02 襲撃
◇前回のあらすじ
いつも通りの仕事、いつも通りの面倒事
蕎麦も減り、凜之助が汁を吸った尾頭付きの海老天にかじりついた頃、程々に腹も満たされると本題に入る。
「魔腔の話なんだが、俺の外国の商売相手が既存の商品への興味が薄れているように感じることが多くてな。目新しい物を探すために魔腔の中に行きてえと思っているんだ」
「虚空に開いた穴に入るなんて嫌だね。万が一のことがあったら小雪ちゃんに会えなくなる」
「大丈夫だ帝国陸軍は無事に帰還し調査から手を引いたらしい。人が消えるってのはただの噂に過ぎねえよ」
「お前なら適当な人間雇って向かわせることも出来るだろ」
「目利きは俺でなきゃいけねえ。俺が直接行く方が効率がいいってものよ」
「へえ」
ぬる燗の白鶴を煽る凜之助は心底面倒臭いといった様子だ。
しばらくして正芳は少し目線を降ろし凜之助の姿をぼんやりと眺めていた。
「俺に何かついているのか」
「いや、お前の下半身が発光しているように見えてな....俺も疲れているのかねえ」
その言葉を聞き、視線を降ろしてみるとズボンの懐が七色に色を変えながら光を発していた。
取り出してみると光は鮮やかに発している。
「ポケットに入れたまますっかり忘れていたよ。蛋白石か」
「いや違えな。蛋白石は発光しねえし、これまでいろんな宝石を見てきたがこんな物は聞いたことすらねえよ」
泰然と蕎麦を啜っている正芳が食い気味に見て言う。
正芳は特別な言語能力を生かし、世界中の製品を個人で輸出入したり洋書の翻訳をしたりして生計を立てている。そんな人間が食いつくその石に凜之助は興味を持った。
「もしかしたら魔腔の物かも」
正芳はその言葉を聞いてはっとしたかのように視線を石にやった。そしてさらに勢いを増して食いついてくる。
「ちょっと貸してみろ」
「駄目だよ。危ない物かもしれない」
「いやちょっとだけ、おい貸せって!」
「駄目」
バタバタ言い争う二人を止めたのはこの店の大将だった。
「支知さんとお連れの方、常連だからあんまり言いたかないが、食べ終わったんならとっとと帰んな」
大将は半ば呆れたように静かな怒りを込めて言い放つ。しかし常連の凜之助相手であるため強い口調ではなかった。
店を出た凜之助はマッチで山桜に火をつけ正芳はダンヒルのオイルライターでキャメルに火をつけふかしながら街灯に照らされた道を歩く。
「魔腔に行く話、少し考えておくよ」
「ああ、金が必要なんだろ?待ってるぜ」
正芳はそう言うと神田川の方へ歩いて行った。凜之助はその反対方向に歩みを進める。
三町ほど歩くと目立つ提灯看板が見えてくる。ここは下谷区御徒町一丁目、下谷区裁判所のすぐ裏手にある市村座である。関東大震災後にこの地に移転し今夜も営業している。
しかし、ここへは芝居を見に来たわけではない。早い話、凜之助はここに住んでいる。
「只今帰りました」
『市村座』と書かれた木戸口とは別にある裏口から入り、狐の窓を使わずとも見える、糸切り鋏や鞠などの頭を持つ小さな付喪神たちを避けながら三味線や太鼓の音に足音を合わせながら二階に上がる。足音がお客に聞こえるなんてことはないがつい癖でやってしまうのだった。
楽屋のさらに奥、様々な小道具が置かれている物置部屋の一角に敷布団が敷かれている。ここが支知の生活の場だ。
(付喪神らはいつも元気だな、こいつら全然隠れる様子が無いがお客さんに見られてないよな....)
