1
以前公募に出した作品を改稿したものです。
二日に一度くらいのペースで更新していく予定です。
1、
扉を開けたまま、僕は茫然と立ち尽くしてしまった。
部室は教室を廊下側から縦に切り取ったような縦長の空間で、教室にあるような机が三つ向かい合わせに置かれていた。その机の奥に長い黒髪の女子生徒が一人、窓際に椅子を寄せて外を眺めていた。
腰まで伸びる髪はしっとりというより軽やかで、窓から風が入るとふわりと舞う。そのたびに華奢な肩が露わになる。小柄な体格で腰は折れそうなほど細い。
昭和中期に創立された我が川嵜高校は歴史があるといえば聞こえがいいけど、正直校舎や制服は古臭い。限りなく黒に近いグレーの上下に、白いセーラーカラーと胸元のリボンという地味なセーラー服は、着る側の女子だけでなく見る側の男子からも不評である。
けれどその制服を身にまとった彼女を見ると、まるで伝統あるお嬢様学校の生徒のような錯覚を起こしてしまった。
「あら?」
侵入者に気づいた彼女が少し驚いた様子で、僕に顔を向けた。正面から見た顔も整っていて、うっすら紅がかかった白い肌に黒い瞳がよく映える。
見とれていた僕は我に返って慌てて口を開いた。
「失礼しました。ノックしたんですけど返事がなかったんで……」
一年生の僕に対し、目の前の女生徒はどう見ても一年生には見えなかった。となれば先輩だろう。初対面の先輩に対して失礼なことをしてしまったと反省する。
けれど彼女は気分を害した様子もなく、にっこりと微笑んで言った。
「そうですか。それは失礼しました。ぼけらぴーしておりましたので、気づかなかったのです」
「……ぼ、ぼけらぴ?」
「ぼけーとするの比較級なのです」
自信満々というか、さも当然といった様子で説明された。
冗談なのだろうか? それともちょっと変わった人なのだろうか。
とりあえず、話を繋げてみる。
「比較級ということは最上級もあるんですか?」
「いくらぼけーとすることが好きな私でも、そこまでぼけぼけではないのです」
ぷうっとした膨れ顔で言われてしまった。
どうやら機嫌を損ねてしまったようである。訳が分からない。
頭が混乱する中、僕はここに来た経緯を思い浮かべた。
☆
「橋本会長。また競馬ですか? 他にする仕事があるんじゃないですか?」
さかのぼること、十数分前。一大イベントである文化祭も終わった生徒会室はしんとしていた。無駄に雑多な部屋にいるのは橋本生徒会長と僕だけで、他のメンバーは誰もいなかった。――まぁいつものことなんだけどね。
僕は散らばった資料を持ち上げて言った。
「そもそも未成年は競馬は禁止のはずです」
「私はただ競馬新聞を読んで勝ち馬を予想しているだけだよ。父に予想を伝え、当たったら多少の小遣いをいただいているがね」
「あまり褒められた行為ではありませんね」
「心配は要らない。来年になれば、兄が二十歳を越えるので、彼に私の所持金を渡して馬券を買わせるつもりだ。払戻金を手元に収めていたとしても、それは兄が競馬をしているだけじゃないかな」
「余計悪いです」
会長は後ろ髪をまとめて縛ったポニーテールをかきあげて、ため息をついた。
「……細かいね、君は」
「ええ。そういう性格なので」
最初は美人で切れ者の生徒会長というイメージがあって緊張していたけれど、何ヶ月も一緒に仕事をしていれば慣れてくる。会長も僕の性格は分かっているので、面倒くさそうに口を開く。
「……今日は集会の予定はないのだが」
「なにか相談事が持ち込まれるかもしれないじゃないですか」
生徒会の運営は選挙で選ばれた役員と、各クラスの学級委員長が行う。僕は一年四組の委員長をやっているため、生徒会執行部の一員でもある。
学園生活をより良くするため仕事はいくらでもあるはずだ。することがなくても掃除くらいはできる。だから僕は今、会長の机の上に溜まった書類を勝手に整理している。処理するべき書類・保存するべき書類・処分してもよい書類と分けていく。広げられた競馬新聞は大変邪魔なのである。
