第五幕 翁草(上)
「私のこと、嫌いになっちゃったんでしょ」
誰もいなくなった音楽教室に、感情を押し殺したような声が響く。先ほどまで授業だったこの教室は、少しこもった熱気と、急に人のはけた寂しさに包まれていた。
ボクは彼女に「うん」とは言わなかった。嫌いではなかったから。
「わかってたよ」
何も言わないでいると、彼女の口からから言葉が生まれる。そう、感情に任せて、生まれてくる。ひとこと、ふたこと。
そうやって、何でもかんでも、何の根拠もないのにわかったような口ぶりでまくしたてるんだ。女って言うのはそういう生き物なのだろうか。
「 」
ボクが何か言うと、彼女の顔からは青ざめた炎が消え、一気ぐしゃぐしゃになり、最後には泣きながら音楽室を出て行った。
なんて言ったのかは忘れてしまった。あの娘の美しい顔を赤くて醜い化け物みたいにしてしまった言葉。思い出そうとも思わない。
女性の泣く顔はとても厭だ。ひどく感情的で、ヒステリックで、泣けばわかってくれると思っているようで。傲慢の塊のように思えてさえしまう。初めてそう思ったのは、母親の泣くのを見たときだ。
「わかってたよ」なんて偉そうなこというなら、最後くらい笑ってくれればいいのに。
女って言うのはわからない。
「…ん」
窓から優しく風が流れてくる。その風の中に緑色といったらいいのか、草木の香りを感じてボクはかすかに目を開けた。机に伏していても感じることのできたその強い香りは、昨日の雨のせいでいつもより際立つ。
…ああ、嫌な夢だった。
ボクは浅い眠りから目を覚まして、まぶたをこすった。起き上がる一瞬、軽いだるさを感じたが、いざ起きてみると午前中の授業づかれだとかが一気に吹っ飛んだように感じられてスッキリとした気分になる。
今は昼休み。
周囲を見渡すと、いつものように教室でふたり、ひなとレンが机をあわせて遊んでいた。
陽光だけで、人口の光が全く灯されていない昼の教室。外の光と教室の中の影が対照的で、室内はわりと冷たい印象を受ける。
しかし、季節は初夏である。
あれから既に一ヶ月がたとうとしていた。
おっと、わるい。ボクはリュウノスケ。今日もライタのせいでここを動けないで居るかわいそうな少年だ。
ライタがキョウカという女の子にアプローチを続けて、はや一ヶ月。
あいつがボクに、「恋をしてしまった」と打ち明けてから一ヶ月。
その「恋」とやらが始め「たてまえ」であったろうことは、なんとなく気がついていた。
ライタはよく考えて行動するくせに、わずか一歩のところで詰めが甘い。たぶん自尊心が強すぎるために自分自身を客観視できないからだろう。
目的を掲げて、その時点で「始まり」「見通し」「結果」のすべて考えてしまう。そこまではよく考えているといえる。しかし、状況というものはいつも自分が思っているようにうまくはいかないのだ。「線」のように見通すのではなく、「面」を捉えるように変わり行く状況を観察し続け、重要な「点」を逃さないように臨機応変に行動する。そういうスタンスが正しいと思っている。
どうやらライタは思い通りに行かないと自分でも予想外の行動をとってしまうらしい。あいつをたとえて言うなら度胸試しで崖から海に飛び降りる勇気はあるが、落ちていく恐怖を考えていなくて目を瞑ってるうちに木に引っかかってその場から動けなくなる…みたいな。自分で言っててよくわからなくなってきた・・・。
でもそんな感じ。見切り発射したはいいもののあたって砕ける勇気がないのだ。
そしてもうひとついってやるなら、実際に行動するのがとても下手だ。ライタの行動、言動は自分のしようとしていることが複雑になればなるほど、露骨にその性質を出してしまう。もっと違った表現とか、態度とかをとったなら、自分の思ってることを隠しながらも相手を利用できるかもしれない。しかし、直接的な表現や、態度をとってしまうから少し考えれば悟られてしまう。
だから、あいつの行動の端々から何を思っているのかということが簡単に推測できてしまう。と、いっても今のところ気がついているのはボクだけだろうけど。
それが良しとでたのか、悪しとでたのかあいつ自身しかわからないわけだが、ライタは紆余曲折を経て当初の目的を忘れて本当にキョウカという娘に恋をしてしまったらしい。
本人曰く「探究心」らしいが、それは多分違う。僕はよく知っている。これは「恋」というヤツだ。
