2
「悪いな。急に押しかけて」
兵吾とは中一の時に知り合って以来の親友だ。結構いい加減なところがあるけれど、決して悪いやつではない。
むしろそういう自分にはない部分を持っているからか、兵吾とは妙に気が合う間柄だ。まぁ悪友ってやつかな。
軽く染められた、やや長めの茶髪に黒縁の眼鏡。高校に入ってからイメチェンしたようだけど、本人には悪いがあまり似合っていない。
「まぁいつものことだから別にいいよ。ただ、部活調査の最中だから、手短にお願いするよ」
綾莉先輩のことを悟られないように気を使いつつ、僕はいつも通りの調子を保ったまま、椅子に座った。
「分かった。それじゃ単刀直入に言うが――」
兵吾は向かいの席に座り、身を乗り出すようにして続けた。
「うん」
「ほづみのスカートをくんくんしているところを、ほづみに見られた」
「くんくん?」
何かパンダの名称のような言葉が聞こえた気がする。
「まぁあれだな。匂いを嗅ぐことだ。別の言い回しだと『スースーはーはー』か」
「うん。よく分かった。とりあえず、兵吾はいったん死んだ方がいいよ」
はい。相談終了。
「何いってるんだよっ。気になる女の子のリコーダー舐めるみたいに、基本だろ!」
「小学生かっ?」
「まぁ聞けって」
そう前置きして、兵吾が話し出した。
今日の五限と六限は三・四組合同で体育の授業が行われた。僕と兵吾のクラスである。別に珍6しいことではなく、時間割通りの授業である。
前にも述べたが、わが川嵜高校は創立が昭和中期の学校で設備も古く、更衣室というものはプールの脇にしかない。そのため普通の体育の場合、男子は三組で、女子は四組の教室に移動して着替えるという不文律がある。つまり体育の授業中、女子の制服は四組に置かれているのだ。おそらく僕の机にも三組の女子の誰かが制服を置いているはずである。
事件は五限と六限の間の休み時間に起こった。トイレに行った帰り、兵吾はふと四組の教室をのぞき見て進入。吸い寄せられるようにほづみのスカートを手にとって顔に近づけていたところを、なんかの用事で教室に戻ってきたほづみに目撃された。以上。
「全面的に兵吾が悪いじゃんっ」
「まぁそれはさておき――」
「さておくな!」
「分かってる! 全面的に俺が悪い! あくまで一時的な気の迷いで、今は超反省している!」
兵吾ががばっと頭を下げる。
「……まぁ兵吾が反省しているのは分かったけど、謝る相手が違うんじゃない?」
「もちろんホームルームの後、ほづみの所に謝りに行ったんだけど、凄え目で睨まれて話も聞いてもらえなかったんだ。だからせめて幼馴染の佐以からフォローしてくれれば、何とかなるんじゃないかなって」
「フォローって……」
「頼むよ。もちろん、俺もどうしたらいいか考えるからさ。ほら一人より二人ってな」
やばいな。居つくつもりか。
僕はちらりと視線を掃除用具入れに向けた。あの中には先輩がいる。いくら華奢な身体だからといって、長時間狭い用具入れに入れておくのは忍びない。
とにかく兵吾を追い払わないと。
「わかったわかった。後は僕が何とか考えておくから。兵吾は早く帰ったほうがいいよ。もしほづみに見つかったら、殺されちゃうかもしれないでしょ」
「そ、それもそうだな。わかった。後は頼んだっ」
僕がちょっと脅しただけで、兵吾はあっさりと逃げ帰った。
さすがに殺されることはないだろうけど、それほどほづみが怖かったのだろうか。
「……ふぅ」
嵐が過ぎ去って、僕はため息をついた。
仕事を引き受けるのは好きだけど、これは犯罪に荷担するようなものではないだろうか。追い払うためとはいえ、安請け合いしてしまったことを後悔した。
「もういいですよ」
思いっきり聞かれただろうなぁ、などと思いつつロッカーの中の先輩に向けて話しかける。
「あかないのです」
どんどんという音とともに、ロッカーが綺麗な音色で返事をした。
どうやら強く内から閉めすぎたんだろう。
僕は慌てずにゆっくり立ち上がると、ロッカーの元に歩み寄り、外からぎゅっと扉を引っ張って開けた。
