたってことですね」
綾莉先輩がこくりとうなずいた。
準備室で直接問題を盗み見るのは難しい。
学校にあるパソコンは持ち運びできないタイプ。
USBメモリーを使っている様子はない。
メールアドレスは生徒たちに公開済み。
訪ねてきた生徒を前に、見られてはいけないような書類を隠そうともしないでアニメの話をしてしまう、アニメ好きな点と無警戒さ。
種を明かされれば、綾莉先輩の推論は理にかなっていた。
おそらく宇佐美先生は、学校だけでは終わらず帰宅後に自宅で資料を作ることがよくあるのだろう。そのため共有サービスを利用していた。けれど、公開されたフリーメールアドレスの発行元と共有サービス先が同じというのは、セキュリティの面からすると、あまりに稚拙だった。
その事実にたどり着いた一部の生徒が、不正アクセスをして答案を盗み見たのだ。おそらく一度きりじゃなく何度も。
フォルダをぱっと見た限り、中間・期末考査の問題のファイルは見当たらなかった。もしかすると公式なテストは直江先生が作っているのかもしれない。だから、こちらは影響がなかった。
「宇佐美先生は好意でアドレスを公開していたのに、それを悪用されるのは悲しいですね」
「けれども、その生徒にとっては、むしろ勉強になっていたかもしれないのです。テスト中アクセスできるわけではないので、結局は答えを暗記しなくてはいけないので」
ちょっとしたフォローは綾莉先輩の優しさかもしれない。だから、犯人がテスト中、こっそりと解答を書いたメモを隠し持っていた可能性があるということは、考えないでおく。
「なるほどな。専門家なら誰が不正アクセスしていたか犯人の特定できるだろうが、私たちだけでは難しいか。それとなく宇佐美先生には伝えておこう。安易なパスワードか登録メールアドレスを変更すれば、再発は防げる。それで問題ないだろう」
橋本会長の言葉に、綾莉先輩微笑して軽くうなずいた。
「あの……綾莉先輩。じゃあ兵吾も同じことを……」
会長から頼まれた仕事は終了だ。けれど僕にはもう一つの問題があった。兵吾のカンニング疑惑だ。不正アクセスなんて、兵吾らしくないけど、この方法ならネット環境があれば誰でもできる。
「いえ。兵吾くんの場合は、もっと単純なものですよ。たぶん」
不安がる僕の心をなだめるかのように、綾莉先輩はゆっくりと言った。
単純なもの?
考える僕に、綾莉先輩はにこやかに笑って続けた。
「同じ授業でも、クラスによって進行度は違うものです。兵吾くんが言っていましたが、テストの賭けのとき、ほづみさんは先に自分の点を言って兵吾くんに勝負を持ちかけています。つまりテストは佐以くんたちのクラスが先に行ったわけですよね」
「あっ――」
理解した。
不正アクセスなんてする必要はない。
抜き打ちでテストを受けた僕たちと違い、兵吾はほづみに勝負を持ちかけられた時点でテストの存在を知っていた。だから事前に準備もできる。僕のクラスの誰かに頼んで、返ってきた答案を見せてもらえばいいんだから。
ずるいといえばずるいけど、厳密に禁止されているわけではないし、不正行為とは言えないだろう。むしろ対策していない先生の方に問題があると言っても過言ではない。
「そちらの方も注意しなくてはいけませんね」
そう綾莉先輩は微笑んで、ノートパソコンのマウスを動かし、「うさうささん」のページからログアウトした。
「というわけだから。まぁ、かなりグレーゾーンだけれど、一応カンニングって訳じゃないと思うよ」
翌日、朝のホームルーム前の教室で、兵吾に頼まれたとおり、僕の方からほづみに説明をした。あの後、兵吾に電話して問いつめたら、綾莉先輩の予想通り、事前にうちのクラスメイトから問題を聞き出していたことが判明した。
「……まぁ、正直納得はいかないけど、あたしが賭けを持ちかけた時点で不利だったってのは分かったわ」
