06 価値
◇前回のあらすじ
魔腔に侵入。しかし見つかった。
昭和七年五月二十六日(木)九時半頃
大日本帝国陸軍第一師団特別偵察連隊、そう名乗る兵隊十五名は、霧崎少尉を除いて三八式歩兵銃を構えた。そして霧崎少尉は十四年式拳銃を拳銃嚢に差し戻すと、奇天烈な軍刀を抜いて構える。
「ピストル付きの刀か」
「これは試製拳銃付軍刀、父上から頂いたものだ」
そう言うと静かに銃口を凜之助に向ける。用心金の無いその銃は牙をむいた獣のようだった。
「弁明させてほしい」
「問答無用、魔腔に侵入した者は射殺しろとの中央からのお達しだ」
(考えろ、この状況をどう切り抜けるか)
周囲を見回す。木造建築が立ち並ぶ街に陸軍司令部庁舎、空が無いことを除けば普段過ごしている場所と変わりない。
(自転車置き場、トーヨーコーギョー号、電線、地面の砂、相手の持ち物....やるか)
覚悟を決めて開いた凜之助の口から発せられた言葉は、その場にいた人間の誰もが理解に苦しむ内容だった。
「中途半端で間抜けな刀だ、それを使っている人間の品位もたかが知れる」
「何....?」
明らかな挑発であった。大人数相手にするには悪手である。しかし、その言葉を聞いた霧崎少尉は眉間にしわを寄せ揺さぶられている様子だ。
「帝国軍人に対して何を言っている、無礼であるぞ!」
三八式歩兵銃を構えながら最初に反応したのは、少尉のすぐ右隣に立つ伊藤伍長だった。
(凛之助の奴、気でも狂ったか)
正芳は顔色こそ変えずに平常を装っているが、内心銃口を向けられて胸が張り裂けるような気持ちでいた。
そんな正芳に構う事無く、凜之助の暴言は続く。
「桃屋印のチキンハムライスの素が入っている瓶に収まりそうな小さな誇りで威張るな」
「おい凜之助、そのくらいにしとけ」
両者の緊張が最高潮に高まり、今にも引き金が引かれそうになったその時である。
「縛縄、どっせい!」
突如、先程まで何もなかった地面に縄が現れ、その先端は自転車に結び付けられていた。凜之助は縄を思いきり引いて自転車を兵隊に向かった投げつける。
正芳が身を屈めて躱すと、縄はその上を通り過ぎ自転車を飛ばしている。
「少尉殿!」
速見上等兵が霧崎少尉に覆い被さろうとすると、先に自転車が命中した一等兵から順に体勢が崩れていく。
その隙を凜之助は見逃さない。地面の砂を拾いつつ走り込んで速見上等兵に投げつけると、霧崎少尉の腰の鍵を奪った。
(取った!)
最初の兵士が体勢を立て直し三八式歩兵銃を構える前に、凜之助は駐輪場に止めてあった自動二輪車の裏に飛び込んだ。
そして間もなく凜之助にいくつもの銃口が向けられる。
「私の愛車が」
「撃つな、霧崎少尉のバイクに当たる!」
兵隊は伊藤伍長の声に銃口を降ろす。
凜之助はその隙を見て自動二輪車を固定している鎖の錠に差し込んだ。そして跨るこのバイクは東洋工業が1930年に開発した二行程発動機を搭載する250㏄のバイク型マシン、通称トーヨーコーギョー号である。
この自動二輪車の特徴はとにかく速い、最高速度は九十六キロメートル毎時であり一九三〇年十月に広島市で行われた招魂祭レースでアリエルを打ち破ったのである。
(これに乗れるとは....感激だ)
凜之助は素早く油止め栓を捻り、点火遮断器を通電側に入れると、右足で始動踏子を操作し踏み込む。直後に左足を軸にグルリと回り、兵隊に向かった。
迷いなく自動二輪車を走らせると、短い距離で一気に速度を上げ、最も速度の出るの三速に入れると、そのまま兵隊を轢き殺す勢いで迫る。
「私の部下を傷付けるな!」
──パン──パン
霧崎少尉は愛車を壊す可能性があるにも関わらず、試製拳銃付軍刀で弾丸を放つ。しかし、刃が邪魔でまともに狙うことの出来ない拳銃の弾は、何処にも当たらずに空を切った。
凜之助は霧崎少尉のすぐ目の前に到達する寸前に、右手で前輪制動機を思い切り掛けると、後輪を浮かせて少尉に叩きつけた。
「ぐはっ....!」
叩き飛ばされて地面に転げる霧崎少尉はその身体能力で受け身を取り、何とか意識を保っていた。
「降参だ、話を聞こう。お前たちは兵舎に戻れ」
(無駄に消耗する訳にもいかん)
