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「突然の来訪失礼。生徒会長の橋本佳織だ」
「はじめまして。哲学部の美崎綾莉と申します」
いったん帰った僕が生徒会長を連れてきても、綾莉先輩は全く動じることなく、席を立って出迎えた。
挨拶を交わす二人の横で、僕は所在なげに立っていた。
「上原君から聞いているよ。なかなか洞察力が鋭いそうじゃないか」
「はぁ……」
綾莉先輩は小首を傾げた後、なぜか僕に顔を向け、真ん丸なお目めを細めて言った。
「鋭いと言われたことがないのでなんだか憧れるのです」
「そうですか」
としか僕には答えようがなかった。
「さて、これから話すことは他言無用にしてもらいたい」
「分かりました。私、こう見えてもお豆腐のように口は堅いのです」
「うむ。それなら安心だな」
「安心なのっ?」
――なにこのやり取り。
「とりあえず、立ち話もなんだから座らせてもらうよ」
橋本会長が綾莉先輩の向かいに座る。僕も横の席に座った。
「生徒会では、生徒たちの悩み・相談を受け付けるため、高校のホームページに掲示板を設置している。メールでの相談も受け付けているし、アナログな人間向けとして、生徒会室前に目安箱を設置して投書による相談を受け付けている。どちらも活用実績はあまり芳しくないがね」
会長の言葉を聞きながら僕はこくこくとうなずいた。
生徒たちから相談を受け付けることは、生徒会の使命である。
だが効果が上がっているかと言えば、そうではない。ネット上の掲示板は放置され、ときどき書きこまれる広告やら卑猥な書き込みを削除する日々。目安箱に至っては、ほとんどゴミ箱扱いである。
「とはいえ、たまにまともな相談ごとが寄せられることもある」
そう言って橋本会長は折り畳まれたA4コピー用紙を広げ、僕たちに見せた。
『日々の業務お疲れ様です。
匿名の投書で申し訳ございません。
突然ですが、二年生の世界史の小テストで、カンニング行為が恒常的に行われている可能性があります。このままだと中間、期末の定期考査にも影響があるかもしれません。
あまり騒ぎになっても困りますので、生徒や他の先生方に知られないよう、再発を防止できませんでしょうか。
勝手な言い分ですが、宜しくお願いいたします。
それでは。失礼します』
「これって一大事じゃないですか」
僕は思わず叫んでしまった。
カンニングは違法行為。許されるものではない。
「まぁテストといっても、ここに書いてある通りなら小テストだ。得点の如何によって成績が大きく上下するものではないだろう」
会長が冷静な口調で僕を制す。
「それはそうですが……」
僕は少し落ち着きを取り戻して、会長に質問する。
「……これが狂言、いたずらだという可能性は?」
冷静になって考えてみれば、今までの経験上、その可能性の方が高い。
「どうかな。私も選択で世界史の授業を受けているが、クラスでカンニングの話題があがったことはない」
「じゃあやっぱり……」
「だが、いたずらの可能性があるからと無視するのはよくないだろう。これが事実で、中間・期末の考査で行われたら、君の言うとおり一大事だからな」
橋本会長は立ち上がって部室の中を散策しながら話を続ける。
「ここに書いてあるように相談主も、そして私も事を荒立てたくないのでな。なるべく穏便に済ませたいのだよ。そのため、生徒会長が堂々と調査に動くのは宜しくない」
会長ははめ込みの本棚の前で立ち止まって一冊の本を取り出した。古ぼけたその本のタイトルは『麻雀の勝負哲学』
まぁ、一応「哲学」ってタイトルが付いているけど……
「そこで上原君と美崎さんにお願いに来たのだ。この事件を調査して、これが事実なら原因を突き止め、再発を防止してほしい」
「えっと、僕はいいですけど……」
僕はちらりと綾莉先輩の顔をうかがう。僕は生徒会執行部の一員だし、こういう仕事も嫌いじゃない。けど綾莉先輩は関係ないし……
「はい。分かりました」
けれど綾莉先輩があっさりと承諾した。
「うむ。助かる。私も他の仕事で忙しいのでな。それでは失礼するよ」
そう言うと、会長は自然な流れで部室を出ていった。麻雀本を持って。
っておい。
ふと気づくと自然な流れで綾莉先輩と二人きりになってしまった。
一応会長が言っていたように、僕を哲学部に連れていくための口実にもなっていたけれど、単純に仕事を押しつけて逃げられただけの気もする。
影の裏方仕事は嫌いじゃないんだけど、綾莉先輩と二人きりというのは少し緊張する。
会長が出ていったドアから先輩に目を向けると、彼女はじっと僕の顔を見ていた。
「ど、どうしました?」
「どうして私に機密情報を打ち明けてまで、事件のことを話したのかと思いまして」
そりゃごもっともだ。多少機転が利くというか鋭いからといって、生徒会執行委員である僕はともかく、綾莉先輩はまったく関係ないし。
「もしかして橋本会長は、私がカンニング事件の黒幕で事件の尾を引いていると疑って、あえてカマをかけに来たのでしょうか? 黒幕、意外とあこがれる響きなのです」
先輩の目はどことなく輝いていた。
「いや、それはないですから。それより綾莉先輩こそ、どうしてこんな面倒事を引き受けたんですか?」
まさか本当に黒幕ってことはないだろうけど。
「それはもちろん、生徒会の佐以くんに目を付けられておりますので、生徒会長に媚を売ってイメージアップ大作戦なのです」
「……そうですか」
綾莉先輩って、ぼーっとしているようで意外としたたかだ。
「というわけで、私はぼけらぴーしながら佐以くんの調査を応援しておりますので頑張ってください」
「媚はどこに行ったんですかっ」
と突っ込んだ途端、僕の携帯が鳴った。出て行った橋本会長からかなと思ったけれど違った。画面には「米沢兵吾」と表示されていた。
――なんだろう。いやな予感がする。
向かいの先輩に目で断って、電話に出る。
「佐以。ちょっと面倒ごとがあってさ。相談に乗ってくれないか?」
通話ボタンを押すなり、兵吾が懇願してきた。
「ごめん。悪いけど、今たてこんでいるんだ」
頼まれごとを受けるのは好きだけど、今は会長から与えられた仕事を優先しなくてはならない。――ていうか、前にもこんな会話あったよね?