すると、中にいた先輩が僕の胸に飛び込むような格好でロッカーから抜け出してきた。柔らかな髪の毛がふわりと舞い、掃除用具入れのすれた臭いとともに、甘いシャンプーの香りが漂った。
「ああ、出られました。ありがとうございます」
ほんの一瞬、柄にもなくどきまぎしてしまった僕の気持ちを知ってか知らずか、先輩はマイペースに頭を下げた。
「いえ、こちらこそすいません。先輩をロッカーに押しやって、まったく関係ない話をしてしまって」
「いえいえ。ほうきさんとモップさんの気持ちが分かり、よい経験をさせていただきました」
「そうですか……」
「そうなのです。ありがとうございました」
「……どうもいたしまして」
つられてお辞儀してしまいそうになる。どうもペースが狂うな。
「ところで、さきほどのお話ですが……兵吾くんとほづみさんのご関係をお尋ねしたいのです」
やっぱり聞いていたのか。
椅子に座って促す綾莉先輩。仕方ないので僕も隣に座って説明する。
といっても複雑な話でも何でもない。僕、上原佐以と、哀れな被害者の瀬戸ほづみは幼稚園からの幼馴染であり、容疑者――ていうか犯人の米沢兵吾は、中学からの付き合いである。そして兵吾とほづみは僕を通して知り合った、という関係だ。以上。
それにしても、兵吾が衣服の匂いを嗅ぐほどほづみに気があるとは気づかなかった。
一通り話し終えると、先輩はにっこり微笑んで言った。
「ありがとうございました。大体分かりました。私の予想通りなら、何とかなりそうですね」
「えっ? 本当ですか……?」
あっさりとそう言う綾里先輩に、僕は思わず聞き返してしまう。兵吾が全面的に悪いのにどうフォローすればよいのか、僕には見当もつかない。まぁ単純に、兵吾に焼き土下座でもさせればいいかもしれないけど。
「そうですね。せっかくですから、ほづみさんをお呼びしたらどうですか?」
綾莉先輩が天気の話でもするかのように気楽に提案した。
「えっ? またロッカーの中に隠れるんですか?」
「いえいえ。今回は普通にお話ということで。二年生の美崎綾莉という先輩が米沢兵吾くんのことでお話がある、とでも伝えてくだされば、来てくれると思いますよ」
「今の時間ですと、ほづみはおそらく部活中ですが」
「少しお話しするだけなのです」
「……分かりました。呼びに行ってみます」
まぁ雑用には慣れているので、呼びに行く行為自体は苦ではない。
「ついでに、ほづみさんの制服が教室に置かれているかどうか、見てきてもらえますか」
「え? あ、はい。分かりました」
僕はうなずいて部室を出た。
ほづみはテニス部に所属している。部活中だし携帯は繋がらないだろうから、グラウンドまで歩かなくてはならない。
階段を下りて昇降口に向かう。その途中、一年四組の教室の前を通る。人気はなく、運動部の連中の着替えや鞄などが机の上に乗っているだけだった。
綾莉先輩に言われたとおり、ほづみの席に目をやると、鞄と一緒に、いつものようにセーラー服とスカートが折りたたまれて置かれていた。もっとも教室の机に制服を置いていくのはほづみに限ったことではなく、ほかの女子の制服もちらほら見られる。当然男子も同様だ。
部室があるといっても一年だと使いにくいし、教室が一階だから着替えをここで済ます生徒は多い。女子の着替えスキルはたいしたもので、男子がいても下着を晒すことなく平然と着替えてしまう。それに男子がじろじろ見ようものなら変態扱いされるので、じっくり見ることもできない。うまい社会システムだと思う。
とはいえ、あんなことされたばかりなのにそのまま置いてあるということは、案外、兵吾が恐れているほど気にしていないのかもしれない。
そんな楽観的な思いが頭によぎった。
「うりゃっ! おりゃぁぁ! 死ねやこりゃぁ!!」
前言撤回。
テニス部のコートに来て目に入ったのは、鬼気迫る表情でサーブ練習をしているほづみの姿だった。あまりの迫力に先輩方も引いている。
近くにいた子にほづみを呼んできてほしいと伝えると、ほづみが練習を中断してやってきた。