その言葉を聞いた凜之助は発動機を切る。
「やったな凜之助」
「ああ、一先ずよかった」
二人は司令部庁舎の片隅で煙草をふかしながらこれまでのことを霧崎少尉に話した。霧崎少尉も煙草をふかし落ち着いて話を聞いている。
しばらくして、話を聞いていた霧崎少尉は灰皿に煙草を入れるとこれからのことを話す。
「事情は何となく分かった。今から我らが特別偵察連隊の指揮官である松木少佐のもとに向かう、それまでの間に都合のいい身分を考えておけ。騒ぎが収まった今、少佐は報告を待たれている筈だ。時間が無い」
「了解」
そして霧崎少尉に連れられ、モダンな内装の司令部庁舎の三階にある司令官室前の扉の前までやって来た。
「お前ら、自分たちを何と名乗る」
サーベルを背中に隠し、凜之助と正芳は顔を見合わせた。
「俺たちは学者を名乗る」
(とは言え、俺のサーベルは警察仕様だからどうしたものか)
「分かった、話は合わせる」
───叩扉
「入れ」
「失礼します」
霧崎少尉は帽子を脱ぐと、扉を開けて入り少佐に向かって敬礼を行う。司令官室には司令官の席と応接用のソファがあるだけの簡素な内装だった。
「先程の乱闘騒ぎについてのご報告に参りました」
「その二人は何者か」
松木 鶴彦少佐はそう聞きながら席を立ちソファに向かい歩く。そして凛之助ら二人に手で静かに座るよう促した。
二人がソファに腰掛けると、その後ろに霧崎少尉が立つ。
「松木少佐殿、今回の騒動につきまして多大なるご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。彼らは魔腔の調査に協力してもらうために篠原大尉が呼んだ学者であります。私のところの兵が侵入者と勘違いをしたためこのような騒動が発生してしまいました」
松木少佐は顔色一つ変えずに話し始めた。
「処分は後で考えておく。そしてお二人に聞きたいことがある。今時間はあるかね」
「大丈夫です」
正芳は右足でトンと凛之助の左足を小突いてさりげなく訂正する。
「問題ありません」
「それはよかった。では先ずは自己紹介を頼む」
二人は顔を見合わせると、正芳が少し頷いて自己紹介を始める。その時の顔はまるで『俺の言葉遣いを真似しろ』と言っているようだった。
「私、東北帝国大学を卒業いたしましたのち、現在は言語学者としてこちらにお招きいただいております、広幡正芳と申します。今後、長きにわたりお世話になるかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
松木少佐は正芳に興味を持ったような表情で尋ねる。
「言語学者とは有り難い。ではこの本についての見解を聞かせて欲しい」
そう言って取り出したのは魔腔のすゝめだった。凜之助と正芳は一瞬驚いたが、すぐに平常を取り繕う。
「私も同じ品を所持いたしておりますが、少佐殿は当該の書を、いかほどにてご入手なさいましたでしょうか」
正芳は凛之助のベルトに括られた特異の巾着袋から魔腔のすゝめを取り出して見せた。
「これは妖怪が見えると言っていた将校が入手したものだ。どこで買ったのかは内容をうまく理解出来んかったがな」
「左様で御座いましたか。私見ではございますが、まず当該の書は、こちらの世界の何者かが、私どもの世界における英文字へと転記したものと拝察いたします。加えて、書名が日本語にて記されておりますことから、日本語を解する私どもの世界の人間が関わっており、かつ本書の内容を十分に理解している可能性が高いものと考えられます」
「そこまでは我々にも解った。内容についてはどう考えるか」
正芳はきっぱりと言い切った。
「現在、鋭意解読を進めております」
正芳がこの本の内容を読むことが出来ると知られるようなことがあれば、面倒なことになることなど分かり切っていた。それを防ぐためにも正芳の妖術については隠しておくのが無難である。
「そうか、では隣の者も頼む」
「はい」
凜之助の頭はこんがらがっていた。しかし自己紹介をしないでこの場を切り抜けることは出来ない。
(小雪ちゃんの為だ。何としてでも切り抜ける)
凜之助は腹をくくった。