ライタに協力し続けているボクだが、何故今日も教室の自分の席に取り残されているのかという話はおいておいて、あいつがいかにして一ヶ月すごしてきたのかを思い出してみようと思う。
クラスの一部で、ライタとキョウカが怪しい仲であるということがうわさになろうとした三週間前、ボクはライタにえらそうにに説教をくれてやった。
ほんの一週間前に振られた男の口からよくそんな言葉が、といいたくなるような歯が浮くセリフに自分でも驚きはしたが、思ったことを言ってやるとあいつは素直に納得してくれた。ボクが正しい確証なんてもちろんどこにもない。そうであるというのに、馬鹿みたいに言うことを聞いているように見えたライタであったが、ソレまでの反応とは違い目に強い意志を感じたので、ボクはもう少し(ライタに付き合い始めて今日で三週間になるけど)力になってやることにした。
「この三週間で何が起きたか。」であるが、まあ、ひどいものだった。
作戦コード1. ほんのり自分をキョウカに意識させる作戦
この作戦は、キョウカのクラスである1組にライタが赴いて、近くの友達と他愛ない話をすることによって、とりあえずライタを視界に入れる。少しでもライタという人間を意識させようというとても地味な作戦であった。
はじめ実行して失敗した「友達の友達」作戦とどっこいどっこいだが、ボク的にもわるい作戦だとは思わなかった。
結果
キョウカは全く気にとめていなかった。
一組のクラスにいっても、昼は旧講義棟に行っていていないし、授業の合間の休み時間は時間があまりに短すぎた。
しかし、行動しなければ今にも体の内側からはじけ飛んでしまいそうな今のライタは好機を狙うなどということはできない。
毎回の休み時間に教室に押しかけていっては、せっせとコミニュケーション。
一組のやつらの中に「なぜ、わざわざたいして親しくもないたクラスの人間がきて、どうでもいい話をして帰っていくのか?」という疑問を生んでしまった。
結果、ライタはクラスのに居場所がないんじゃないのか?というウワサが広まり、ライタは一組のやつらから同情の目で見られるようになってしまった。
…。….ということで失敗。
もう少し直接的なほうがいいと考えたために次に練られた作戦は、
作戦コード2. チラッ、チラッとキョウカのほうを見て偶然に目が会うことを目的とした作戦
目が合えば嫌でも意識してしまうだろう。この作戦の強みはそこだけじゃない。ライタの「とりあえず何でも試してみようという」度胸さえあれば、内容がどうであれ話をするきっかけにもなる。
チラッ(偶然目が合う)
「あ、キミは、キョウカさんだっけ?そういえば先日は申し訳なかったね。え?あっは、忘れちゃったのかい?まあ無理もないね、僕はキミと今日始めて話をするわけだからね。レンちゃんに、キミと話せるようにたのんだライタだ。よろしく。え…?なんで話したかったかって?それはね、キミがうつくしすぎるからさ!ボクはそう、春の香りに誘われたミツバチのように。キミを求めてしまったんだ! 」
甘い展開である。
この作戦立案に当たって、シュミレーションをした僕らであったが、あまりの完成度の高さにふたりでほくそえんでしまったものだ。
この作戦は確かに地味である。しかし、大きな可能性を秘めたこの作戦は、ボク的にもわるい作戦だとは思わなかった。
結果
彼女は全く気にとめていなかった。
まず、誤算だったことがキョウカとその友達の性質であった。
キョウカは限られた5~6人としか遊ばず、その友達が集まると即固有結界を作ってしまう。
すると周囲が目に入らなくなってしまうらしい。魔女たちがサバト(集会)をするわけではないのだから、もっと外の世界に目を向けてもいいんじゃないかと思ったりしたが、それはそれで楽しくやってる証拠なのかもしれない。
それでも、一度だけ目が合うことがあった。
場所は廊下。時は授業間休み。
キョウカはツンと胸を張って、モデルみたいに姿勢よく歩いていた。すれ違う4歩くらい手前。ボクは目が合うのを確認して、小声でライタに話しかける。
「おい。チャンスだろ?はなしかけろよ」
しかしライタはそのまま直進し、壁にぶつかりそうになったところでやっと停止。赤く染まった頬を隠すようにぼそぼそとつぶやく。
「彼女は大切なものを盗んでいきました」
「…は?おまえ半径1メートル以内にさえ近づいてなかったろ」
