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 第六幕 翁草(中)

 あれはボクが中庭についていかなくなる前。ライタの三回目の告白のときだった。


 ボクとライタは前日、前々日と同じく立ち入り禁止の旧校舎の中庭におもむいた。しかし、いつもは木陰で戯れているはずの女の子たちはどこにもおらず、大きな欅がだけがゆっさりと風になびいているだけだった。

 どこか悲しげな、木の根元にふたりで近づいてみる。

 ひどく簡単に形容するなら、美しい空間。

 ゆっくりと流れる時間。やさしく吹くかぜ。こぼれてゆれる木漏れ日。ひんやりした木の幹。葉の重なる静かな旋律。その、忘れ去られた楽園は、美しいものだけを閉じ込めた翠の箱庭のようであった。

 その中心に来てボクは、はじめて理解かる。彼女たちが、「立ち入り禁止」のテープをまたいでまでここに来る理由。

 いつもは彼女たちを包むその空間を侵してしまったことに、なぜか小さな背徳心を感じてしまう。ボクなんかがいていい場所でない気がして、何故だか落ち着かない気持ちになってしまった。

「おい。ライタ。今日は来てないんじゃないか?」

 そんなこと、見れば分かる。居心地の悪さ(不自然な居心地の良さ)をどうにかして紛らわすために、適当に並べた言葉だ。問題は、なんでこんなに天気のいい日にこの場所を訪れないのかということだった。

 しかし、ライタは何も反応しない。気になって顔を見ると、

「っはあ。っっはあ…ここで、毎日、彼女が…」

 なんかすごく危ない顔で荒い息をしていた。

 というのは、きっと事情を知らない第三者が持つ感想だ。

 フォローを入れてやるなら、「ライタは顔を赤らめて、節目がちに照れていた」といったところだ。

 いつもキョウカが遊んでいるところに来るだけでコレとは、重症である。

 でも、そんなライタのヤツがすこしうらやましいなんてのは、口が裂けてもいえない。



 ほぼ、放心状態のライタを正気に戻して教室に連れ帰るみちのり。先ほどの木造旧講義棟とは対照的に、現代建築と、奇抜なデザイン性、白を基調とした新校舎の廊下を歩く。外では、みんなのはしゃぐ声や、大縄跳びをまわす掛け声などが聞こえてくる。せっかく時間が空いたから、校庭でやってるサッカーに混ぜてもらおうぜ。などという話の流れを完全に無視してライタは、

「なんで今日はいなかったんだろう? 」

 などと、いまさらな話題を振ってくる。ボクは一通り考えて、それらしい答えを見つけ出す。

「たまたま、今日はキョウカさんが休みだったんだろ。きっと。だからみんな集まらなかったんじゃないのか? 」


「ちがう! 」


 教室の手前まで差し掛かったところで、なにやら怒鳴り声が聞こえてきた。

 僕の意見に誰か意義を唱えたものかと、一瞬驚いたが、そういうわけではなかった。

 しかし、たしかにボクの推測は間違っていた。なぜなら、怒鳴り声の主はキョウカ本人であったからだ。

 そのあとに、ここからでは十分に聞き取れないような女子の小さな声が聞こえて、それからキョウカが教室から飛び出してきた。

 ボクは位置的に大丈夫だったが、ライタは急に廊下に飛び出してきたキョウカにぶつかりそうになってしまう。

 が、やはり紙一重でよけた。

 ライタの運動神経は他と比べてもかなりいいほうだ。だから、よけることもできれば、よける一拍前にキョウカを確認してわざとぶつかることだってできるはずだ。しかし、ライタはやはりよけた。作戦を引きずるつもりはなかったが、みすみすチャンスを逃すとは・・・。まあ、ライタらしいといえばそうなのだけど。