「凜之助さん、お帰りなさい」
自分を呼びかける声に振り返ると一人の女性が急須と湯呑の置かれたお盆を持ってきていた。彼女の名は遠野 小雪、歳は十九、ここで芝居をしている女役者であり凜之助とは恋仲である。
「ただいま、小雪ちゃん」
「お茶を淹れて来ました....あっ」
体をよろめかせた小雪はそのまま崩れ落ちる。急須と湯呑は割れ、凜之助のズボンを濡らす。その音に驚いた小さな付喪神たちは皆どこかに隠れていった。
凜之助は彼女が倒れる寸前に体を支え、そのまま布団にゆっくりと寝かせる。
「小雪ちゃん大丈夫か。今日も芝居に出たのか」
「はい....。ごめんなさい」
小雪の身体は弱かった。彼女には雪女の血が混ざっておりその代償なのかもしれない。それに加え、彼女は原因不明の病と闘っている。
そんな状態で芝居を続けるのは自分で自分の体を壊しているようなものだ。
「もう芝居をやめた方がいいんじゃないか」
「でも、またみんなで浅草で芝居がしたいから。それに....」
「大丈夫、小雪ちゃんも市村座も俺が頑張るから」
「....はい」
安心した表情で気を失ったように眠りについた小雪を抱え上げ、彼女の自室まで運んで再びゆっくりと寝かせた。
その後、明日の休日を有意義に過ごすために物置部屋の掃除を済ませると凜之助も床に就いた。
昭和七年五月十五日(日)
小雪と過ごした休み明けの凜之助は、今日もしっかり働いていた。
五時頃、支知巡査と仲多巡査は近くで勃発した建設作業員と近隣住民の乱闘騒ぎを収めて、東京駅前交番所に帰って来ていた。
「痛い....凜之助、もっと丁寧に」
「我慢しな、そんなに深い傷じゃない」
仲多巡査の頬にはナガン弾による傷が一直線に走っている。日露戦争でロシアの将校から鹵獲したナガンM1895が巡り巡って民間人の手に渡っていたようだ。
傷の手当てをしていると、机に置いていた例の光る石が怪我に反応したかのように一層強く発光し始めた。
「まだ持っていたんだ」
「洗濯物に紛れてしまって、昨日は小雪ちゃんと一昼夜探し回ったよ」
「支知は普段しっかりしているのに、時々抜けているよな」
そう言い放つのは、先程塗料の入った一斗缶で殴られ頭を冷やしている歌藤巡査長だった。
──ジリリリリ──ジリリリリ
交番所の2号自動式卓上電話機は今日も元気に警察官を呼ぶ音を鳴らす。
受話器を取ったのは歌藤巡査長だ。
「こちら東京駅前交番所であります」
心底面倒臭そうに受話器を持つ歌藤巡査長の手は次第に震え、額には脂汗が滲んできているように見える。
歌藤巡査長を横目に救急箱を片付けていると、突然交番所の電気がパッと消えた。
「電球が切れたか、前に交換されたのはいつだったか」
電力会社から貸付の電球をまた取り寄せるのは少々手間だと巡査の二人が思っていると、歌藤巡査長が受話器を置いて深刻な表情でこちらに向かった。
「どんな用件ですか。東京駅が爆発でもしましたか」
呑気に考えていた支知巡査の言葉とは裏腹に事態は深刻であった。
「犬養総理が銃撃された。それだけでなく首相官邸や内大臣官邸、政友会本部、三菱銀行、変電所が襲撃されているそうだ」
「大規模な襲撃....。血盟団事件は終わっていなかったと言うのか」
昭和七年二月から連続して行われた暗殺である血盟団事件。
当時昭和恐慌に拍車をかけていたとして批判を集めていた井上 準之助、團 琢磨の二人が暗殺されたのであった。
昭和七年三月、血盟団の創設者であり首謀者の井上 日召が警察に出頭したことで事件は幕を閉じたと思われていた。
歌藤巡査長の話にいち早く動いたのは仲多巡査だった。立て掛けてある六尺棒を支知巡査に投げ渡すと、サーベルを佩刀する。
「支知巡査!警視庁まで走るよ」
一方その頃、内大臣官邸から警視庁に向かう第二組のタクシーではこの事件を起こした者達が手榴弾を握りしめていた。
「もう間もなくか」
帝国海軍古賀 清志中尉と元陸軍士官学校生である池松 武志ら五人はタクシーの窓から警視庁を眺めると、その光景に違和感を覚えた。
