04 魔腔の住民
◇前回のあらすじ
仲多巡査を見送った
昭和七年五月二十一日(土)
麹町区隼町から下谷区方面へ自動二輪車を走らせ、東京市電の路面電車と並走しながら万世橋駅付近を走行していると、秋葉原駅の奥、つまり市村座の方から煙がもくもくと昇っているのが見える。
「嘘だろ....」
速度を上げ市村座に向かうと、尺八や番傘頭の大小さまざまな付喪神たちが逃げ惑っているのが見える。
これほどの付喪神がいる場所は限られている。嫌な予感を覚えながら市村座に戻り、自動二輪車から降りると、そこは受け入れがたい業火に包まれていた。
「支知君!」
「座長、無事でしたか。中に人はいますか」
野次馬の中から声を掛けてきたのはこの市村座の座長であり、神田川の橋の下に捨てられていた支知を拾い、育て上げた市村さんだった。
いつもの凛とした様子とは打って変わり取り乱している様子だ。
「まだ小雪ちゃんが中にいるんだ!」
「自分が飛び込みます」
その言葉を聞いた周囲の野次馬たちはせっせと水の入ったバケツを運び、凜之助に大量の水を浴びせた。すると、人込みを搔き分けて一人の女性が近づいてくる。
「支知さん!これを持って行ってください」
急いだ様子で現れたのは織子だった。彼女は一振りの巡査用サーベルと光沢のある赤褐色の羽織を凜之助に投げ渡した。
「来ると思っていました。気付いているとは思いますが、中から強力な気配を感じます。凜之助さんが使っていた番号のサーベルをかっぱらってきたので、なんとか小雪さんを助け出してください」
「俺が使っていたサーベルと、これは火鼠の皮衣か....流石妖怪だ、行ってくる」
サーベルを佩刀し、火鼠の皮衣の袖に腕を通して市村座の木戸口に向かうが、炎が噴き出して来る者を拒んでいる。
(一か八か....)
凜之助は正芳のハーレーの発動機を再び点火させると、それに跨り発進した。そして一気に速度を出すと、そのまま燃える空間を切り裂いて中に飛び込む。
(熱い、そして何も見えない)
壁を突き破り乗り捨てられたハーレーは、観客席の左側を一直線に走る花道に突き刺さった。
一方、飛び降りた凜之助は燃え盛る建物内を這っていた。
(とにかく階段だ)
小雪が二階の自室に取り残されていると考えた凜之助は階段を目指す。その途中、何者かに指を引かれた。
「ぽわぽわ!ぽわぽわ!」
(座長が愛用している耳かきの付喪神か)
小さな体で凜之助を引きながら小雪のいる場所まで案内してくれるようだ。付喪神に引かれ、階段を這いあがると、不思議と煙はあるが火の手が上がっていなかった。
「炎が下に流れている....まるで水のようだ」
耳かきの付喪神を外に放り投げると、廊下の奥から何かが近づいて来ているように感じた。
壁が削れる音、不自然に迫る炎の塊、間違いなく何か人ならざる者がそこにいる。
「けしやうの....あ」
狐の窓で正体を見ようとしたが、左手が無いため狐の窓が組めなかった。打つ手が無くなっている今現在も炎は迫って来ていた。
(小雪ちゃんの部屋はすぐ奥なのに....。いや、やるか)
迫る炎の塊に向かって走ると、左腕に力を籠め跳び上がった。
「縛縄・絡み蜈蚣」
左腕の包帯の隙間から伸びる縄は天井の梁に巻き付き、体を海老反りにして炎の塊を飛び越え、奥の部屋に飛び込んだ。
「小雪ちゃん!」
「....凜之助さん」
幸いにも小雪の意識はあった。
「ごめん、左手貸して」
「はい」