 教室に入ってみると、そこにはこのごろ見知った顔のヤツと、いつもどおり、ひなとレンがいた。

 キョウカが怒鳴って出て行ってしまった所為か、昼下がりの明るい教室は背景とは対照的に妙な緊張感に包まれている。

 このごろ見知ったやつらはキョウカの取り巻きであった。しかし、全員が気まずそうに下を向いたまま黙っている。

 おかしいのはそいつらだけではない。

 レンはいつもの笑顔ではなく、困ったようにひなを見つめておろおろしていた。ひなはいつもより血色がいいようにも見える。そして、心なしか肩で息をしているようにも見えた。

 一度訪れてしまった静けさの所為で誰も口を開こうとしない。

 ボクが何があったのかを聞こうとして、口を開こうとしたとき、

「おい…」

 ライタが先に言葉を口にする。どこか震えたような声で、何かにおびえるように。

「彼女さっき、泣いてなかったか」

 その疑問に対して誰も口を開こうとしない。ひなは、じっとライタのほうを見つめているだけ。レンは何かいいたそうだったけどやはり黙っている。女の子たちは相変わらず下を向いたままだ。泣いていたかどうかボクには分からなかったが、どうやらそういった状況であったことはこの場の反応から推測できる。

「誰が、泣かせたんだ?なんで…」

 状況がどうであったのか、この場にいなかったボクらが知る良しもない。しかし、ライタの大切な人であるキョウカが泣いて出て行ったという事実はゆるぎない。

 いつもはよく考えるライタであったがこのごろは調子がおかしい。ボクは、恋に盲目なライタが「キョウカがよってたかって誰かにいじめられた」なんていう偏った考えにいたって暴走してしまうんじゃないかと心配してしまう。

「泣かせたのはたぶんわたし 」

 口を開いたのはひなであった。いつもの寝ぼけたみたいな半眼ボクにいえたことじゃないけどをまっすぐライタの方に向けてしっかりと「わたしが泣かせた」と口にしたのだ。

 ライタは目を見開き、驚きをあらわにした。意外であったのはこの場に元からいたレンも多少驚いた顔をしていたことであった。多分レンは途中から入ってきたのだろう。きっと教室で起こったすべての状況を知らないのだ。だから、いい加減なことを言うわけにも行かず黙っていたということか。

「なんで…そんなっ!」

「あなたの気持ちはわかるわ」

 つかみ掛かりそうな勢いで「なぜ?」と問うたライタを、何の物怖じもせずひなは見つめていた。

「あなたの気持ちはわかるわ。大切な人が傷つくのはとってもくるしい。自分が傷つくときはぎゅっと胸が痛くなるけど、大切な人が傷ついてもそれは他人のモノだから、その人の痛みをかんじることはできない。でも、きっと痛いんだろうなって思っていても立ってもいられなくなる。それはあなたが優しいから。だから、私が許せない。でも、あの娘が泣いていたのが全部私のせいだとして、あなたは私をしかりつけたあとに、どうするというの?彼女の前に連れて行って謝らせる?それとも、キミの敵は僕がたおしたよなんていってほめてもらうの?本当に彼女のことが大切なら、ちがうでしょ。『わたし』っていう乗り越えなきゃならないハードルを低くしてあげるんじゃなくて、『彼女』自信が飛べるように寄り添ってあげなきゃならないんじゃない? 」

 ああ、なんてこいつはお人良しなんだろう。ボクはひながつい先日、ライタに「好きな人がいる」といわれたときに「おうえんしてる」と返したことを思い出していた。ひなは、この状況をわざと利用しようとしているのだ。

 はたから見れば、笑えるワンシーンだ。なんてったって、自分を叱りにきた人をえらそうな口ぶりでさとした上に、「自分が泣かせたが、お前が私をしかっても生産性がないから、さっさと消えろ」と言っているようにも聞こえる。

 しかし、きっとライタがそうであると信じているであろう「状況」からして間違っているのだ。

 ボクは状況をすべて把握しているわけではない。しかし、ひながすべて悪いなどということはきっとないのだろうとおもう。むしろキョウカがただ返り討ちになっただけなのかもしれない。それを思わせるように、キョウカの取り巻きの女の子たちは、ひなが「全部私のせいだとして」といった瞬間に気まずそうに目配せをしたり、驚いた顔でひなを見ていたりした。

