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「ふぅん。川嵜高校の生徒さんね」
「はい。生徒会の仕事をやっています」
おばさん改め、万引きGメンの女性に、僕はそう答えた。
通りすがりの少年よりは、少しは信頼おける人物であることを示すため、あえて生徒会の名前をあげて名乗った。後になって、学校に迷惑をかけてしまうかもしれない、って思ったけれど、もう遅い。どっちみち、さとみちゃんの無実を証明すれば問題ない。
賑やかだった売り場から一転して、僕は静かな事務所の一角にいた。個室ではなく、事務所の端に衝立で仕切られた応接間である。ソファだし机もそれなりに立派だけれど、さすがにお茶は出てこなかった。
「……あなたと彼女の関係は分かったわ。早速だけど、彼女に白状するよう説得してくれるかしら? このままだと、警察に連絡しないといけないわ」
「ですから、さとみちゃん――彼女は取っていない、って言っているじゃないですか」
当のさとみちゃんは、衝立の向こうの席で、店長さんと話している。
あのとき、思わず店を飛び出した僕に対し、さとみちゃんは救いを求めるような瞳を向けた。けれど、僕は一瞬でも疑うようなまなざしをしてしまったのだろう。僕の表情を見て、さとみちゃんは明らかにショックを受けた顔をしていた。
それを見て僕は猛省するとともに、さとみちゃんが無実であると確信した。
「上原せんぱい……」
「大丈夫だから」
ついさっき、炎天下で会ったときのヒマワリのような笑顔はどこへやら、今にも泣きそうな顔をしている涙目のさとみちゃんをはげました。
僕はその場で身分を明かし、さとみちゃんと一緒にスーパーの二階にある事務所へと連れて行かれた。一緒に無実を証明してみせようと思ったんだけど、別々にされてしまい、今に至る。
「じゃあ、彼女のバックに入っていた商品はどう説明するのかしら?」
「別のお店で買ったとか?」
「それならすぐに言うはずだけれど、彼女はそんなこと一言も話していないわ」
「なら、例えば偶然入ったとか。商品棚にぶつかって、バックの中に落ちて気付かないこともあるでしょう」
「残念だけど、その商品は陳列棚の一番下にあるのよ。落ちて入るなんてありえないわ」
「では貴女は、さとみちゃんが実際に商品を盗むところを目撃したのですか?」
「いいえ。でも彼女は明らかに不審だったわ。何も買わずにふらふらと店内を回っていて」
それは否定できない。僕自身疑問に思ったから。
「不審に思ってこっそりと近づいたら、彼女のバックの中にうちの商品が入っていた、というわけよ」
「その商品を、さとみちゃん以外の誰かが入れたとか」
「誰か、って誰かしら? 動機は?」
「それは……」
あくまで推測を口にしただけで、そこまでわからない。いたずら目的? けれどさとみちゃんが狙われる理由は? 人に恨まれるようなことをしているとは思えない。通りすがりの愉快犯の可能性もあるけれど、それをどうやって証明するというのか。
「彼女と話をさせてもらうことはできますか」
「説得してくれるならいいけれど、口裏合わせされるのは面倒ね」
にべもない。このままだとらちが明かない。
さとみちゃんは大分参っているようだったし、このままだと、やってもいないのに認めかねない。こうやってえん罪が生まれてしまうのだ。
そのとき、衝立がどんと鈍い音を立てた。
「すみません。重たくてついぶつかってしまったのです」
「せ、先輩っ」
衝立の横から顔を出したのは綾莉先輩だった。カレー材料他色々入ったビニール製の買い物袋を両手に持ちながら、ふらふら立っていた。
やばっ、先輩のことをすっかり忘れていた。
「すみません……つい夢中になって、すっかり先輩を放ったらかしにして……」
「いえいえ。こちらこそ遅くなってしまいました」
綾莉先輩は律儀に頭を下げる。
「――まさか、レジで頂いた買い物袋に卑劣な罠が仕掛けられているとは思わず、時間がかかってしまったのです」
「……卑劣な罠?」
先輩は真剣なまなざしで続ける。
「スーパーを甘く見ておりました。夏休みだからといって、手のお手入れを怠っていた罰があたってしまったと反省しております」
