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帝都異世界事変1932  作者: 黒板係
遠野迷家譚
3/12

03 弥生神社

◇前回のあらすじ

酷い事件、犠牲者が出てしまった

 昭和七年五月二十一日(土)


窓掛けの隙間から朝日が入り込む病室、塗料の溶けた香りに所々焼け焦げたような跡がある部屋の白く無機質な寝台で目を覚ました凜之助は辺りを軽く見まわす。七台ある他の寝台に人はいないようだ。


すると、寝台の右側にある棚の上で籠一杯に入ったびわが陽光に照らされ橙色に輝いていた。


(美味そうだ)


右腕を伸ばしてそれを取ろうとするがなかなか届かない。今度は身体を転がして左腕を伸ばしてみると包帯を巻かれた腕が視界に入ったが、そこに左手は存在しなかった。


(やはり爆発していたか....)


左手は失ったが喪失感は無かった。あの状況では命があるだけ儲けものである。


(何とか....取れないか)


ぐっと一層強く腕を伸ばしてみると、病衣の袖から麻縄が蛇のようににょろにょろと這い出てきた。その縄は自分の意志で自在に動かせるようであり、びわにぐるりと巻き付けると手元まで手繰り寄せた。


「お....お~。いいなこれ」


「使いこなしてますね」


不意に女性の声が聞こえその方へ向くと、突然話しかけてきたのは白い着物を身に纏った見覚えのある妖怪だった。


「一反木綿か」


「あたしには肝付織子って名前があるんですけど」


そう言うと織子は縄からびわを取ると小刀で皮を剥いて渡してきた。凜之助はそれを口に入れると完熟したびわの甘みをゆっくりと味わう。


「美味しいな....。ところで何故ここにいるんだ。そしてここは何処だ」


「東京病院ですよ、愛宕町の」


聞くと織子はこれまでのことを教えてくれた。


聞けば警視庁に用事のあった織子が偶然例の事件現場に居合わせていたようだ。


手榴弾が投げられた瞬間に反応していたのは凜之助だけではなく、織子は手榴弾が爆発する瞬間に強力な布を何重にも巻くことで爆風や破片による被害を最小限に抑え込んでいた。


「病院まで運んだのもあたしなんですからね」


「織子さんがいなかったら今頃死んでたな。ありがとう....ほんとうに」


「お礼なら遠野さんに言ってください。遠野さんの恋人だから助けたのですから」


「何故それを....」


「彼女の芝居が好きだからですかね。あとは妖怪の情報網の力」


「なるほど....」


「それではあたしは失礼しますね。くれぐれも遠野さんを悲しませないように」


「待て」


「何ですか」


凜之助は立ち去ろうとする織子を呼び止めて、目が覚めた時からぼんやり気になっていたことを尋ねる。


「なんでこの病室は、こんなにも焼け焦げた跡があるんだ」


「ああ....それはですね」


話を聞くと、凜之助がこの病室に運び込まれてからというもの、不審な男がやってくるようになったそうだ。


その男の特徴は、四白眼で黒いコートを羽織っていたそうだ。その男が凜之助に近づこうとするたびに織子が爆竹で騒ぎを起こしたということであった。


織子が病室を後にすると、凛之助は布団にくるまり考え事をしていた。


(絶対に仲多巡査を殺したあの海軍将校だ。あいつ、最後まで車から出て来なかったということはこの事件で捕まる気はなかったということか。多くの人間が憲兵に自首するのに隠れて次のクーデターの計画を進めようとしているのだろうか)


多くの可能性について考えていると、病室の扉に手を掛ける音が聞こえた。凜之助は縄でびわの皮剥きに使われた小刀を手繰り寄せると、それを身体の下に隠した。


「お、目が覚めていたか。そろそろだと思ってびわを用意していたが、もう結構食ったな」


病室の扉を開けたのは正芳だった。その姿を見た凜之助は小刀をびわの籠に投げ戻すと体を起こした。


(一つしか食べてないが....)


下の屑籠を見るとびわの皮や種が捨てられ、少し時間が経ったのか変色していた。


(織子さん食ったな)


「無理するなよ。お前の欲しいものはそこの引き出しに入れておいたから」


「何を」


正芳は引き出しを引き抜くと凛之助の膝に乗せて見せた。中には五月十五日から五月二十一日までの各新聞社の新聞、そして一枚の封筒と小瓶に入った光る石が入っていた。


(俺は六日も意識がなかったのか....)


「この石はまるで憑き物のようだな。それでこの封筒は....」


封筒の中身は穏便に警察官を辞めて欲しい旨の文書と十円札が五枚入っていた。


「俺は使い捨ての駒か。口止め料にしては安すぎないか、流石に退職金とは別だよな」


新聞をめくると、そこには事件の全容や犯人の名前が所狭しと並んでいた。


昭和七年五月十七日(火)時事新報夕刊

相次ぐ凶変事件に不気味な、きょうの帝都

要所は宛ら戒厳令か


警視総監から治安維持の声明

警視庁では十六日は非番警官二千名を招集し管下八十二警察署に対し其の管内の警戒に遺漏なきを期し一方人心の不安の念を期するため大野総監より治安維持に関する声明書を発する事に決した