 さらに、ライタはキョウカが好きだという事実とライタ自身の性格。

 そんなこちらの事情まですべて把握した上で、ひなは自分を敵役にして一芝居撃ったというわけだ。何がいいたいかというと、

「彼女、ひとりで泣いているんじゃない?おいかけなくていいの? 」

 つまりは、ライタにキョウカを慰めさせて救いの王子様にするって作戦だ。本人は王子様になれるなんて考えはないのかもしれない。きっとライタの中にあるのは、あの場所で泣いているキョウカの顔とそれをどうにかしたいという気持ちだけだ。


 ライタは、この状況では悪ものであるはずのひなから諭を受け本気で悩んでいた。

 このときばかりは、変に勘違いしないで素直にバカなままでいてくれ。それがお前のためだ。

 ライタは大きく深呼吸して息を止めたあと、顔が真っ赤になったくらいでプハァッと肺の中の息を解き放ち、それから、

「おぼえてろよ!」

 などといって、走り去っていった。さっきのは何の儀式であったのだろう。彼にしかわからない。

 再び静寂を取り戻した教室。ライタがいなくなっただけで、数刻前とたいして代わり映えのない空間。

「おまえ、やさしいんだな」

 教室に取り残されたボクは、ライタにかわってひなに礼をいう。ひなは少し目を横に移し。

「おもったことをいっただけ」

 一言だけ、そういった。



 ボクもあの教室でじっとしていられる空気ではなかったので、ライタを追いかける。走っていったためにライタの姿は既に廊下になかったが、行くところなどというものはかなり限定される.つまりキョウカが行きそうな場所。ライタだってすぐにキョウカを追いかけたわけではないのだから今のボクと同じ状況であったわけだ。ライタが既に廊下に姿のないキョウカがいると思った場所。ボクの頭の中ではそのふたつが見事に符合した。

 ボクは割りと急いで中庭までかけていく。

 中庭の前、意味をなさなくなった開けっ放しのドアの前に、ライタは立ち尽くしていた。

 もしかしたら、キョウカと話をしている最中かもしれないと思って声をかけずに近づく。しかし、その必要はなかった。

「彼女、ここにはきてないのか 」

 上気した顔で少しだけ息を切らせ、ライタはひとりつぶやく。

 そこにキョウカはいなかった。つい数分前と同じ景色だけが広がり、林のほうから吹いた風だけが熱くなったボクらのひたいを洗う。


 そのあとも、ボクらは学校中いたるところを探したが、キョウカは結局どこにも見つからず、話はその翌日のことになる。


 次の日、ボクらがキョウカを見たのは廊下であった。いつものように代わり映えなくツンと胸を張って姿勢よく歩くキョウカは、まるで媚びることを知らないねこのようでもあった。

 前日と代わり映えのない姿にライタは「なんで」と一言。

 確かに、立ち直りが早いという意味では驚くべきことだ。しかし、そう何日もうじうじしているヤツもすくないだろう。ライタはたぶん、キョウカがもっと打たれ弱いと思ったのかもしれない。そして、これは同時にライタが「キョウカを守ってあげたい。だから、キョウカはか弱くあってほしい」という、男の子らしい願望であったのかもしれない。