「……ああ。ビニール袋がくっ付いていて、開かなかったんですね」
「ちょっと、ここは部外者以外立ち入り禁止よ」
のんきに会話を続ける僕たちに、おばさんが苛立ち気に言った。
けれど綾莉先輩は臆することなく、いつものペースで話す。
「はじめまして。美崎綾莉と申します。お店の方に事情をお話してご案内してもらいました。ちなみに、そちらの佐以くんとは『部』内者なのです」
綾莉先輩とのやり取りが聞こえたのか、隣にいた店長が顔を出す。その後ろに隠れるようにさとみちゃんの姿も見えた。
「で、その部内者さんが、何の御用かしら?」
「先程のお話ですが、佐以くんの言う通り、知らない間にお菓子がバックの中に入る可能性があるのです」
「落ちる可能性はないって言ったでしょ。まさか地面に這っていたとでも?」
「いえ。別の方が入れたのです。ぽいっと」
あまりにあっさりとした答えに皆が言葉を発さない間に、綾莉先輩は続ける。
「スーパーはとっても魅力的なところなのです。ビギナーの私はついつい目移りしてしまい、欲しい物をぽいぽいかごに入れて、佐以くんに、子供っぽいと怒られてしまったのです」
「だからなに?」
おばさんは苛立ち気だ。
「私は子供と一緒の思考なのです。子供っぽい私だから気付いたのです」
なんかやけに子供を強調するな。……もしかして根に持っているのだろうか。
――いや、そうじゃなくてっ。
「もしかして、子供……?」
僕の言葉に、綾莉先輩はこくりとうなずいた。
「でも子供が入れたとして、何でこの子にそんな悪戯を……」
店長がさとみちゃんを見て疑問を口にする。
さとみちゃんは子供にいたずらされる覚えはないと首を振る。
「いや、いたんですよ。さとみちゃんと似たようなトートバックを持った若い女の人が。その人は子供連れでした!」
僕は興奮を抑えつつ説明する。
「その子は母親が買い物をしている間、一人で店内を歩き回り、めぼしいお菓子を見つけた。けれど勝手にかごに入れて怒られたことがあったんでしょう。そこでこっそりと母親のバックに直接入れる方法を思いついたんです」
「……ところが母親とそこの彼女を間違えたってこと? そんなことあるかしら」
「その子の母親は短めのスカートを穿いていました。さとみちゃんみたいに」
僕が根拠を力説する。なぜかおばさんと綾莉先輩の視線が痛かった。当のさとみちゃんはきょとんとしているけれど。
「と、とにかく、背の小さい子供の視点で考えれば、短いスカートと手に持ったバックを見て、さとみちゃんと母親を勘違いしてしまうことはあり得ます」
これならつじつまも合う。
「うーん、でも普通、入れた後すぐ勘違いに気付きそうなものだけれどねぇ」
今まで黙って聞いていた店長さんが口を出す。
「入れたところを見つかっては怒られてしまうのです。ですので、お子さんは入れた後すぐ離れたのでしょう」
「そのおかげで、入れられたさとみちゃんは気付かなかった。けれど女の子の方も、自分の勘違いに気付かなかった……と」
綾莉先輩の言葉をつなげる。満足げに先輩がこくりと頷いた。
「ヒット&アウエィ方式なのです。今思えば、私もその方式を取り入れていれば、佐以くんに怒られずに済んだと後悔している所なのです」
いやいや。のんびり屋さんの先輩がやっても、きっとバレバレなだけですから。
「だからって、まさかそんなことが……」
「すみません。念のため確認させていただきます」
未だ納得しないおばさんを尻目に、店長が机に置かれている電話で内線をかけた。
大丈夫。あとはまだあの親子が帰っていないことを祈るのみだ。
さとみちゃんも祈るような面持ちで電話に耳を傾けていた。
結論から言うと、まさに綾莉先輩の言った通りの結果だった。
幸運なことに、例の母娘があっさりと見つかった。そして女の子があっさりと犯行を認めたため、話はスムーズに進んだ。女の子は母親のバックに入れたはずのお菓子が入っていなくて不思議がっていた。綾莉先輩の想像通り、母親と勘違いしてお菓子をぽいっと入れた後、ばれるのが怖くていったん逃げ出したようで、それでさとみちゃんと母親の違いに気づかなかったようだ。
