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スカートをバックに入れたまま部室に戻ると、中で待っていた綾莉先輩は右手に裁縫針を持ってじっと見つめていた。初めて見たとき思わず見とれてしまった綾莉先輩の綺麗な瞳が、焦点の合っていない変顔になっている。
「……何してるんですか?」
「二つに分かれる針をできるだけ遠くに離そうとしていたのです」
「はぁ。そうですか」
突っ込むのも面倒なので僕はトートバックを先輩の前の机に置いた。隣には先輩が手にしている針が入っていたであろう裁縫セットが置かれていた。
「お疲れ様でした。はい。これをお返しします」
バックの中を確認した綾莉先輩は素直に携帯電話を返してくれた。
「もういいんですか?」
「はい。兵吾くんとはちゃんとお話しましたので。それでは、ぱぱっとやってしまいましょう~」
どう聞いても「ぱぱっと」ではない口調で先輩はバックの中からスカートを取り出し、裏返しにした。そして針と、裁縫セットから取り出したはさみを使って、何やらスカートをいじり始めた。
「あの、何をしているんですか?」
「見ての通りなのです」
綾莉先輩はそう答えながら手を動かす。意外にも手際はよさそうだ。何やっているのかわからないので、手際がいいのか、いまいち自信ないけど。
「でもいいんですか。こんなことして……」
スカートのすその部分がほつれているように見えるのは気のせいだろうか。
「大丈夫なのです。ちゃんと直しますから」
先輩は紺色の糸を針に通してスカートを縫う。先述したとおり制服は濃いグレーなので糸がやや目立つうえ、縫い方も雑だ。どうやら、わざと縫い目をほどいてまた縫い直しているように見えるけど。
「――はい。できました」
先輩が僕に見えるようにスカートを広げた。
一見すると、どこも問題ない。
けどじっくり見ると、やはり先輩が縫い直した部分が目に付く。周りの人からの視線はごまかすことはできるかもしれないが、着用するとき本人が気づきそうだ。
先輩がゆっくりと説明する。
「ほづみさんのスカートの裾がほつれていることに兵吾くんは気づいた。ほづみさんや友人たちは気づいていない様子だけど、気づいてしまった兵吾くんは妙に気になってしまう。しかし本人に向かってスカートのことを指摘するのは気恥ずかしい。そこで兵吾くんは体育の時間、こっそりと教室に侵入し、そのほつれを直そうとしたのです」
「……はい?」
「つまり、そういう設定にして言い訳する、ということです」
聞き返す僕に、綾莉先輩が事もなげに答えた。
なるほど。糸の色が合っていないのと縫い方が雑なのは、兵吾がやったと見せかけるためワザとしたのか。なにげに上手くヒダの裏側を通っているので見られて恥ずかしいというレベルではないし、糸を替えれば簡単に修正できそうだ。
――などと思わずスカートを手にとって眺めてしまったけれど、急にほづみのスカートだということを思い出して恥ずかしくなる。
軽く咳払いをして、スカートを机の上に置いて、僕は先輩に尋ねた。
「でも本当にこれでほづみは納得するんですか? かなりこじ付けくさいし、実際全くの嘘ですけど」
「はい。こじ付けですし、嘘ですよ」
先輩はあっさりと肯定した。予想外の返答に言葉を失っている僕に向けて、先輩が言葉を続ける。
「ほづみさんが兵吾くんの行動を目撃した時は、確かに一瞬頭にきたかもしれません。けれど、好きな人が自分の身につけているものに興味を持つことは、決して悪い気はしないものなのですよ」
「はぁ……」
「ただし、あくまでそういう人もいるということですので、実践して嫌われても責任は持たないのです」
「そうですか」
綾莉先輩はどっちなのだろうかとぼんやり考えて――聞き捨てならない台詞があったことに気づく。
「って、今、『好きな人』って言いませんでした?」
「はい。言いましたよ」
僕は絶句した。