「私は民俗学者として呼ばれた支知凜之助と申します」
「民俗学者....あまり聞かないが、ここで何を調査する積りか」
「はい、魔腔の中で発生する付喪神や外から入り込む妖怪についてを調査していきたいと思っております」
正芳は呆れ顔で上を見上げた。しかし松木少佐は意外にも凛之助の話に興味を持った様子だ。
「ほう、妖怪か....実は私も昔つちのこを見たことがあってな、あの時は嘘吐き呼ばわりされたが実際のところどうなんだ、いるのか」
「つちのこですか、全国どこでも見られるので少佐さんが見たのは本物でしょう」
「やはりそうか、いやあよかったよかった」
松木少佐はそう言いながら高らかに笑う。そしてさらに妖怪に興味を持った様子だ。
「うちの連隊に妖術を使うことが出来ると言う者がいるがどうだろうか」
「私も使うことが出来ます。お見せしましょう」
凜之助は左の袖口から麻縄を引き出して見せる。
「これは私の妖術である縛縄です。自在に動かすことが出来ます」
縄をうねらしたり机の上の魔腔のすゝめを持ち上げたりして見せると、松木少佐はその様子を子供のように目を輝かせながら見ていた。そして次に凜之助は縄を消して見せた。
(あれはあの時の....)
霧崎少尉は一度この消える縄で攻撃されている。少尉も自然と個人的に興味を持つ。
「この縄は妖怪の姿と同じ、波長を伸ばすことで人間の目に映らなくなります。普段妖怪は人の姿をして社会生活を営んでいますが、趣味や気まぐれで人間を驚かすときには変化を解いたのち、消えたり現れたりするのです」
「ほう....」
松木少佐は呆気に取られて声も出なくなる。ともあれ松木少佐は二人の素性については納得した様子だ。
「魔腔の内部を利用、調査をする許可証を発行するから外で待っていなさい。これからよろしく頼む」
そう言われて外に出た三人は一気に力が抜けるような感覚を覚えた。使われていない会議室の席に着くと全員が机に突っ伏した。
「はあ、一先ず終わったな。お疲れ凜之助」
「ああ、お疲れ」
「そういえば霧崎さんは上官の名前を勝手に出していたが大丈夫なのか」
「篠原大尉のことか、問題ない。私に借りがあるし、何よりあの場では私個人が呼んだことにするよりはずっといい」
しばらくして再び司令官室に向かうと、そこで松木少佐から二枚の許可証を受け取った。
無事に許可証を受け取った二人が、魔法素材を集めるために準備を整えようと考えていると松木少佐からとある提案があった。
「魔腔の中は危険な生物が多いと報告されている。おそらくうちの兵が同行することになっているはずだが何人ほど必要だ?」
こう言われることは二人とも想定していたが、兵が同行するということは正芳が魔腔のすゝめの内容を読むことが出来ることが知られてしまう恐れがあるため避けたいと思っている。
「兵の同行は必要ありません。ある程度、訓練を積んでいますので」
苦し紛れの言い訳、しかし何かを察した様子の松木少佐はとある提案をしてきた。
「分かった。ただ、実力を証明してもらう必要がある。この街の奥にある違法建築を作った指導者が誰なのか調査してきてほしい。それが出来たのなら実力を認めよう」
「分かりました。行ってまいります」
司令官室から出て三人は一階に降りた。それと同時にこれからやることは決まった。
「凜之助、ひとりで行ってくれ。俺はここらを見て回るから」
「分かってるよ」
凜之助は正芳と霧崎少尉から別れると、司令部庁舎から出ていった。外は静まり返り、編上げ靴のガチャガチャという足音や時々聞こえる車の音が外よりも大きく感じた。
「おや....」
足元に二枚の葉が落ちている。穴が開いて枯れてしまっているこれは木の葉隠れの葉だった。凜之助はそれを拾い上げると、手の中でぐちゃぐちゃに潰してしまった。
(縄を消した時の反応、霧崎とかいうあの少尉は妖怪は見えていない。本当に直感で撃ち抜いたな)
手から零れた葉の屑は風に乗って飛んでいき、凜之助は風上である魔腔の奥に歩みを進めていった。
松木少佐は陸軍司令部庁舎の窓からその後姿を眺めている。
(面白い男だ。が、しかしまだ信用することは出来ない。価値だ、価値を証明することだな)