「へえ....こんな動きがあったのか」


「殆どの破壊行為は失敗に終わったらしいな。変電所も無事だったみたいだな」


「東京駅前交番所の電気は消えたが....」


「それは電球の寿命だな」


犯人については以下の通りだ。


被告人     地位        罪名

───────────────────────────────────                    

古賀 清志    海軍中尉      反乱罪

三上 卓     同         同

中村 義雄    同         同

山岸 宏     同         同

黒岩 勇     海軍少尉      同

村山 格之    同         同

伊藤 亀城    同         反乱予備罪

大庭 春雄    同         同

林 正義     海軍中尉      同

塚野 道雄    海軍大尉      同

後藤 英範    陸軍士官候補生   反乱罪

中島 忠秋    同         同

篠原 市之助   同         同

八木 春雄    同         同

石関 栄     同         同

今清 豊     同         同

野村 三郎    同         同

西村 武敏    同         同

管 勤      同         同

吉原 政巳    同         同

坂本 兼一    同         同

橘 孝三郎    愛郷塾頭      爆発物取締罰則違反・殺人・殺人未遂

後藤 圀彦    愛郷塾副塾頭    同

林 正三     愛郷塾教師     同

矢吹 正吾    愛郷塾生      同

横須賀 喜久雄  同         同

塙 五百枝    同         同

大貫 明幹    同         同

小室 力也    同         同

春田 信義    同         同

奥田 秀夫    明治大学学生    同

池松 武志    陸軍士官学校中退  同

高根沢 与一   無職        爆発物取締罰則違反・殺人

杉浦 孝     愛郷塾生      爆発物取締罰則違反・殺人幇助

堀川 秀雄    本米崎小学校訓導  爆発物取締罰則違反・殺人未遂教唆

照沼 操     同         同

黒沢 金吉    農業        同

川崎 長光    同         爆発物取締罰則違反・殺人未遂

大川 周明    神武会長・法学博士 爆発物取締罰則違反・殺人幇助

頭山 秀三    天行会長      同

本間 憲一郎   柴山塾頭      同


いずれも五月十五日夕方憲兵に自首をした。裁判は陸海軍の各軍法会議、東京地方裁判所で行われた。


「当事者としてどう思う」


「そうだな....少ないな。この他にも農民決死隊は沢山いただろう」

(それに赤城とかいう海軍将校の名が無い)


「今回の事件、あまり被害は大きくなかったが犬養総理が射殺された影響は大きいだろうな。俺も外国の商売相手が多いからこれからどうしたものか....」


「犬養総理が亡くなった今、関東軍は満州国を広げようとするだろうね。中華民国やソビエト連邦に喧嘩を売ることになれば、戦争が勃発してもおかしくはないだろうな」


しばらく正芳と雑談をした凜之助は、寝台からゆっくりと立ち上がると医者に傷の様子を見てもらう。異常は見られなかったため退院の手続きを行い、斜め掛けの鞄に荷物を入れ外に出た。


「久しぶりに動くと変な感じだな。正芳、ハーレー貸して」


「唐突だな、いいけど、左手吹き飛んで運転できるのか」


正芳が愛車のハーレーモデルVLを柱に固定している錠の鍵を投げ渡すと、凜之助は余裕のある顔で巧みに麻縄を操りそれをつかみ取った。


「おお」


「何かを失った者は何かを得るものだよ。光を失った盲人が暗闇に強くなるようにね」


そう言うと鎖を外し、慣れた手つきで四工程発動機に点火をして始動すると、接続装置を離して調速機を開けると颯爽と走り出した。


しばらくして食料品店、カルピスやどりこの、金線サイダーに三ツ矢サイダー、サクマ式ドロップスなどの菓子類を買うと再びバイクを走らせ煙草屋に向かう。そこで様々な銘柄の煙草を買うと、とある場所に向かう。


「静かだ」


ここは東京府麹町区隼町にある弥生神社である。ここには多くの警視庁の殉職者が祀られている。


「まだ成仏してなかったのか。仲多巡査」


仲多巡査は本殿の前の石階段で血塗れになって座り込んでいた。


当時は視界がぼやけていたがよく見ると腹部が切り裂かれ頭部は弾丸が貫通しており痛々しい様子だ。


「お疲れ仲多巡査。お供え物持ってきたぞ」


仲多巡査の怪我には触れず、思出話を語りながら先程購入したサイダーやお菓子、煙草を傍に置いてやった。


(死人に口無しか....)


凜之助はマッチを擦り山桜に火をつけるとゆっくりとふかし始める。お互い何も語らずにただ時間だけが過ぎる。


足元に灰が積もり、凛之助がもう一本取り出そうとすると、山桜の箱は空になっていた。


「俺はそろそろ帰るよ。その煙草の裏には、向こうにいるぼんくら共の名前を書いておいたから届けてやってほしい」


凜之助は仲多巡査の前に立ち姿勢を正すと最後の敬礼を行った。


仲多巡査の姿はふっと消え、敬礼が返ることはない。しかし、弥生神社を後にする凜之助には、辺りの木々のざわめきが仲多巡査が『ありがとう、任せときな』と言っているように感じた。


(俺は死んだらどこに行くのだろうか)


供えられた物を持ち帰ることは凜之助にはできなかった。後は盗まれるかただ腐っていくだけだろう。

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