「ん? 佐以じゃない。どーしたの。珍しいね」
ほづみが軽く額の汗をぬぐった。テニス部とはいえ試合ではないので、服装はスコートではなく、普通のジャージ姿だ。ショートカットが似合う活発で明るい性格で、男女問わず好かれている人柄をしている。
それだけに、さっきのあれは、幼馴染としてもちょっと怖かった……
「哲学部の美崎綾莉先輩って人がほづみと話がしたいって……」
一応僕の前ではいつもと変わらない態度を取っているけれど、先程のアレを見てしまうと、少し引いてしまう。
とにかく、僕は先輩に言われたとおりの言葉を伝えた。
「哲学部? そんなのあったんだ。けど今は、部活中よ」
「……兵吾のことで話をしたいらしいんだけど」
ほづみの顔色が変わった。兵吾の話題が出たからだろうか。
「分かったわ。でも……」
部活中だし……と、ほづみがちらりと顔をコートの方に向けると、聞き耳を立てていた部員たちがどうぞどうぞという顔をしていた。やっぱり怖かったに違いない。
当のほづみはその対応に不満げだったけれど、おかげでほづみを連れ出すことができた。
部室に向かう間、ほづみはほとんど無言だ。あまり空気がよくない。部室がある四階が遠い。
「ねぇ。佐以と美崎先輩ってどういう関係なの?」
「まぁ生徒会の用事で……」
「ふぅん」
それっきり。しばらくぱたぱたと無言で階段を上る。
「じゃ、じゃあ、その先輩と兵吾の関係――」
「ふぅ、ようやく着いた。ん? で何?」
「いや。なんでもないっ」
ほづみは慌てた様子でぷいと顔を背けた。
その態度を疑問に思いつつ、僕は扉を開けてほづみを中に招き入れた。
先輩は立ったまま僕たちを待っていた。部室の扉が開いた拍子に風が入り、先輩の髪の毛と制服を軽く揺らす。
「瀬戸ほづみさんですね。お呼びして申し訳ございませんでした」
「別に良いんですけど。で、何のようですか?」
「今日はいい天気ですね」
「そうですね……」
それっきり。先輩は口を閉じて、にっこり微笑みながら視線を僕によこした。
え? もしかしてそれだけ?
さすがにほづみも不満げだ。仕方ないので僕が話題を続ける。
「で、兵吾とスカートのことなんだけど……」
「ああ、あれ? やっぱり兵吾に何か言われたのね。どんなこと言ったか知らないけど。あたしのスカートを顔の近くに持ってきて何かやってたのは事実だから。あー。むかつくっ。変態。もう口も聞いてやらないんだからっ」
怒りの形相でぽきぽきを指を鳴らす。もし近くにラケットがあったら、またボールが犠牲になっていたかもしれない。
「それじゃ部活に戻るから。もういいですよね?」
ほづみは綾莉先輩の返事を待たずに部室の扉に手をかけた。
「もしかしたら、兵吾くんの行動には、何か別の理由があったのかもしれませんよ」
「――失礼しました」
先輩の言葉に耳を傾けつつも、答えることなくほづみはやや乱暴に扉を閉め、部室を出て行った。事件を掘り起こして怒りを増幅させてしまったかもしれない。女子テニス部の皆様に悪いことをしてしまった。ごめんなさい。
懺悔を終えて、僕は綾莉先輩に向き直った。
穏やかな笑みを浮かべている表情から、何を考えているのかうかがい知ることはできない。
「佐以くん、ほづみさんの制服はどこにありましたか?」
「普通に机の上にありましたが……」
そう答えると、綾莉先輩は満足げにうなずいた。
「それでは佐以くん。携帯電話を貸して頂けますか? 兵吾くんと少々お話したいので」
「はぁ……いいですけど。何を話すんですか」
兵吾の番号を表示させて、綾莉先輩に携帯を渡す。
「それは内緒なのです」
女性の敵としてお叱りでも受けるのだろうか。それは大いに結構である。ここは先輩として、女性として、がつんと言ってもらいたいところだ。
「その間、佐以くんには一仕事してもらいたいのです」
「いいですよ。何ですか?」
いつもの癖で即答した。兵吾のためになればいい。
「それでは、ほづみさんのスカートを持ってきてください」
……は?
