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「なんか、『悪魔の証明』みたいですね」
綾莉先輩に気を遣ってか、用事があるからと早めに兵吾が出ていった。
僕は開けっ放しの扉を閉めながら、綾莉先輩に向けて言った。
やっていないことの証明というのは、意外と難しい。
「いい方法があるのです」
綾莉先輩が自信満々に言った。
「佐以くんが実際にカンニングを行うのです。そうすれば、カンニングが実行可能であるかどうか、確かめることができます」
「なるほど。……ってなんですかそれはっ?」
「ところで、投書と佐以くんたちのテストに、共通性はあると思いますか?」
スルーされた? ていうか今のは冗談だったのかな。
「そうですね……。投書では二年生と書かれていましたよね。一年生と二年生では必須科目と選択科目の違いがありますし、出題の範囲も違うはずです。ただ共通点をあげるとしたら、どちらも担当教師が同じってところでしょうか。宇佐美先生という若い女性教師です。世界史の担当の教師はもう一人、学年主任の直江先生がいますが、こちらは僕たち以外の一年生のクラス、それと三年の受験生向け授業を受け持っているはずです」
生徒会の仕事をしていると、教師の事情にもそれなりに詳しくなれる。
「そうですか。私は世界史選択ではないので分かりませんが、佐以くんたちが行った小テストはどのようなものでしたか?」
「はい。二十~三十問くらいで、記述・選択方式が混ざっていました。宇佐美先生がパソコンで作ったものだと思います。考査というより、復習の意味合いが深いですね。頻繁に行われ、もう三回目くらいでしょうか。今回は社会科室に移ってテストを行いました」
先輩に説明しながら、状況を思い浮かべていく。
カンニングと言ったら、机の引き出しからそっと教科書やノートをのぞき見て……って方法を思いついたけれど、あの日は筆記用具のみ持参での移動だったので、この手は使えなかった。机に細工を仕込むにしても同様だ。兵吾も移動教室って言っていたし、たぶん状況は同じだろう。
テスト内容はさっき言ったとおりそれなりに難しく、勘やまぐれでカンニングを疑われるような高得点を取れるようなものではなかった。
「佐以くん、カンニングの方法は何があると思いますか?」
僕の考えを読んだかのように綾莉先輩が聞いてきた。
「えっと、ぱっと思い付いたのは机に細工する方法でしたけど、移動教室だったのでそれはできませんね」
「では、他には?」
「そうですね……。単純に隣の人の答案を見るとか」
「それで満点を取ることが可能でしょうか?」
「無理ですね。隣の人の答案が全問正解でないと意味ないですから」
「ええ。そうですね」
少し考えれば分かるような内容だけれど、こうやって実際に口にしながら問答して行くと、思いもよらなかったことが思い付くこともある。悪くないやり方だ。
「佐以くん、テスト時の携帯電話の扱いはどうでしたか?」
「電源を切って机の上に置くように指示がありました」
「こっそり操作することは可能でしたか?」
「難しいと思います。宇佐美先生は前に座っているだけじゃなくて、頻繁に教室内を歩き回っていましたから」
僕が答えると、綾莉先輩はゆっくりと立ち上がって言った。
「分かりました。では。その宇佐美先生のところまで参りましょうか」
僕が部室から出ると、綾莉先輩は部室に鍵をかけずに歩きだした。僕もその後を付いていく。向かう先は職員室ではなく、社会科準備室のようだ。
僕は廊下をしずしずと歩く綾莉先輩に目をやった。僕も男子の中では小さい方だけど、こう並んで立ってみると、綾莉先輩も女性としても小柄の方だということがよく分かる。歩みに合わせて、腰近くまで伸びた黒髪がふわふわと揺れ動く。
ちらちらと先輩の横顔を盗み見しつつ、僕は尋ねた。
「あの、宇佐美先生に直接事情を聞いたら、相談者の隠密に、っていう内容に違反しませんか?」
「それは大丈夫なのです」
綾莉先輩がこともなげに言った。
「宇佐美先生が、あの手紙の相談者ですから」
「え、どうして」
「手紙の文面から、当事者の教師だとすぐ分かりました」
「確かに丁寧な文章でしたけど、僕にだってあれくらいは書けますが……」
僕は歩きながら、胸ポケットに入れてある会長からもらった投書を取り出した。パソコンによる出力なので筆跡は不明。
「ここの文なのです」
綾莉先輩は歩みを止めないまま近づいてきて、ある文面を小さな指で指した。先輩の髪が軽く僕の肩に触れ、少しドキッとした。
「……『生徒や他の先生方に知られないよう』って文のどこが変なんですか」
「もし私や佐以くんが書くとしたら、『他の生徒や先生方に知られないよう』となるはずなのです」