 さらに驚くべきは、キョウカとひながばったり廊下で会ってしまったときだ。

 出くわしたふたりは、まるで約束していたかのように2メートルほど離れてとまり、無言で向き合う。

 キョウカは一度目の端を尖らせて敵視しているような態度をとる。あわや、修羅場かと思いきや、

「ごきげんよう。ひなさん」

 そう口にした。ひなは動じることなく、それが礼儀とでも言うようにスカートの端をちょこんと押さえて、

「ごきげんよう。キョウカちゃん」

 と静かに言う。続けて、ふたりは懐かしい間柄の友人のように少しぎこちなく話し始めた。

「昨日はひどいこと言ってごめんなさい」

「べっ…べつに気にしてなどいませんわ!こちらこそ…あなたにひどいこと言って…もうしわけ…なかったというか…なんと言うか…」 

 だんだん声のトーンが低くなっていくキョウカは、どこかはすかしがっているようにも見える。

「あなたの友達のほうはどう?わたしのいったこと、気にしてなかった?」

「わたくしには分かりかねる質問ですわ。でも、たぶん」

「そう」

「…ありが...とう」

 遠くから見ていて聞き取りずらかったが、確かにキョウカはひなにそういったように聞こえた。これには、ボクも驚きだ。ライタとともにキョウカのことを調べたから、キョウカという人間が大体どんな人物であるのかというのはわかっている。少し怪しげなお嬢様口調とプライドの高さ。一部の友人意外にはあまり社交的ではなく、かといって内向的というわけでもない。そんな彼女から、昨日喧嘩して泣かせられた人間に感謝を口にしたのだ。

 キョウカはしきりに制服のブレザーの端をいじりながら、口をとがらせうつむいている。

「え?」

「なっ…ななな、なんでもないですわ!べっ、べつに私のおもいあがりとか…なんとかを叱ってくださったことに感謝なんてこれっぽっちもしてないんですからね!そう…元から思い上がってなど、いなかったですしっ!?...」

「え?」

「むっきーーーーーー。そうやって、わたくしを炊きつけて!」

 キョウカとひなはふたりとも柄にもなく騒いで、しかしどこか楽しそうであった。いつもはたいして表情を表に出さないひなも、どこかにこやかだ。

「じゃあ、ひとりごと。これからキョウカちゃんって娘に言うはずだった、もう私だけのひとりごと。『べつにあなたのためにやってあげたんじゃないんだからね。わたしは自分を守るためにただ必死に言葉をならべただけなんだからね。ありがとうなんていわれる資格はわたしにはないんだからね。こちらこそ。わざわざ話しかけてきてくれてありがとう』」

「...っ////」

 キョウカは面食らったみたいに目を見開いて、顔を真っ赤にした。

 「じゃあね」といって、ひなは180度回転しその場を去ろうとする。顔を真っ赤にしたままのキョウカはぎゅっと手を握り締めて「まって!」と叫んだ。

「?」

 立ち止まったひなは疑問符を浮かべて、キョウカをじっとみつめた。これから起こることに、廊下の角の陰から見守る(のぞく)ボクらも固唾を呑む。

「あの…ともだちになってくれ…ません…こと?」

「なんで?」

「え?なんでって_」

 キョウカの顔にさす小さな絶望。無理もないだろう。あのプライドの高そうなお嬢様がわざわざ頭を下げたのに、その話をけったのだ。何故だかボクまで悲しい気分になってくる。

「まだ、ともだちじゃなかったの? 」

 その言葉にキョウカはハッと顔を上げ何かいいたそうにしたあと、また顔を赤くして下を向いた。なぜだろう、今、ボクの顔も赤い気がする。

「またね」

 そういって、ひなは自分の教室の入っていった。

 ライタは「なんで」と、またつぶやいていた。

 


 昼休みがくる。ボクとライタは今日も一緒に中庭へ行くことにした。学校に来て、今日初めてライタと会話したとき「今日は中庭にはいないんじゃないか」とふたりで話していたのだが、朝から大変なものを見せられた所為で「いない」などと断定はできなくなっていた。いいや、むしろはじめはキョウカは今日休むのではないかというところまで考えていた。