橋本会長があからさまにため息をついた。
けれど急に何かを思いついたのか、にやりした笑顔を作って、僕に言った。
「では。君に仕事を与えよう。たぶん君のような人間にはぴったりの仕事だよ」
☆
そうだ。僕は仕事に来たのだ。
目の前の美少女に気を取られていた僕は本来の目的を思い出した。
一呼吸おいて、ゆっくりと口を開いた。
「僕は一年四組の上原佐以といいます。生徒会の仕事で部活動の調査にやってきました」
おどおどしない。威圧的にもならない。相手のペースに巻き込まれず、あくまで事務的に用件を伝える。
「それはお疲れ様です。私は美崎綾莉。二年生です。名字も名前のような響きで、あまり変わらないので、綾莉と呼んでください。佐以くん」
「はぁ……」
「それで何の御用でしょうか?」
「失礼ですが、哲学部の方ですか」
問いかけに、綾莉先輩はこくりとうなずいた。
「先ほども言いましたけど、部活動の実地調査です。この哲学部の活動実績が生徒会に上がってこないので」
「特に悪いことはしていないのですけどねぇ」
「残念ですが『何もしていない』ことが問題なんですよ」
何となく古くさい部名だけど、哲学部が創部されたのは記録によれば、わずか二年前である。創部に携わった当事者はもう卒業しており申請されていた顧問の先生も転勤されてる。
創部の申請以降の記録は生徒会に何も残っていない。部費の申請もなかったため、特に問題視されることなく放置されていたようだ。
調べてみると、うちの高校にはこのような部活が多かった。
活動実績のない哲学部だけど、本館四階という好立地に部室を持っており、そこを空けたままにしておくのはもったいない。そこで部室の実地調査をする。それが会長から僕に与えられた仕事だった。どうせ部室は無人で、誰もいない部屋で活動記録を探すことになるのだろうと考えていたけど、部員がいて、少し混乱してしまった。
「とにかく……」
主導権を握るべく会話を続けようとしたとき、ポケットに入った携帯電話が震えた。マナーモードにしておいたのだが、僕の反応を見て綾莉先輩は気づいたようで「どうぞ」という視線をよこした。
仕方なく携帯を取り出して発信者を確認する。「米沢兵吾」。一年三組の生徒で、中学校のときからよくつるんでいた友達の一人だ。
「佐以。やばいことが起きた。助けてくれ」
通話ボタンを押すなり、兵吾が懇願してきた。
「ごめん。悪いけど、今立てこんでいるんだ」
頼まれごとを受けるのは好きだけど、今は会長から与えられた仕事を優先しなくてはならない。
けれど兵吾はあっさり無視して話を続ける。
「直接会って話がしたいんだ。生徒会室に行ったら、哲学部とやらの部室にいるって言われてさ。今、そっちいくから」
「ちょと待っ――」
すでに通話は切れていた。
携帯電話を片手に僕が呆然としていると、窓際の椅子に座って様子を見ていた先輩がすくっと立ち上がった。
「分かりました。それでは私はこっそりと隠れていますので」
そう言うと先輩は入り口側の端にある掃除用具入れに向かった。扉を開けて、最近に使われたようには見えないモップとほうきを取り出して脇に置き、華奢な身体をロッカーの中に潜り込ませた。
「あ、あの……」
「掃除用具入れは喋らないのです」
ぱたんと内側から扉を閉められた。
どうする?
日に二度も混乱するのは高校に入ってから初めてだ。
とりあえず部屋から移動するか? けど無人の部室のロッカーの中にずっと綾莉先輩が入っていたらどうしよう。
などと考えているうちに、目の前の部室の扉がノックもなしに横にスライドした。開けたのは予想通り兵吾だった。
当初は意識していなかったのですが、今読み返すと、米澤穂信先生の影響が色濃く出ていて、少し恥ずかしかったです。