「あっ――。なるほど……」
納得した。確かにこの文はおかしい。他の先生方に、ってことは、他じゃない先生がいるわけで、それが相談者本人なのか。
投書を見た時点でそこまで分かっていたのか、と感心する僕に対して綾莉先輩は自慢することなく、再び前を向いて歩き出す。
それにしても綾莉先輩のことだから、なんとなく先生を部室に呼び出して事情聴取しそうなイメージがあったけれど、さすがに先生に対してそんなことはしないか。
「どうかしましたか?」
僕の視線に気づいたのか、先輩が聞いてきた。
「あ、いや。なんとなく綾莉先輩ってずっと部室にいるイメージだったから……」
すると綾莉先輩はなぜか顔を赤らめて言った。
「佐以くんはひどい人なのです。私に、トイレに行けずにお漏らししろと言うのですね」
「言ってませんってっ! どうしてそうなるんですか」
やっぱり、綾莉先輩ってよく分からない。
けれどいつの間にか、近寄りがたい、という感じはなくなっていた。
社会科準備室は、社会科教室の隣に設置された、社会科教師たちのたまり場である。教師の人数分席があり、各々自らの机を職員室よりも自由に使用している印象だ。
扉の窓から中をのぞき込むと、扉入ってすぐ右側の席に、問題の宇佐美先生がいた。スーツではなく、ティーンの女子が着るようなワンピース姿で童顔だから、ずいぶん幼く見える。
「失礼します」
綾莉先輩が扉を開けて中に入る。僕も後から続く。
「はい。どうしたのかしら?」
入り口から近く、年齢的にも一番若い宇佐美先生が僕たちに対応した。
僕はちらりと綾莉先輩に目をやった。
「はい。佐以くんが先生にお話があるそうなのです」
「えっ、ええっ」
突然の無茶振り。もしかして、さっきの発言の仕返しだろうか。
「あなたは確か、一年四組の上原君ね。どうしたの?」
宇佐美先生が言った。綾莉先輩と接点があるかは知らないけれど、僕の方は覚えてくれていたみたいだ。
とはいえ、なにを話すべきか。
準備室には宇佐美先生以外の先生もちらほら見られる。ストレートにカンニングの話題は不味いだろう。
戸惑った僕は視線を先生の机の上に向けた。
さすがに教師だけあってそれらしい資料や専門書、それに一般生徒が目にしてはいけないような書類も無造作に置かれていた。僕に見られていいようなものじゃなさそうだけど、無防備というかあまり気にしてない感じだ。
これなら作成中のテスト問題を見ることもできるかもしれない。けど、先生を前にしながらすべてを頭に入れるのは、まじめに勉強するより難しいか。
なんて感じで視線をうろつかせていると、一際浮いているものもあった。
「あ、これ? 可愛いでしょ~」
僕の視線に気づいた宇佐美先生が自慢げに言った。
デスクトップ型のパソコンからUSBコードでつながっているのは、アニメっぽい等身の低い女の子キャラの人形だった。それがうちわを扇いでいて、申し訳程度の風が吹いていた。うちわの風が必要な季節ではないけれど、仮に夏だとしてもこの程度では涼を得られないだろう。
「情報漏えいを防ぐため教職員はUSBメモリーの持ち出し持ち込みは禁止されているの。だからこの穴の使い道がなくて、つい買っちゃったの。癒されるわよねぇ」
とのこと。パソコンに目を向けると、スクリーンセーバーも何かのアニメの壁紙になっていた。そういえば、宇佐美先生はアニメ好きで、ペットにもキャラクターの名前を付けているとか、授業中に結構話題に出すことを思い出した。
とまぁ、だからといってアニメの話題を切り出すわけにもいかないし……と僕が押し黙っていると、宇佐美先生は僕の様子に気づいてそっと聞いてきた。
「もしかして、他の人や先生には聞かれたくないことかしら。それなら、後で私宛にメールしてね。アドレス分かるわよね?」
「あ、はい。たぶん登録されています」
宇佐美先生は最初の授業のとき、クラス全員にフリーメールのアドレスを公開して、授業の分からないところから個人的な悩みまで相談に乗る、と言ってくれたのだ。まだ利用したことないけど。
「それでは。お忙しいところ失礼しました」
やり取りを隣で聞いていた綾莉先輩が頭を下げて、社会科準備室の扉を開けた。僕も続くようにして部屋を出た。
「すみません。お役に立てなくて……」
無茶振りされたとはいえ、上手く情報を引き出せなかった自分が情けない。けど綾莉先輩はにこやかに微笑んで言った。
「いえいえ。おかげさまでカンニングの方法が大体分かったのです。ありがとうございます」
「ええっ。本当ですか」
いったいあのやり取りで何が分かったというのか。
「はい。そうですね……。部室に戻る前に、生徒会室に参りましょうか」
驚く僕に対して綾莉先輩はそう言った。