平凡令嬢はわきまえている
フレタリアは平々凡々な伯爵家の令嬢だ。
新興貴族でもなければ建国から続く由緒正しい貴族でもないし、体裁を保つ程度の贅沢はできても子供を何人も育てるほど裕福ではない。
なので、フレタリアは一人娘だ。将来この伯爵家を継ぐことになる。
そんな彼女には、少し過ぎた婚約者が居る。
子爵令息のキルデ。彼は成績もよく運動もできて人望もある、まあまあ優秀な令息だ。パッとしないフレタリアにはちょっともったいないくらい。
「────それで、来月の大会に出てみようと思ったんだ」
「いいですわね。何事も挑戦するのは素晴らしいことですもの」
キルデは学園で開催される剣術大会に出場するつもりなのだと言う。
フレタリアはそれを否定しない。彼は立派な人間だ。能力があり、向上心がある。
「わたくしも当日は客席から応援しますわ」
「ああ、必ず優勝してみせるさ」
従者が「お時間でございます」と声をかけると、キルデは席を立って去って行った。
微笑みを浮かべながら小さく手を振っていたフレタリアは、彼の姿が見えなくなるとフッと表情を消して再び席に座った。そしておおきなため息を吐く。
「来月って言っても、もう今月も終わりじゃない。そんないきなり……」
剣術大会にはある伝統がある。それは、出場する人間に婚約者が贈り物をするというものだ。
決められたことではない。もちろん婚約者が居なくて何ももらえない子女も居る。だが、フレタリアがキルデに何か贈らなくては不仲なのではといらぬ誤解を生む。実質強制だ。
「ハンカチを縫いましょう。明日すぐ街に布と糸を見に行くわ。いつものお店で予約を取っておいてくれる?」
「かしこまりました」
これからデザインも考えなくてはならない。フレタリアは突然降って湧いた仕事を思って額に手を当てた。
キルデはたしかに優秀だ。しかし少しばかり猪突猛進すぎるというか、周囲への影響にいまいち考えが及ばないところがある。
これでフレタリアができる女性ならば万全にサポートをこなしたり、そうでなくとも彼を堂々と叱責できるのかもしれないが……残念ながら凡百の貴族令嬢でしかないフレタリアにそこまでの力はない。キルデの急な行動に振り回され、必死にしがみつくだけだ。
フレタリアは頭を悩ませながらその日のうちにデザインを決め、翌日に布と糸を購入した。それからは勉強の隙間にチクチクチクチクと刺繍を施していく。
「フレタリア、最近ちょっと寝不足かい? 心配だな」
「この間買った本が面白くて、つい読み耽ってしまったのですよ」
(誰のせいだと!)
うっすら隈を作ったフレタリアにキルデが声をかけてくる。それを淑女らしい笑みでいなしては、また隠れてチクチク縫う日々。
そして、大会の日。
「ありがとうフレタリア! こんな素敵なハンカチを……。頑張るからな」
それなりに美形な顔立ちが満面の笑みを形作る。大事そうに折り畳まれたハンカチの行方を見て、フレリアタはここ数日荒んでいた気持ちがすこし落ち着いた。
そう。キルデは優しい男性だ。フレタリアが寝不足なのにも気が付いてくれるし、頑張って縫ったハンカチも嬉しそうに受け取ってくれる。いくら振り回されていようとも、彼が笑顔でありがとうと言ってくれるのならそれで報われるというものだ。
(きっと結婚してもこんな感じなのでしょうけど……まあ、良い人ではあるのだし。わたくしが頑張ればいいだけよ)
残念ながらキルデは優勝とはいかず、5位という成績におさまった。表彰台には上がれなかったがじゅうぶんな結果だ。
そこそこ勉強ができて、そこそこ運動もできる。それなりに優しくて、それなりに向上心もある。ちょっと馬鹿正直で考えなしなのが玉に瑕だが、そこはフレタリアが足りないなりにフォローすればいい。
────そう考えていたのが甘かったのだろうか。