凜之助は小雪の左手と自身の右手で狐の窓を組むと、部屋の障子を焼こうとする炎の塊に向けて覗き込んだ。
「小雪ちゃん」
「大丈夫です」
「「けしやうのものか ましやうのものか 正体をあらはせ」」
二人で呪文を唱えると、それは姿を現した。燃え盛る炎のような髪をした化け猫が燃える車を引きながら近づいてくる。
「火車か、なぜ小雪ちゃんを狙う。彼女の魂は清らかだぞ」
「ふん、そうかねえ」
迫りくる火車は、車が燃え盛る制服と制帽になり半人半猫の女性のような姿に変化した。
「その娘は妖怪の血が混ざっている。知らぬ訳ではあるまいな」
「ああ、だが人間のように生きる権利はある」
こう話しているうちに煙はじわじわと体力を奪っていた。しかし、凜之助はただ時間を無駄にしている訳ではなかった。
「話しても無駄か。みんな押さえろ!」
「は?」
その声に合わせて逃げ遅れた付喪神たちが一斉に火車にとびかかる。火鉢の付喪神や急須の付喪神など、熱さに強い付喪神たちが率先して火車の動きを封じると、凜之助は小雪の手を取った。
「行くよ!」
「はい」
二人は窓に向かって走った。しかし凜之助は飛び降りる積りは無かったのだ。
「織子さん!」
そう言うと凜之助は小雪を窓の外へ放り投げたのだった。下ではあらかじめ織子を含めた野次馬たちが布を広げて待ち構えていた。
皆は小雪を受け止めると次々と避難を始める、織子はその人混みに紛れ再び姿を眩ませるのであった。
一方、市村座の中では火車と凜之助が向かい合っていた。振り返るころには付喪神たちは火車の緋色の刀に切り裂かれ、頭の道具が破損していた。
「わては冥府警抜刀隊、針猫 狂華」
「冥府の斬り込みたいが現世に、一体何が起きているんだ」
「名乗らんのか」
「俺は元警視庁巡査、支知凜之助」
互いに抜刀し、先に踏み込んだのは凜之助だった。狂華の袈裟を狙う斬撃は軽く受けられてしまう、そう考え左腕に妖力を溜める。
「縛縄・絡み蜈蚣」
狂華の身体を刀ごと縛り上げると建物の奥へ押し倒した。
「観念するんだ」
「縄の妖術か。お前のように妖術を使う人間はここ数年で増えた、丁度魔腔が開いた時期だったか、お前らはんらは人間を辞めたいのか」
狂華を縛る縄は彼女の体温で焼き焦げてしまう。そして火車は妖怪としてとても強かった。
「獄炎・魂食い」
周囲を八つの人魂のような炎が囲い、じわじわ距離を詰めてくる。その炎は畳やその下の床も燃やし尽くすような勢いだった。
「人間もどき!お前はんも序でに地獄まで送ってやろうか」
狂華はそう言って凄むが、凜之助は冷静にサーベルを拾い上げ業火で山桜に火をつけてふかし始める。
「この市村座は明治二十五年にここに移転してきたんだが、外壁は現代の技術で鉄筋とか使っているんだけど中は江戸時代からの雰囲気を演出するために、ほとんど伝統的な木組みで作られているんだよね」
「あ....」
「そろそろだな」
狂華は先程の攻撃で建物の中心部へと押し込まれていた。
凜之助は慌てる狂華の隙を見逃さず、跳び蹴りを入れて倒すと、下から炙られていた床が崩壊して二人は燃え盛る舞台へ落下していった。
「地獄に帰れ!」
そう言うと舞台は裂け、赤黒い地獄への通り道が開いたのだった。
「うわあ!」
地獄に落ちた二人の運命は全く異なる結果となる。落ち続ける狂華と異なり凜之助の縛縄は天井の梁にしっかりと縛り付けられていた。
下に流れる特殊な炎による火事だから出来ることだった。
(これが地獄の光景か....)