信じられない。兵吾がほづみのことを好きなのに驚いたのに、まさかの両思いとは。
「……根拠はあるんですか?」
「はい。まずは、ほづみさんが『怒った』ということです。どうでもいい人や嫌っている人がその行為をしていたら、軽蔑するか避けるものです。怒るとは愛情の裏返しなのです」
「まぁ確かにそんな話は聞きますけど……」
「次にほづみさんが部活中にも関わらず、私のところまできたということです。見知らぬ女性から兵吾くんの話があると聞かされて、気になったに違いありません」
確かに兵吾の名前を出した途端、来るって言っていたことを思い出した。
「事実、ほづみさんは部屋に入って私のことを見定めしました。まずは私の顔を見て微妙な表情をし、私の髪の毛を見て苦い顔をして、そして私の胸を見て勝ったという顔になりました」
――女って、怖い。
初対面の一瞬の間にそれだけの攻防(?)があったとは。ていうか綾莉先輩は確かにほづみに比べて控えめな胸の膨らみをしているけど、気にしているのだろうか。
まぁそれはさておき、先輩がほづみを呼んだ目的が、ほづみの反応を見るためだけだったのなら、挨拶だけで話を終わらせたのは納得である。
「さらに私の予想通りほづみさんの着替えはいつも通り教室に置いてありました。六限が体育だったのでそのまま着替えずにホームルームを受けたのかもしれませんが、制服を部室に持っていくことはしなかったのです」
「さすがに直後にもう一度ってのはないって考えたんじゃないですか?」
「それもあるかもしれません。けど本当の理由は、いつもと違う行動をとりたくなかったからではないでしょうか」
先輩がまっすぐに見つめてくる。
「違った行動をとれば、友人が不審に思ってほづみさんに尋ねるでしょう。ほづみさんは大事にしたくなかった。ですので普段どおりの行動をとったのです」
「兵吾をかばったってことですか……?」
信じられないという表情の僕を見て、先輩が軽く微笑んでうなずいた。
「……でも明らかに怒りは隠せてなくて、周りから不審がられてたようですけど」
「まぁ、それはそれとして」
綾莉先輩が苦笑する。
「佐以くんが言ったとおり、怒りは収まらない。でも元通りの関係に戻りたい。そんな微妙な乙女心のほづみさんに対し、たとえ兵吾くんがジャンピング土下座を見せても、逆効果でしょう。そこでこのようなこじつけを用意したのです。ほづみさんはきっかけを探していたので、ばればれだと思いますが、きっと騙されたふりをしてくれるはずです」
先輩はよどみなく説明を終えると、じっと僕の顔をみつめた。
「さて、佐以くんにはもう一仕事してもらいたいのです」
「分かりました。このスカートをほづみの席に戻してくるんですよね?」
先輩は満足そうにうなずいた。
「はい。このバックは懸賞でいただいたものなので、そのまま佐以くんに差し上げます。もしくはスカートを入れたまま机に置きっぱなしでも良いですよ。そうすれば佐以くんも安心ですし、ほづみさんもスカートに何らかの仕掛けがされたことに気づきやすいでしょう。休み時間はほづみさんに見つかってしまったので放課後改めて縫い直した、という設定にすれば問題ないのです」
「はい」
僕はトートバックを受け取って立ち上がった。廊下に出て部室の扉を閉めたところで、中から先輩の声がした。
「それでは。私はもう帰りますので、佐以くんも帰っていいですよ。一階から四階まで往復するのは大変でしょうし」
「あ、はい。お疲れ様です」
僕は扉越しに挨拶をして、階段に向かって歩き出した。
階段をゆっくり下りながら、僕は右手に持つトートバックに目をやった。別にほづみのスカートを見たいとか触れたいとかそういうわけではなくて、トートバックの方だ。綾莉先輩はあんなこと言っていたけれど、やっぱりバックは返した方がいい気がする。けれどスカートを取り出すところを誰かに見られてしまったら大変だし……