 こうしてボクらは今日も旧校舎の中庭に行く。初夏の旧校舎は、いつにもましてどこか美しさを感じさせた。約一ヶ月前に着てから、何度か訪れることになったこの場所。はじめてきたときには気がつかなかったが、何度か来るうちにさまざまな発見をするようになった。旧校舎はところどころ窓が割れていたり、鍵が効かなくなって開きっぱなしのドアがあったりと、聞くにも増してひどいスピードで老朽化していた。使われなくなって2年の歳月が立つこの旧校舎であったが、教室の中には猫の親子が住んでいたり、破られたスピーカーの網の向こうには鳥が巣くっていたり。窓際の柱の根にはエノコログサが生えていたり、トイレは使われていないはずであるのにもかかわらず綺麗な水が出て、右から三番目の個室からは何者かの気配を感じたり。たくさんの生き物が校舎へと侵入していた。

 余談であるが、トイレを含め校舎は使われなくなってから水を止めているらしい。なぜ水が出るのかなどということは、考えないことにした。

 人のすまなくなった家屋の老朽化が激しいと聞くが、こういった動物もその一端を担っているに違いない。なぜ(ボクは望んでるわけではないが)取り壊さないのか分からない状況であったが、そこは大人の事情というヤツなのだろうか?


 春らしい春が始まったばかりの一ヶ月前と比べて、だいぶ騒がしくなった校舎は今日も昨日と同じ。ボクらはいつもの場所に着く。

 昨日と同じ中庭の風景のさきには、意外にもいつものような楽しそうなキョウカたちの笑顔があった。

 朝の廊下で見たものが衝撃的過ぎて、たいして驚きもせず、予想の範囲内のことであったが、見ていてやはり小さな違和感を感じる。

 ライタにはこの話をしていないのだが、ボクは独自に昨日何があったかをレンに聞いていた。どうやら、昨日のケンカのはじまりはキョウカがひなの大切な友達のひとりを馬鹿にしたことらしい。

 キョウカだって頭ごなしに悪口を言い散らすような性格ではない。きっと、何か別の目的があってひなに話しかけて、話の流れでそのようになってしまったのだろう。ボク自信としては、学校でレン以外と遊んでいるところを見たことがないひなの「友達」というやつが少し気になったりするのだが。しかし、まあなんであれ「大切な誰か」が否定されたり、傷つくのを見るのはいい気分ではないだろう。ここにもひとり、同じような理由で昨日学校中を走り回ったやつがいるし。

 それで、あの無口な割りにいうときははっきりというひながキョウカの痛いところをついて返り討ちにしたってわけだ。

 ボクたちが教室に着いたとき、キョウカはひとりで廊下に出て行った。ということは、取り巻きの女の子たちはひなとケンカするに当たってたいした戦力にならなかったようだ。

 あの場しか見ていないボクがあれこれ言うのもおかしな話だけど、すぐにキョウカを追いかけもせず、ひなに言い返しもしなかった女の子たちは、一見キョウカを見捨てたとも思えた。だからボクは楽しそうにキョウカと遊んでいる女の子たちを見て小さな違和感を感じたのだ。

 まあ、こうして現在楽しくおしゃべりしているのだから、きっとあのあとに「なにか」あったのだろう。

 何にせよ、キョウカがひとりでしょぼくれてるなんていう予想が外れてよかった。

「なんだよ。何の心配もなかったな。ライタ今日こそ頑張れよ」

 深く考えるのを病やめて、ボクはいつもどおり友人の背中を押してやる。しかし、ライタはなぜか固まったまま動かなかった。

「なんで」

 そして、さっきと同じように一言「なんで」とつぶやいた。

「さっきからどうした?『なんで』って」

 大方予想は付く。ライタもボクと同じ考えなのだろう。昨日泣いていたキョウカが何故、いつもどおりの笑顔をこんなにも早く取り戻しているのか。

「昨日彼女は泣いていた。それは、とっても悲しいことがあったのだろう。じゃあ、なんで今日ひなちゃんとあんなふうに楽しげに話してるんだい?なんで、いつもとかわりない、凛々しい顔で廊下を歩いているんだい?」

 ああ、やっぱりか。ボクも女の子というものを理解しているわけではないし、昨日あったすべてのことを知っているわけではない。でも、個人差はあるにしろ人は立ち直ることができるし、けんかすれば仲直りすることだってある。

 たまたまキョウカという人間の立ち直りが早いだけであったということではないのだろうか。

 いつもどおりに戻ったというなら、お前もいつもどおり、どうやって告白できるかまえむきにかんがえろよな!そういうもんじゃないか?