ただそれからが大変だった。店長とおばさんは当然のように平謝り。女の子の母親も平謝り。さらにはスーパーのエリアマネージャーから社長まで呼び出されて謝罪されそうな勢いで、抜け出すのに苦労した。
「上原せんぱい、美崎先輩、本当にありがとうございました!」
ようやく太陽の下に出たところで、さとみちゃんがぺこりと頭を下げた。
「いや。たいしたことしてないよ。それより、どうしてスーパーにいたの? てっきり学校に行ったと思ってたんだけど……」
まるで、僕たちの後を付けてきたみたいだった。きょろきょろと誰かを探していたようだったし。文化祭の準備は自主的なものだから、別に学校に行かなくてもいいんだけど。
「えっと……それは」
なぜかさとみちゃんは、綾莉先輩をちらちらみながら言いよどむ。
すると僕の隣に立つ綾利先輩が、今は僕が持っている買い物袋の中をあさって、何かを取り出した。
「これなのです」
綾莉先輩が出したのは、一枚の用紙と例のカレー粉の箱だった。
「スーパーの張り紙にありました。ただいま絶賛メーカーキャンペーン中なのです」
それは、特定の商品についているマークを集めて専用の用紙に貼って送ると、豪華景品が当たるというものだった。それを見て思いだす。あ、そっか。あのときの主婦の人が、このカレーを大量に購入したのは、このキャンペーンが要因だったのかもしれない。
「はっ、はい。そうなんですっ。袋についているマークを集めると景品がもらえるからつい……学校近くのコンビにでも見つからなくって」
なるほど。確かにさとみちゃんが買ったお菓子も同じメーカーだった。
「というわけで、これをプレゼントなのです」
綾莉先輩が、かなり苦戦しつつカレーの箱のマークを外してさとみちゃんに渡した。さとみちゃんが「わぁ、ありがとうございます」と悦びの声をあげた。
「それじゃ。今日は本当にありがとうございましたっ。失礼します」
さとみちゃんは大切そうにそれを受け取ると、駆けるように去っていった。生徒会の仕事が待っているからだろう。
「良かったですね」
「彼女にとって、これで良かったか分かりませんが……」
綾莉先輩が複雑な顔で、駆けていくさとみちゃんではなく、僕を見て言った。
「そうですよねぇ。あくまで抽選券だし、景品が当たるとは限りませんからね」
僕が同意すると、なぜかため息をつかれた。
☆☆☆
だいぶ西日よりになったとはいえ、まだまだ強い日差しの中、僕と綾莉先輩は、車通りのほとんどない閑静な住宅街を並んで歩く。成り行きで持っていた両手の重い買い物袋を先輩に渡すのがためらわれたので、そのまま荷物持ちをしているのだった。
「佐以くん。ありがとうございました。このあたりで大丈夫なのです」
「あ、はい」
僕は何気なく視線をあたりに向けた。この近くに先輩の家があるのだろうか。
「そこを曲がって大通りに出るとバス停があって、そこから図書館へと行けるのです」
僕の手から買い物袋を取って、袋の重さに少しよろけながら先輩が言った。
「あ、どうも」
そういう意味だったのか。
「あの、大丈夫ですか? よかったら家の前まで持って行きましょうか?」
「いえ。大丈夫なのです。それでは。本日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
綾莉先輩はいったん袋を片手でまとめて持つと、麦藁帽子を取って小さく頭を下げた。
「いや、大したことじゃ……それじゃまた学校で」
重さに耐えきれなくなったのか、すぐに帽子をかぶり直すと、ビニール袋を両手に持ちかえて、もう僕に背を向けて歩き出していた。
どこか雛の旅立ちを見送るような感じで先輩の後姿を眺めてから、僕もバス停に向けて歩き出した。
漫画やアニメだと、このあと家に招かれて手料理を……って展開が待っているけど、現実とはこんなものだ。今家には先輩一人しかいないんだし、無理を言って家に押しかけたら警戒されるかもしれない。
『えっちだと思うから、えっちなんです』
不意にさとみちゃんの言葉が思い浮かんだ。
――いやいや、もちろん、変なことなんて考えていないけど。
僕は首を振って、頭に浮かんださとみちゃんの言葉を振り払った。
バスが来るのはもう少し先のようだった。