うー、くそー、とほづみが机に突っ伏した。
これで僕の仕事は終了。
――というわけでは、残念ながらなかった。
「それで、ほづみに聞きたいんだけど」
「ん、なーに?」
ほづみが机に寝そべったまま顎だけ上げる。
僕は周りに聞こえないようこっそり尋ねる。
「賭けって、えっちな賭けだったの?」
「なっ、なにを言ってるのよっ。そんなわけないでしょ! ジュースとか、お昼ご飯一回分とか、そんなもんよっ」
ほづみが過敏に反応して起きあがった。
そーですよね。
「ごめん。解決したお礼に、そこの部分をぜひ聞いてきて報告するように、って綾莉先輩に言われてて……」
興味本位なのか、ほづみの身を気遣ったのか、綾莉先輩の真意は不明なままである。
かなーり軽蔑した目で僕を見ていたほづみだったけれど、綾莉先輩という言葉に反応して、表情が戻った。
「佐以の言う綾莉先輩って、いつかのあの人だよね。部活の先輩から、あの人の噂を聞いたんだけど」
「噂……?」
「うん。美崎先輩っていつも哲学部の部室に一人でいるでしょ? それって、卒業しちゃった部活の先輩のことを偲んでいるらしいよ。部室に行っても会える訳じゃないけど、その思い出に浸っているみたい」
ほづみの言葉に、僕は頭を何か堅いもので殴られたような衝撃を受けた。
「結局、思いを告げられない片思いだったみたいだけどね。なんかロマンチックだよねー。今度部室に言って、いろいろ話してみようかな。気が合ったらメルアド交換したりして」
のんきに話すほづみを前に、僕は、先輩がなぜ部室に一人居るのか理解するとともに、どこか寂しい気持ちに襲われていた。
僕は兵吾の件の報告をするため哲学部に行く前に、生徒会室に寄った。誰もいない生徒会室で部活動の資料を見て確認していると、入り口の扉が開いた。
「ん、上原君か。相変わらずだね」
「あ、会長。ちょうどいいところに。一つ聞きたいことがあるんですが。実は昨日会う前から、橋本会長は、綾莉先輩のことを知っていたんじゃないですか?」
「それは君から報告を受けていたからね」
「いえ、そうじゃなくて……」
僕は部活動の記録を開く。部活動活動報告書ではなく、二年前に提出された哲学部の「部活動創設申請書」である。メンバーは三人。三年生が二人で、二年生が一人。けれど部長はその二年生になっていて、名は橋本隆史と記されていた。
「この人。いつか会長が話していた、来年、二十歳になるお兄さんじゃないですか」
橋本なんて姓は日本中いくらでもいるけれど、僕は何となく確信していた。記録を提出していない部活はたくさんある。その中でなぜ哲学部を指定して僕に調査させようとしたのか。きっと橋本会長と何か関係があるはず。その何か、がこれだと思ったのだ。
「彼女とは直接の会ったことはなかったけどね。向こうにとっても初対面だろう」
会長が小さくうなずいて肯定した。
やっぱり。ほづみの言っていた先輩って、会長のお兄さんだったのだ。
「二年前、兄は部活を引退した三年生の名前を借りて『哲学部』を創立した。別に兄に高尚な思想があるというわけではなく、部の創設と部長という内申書狙いでね。実際、哲学という曖昧な概念をいいことに好き勝手に怠惰に過ごしていたようだ」
「うゎぁ、とっても会長のお兄さんらしいですね」
「うむ。褒め言葉と受け取っておこう。まぁそんなわけだから、翌春になっても部費の申請も新入部員の勧誘もしようとはしなかった。けれどなぜか、一年生の女子が入部した」
それが美崎綾莉先輩(当時は一年生)というわけか。
「綾莉先輩のことをなんて言っていました?」
「ちょっと変わった子がいる、と言っていた。私も興味があったのだが、学校で兄に会うというのはなかなか気恥ずかしいものでね。結局先延ばしにして、昨日に至る、というわけだ」