剣術大会も終わり学園の行事も落ち着いたころ。いつものようにフレタリアの家の庭でキルデと2人で交流していると、突然地鳴りのような大きな音がして大地が揺れた。
「じ、地震?」
「おふたりとも、机の下に!」
侍女に促されるままキルデと机の下に潜り込む。置かれた食器類が地面に落ちて割れた。
主人を机の下に退避させ、そのほかの従者たちは付かず離れずの位置で身を守るようにしゃがみ込む。
フレタリアは震える手で机の支柱を握っていた。
しばらく経ったところで従者たちがおそるおそる立ち上がりはじめ、地震がおさまったことを知る。身体が震えすぎて揺れているのかどうかさえ定かではなかった。
「ご無事ですか?」
「ええ……」
周囲の確認をしていると、屋敷の方からフレタリアの父が慌てて走ってきた。
「フレタリア、キルデくん。ああ、無事でよかった」
「伯爵殿、この地震はいったい……」
「さっき知らせが来た。東のほうでドラゴンが目覚め、山が突然噴火したらしい」
「えっ!?」
王国の東には観光名所にもなっているとても大きな山があり、ここ数万年火山活動が見られなかったためとっくに死んだ火山だとされていた。それがドラゴンの目覚めに呼応して突然活性化をはじめたのだという。
「ドラゴンは火山を中心に飛び回っているらしい。いつこっちに来るやもしれん。とりあえず備えをして屋敷で大人しくしていなさい」
伯爵は「キルデくんも」と彼に目を向けた。
「まだ情報が不確定だ。子爵には連絡しておくから、落ち着くまでうちで休みなさい」
キルデは両手を強く握りしめて叫ぶように言った。
「こうしちゃいられない!」
ぽかんとする伯爵とフレタリアに向き直り、キルデは大衆に演説するかのように握りしめた手を広げる。
「早くドラゴンを討伐し街の人々を助けなければ!」
走り出すキルデをフレタリアは「待って!」とあわてて引き留めた。
「きっといまはまだ現地も混乱しているわ、無闇に行っても邪魔になるだけよ!」
「フレタリアの言う通りだ、キルデくん。じきにドラゴンの討伐隊も結成されるはず。我々はまだ動くべき時ではない」
伯爵もフレタリアに追従する。だが、キルデはまったく耳を傾けなかった。
「そんな悠長なことは言ってられない! 今こうしている間にも失われようとしている命があるんだ!」
「あっ……!」
彼はあっというまに走り去って行った。それでもなお呼び止めようと手を伸ばしたフレタリアの肩を伯爵が優しく掴んだ。
「やめておきなさい。すぐ子爵家に連絡をしておくから」
「はい……」
「彼との婚約は……考え直したほうがいいかもしれんな」
「……はい…………」
父の言いつけ通りフレタリアはむやみに外に出ぬよう屋敷の中で過ごしていた。
大規模な噴火による地震が発生していたが、屋敷から東の山は遠いため近隣で被害は出なかった。ただ、風に乗って火山灰が飛んできて、みな外出や掃除にはたいへん苦労しているようだった。
そして……キルデはというと。
彼はあのあとすぐ子爵家に戻った。子爵家は両親とも王宮で働いているため、誰にも止められることなく東の山へ向けて出発してしまった。
大量の荷物とともに……。
「現在この道は通行止めとなっております」
「な……なんだって!」
自分で荷馬車を動かしていたキルデは、東の領地の関門前で警備に止められていた。
「領地の人々を見殺しにするのか! 見ろ、食料と衣類を持ってきたのだ!」
扉をすこし開けて荷物を見せると、男の眉がピクリと動いた。
「支援物資ですか。ありがたいのですが、現在はまだ受け入れ手続きが済んでおりませんので。日を改めていただきたく」
警備の男は断ろうとしたが、後ろから避難民と思われる人が姿を現した。
「おおっ! 物資だ! おーい、みんなー! 物資が来たぞー!!」
その後ろで人の歓声が聞こえた。
「…………」
「…………仕方ありません。お通りを」
キルデは証明書を発行してもらい、避難所へ向かった。