 ボクがライタにそう言おうとした時、

「なんで。なんで今日の彼女たちは、昨日よりもずっと楽しそうなんだい?」

 ボクはライタの話がまだ続いていたことに気がついていなかった。

「…いつもどおりじゃないか? 」

 思わずボクは反論してしまう。目の前にあるのは、いつもと変わりない風景だ。

 ライタは欅の木の下をじっと見たまま動かない。

「ちがうよ。昨日よりもずっとずっとたのしそうだ」

 ボクにはわからない彼女たちの表情の変化が、ライタには分かってしまっているようだった。いつも、彼女たちを本気でみているライタだからわかるのだろう。

「なんというか、昨日よりもずっと自然で、心から笑っている様で。うらやましくなるくらいに楽しそうなんだ」

 いつものように熱っぽく大げさに語るでもなく、ただ淡々と話すライタは、また「なんで」とつぶやく。

 ボクには見えない特別な笑顔。

 ライタが見ているのはきっと、片思いにありがちな幻想なんかじゃないのだろう。

 ボクもそれが見たくて思わず目をこすってしまう。でも、みえなかった。

 わかりきっていた。

 キョウカのことを本気で思っているからこそ見えたのであろうその幸せな表情は、どれだけ高名な画家でも表現することのできないうつくしいものなのだろう。ゴッホのように本能的で、モネのように清楚で、喜多川歌麿のように扇情的でバッハのように壮大で、ヴィスコンティのようになまなましく、ジョルジオのような矛盾を孕んだ…言うに尽くすことのできない美しい表情。

 目の前にあるのに、ボクには届かない。やはり、少しうらやましくなる。

「明日からひとりでここにくるよ。きっと、ボクのこの疑問にもキミは答えをくれるのだろう。でも、この答えはじぶんでだしたい。間違ってもいいんだ。わかったらきっと、キョウカちゃんに告白できそうな気がするんだ。でも、君に甘えるわけには行かない。リュウノスケくんがそばにいると、すぐに甘えてしまいそうだ。だから、教室で待っていてくれないか?」

 ライタの顔は真剣だった。このボクがうらやましく思ってしまうくらいに。

 「君なら答えをくれる」…?

 ライタの言葉をもう一度おもいかえしてみる。

 ボクにはわからないよ。答えだって出せない。

 見えてすらいないんだから。


「…スケ…ん。リュウノスケくん!おきてくれ! 」

「…ん」

 気がついたら、また眠っていたようだ。昼休みに二度寝してしまうなんて小学生にあるまじき行為ではないだろうか。

 …これはまた、嫌な夢だった。

 夢の内容は、ついこの間のことだ。夢は記憶の整理のことを言うらしいと本で読んだことがある。寝ている間に、今日あったことを総復習するだけでなく、日ごろストレスに感じていることを夢に見て、そのストレスを解消するという。どういったらそのようにストレスが消えてなくなる(?)のか、ボクには分からない。しかし、これも本で聞きかじった知識なのだけど、夢の内容は覚えていてもいいことはないらしい。それが何故なのか、という重要な部分を忘れてしまったのだけど、あまり見ていて楽しくなかったし忘れることにした。

 そんなことを考えつつ、呼ばれる方向を見てみると、ほこりまみれのライタが立っていた。

 そのツンツン頭になぜか細い木片を大量に紛れ込ませて、紺色の制服も今は驚きの白さである。

 はじめ目が合ったとき、得体の知れない化け物が目の前にいるので夢の続きかとも思ったが、違うようであった。

「お前、どうしたの?そのかっこう」

「いや、ついさっきさ…その柄にもなく八つ当たりして柱を殴りつけたら思いのほかもろくて…こぶしが貫通してしまってだね?柱に上半身を突っ込んでしまったんだよ。いやあ、八つ当たりなんてなれないことはするもんじゃあないねっ!あはははっ!」