屍の焼け爛れる臭いに見るも悍ましい光景、この空間を表せる言葉は地獄以外にないのだろう。凜之助が上を見ると地獄へ通り道が閉じかけていた。助かったと思ったが、この体勢ではどうしようもない。
既に諦めていた凜之助だったが、そんな彼を神は見捨てていなかった。
「凜之助!」
「正芳!」
上を見ると正芳と警視庁消防部の人々が縄を引き上げていた。
「踏ん張れ、消防自動車が来たからもう大丈夫だ!」
体はどんどん引き上げられ、舞台の床を掴める距離になると三人がかりで引き上げられた。そして地獄への通り道は閉じ、跡形も無くなっていた。
霊感の無い消防部の人たちには床から急に人が現れたように見えていただろう。
「ああ、助かっ....」
────ベキン
助かったと気を抜いた瞬間、縄を結んでいた梁が折れて凜之助の上に落ちてきた。
「凜之助!」
昭和七年五月二十三日(月)
愛宕町の東京病院で再び目を覚ました凜之助は周囲を見渡した。以前と異なることがあるとすれば隣の寝台で小雪が眠っていることだ。
「またここか」
「またここですよ」
寝台から見て出入口とは反対側に織子と正芳が立っていた。二人は面識がなかったが凜之助の意識が無い間に打ち解けたらしい。
「取り敢えずみんな無事だな。お前も小雪も、そして俺の愛車も」
寝台の横の棚には火鼠の皮衣が畳まれ、サーベルが立て掛けられており、引き出しを開けるとやはり例の石が光っていた。
「こいつはほんと....」
凜之助は一層強く光る中の石を取り出してみると、手にあった小傷がみるみる消えていく。その様子を見て慌てて手を離すと、石は一回り小さくなっていた。
「この石、身体の不調に反応して光っていたのか....」
石を摘み上げ、小雪の首元にそっと当てると石は小雪の身体の中に吸収されていき、数分経過すると小雪も無事に目を覚ました。
「わあ....よかった、気持ち悪いとか言って石に失礼だったな」
「凜之助さん、なんだかいつもより体の調子がいいみたいです」
この石の正体が何だったのか、知る手段は一つしかない。
「正芳、魔腔に行こう」
「そおこなくっちゃ」
昭和七年五月二十六日(木)九時頃
凜之助と小雪が退院し、これからのことを話し合った。
小雪は体のことが心配であるため実家のある岩手県に帰ることになった。火車が再び襲ってくる可能性があるため、凜之助の知り合いの神主にとびきり強い結界を張ってもらうことにした。
「さてと、俺は家無しか」
「それなら安心してください、新しく住める場所を用意しておきましたよ」
織子に連れられて来たのは馴染みの蕎麦屋だった。大将に話を聞くとここの二階の居住部屋は使ってないとのことであり、住んでもいいと言ってくれている。
蕎麦屋の裏口から入り、すぐの階段を上がると八畳の部屋がありここが新しい居住地だ。
「何はともあれ、上手く物事が進んでいるな」
「あとあたしもここで暮らしますからね」
「そうなのか」
「あたしが屋根のある場所で生活したいから頑張って探したんですよ」
「そうなのか....」
「さて、お夕飯までには帰ってきてくださいね」
「ああ」
この後の予定は病院で正芳と決めていた。ズボンと白洋シャツに火鼠の皮衣を羽織り、サーベルを持つと、秋葉原駅から電車で品川駅まで行き埋立地に向かって歩き始める。
「ほんとうに品川駅の南側は何も無いな」
無機質な埋め立て地には電柱と電線が魔腔に向かって伸びているだけで他には何もない。
しばらく歩みを進めると、遠くに空中に開いている巨大な暗い穴が見えてくる。その穴のすぐ前まで行くと正芳が待っていた。
「来たか。サーベルは結局返してないんだな」
「ああ、なんだか警察に腹が立ってね」
「まあいい。あとお前に渡しておきたいものがあるんだ」
正芳が差し出した木箱を手に取りふたを開けると、そこにはブローニングM1910が入っていた。
「おっと、出処は聞くなよ」
「ああ」
凜之助がそれに触れようとすると正芳は箱を少し引いて尋ねる。
「覚悟は出来ているか」
これを手にするということはすなわち警察だった自分を捨てるということだ。
だが、もう心は決まっていた。
「出来てるよ」
ブローニングM1910を手に取り箱を投げ捨てると、二人は魔腔の前に立った。
「なあ正芳、入って大丈夫だよな」
「ああ、帝国陸軍の調査は五年前のを最後に情報が無え。こそ泥がいるか、もぬけの殻だ」
「行こう」
二人は目を瞑り前に踏み出した。そして目を開くとそこには、東京の街並みによく似た空の無い街があった。
(何だこれは)
そこらを歩いている人を見るとどうやら陸軍とその関係者のようだ。
「魔腔の....住民?」