そうこう考えているうちに、一年四組の教室についてしまった。幸いまだ人はいなかった。そろそろ部活動が終わるところもあるし、のんびりしていると誰か戻ってきてしまう。スカートを置くなら急いだ方がいい。
僕はほづみの机の前に立つと、結局、トートバックからスカートを取り出して机の上に置いた。あとは素早く立ち去るだけ。……だったんだけど。
「ほう。君にこのような趣味があるとは意外だったな」
誰もいないはずの教室で声がして僕は飛び上がった。振り返ると教室の入り口のところに女子生徒が一人立っていた。女子にしては長身で、すらりとした身体にポニーテールが揺れている。
「は、橋本会長……」
しかもよりにもよって、その人物は橋本会長だった。
「えっと……その、なぜここに……?」
「うむ。廊下を歩いていたら、たまたま君が女のもののバックを持って階段を下りているのを見つけてな、こっそりと後をつけてきたのだが」
うわぁ。
「さて実に興味深い状況だね。スカートを盗み去るのなら分かるが、戻すというのはどういうことかな? 使用済み? それとも、そこの彼女は君の家にスカートを置き忘れるような間柄なのかな?」
「違いますって!」
「うむ。ならば弁明を聞こうか」
橋本会長が近くの椅子に座って話を促してきた。いつ誰かが戻ってくるか分からないというのに。きっと、その状況も含めて絶対楽しんでいるに違いない。
とはいえ僕に拒否権はないので、綾莉先輩との出来事を手早く洗いざらい説明した。
「なるほど。その綾莉先輩とやらはなかなか面白い人のようだね。うむ。実に興味深い」
話を聞き終えた橋本会長が上機嫌そうに笑った。
「はい。何て言うか、不思議な人でしたね……」
「――いや。興味深いのは君の方だよ」
橋本会長は意味深に僕を見てにやりとした。
「綾莉先輩が言う、ほづみ君の恋心とそれによるスカートの細工への対応予測は、物的証拠に乏しく憶測に頼り過ぎで信用できない、――と普段の上原君なら、言うだろうと思ってね」
「それは……」
確かに、橋本会長の言うとおりだ。
僕は気づかないうちに、綾莉先輩のペースに乗せられてしまっていたのだろうか。
僕はゆっくりかみしめながら、どこか他人事のようにつぶやいた。
「……本当に、どうしてでしょうね」
☆☆☆
「昨日のアレ、あたしの勘違いだったみたい。ごめんね。変なこと言って」
翌日。僕に会うなり、ほづみはそう言った。彼女の様子はいつもと変わらず、普通に友達とも談笑していて、もう怒っている様子は見られなかった。
彼女が、綾莉先輩の言う「騙されたフリ」をしているのか、本気で兵吾の行為に納得しているのかは分からない。けれどほづみの様子を見ている限り、それを聞くのは野暮だと思われた。じろじろ見ることはできないけど、穿いているスカートにも違和感は見当たらなかった。
兵吾からも感謝のメールが来た。どうやらうまくいった様子である。メールに綾莉先輩のことは記されていなかった。きっと先輩は僕の提案ということで兵吾に話したのだろう。
これで兵吾の依頼は完了だ。
さっそく今日の昼食を兵吾におごってもらったし、これからしばらくは食費が浮きそうだった。
さて、今日はどうしようか。
放課後。いつものように生徒会室に向かおうとした僕は足を止めた。
少し先にある階段に目を向けながら、昨日の橋本会長の言葉が頭に思い浮かぶ。
いつもの僕らしくない、か。
確かに、頭の固い僕にこんな考え方はできただろうか。
まじめに生きてきた僕にとって、綾莉先輩は不思議な人だった。
「生徒会室に行く前に、まずは昨日のお礼を言いに行くべきだよな。トートバックも返さないといけないしね。うん。それに、橋本会長に言われた部活動問題もあるし」
僕はそう小さく呟いて、哲学部のある四階に向けて階段をさらに上った。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
これで一章が終了です。
だいたいこんな感じの推理にもなっていないような話、この後も続いていきます。
よろしくお願いします。