「わたしのこころです」
「・・・。…はいはい」
目が合っただけでこれとは。
ということで失敗。
もっと、思い切った作戦のほうがいいと思い考え出されたのが、
作戦コード3. 偶然をよそおって廊下の角でぶつかる作戦
これならライタも逃げられまい。育ちがいいというのもあって、あいつは見かけによらずジェントルマンだ。ぶつかったら例えわざとであったとしても女性に気を遣うはずだ。まさに背水の陣。
きっかけなんて些細なものでいい。
「あ、ごめん。ぶつかっちゃった…たてる? 」
でも、
「いってぇ…ぶつかってくんなよ!前見て歩け! 」
でも、
「ぶつかってきたのはそっちでしょっ?! 」
でも、
「立って歩け 前へ進め あんたには立派な足がついてるじゃないか」
でもなんでもいいのだ。
会話が成立すればそこにきっかけが生まれる。あとはライタしだい。
無理やりだが、こういうベタなシュチュエーションは漫画やアニメで出会いのテンプレートにもなっている(らしい)。
ボク的にもわるい作戦だとは思わなかった。
結果
どこにでもあるT字の廊下。入念なセッティングと、主人公を除いた行き当たりばったりのキャスティング。天気はあいにくの曇り。風は低く唸り、空は今にも泣き出しそうである。ついに実現したその瞬間。ライタはゆっくりと踏み出し、角に行き着く。二人が足を踏み出し・・・。
そして、間一髪、キョウカをよけた。
「おい!!!!なにしてんだよ! 」
彼女がいなくなったあと、ボクはライタに半ば怒鳴りつけるみたいに問いただした。
「僕にはできない!」
「え? 」
ライタはわなわなと肩を揺らし、悔しそうにこぶしをにぎりながら泣いていた。
「僕にはできないっ!彼女を傷つけるなんて!僕が奪われるのはいい。こころだろうが、身体だろうが、給食のデザートだろうがなんだってもっていくといいっっ!彼女になら…しかしっ!彼女の笑顔を奪う権利は僕にはないっ」
「…はいはい」
…はいはい。
ジェントルマンどうこうのはなしではなく。結局ライタはキョウカの前じゃ崖から飛び降りる勇気もなくなるのであった。こうなってしまっては、ライタという人間の強みはほぼゼロになってしまう。
そこで編み出されたのが、今も続いている作戦である。
作戦コード4. 昼休みに思い切って、中庭に突入。告白。
なんでこのシンプルな答えに、こんなにも時間をかけてしまったのか。はじめからこれでよかったのではないだろうか?
これならば、男と女の一騎打ち。好きだといえれば、勝つにしろ負けるにしろ、このながきにわたる戦いは終わる。人脈どうこうといったようなものをつかって、わざわざ面倒な策を考えなくてもいい。ライタという一人の漢の勝負である。
作戦を考えてきたボクにも、ここまでたどり着くのに多くの時間がかかってしまったことについては非がある。
しかし、これで最後にしようじゃあないか!
暫定結果
今までの結果を話そう。「今も続いている」からお分かりのとおり。今まで2週間ばかり続いているこの作戦だがすべて失敗している。
目を合わせただけでのぼせてしまうライタがはじめから告白だなんてハードルが高すぎたというのは承知していたことだった。しかし、人は学び、いつしか乗り越えるのだ。何十回でも試すといい。
今日は記念すべき10回目だ。
4回目まではボクもついていったのだが、
「リュウノスケくんがいると、きっとキミに甘えてしまうからね。だから、教室でまっていてくれないか? 」
と、言われ今日もあいつを待ちぼうけである。
正直、ボクもライタと作戦をたてて実行する(のはライタだけど)のは楽しかった。しかし、この1週間弱はこのとおりお昼休みがお昼寝タイムとなっている。待っているだけというのは結構つらいものだ。たまにはみんなとサッカーやドッヂボールがしたい。
そんなことを思いながら視線を外に移す。校庭は教室の窓とは逆の方向にあった。しかし、外が恋しいことには変わりない。窓の奥で静かにゆれる緑色。そんな平和な景色を見ていると、また眠気が襲ってきたので教室の中に視線を移す。
教室の中では、やはりひなとレンが遊んでいる。
…そうだ。あの出来事を忘れていた。その日からライタがすこしおかしなことを言うようになった、あの出来事を。
あれはボクが中庭についていかなくなる前。ライタの三回目の告白のときだった。
引き続き翁草(中)に続きます。