「八つ当たりってことは…おまえ、今日も告白できなかったのか? 」

 小さな静寂、言ってはならないことを口にしてしまったときのような気まずさ。

 今日も外では小鳥が平和をうたう。

「…っ。…ほえ? 」

 ばっくれやがった。

「ほえ?じゃねーだろぉぉぉぉぁ!ってめ-!いつまでボクをここに縛り付けておくつもりだ!?はやいトコいうこと言ってスッキリしろ」

 ボクは感極まってライタにヘッドロックをかます。ほこりが付くのだってかまうもんか。こいつはお仕置きが必要だ。

「ギブッ!ギーブッ!!暴力反対だよリュウノスケくん。憎悪は新たな憎悪の糧にしかならない。目を覚ませ」

「うるせー!昼まっからボクをお昼寝させているのはどこのどいつだ?おかげでこのごろ夜に寝られなくて困ってるんだよ! 」

「ちょっとまってくれ...。ボクは寝てくれなんて一言も言っていないよ?寝ることを選んだのは君じゃないか」

「ライタ。このぽかぽか陽気で暖かな日陰のした、ボーっとしてたらどうなる?ボーっとしてなくてもいいんだ。たとえば、そう誰かを待ってるとか」

「ねむくなるね」

「ボクをまたせてるのは? 」

 再び訪れる静寂。今日も外ではクラスメイトの元気なあそび声。

「…。…ほえ?」

「ほえ?じゃねー!!!!! 」

「うるさアアアアアアああああああああああああああい!」

 三度訪れた静寂。

 言い合っているボクらを注意したのは、ひなと遊んでいたレンであった。

 学校中に響くのではないかとも思われるその声で、ボクらは驚きいいうのをやめていた。

「もうっ!ふたりともケンカはよくないんだよっ!するなら外でやって!」

『はい』

 ふたり仲良く返事をする。レンは腰にてお当て「よしよし」といったあと、机に座りなおして、何もなかったようにひなと二人で遊び出した。

「彼女はいい風紀委員になるだろう」

 そうつぶやいたライタにボクは「そうだな」とうなずいた。

 ボクらは再度話しを続ける。

「おまえさー。このまま卒業とかしちゃうんじゃないの?」

「うん…」

 ライタはうつむき、空気が抜けたかのようにしょぼくれる。しかし、すぐに顔を上げて自分に「そんなのではいかん!」と言い聞かせるようにブンブンと顔を横に振った。

「言い訳がましいのは分かってるんだ。でもさ、なんで彼女たちがあんなに楽しそうに笑うようになったのかっていう答えが出ないと、一歩も前に進めないでいるボクが居る。今日であの日から1週間近くたつけど、恥ずかしい話まったく答えなんて出ない」

「…」

 思ったよりも事態は深刻そうだ。

「でもさ、僕なりに彼女に気持ちを伝える方法は考えたんだっ!なずけて、ロマンチック大作戦!女の子ってさ、やっぱりロマンチックな言葉に弱いんじゃないかなっておもって。ホラ!これ!台本考えてきたんだよね」

 ライタは原稿用紙四枚にも及ぶその超大作をポケットの中からとりだし、ボクに見せ付ける。急に作ったような笑顔になったライタは、どこかカラ元気でみていて痛々しい。

 だから、

「ライタ」

 こんなときだからこそ友達がでしゃばらなければならないんじゃないのか?