対して、フレタリアの家でも災害地への救援準備が始まっていた。
とはいってもそう大層なものではない。王の指示を受けた大臣から要請があり、使えそうな物資を見繕っていたのである。平々凡々とはいえ貴族。公に見せられるような代物はなくとも、災害に見舞われた平民にくれてやる程度のものならばそれなりにある。
それらを大臣の部下達が回収し、避難所ごとに適切なもの、量へと振り分けられていくそうだ。きちんと手続きがなされ順序だった工程で、伯爵家の眠っていた不用品たちが日の目を浴びる。
ほとんどが店に売るには粗末なものだからと捨てられず置いていただけなのに、思わぬ形で役に立ったものだ。フレタリアは何か英雄的な偉業を成し遂げたわけでもないが、「これが貴族としての務めなのね」、とすこし感慨深くなった。
目覚めたドラゴンを討伐すべく大至急討伐隊も編成された。普段から魔物と戦っている辺境騎士団を筆頭に、誉れ高い歴戦の戦士である王国騎士団長も参戦した。その中には、キルデが5位をおさめたあの剣術大会で優勝した第五王子の姿もあった。
災害から1日と15時間での救援物資の支給、2日と3時間での討伐隊編成。王宮勤めの多くの者が寝ずの作業をこなしただろう。
平和が続き民からの関心が薄くなっていた王家だが、これを機に絶大な信頼を得ることとなった。
王家が救援物資を募っている時。キルデはというと。
「服のサイズが全然ないじゃないか!」
「服だけじゃないわ、下着もよ! こんなのどこぞのお嬢様しか履けたもんじゃないわ!」
「えっ、ナプキンどころか、当て布もないのですか? 今朝からその、月のものが……このままでは避難所の椅子を汚してしまいます……」
「早くうちの子のオムツとミルクを!」
「私の母は固形食を食べられないんだ! 高齢者用の食事はないのか!?」
救援物資を送った避難所から文句の嵐であった。
身体の大きさは人それぞれなのだから服や下着はあらゆるサイズを用意しなければならない。女性のためには生理用品が、幼児や高齢者のためには専用の食事が必要になる。
そんなことにも思い至らなかったキルデは、年若い細身の貴族しか着れないような服と、健康な成人にしか食べられないものしか用意できていなかった。もらっているだけ文句は言えない、サイズには問題がないのだからと、10代の令嬢が着るような華奢なワンピースを着た老婆のなんともちぐはぐなことか。
着るものと食べるものさえあればいいと思っていたからそれだけしか用意していなかったが、人間に必要なものはもっとある。
生きていれば汚れるし、出るものも出る。清潔を保つためのものも、なにひとつなかったのである。
「これだから手続きを踏んでいない救援物資など受け取りたくなかったのです」
仕方なしにキルデからの物資を通した警備の男は、それ見たことかと言わんばかりにため息を吐いた。
「使命感に駆られたのか知りませんがね。お世話してもらうのが当たり前の貴族のおぼっちゃまが、考えなしにやって来たっていいことなんかありませんよ。もしここに来るまでにまた大きな地震があったらどうするおつもりだったんです。あなたの面倒まで見ないといけなくなるのは困りますからね」
「……ああ…………」
キルデはうなだれて男の言葉を素直に受け入れた。
「じきに王家主導で救援が来るでしょう。能力がないならないなりに、できる人間に黙って従うのがよいのです」
「そうだな……」
「……あなたの物資も、まったくの役立たずというわけではありませんのでね。用が済んだのなら早く去るといいでしょう」
気まずくなったのか言いすぎたと思ったのか。男の下手なフォローもただ傷口に塩を塗るばかりであった。
荷物がなくなって身軽になった馬に乗って、キルデは来た道をとぼとぼ引き返した。
社会のためになることをしたはずだった。己のしたことは正しくなかったのだと理解できても、だからといって感謝の言葉もなく、あんなに非難されるのもひどい話じゃないだろうか。
