第一幕 リコリス
とある学園でのことです。
今日もひとりの女の子が自分の教室の自分の机で本を読んでいました。
背丈は九歳という年齢にしてはすこし低めで、半袖で過ごせるような春真っ盛りの陽気であるというのに、制服の上からカーディガンを羽織っています。青白く透き通ってしまいそうな肌は女の子があまり丈夫でないことを物語っています。
緩やかな癖のある長い髪には、鮮やかな紫色のレースのリボンがあしらわれていました。
丘の上に立つ学園の窓からは、すぐそばにある丈の低い茂みと遠くには海が見ます。女の子は窓際の日当たりのいい特等席で読書を楽しんでいました。
左手にある窓を10センチほど開け放ち、燻る紅茶の香りを楽しむかのようにして春の暖かな陽気を浴びながら。
女の子は、穏やかな春の風が髪をゆらして頬をくすぐるたびに、外に目をやって緑色に光るしげみが揺れるのを眺めました。そして、優しい目をしてにこりと微笑みます。
そんな彼女のもとにある集団が近づいてきました。どうやら同じ学年の女の子たちのようです。中には同じクラスの女の子もいます。
「ねえ、よろしいかしら」
女の子たちの中の一番えらそうにしてる娘が、本を読む女の子に話しかけます。本を読む女の子の知らない別のクラスの娘でした。くるくると巻いた豊かな髪は濡れたようにしなやかで、顔は陶でできた人形のように美しいです。いかにもお嬢様風のその女の子はほかの娘たちを従えるようにして胸をぴっとはって本を読む女の子の前に立ちます。
「……ん?」
本を読む女の子は偉そうな女の子の顔をじっと見た後、首を傾げました。
本を読む女の子はえらそうな女の子のことをみて、かわいい娘だなと思いました。きれいな髪。それを惹きたてる赤いリボン。ととのった顔立ち。背丈はわたしと同じくらい。
きっとクラスの中でも中心的な娘なんだろうなと本を読む女の子は思います。でも…、なんでわたしに話しかけたんだろう?同時にそうも思いました。
えらそうな女の子はそよぐ風に乱れる髪を片手で整えながら話を続けます。
「あなた、いつもこの時間ひとりね?本ばっかり読んで。友達はどこにいらっしゃりますの? 」
容姿に似合わない大人びた態度で、嘲笑するかのようにそう言いました。少女の目はすでに、返ってくる答えとそれに対しての言葉が映っているかのようでした。
本を読む女の子は開いたままの本をゆびさして、
「ここ」
そして窓の外で揺れる茂みをさして、
「と、あそこ」
と、ぽつりぽつりと答えました。唐突に自己紹介をさせられて、本を読む女の子はえらそうな女の子が何を云いたいのかわかりません。
えらそうな女の子は絵本で読むお嬢様みたいに高らかに笑いました。
「ふふふ。本が友達なんておかしな娘。どうせ友達なんていないんでしょ?あなたいつもひとりだものね。さびしくないの?友達がいないから本とおともだち?笑っちゃうわ。ものとなんて友達になれるはずないじゃないですの。本はしゃべれないし、一緒に遊んでもくれないんですのよ」
えらそうな女の子は、まくし立てるようにしてそういったあと、
「でも、わたしたちがいっしょにあそんであげてもよくってよ? 」
そういって本を読む女の子にゆっくりとその白くて小さな手を差し伸べました。
それはまるで、捨てられた子猫を拾うよい家柄のお嬢様のように見えて慈悲深く。それでいて自己満足にあふれていました。
本を読む女の子はじっとその手を見つめると、すこし間を置いてまた本に目を移します。
「べつにいい」
「なっ! 」
えらそうな女の子は眉根をよせて、信じられないといったふうな顔をします。
「なんで!?なんでですの?ひとりでいるのがそんなにたのしい?せっかくわたくしが友達になって差し上げるといっているのに、それをことわりますの?」
本を読む女の子は本に目を落としたまま一言ぽつりと、しかしはっきりといいました。
「ちがう」
と。
本を読む女の子は本に落としていた目をえらそうな女の子の方に向けました。
そのひとみは静かな湖のように澄んでいました。えらそうな女の子は物怖じしてしまいます。
「あなたと友達になりたくないわけじゃない。あなたは友達をばかにした」
「どっ…どこにその友達がいるっていうんですの。本は何も出来ないって……」
本を読んでいた女の子は本をパタンと閉じて落ち着いた声で話します。
「本はしゃべれないし、一緒に遊んでもくれない。でもわたしにたくさんのことを教えてくれる。不思議なことやたのしいこと、かなしいこと。たくさん。たくさん。なによりいい暇つぶしあいてになってくれるわ」
えらそうな女の子は鼻で笑います。
「詭弁ですわ。どちらにせよあなたには人の友達なんていない。だって、毎日この時間にここを通りますけど、あなたはいつもひとり。今だってひとりじゃないですの」
えらそうな女の子は興奮気味に言いました。
教室は静寂に包まれます。えらそうな女の子は思いました。
すこしひどいことを言ってしまっただろうか?