けれど兵吾はあっさり無視して話を続ける。
「そこをなんとか。下手すれば、俺の高校生活に関わるんだ」
僕はちらりと綾莉先輩に目を向ける。
通話内容を察したのか、綾莉先輩は頭の上に、手で大きく「○」を作った。問題ないということだろう。
仕方ない。とっとと用件はすませてしまおう。
「分かったよ。今、四階の哲学部の部室にいるから。早く来てね」
「サンキュー。助かるぜ」
通話が切れた。僕が携帯をしまうのを見て、綾莉先輩がすくっと立ち上がった。
「それでは私はこっそりと隠れていますので」
そう言って、入り口側の端にある掃除用具入れに向かった。
「って、ちょっと待った」
「はい。何ですか?」
掃除用具入れの扉を開けて先輩が振り返った。やっぱり入るつもりだったのか。
「一緒に聞いていていいですから」
「いいのですか? しかし男性同士の秘密の会話に混ざってしまっては、下ネタも言いにくいでしょうし」
「言うつもりありませんから!」
そんなやりとりをしていると、部室の外に人の気配がして、ノックもなしに扉が開けられた。開けたのはもちろん兵吾である。
「あ、悪い。もしかして……お邪魔だったか?」
「……それ、どういう意味?」
ロッカー前で押し問答している僕たちを見て、変な勘違いをしているのだろうか。男女が同じ部屋にいるだけでそう連想するとは、視野が狭すぎる。ちらりと視線を綾莉先輩に向けたけど、特に気にした様子はないようだ。
「どうぞどうぞ。わたしはロッカーさんの隣でぼけらぴーとしていますので」
「……というわけだから、手短にお願いね」
予想外の人物がいて兵吾は少し戸惑った様子だったけれど、僕が席に着くと兵吾も向かいの席に腰を下ろして話を始めた。
「この前、世界史の時間に小テストがあったじゃん」
はて? どこかで聞いたような話題だけれど。
「うん。意外と難しかったよね」
「で、そのテストで俺は九十点を取ったんだけど、そしたら、ほづみにカンニングしたと疑われて困っている」
僕はロッカーの隣に立っている綾莉先輩に目を向けたが、話を聞いている様子はなく、彼女の表情に変化は見られなかった。
「よし分かった。職員室にいこうか。運よく停学で済めばいいな」
「ちょっと待て。何か勘違いをしてないか」
「していない。兵吾がそんな点を取れるとは思わないし」
僕だって七十五点だったのに、あり得ない。
「実はそのテストで、上の得点をとった方が勝ちって、ほづみと賭けをしていたんだ。だから必死こいて勉強したんだって」
「それって、えっちな賭けですか?」
ずっと黙っていた綾莉先輩が急に聞いてきた。
「え? いや、違いますけど」
「そうですか。それは残念なのです」
それっきり、またロッカーの横でお人形のようにぼけーっとしている。
聞いていたのか――ってそれ以前に、残念って……?
兵吾の話によると、賭けを持ちかけたのはほづみからで「あたしは四十五点だったから、兵吾だったら三十点は切るわね。へへん」みたいな流れから、勝負に持ち上がったとのこと。
「とにかく、俺はカンニングなんてしていない。試験は社会科室で行われたから机に細工だってできないだろ。そもそも俺にそんな面倒くさそうなことできると思うか?」
「うーん。それはまぁ……」
謎の説得力である。
「そこんところを、ほづみにじっくりと分からせてほしいんだ。俺から言っても言い訳くさくて聞いてくれないし。このままだと俺がカンニングしたって周りに言い触らしそうだし。だから、この間みたいにうまく頼む」
ずいっと身体を寄せてくる兵吾から逃げるように、僕は椅子の背もたれに体重を預け、ため息をついた。
――なかなか厄介な問題を引き受けてしまったのかもしれない。