キルデはぼんやり考えながら空を見上げていた。すると、真昼にもかかわらず赤い流星が見えた。ドラゴンである。
出発前にはドラゴンを屠ってやろうとさえ思っていたキルデだが、遠目にその姿を見、ただじっと息を殺すことしかできなかった。
ドラゴンが山のほうへ姿を消すのを確認し、一息ついて、再びパカパカと馬を走らせた。
「号外ー! 号外ー! 第五王子殿下の特集だよー!」
地震から1週間が経過し、被災地から遠く被害もない王都は活気を取り戻しつつあった。
キルデはばら撒かれたビラを拾って目を通す。
第五王子、東火山のドラゴン討伐に成功。
大きな見出しとともに、王子がドラゴンを討った瞬間の写真が掲載されている。白黒写真ではあるが、天井から降り注ぐ陽の光とドラゴンの吐いたであろう火球とが合間って、神話を描いた絵画のような美しさだった。
俺は、こうはなれない。
キルデはようやっと、その現実に気が付いた。遠目に飛び立つのを見ただけでも足が竦んだあのドラゴンを討つなど、キルデには到底できない偉業だった。
なまじ下手に実力があるだけに夢を見てしまっていたのだ。己は頭も良く、腕も立ち、なにかを成せる人間なのだと。
しかし実際のところはそうでもない。キルデは事実それなりに優秀な人間だが、「それなり」の域を出ない。王国の人間も、国で1番高い山を答えることはできても、2番目に高い山を答えられる人はそういないだろう。
キルデはそういう人間だった。上には上がいる。悪い言い方をすれば、パッとしない、その一言に尽きた。
フレタリアとキルデの婚約は解消された。性格の不一致ということで。
運が良かったのか悪かったのか、お互いの新たな婚約者はすぐに見つかった。
フレタリアは名門伯爵家の三男と。可もなく不可もなく、本人にも結婚の意欲がなかったため売れ残っていたのである。
のほほんとしていて穏やかで、一言で表すのなら、凡庸。だが彼は己の凡庸さに自覚的であり、フレタリアとは気が合った。婿に入った彼が伯爵代理としてフレタリアの家を盛り立てていくことになる。
キルデは侯爵家の長女と。領地が此度の地震被害ど真ん中で、気の弱い元婚約者は領地の立て直しというプレッシャーに耐えられず逃げ出してしまったのだという。
侯爵令嬢は優秀で苛烈な女傑として有名だ。大海を知ったキルデは己に自信を失くしてしまったが、それなりとはいえフレタリアよりもよっぽどできる男である。人を導く素質のある侯爵令嬢────のちに女侯爵となる────のもとで、尻に敷かれながらもその才覚を存分に発揮することとなった。
「丸くおさまってよかったわ」
「なんの話?」
「私達の婚約のこと」
フレタリアは新たな婚約者とお茶を飲み交わしていた。
「ああ……でも、本当に僕で良かったの? 彼、優秀な人だったんだろう? 性格も悪くないし」
「そうねえ……」
有り体に言えば目の前の彼のほうが「ちょうどいい」からなのだが。それではかえって彼を貶しているとも捉えられるだろう。もちろん彼は彼自身のことをよく理解しているので、フレタリアが正直にそう言ったところで怒ったりはしないだろうけど。
フレタリアは身の程を知っているわきまえたふつうの令嬢なので。
「あなたとなら心安らかに居られると思ったのよ。ほら、彼……良い人だったけど、一緒に居ると落ち着かないんだもの」
「はは、そりゃそうだ」
なんて本心ながらうまいように言って。
フレタリアは自分のことをよくわかっている。自分の手の届く範囲で、できることをする。できないことは人に任せる。自身の能力を見誤って調子に乗って失敗するようなことはしない。
余計なことをせず、確実に。
それは、一見簡単なように見えて難しいことでもある。
伯爵領は取り立てて目立つこともなかったが、波風もなく、フレタリアたち夫婦のような穏やかな領地となった。