僕はすぅっと軽く深呼吸して、会長に言った。
「会長。それでは哲学部についての報告をします」
☆☆☆
「いらっしゃい。佐以くん」
狭い部室に今日も綾莉先輩が一人でいた。
ぼけーと何もしていないようだけど、何を考えていたのだろう。
席を勧められた僕は、椅子に座って先輩に尋ねた。
「綾莉先輩って、本を読んだり、携帯電話をいじったりゲームをしたりしないんですか?」
僕は一人でぼーっとするより過ごしやすそうなものを述べた。
「本はたまに読みます。携帯電話は持っていないのです」
「そうですか……」
いまどき携帯電話を持っていない高校生は珍しいと思うけれど、綾莉先輩に限っては、なんとなく納得してしまった。ほづみがアドレス交換云々言っていたけれど、無理な話のようだ。
「他に部員がいなくて、寂しくはないんですか?」
「はい。私一人なのです。去年までは三年生の方が一人いたのですが」
そう話す綾莉先輩の表情は、どこか影が見て取れた。
「あの……ふと耳にしたんですが」
「はい。なんでしょう?」
「綾莉先輩は、その……部活の先輩に恋していたと……その人のことが忘れられなくて、毎日のように放課後部室にいると……」
「はい。本当ですよ」
綾莉先輩はあっさりと肯定した。
「……すみません。無神経なことを聞いてしまって」
「いえ。いいのです」
綾莉先輩は普段と同じように微笑んだ。きっと僕に余計な気を使わせないためだろう。
先輩の想いは尊重したい。助けてくれた恩もある。
とはいえ生徒会の執行部として、部をこのまま放置することはできない。
ならどうするか。
「綾里先輩。僕を哲学部に入部させてください!」
出た結論は単純だった。どちらかを選ぶのではなく、両方選んだのだ。
「入部したら、部員として最低限の活動報告を生徒会に提出します。顧問はメールでの相談ついでに、宇佐美先生に名前だけお借りしました。別に哲学的な活動を強要するつもりはありません。綾莉先輩はいつもどおり、ぼけらぴーしていればいいだけですから!」
思わず熱く語ってしまった。照れくさくて綾莉先輩の顔を直視できない。
それでも、感動している先輩の姿が脳裏に浮かんだ。
「――ということにしているのですから」
けれど僕の耳に届いたのは、いつもと同じ、ぼけーとした口調だった。
「……はい?」
「ですから、片思いをしていた、ということにしているのです。本当はただ静かな部室でぼけらぴーしたいだけなのですが、この趣味をなかなか理解していただけないので、そういう理由にしているのです。そうすると、みんな詮索してくれなくて助かります」
「……マジですか?」
「本当と書いてマジなのです」
僕はがくっと椅子の背もたれに崩れ落ちた。
綾莉先輩が嘘をついているようには見えなかった。
実は言うと、もう手続きはすべて終えてしまっている。今更なかったことにしては宇佐美先生に迷惑かけるし、会長に笑われてしまう。もう後戻りはできない。
「……はぁ」
僕は天井を見て大きく息を吐いた。
早まった。……でも、どこかでほっとしている自分がいた。
きっと、いわゆる、病気の子供がいなかった、ってやつだろう。
綾莉先輩が哀しんでいないのなら、それはそれでいいのかもしれない。
哲学部に入部したのも、橋本兄に惚れていたのではなく、そのなんとも適当な活動内容が、綾莉先輩の感覚にぴったりだったからだろう。
なぜか自然と頬が緩みつつも、さてこれからどうしようと考えている僕に、綾莉先輩が丸い瞳をまっすぐに向けて言った。
「哲学部へようこそ。歓迎します、上原佐以くん」
第二章完結です。
ちょっと長くなってしまいましたが、一話の適正な長さがいまいちつかめません。じっくり読むような話の場合、もう少し長いほうがいいのかなと。
次章はそのあたりも考えてみます。