「なんだい? 」

「お前は、自分で答えを出すって言ったけど、このままで答えなんて出るのか?」

「それは、だすよ」

「無理だよ」

 ライタの顔がつめたくかげる。ボクの言葉に怒るのか?失望しているのか?そのどちらだっていい。面と向かって、このくらいのこと言えないようじゃ友達じゃない。ボクはライタを信じているからこそ、ライタの顔色なんて一切気にしない。

…」

 ライタは無言であった。自分でも心のどこかに何かがひっかかっていることに気がついているのだろう。

「お前はその『答え』って言うのを隠れ蓑にして告白する勇気のない自分を正当化してるだけだ。『答えが出ないから一歩も踏み出せない』?『言い訳がましいのは分かってる』?はっ!バカか?それ自体が完璧なる、何の正当性もないいいわけだ。なんで『答え』が出ないから告白できないのか説明してみろ。答えなんてはじめから出す気もない。無論、このままじゃお前は一生自分に都合のいい言い訳ばかりして告白なんてできない」

「それは…」

 ああ。反論したいのは分かる。でも、うまく言えないことだってわかってるさ。ライタはきっと、本気で悩んでいたんだろう。でも、出すことのできない答えをずっと追いかけるのは一生その先に進めないことを意味している。あえて厳しいことを言わなければ状況を打開することなんてできない。

 ボクにはお前の見ていた風景を見ることができなかったし、その先にある『答え』なんて予想も付かない。でも、迷ってるお前に助言してやるくらいはできるんだぜ?

「ひとりで成し遂げる必要なんてあるのか?お前はいつの間にか全部自分でやろうって考えるようになってしまっているよ。あれから、たいして相談もしなくなったじゃないか。1週間たって忘れちまったのか?ボクはライタに告白を手伝ってくれって言われたんだぞ。最後まで付き合ってやる。すこしはボクを頼ったらどうだ? 」

 ボクの話を聞き終わって、ライタは少し悩んだあと、ライタは言葉を発した。意外だったのは思いのほか感情的でないことだ。怒ると思ったのだが。

「いまさらだけど。、それじゃ僕の本当の気持ちということになるのかな?全て他人の言ったとおりに動くなんてことはないけど、僕はきっとキミの言葉に納得したら大体そのとおりに動くし、思ってしまう。それは、僕の思ってたことなのかな。僕の力だけで告白できてこそ本当の気持ちが伝わるんじゃないかと思う」

 ボクはため息をつく。恋とは盲目というが、今の自分のことも見えなくなるとは、やはり深刻だ。

 ボクはライタが手に持ったままの告白の台本を指差した。

「じゃあ、聞くけど。そこに書いてあるロマンチックな言葉は本当にお前の気持ちなのか。飾り立てたムードとか、きゅんとくる言葉を女の子は夢見るのかもしれない。でも、その夢は告白の瞬間だけだろ?限りなく嘘に近い脚色されすぎた『本当の気持ち』よりも、お前の言うとおりライタの本当の気持ちをぶつければいいとボクも思うよ」

「…」

「これがボクの考えだ。お前はさっき『キミ(ボク)の言葉に納得したら』って言ったよな。そのとおり。これを聞いた後に最終的に納得するのはライタ自信だ。ボクの考えが正しいにしろ、そうでないにしろそれは参考でしかないんだから、答えを出しているのはいつもおまえ自身だ。最後まで付き合ってやるから、がんばろうぜ? 」

 いってて恥ずかしくなるような言葉の数々だ。ライタのことをおおげさだと笑えないな。

 まあ、大切な人のためだったら、つい熱くなってみんな饒舌になってしまうのかもしれない。

 ライタはもうしわけなさそうに口を開いた。

「またキミの力を借りても、いいのだろうか」

「何をいまさら。友達だろ」

「ありがとう」

 これで、昼休み教室に縛られなくてよくなりそうだ。

「全部終わってからいえよ」

 ボクが最後にそういって、言い合いは終わった。

 結構大きな声で言い合っていたのだが、ひなもレンも注意してこなかった。

 昼休みはあと5分ある。さあ、作戦会議だ。


 今回は長いですが、読んでくださってありがとうございます。

 第一章とつながってます。


 

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