「あ、すみません。よく聞こえなかったんですけど」
「それは申し訳ございませんでした。今度は大声で言いますので」
綾莉先輩は軽く背筋をそらすと大きく「すーはー」と深呼吸して大声を――
「すみません。ごめんなさい。聞こえていました! ほづみの制服を取って来い、なんて耳を疑うようなこと言うので」
「はい。言いましたよ」
綾莉先輩がにこやかな表情のまま平然と告げる。
「ほづみさんはこれからまだ部活でしょう。教室に制服置いてあるのなら、簡単に持ち出せると思うのです」
「確かに可能かもしれませんが、無理です。ていうか嫌ですっ!」
断固として反対すると、先輩は困った様子で頬に手を当てた。
そしてしばらくして何か名案を思いついたのか、目を輝かせると、手に持った僕の携帯電話を後ろ手に隠すように持って言った。
「この携帯電話は、ほづみさんのスカートと交換なのです」
「子供ですかっ」
「大丈夫です。ほづみさんに見つかっても便乗犯としてむしろ怒りは兵吾くんに向きます」
「……ほづみに見つかったらそれで良いかもしれません。けど他の女子や男子生徒、教員に見つかったらどうするんですか?」
「えーと」
考えた様子の先輩が両手のこぶしを胸の前で握って言った。
「がんばれ男の子♪」
「知るかっ」
「これから兵吾くんと秘密のお話をしますので、部外者さんは出て行ってください」
「無視ですかっ?」
奮闘むなしくのらりくらりと綾莉先輩にかわされ、結局僕は部室を追い出されてしまった。仕方ないので、言われた通り一年四組の教室に向かう。
兵吾のように匂いを嗅いだり、盗んだりするわけではない。あくまで先輩に言われて一時的に借りるだけだ。そう心に言い聞かせながら、僕は教室の前に立った。
都合のいいことに、教室にはさっきと同様人気はない。廊下側から二列目真ん中のほづみの机の上に、変わらず制服が置いてある。ここ一年四組は僕の教室でもある。自分の教室に入るのに理由などない。
そう頭の中で念じながら、忘れ物を取りに来たふりをしながら教室に入り、さりげなくほづみの机に近づく。
ええいっ!
意を決して、僕は綾莉先輩が用意してくれたトートバックにすばやくブツを押し込んだ。そして逃げるように教室を飛び出した。
「……ふぅ」
廊下を見渡す。人は誰もいなかった。思った以上にあっさりとミッションを終えることができて、ほっとすると同時に、緊張して損した気分にもなった。
誰も人がいないのを確認しつつ、僕はバックの中に手を伸ばした。視線はあくまで廊下に向けたまま、戦利品に触れる。思ったより薄くて少しざらざらした感触。悪くない。
「――って、何やってるんだ、僕は?」
思わず声に出てしまった独り言と行為に恥じつつ、僕は急ぎ足で、先輩の待つ部室に向かった。
どこで区切るか迷った結果、少し長くなってしまいました。