ひどい言葉に憤慨しつかみかかってくるだろうか?
それとも目の前の少女は悲しみに顔をゆがめるだろうか?
いつの間にか雲に隠されていた太陽が顔を出して教室を再び陽だまりに変えたとき、本を読んでいた女の子はにっこりと微笑みました。
えらそうな女の子は動揺します。しかし、その笑みが自分に向けられたものでないと気がつくのにそう長くはかかりませんでした。
「ひな~。お花摘んできたよー。いやあ、やっぱしあのしげみは危険がいっぱいだよ。ひなには危険すぎる! さっきカエルがぴよーんってさぁ…ん? 」
ろうかの方から元気な女の子の声が聞こえてきました。
元気な女の子は女の子たちに囲まれているひなに気がついて表情を曇らせました。そして、のしのしと、カニが前に向かって歩くみたいにして腕まくりしながら近づいてきます。
「やややっ! ヘイヘイ、お嬢さん方。わたしのひなを大所帯で囲んでなんだいなんだい? ひなをいじめたりしたらあたしがゆるさないんだからねっ!」
まるで太陽を隠していた雲を吹き散らした暖かな西風みたいに、元気な女の子はひなを取り囲む女の子たちを遠ざけていきます。
ヒナと呼ばれた女の子は愛しいものをみるようにしてもう一度元気な女の子ににっこりと微笑んでからいいます。
「ちがうの。レン。この人たちは私をあそびに誘ってくれたの」
元気な女の子__レンと呼ばれた彼女は引き締めた表情を和らげてひなと顔を見合わせた後、えらそうな女の子に言いました。
「へぇーっ。ふぅーん。……そ。ありがと。」
えらそうな女の子はレンがなぜ自分に感謝するのか理解できませんでした。
「となりのクラスのキョウカさんだっけ?この子しゃべるのあんまし得意じゃないからさっ。でも、これからも仲良くしてね! よかったらわたしとも。あっ…でも、そとに誘っちゃだめだよ。この子からだ弱くてあんまり外とか出られないからっ」
レンは人差しゆびをたてて、腰に手を当てながらいいます。
「えっ…あっ…」
そんなレンの姿を見てキョウカは気がつきました。ひなと呼ばれた目の前にいる少女が外の茂みの方をゆび差したときに、みどりといっしょにゆれる小さなひとかげに。
ひなは動揺するキョウカにいいます。
「わたしはいつもひとりぼっちだわ。この時間もほかの多くの時間も。でもわたしにだって友達はいる。数は少ないけどみんなつながってるの。だから、暇なときにあいてをしてくれる本だってわたしの大切な友達よ。わたしはひとり。でも、レンをいつもとなりに感じることができるからさびしくない。一人だけどひとり(孤独)ではないわ。あなたはどう? 大切な友達はいる? その横にいる娘達はしゃべれるし、いっしょに遊んでくれるでしょうね。でも大切なことを教えてくれる?不思議なことやたのしいこと、悲しいことを教えてくれる? 病弱な友達のために外の世界を運んできてくれる? 」
「……なっ……」
ひなの言葉にキョウカはなにも反論できませんでした。ひなは続けます。
「たぶんしてくれないと思うわ。あなたの横にいるのはお人形さんだもの。クラスを回って集めてきたのね。でもそれはお友達? お人形さんは物よ? ものなんて友達になれるはずないじゃないの。友達ができないからお人形とお友達(お人形遊び)?笑っちゃう」
「ちがう! 」
キョウカは背中に奔る冷たいものを感じて、ただ叫びます。
今立っている場所が陽だまりであることを忘れさせてしまうようなその悪寒は、キョウカの内側から湧き出すようにして自由を奪って生きます。
反論する言葉が見つかったから叫んだというわけではありませんでした。ただ、聞くのが我慢できなくなったのです。そして、血の気のうせた顔でキッとひなのことをにらみます。それが彼女にとって精一杯でした。
「ちがうくない。だって、あなたがこまっているのにさっきから彼女たちは何もしないわよ。言い返してこないし、そこに立っているだけ。あなたの 友達 を馬鹿にするわけじゃないけど。その もの はあなたの友達? 」
キョウカは後ろを振り向くのが怖くなりました。
みんながどんな顔をしているのか、どんな目を、どんな表情を、どんなことを思って何もせずに立っているのか____初めて疑問に思いました。
「あなたいつもこの時間ひとりね?だって、彼女たちといつもいっしょにいるもの。友達はどこにいるの?」
「えっ…………」
キョウカはなにも答えられません。
「ねえ。あなたひとりよ?さびしくないの?」
つづきますので、見てくれたらうれしいです。