「別動隊がまだ来ていない。それに警察隊の姿も見えないとは」
タクシーから降りた五人は予定通り警視庁の敷地内に歩みを進めようとした時であった。
「帝国海軍殿のご来訪予定は無かった筈ですが、如何なさいましたか」
待機していた支知巡査と仲多巡査の二人、先程まで走っていたとは思えない堂々とした立ち振る舞いで立ち塞がる。
「予想よりだいぶ少ないが、やはり待機していたか」
古賀中尉はブローニングM1910を抜くと、それに合わせて他の四人も十四年式拳銃や二十六年式拳銃を構える。
「この後憲兵に自首する積りだろうが、今此処で全員反乱罪と殺人・殺人未遂で私達、警察が逮捕する」
(とはいえ相手は銃を持った五人か....警視庁の中にいる人に助けを求めるか)
事実、この時警視庁の襲撃を予測していたのは仲多巡査ただ一人だった。
各地の襲撃で多くの警官が慌ただしく動いている今、声を上げても応援が来るよりも先に発砲される可能性が高い。
最初に動いたのは古賀中尉だった。
「恨みは無いが帝国のためだ」
──パン
ブローニングM1910から睨み合いを終わらせる音が鳴ると、弾丸が支知巡査の首を掠る。
「支知巡査!」
「問題無い」
支知巡査はブッと唾を吐き抉れた首に塗り付けると六尺棒の中ほどを強く握り、近くの犯人二人の顔面に投げつけ十四年式拳銃と二十六年式拳銃を奪い取る。
弾丸が飛んでくる中で冷静に、かつ素早く十四年式拳銃の弾倉を抜き二十六年式拳銃の実包をばら撒くと遠くに蹴り飛ばした。
それと同時に仲多巡査は六尺棒で犯人の十四年式拳銃を叩き落とすと、そのまま振り上げる勢いでもう一人の十四年式拳銃も弾き飛ばしていた。
「むっ!なんと」
一息に四人が制圧され、たじろぐ古賀中尉が仲多巡査に銃口を向ける。しかし中尉の指が引き金を引き切ることはなかった。
──パン
十四年式拳銃が火を吹き古賀中尉のブローニングM1910を弾き飛ばした。仲多巡査が犯人の手から落とした物を支知巡査が拾い上げて発砲したのだった。
「ほんとは駄目なんだけどね、こんな状況だしお咎めは無いだろ」
二十秒にも満たない銃撃戦が終わり、全員に冷たい鉄の手錠を掛けているその時だった。
────コロン
石ではない硬い何かが落ちる音がした。
何かと思えば警官と犯人、この場にいた七人の間に突如手榴弾が投げ込まれていた。
「このっ!」
支知巡査がそれを掴み走り出す。しかし、銃撃戦後の一瞬の気の緩みから反応がわずかに遅れ、この時手榴弾は地面に落ちてから二秒が経過していた。
─ドン
手榴弾も持った左手をうんと伸ばした。しかし至近距離で灼熱と爆音が支知巡査を襲う。
「支知巡査!」
仲多巡査が駆け寄ろうとしたが未だ池松武志には手錠が掛かって無かった。池松は地面に置かれた古賀中尉の短刀を抜くと仲多巡査の背中に深く突き刺した。
「ぐほっ....」
刺された仲多巡査はそのまま池松を背負い投げて手錠を掛けると、鍵を飲み込みその場に座り込んだ。幸いなことに池松は背負い投げの衝撃で意識を失ったようだ。
「支....知巡査....大....丈夫....ですか」
その声に反応するかのように支知巡査の体がピクリと動く。
(ん....。生きてる....不発弾か)
血だまりの中、四肢を動かせるだけ動かし仲多巡査の方を向く。
すると車の陰から帝国海軍の軍服に黒のコートを羽織る、背丈が六尺に届く四白眼の将校が現れた。彼は血に濡れた地面を一瞥し、まるで散らかった机を片付けるような冷たい目でこちらを見た。
「なら....がぐんざ....、うじご....だ」
(仲多巡査、後ろだ)
「ぐりゅ....ん....なぐだあぐが....」
(手榴弾投げた奴が)
「い゛る!」
(いる!)
必死に口を動かしたが、大量の血が流れ出し意識が朦朧としている仲多巡査には届かなかった。
───パン
四白眼の将校は十四年式拳銃で仲多巡査の頭を撃ち抜くと、慣れた手つきで腹部を切り開き、胃袋の中の鍵を奪う。
「申し訳ありません。赤城大尉殿」
「行くぞ」
嗄れた声でそう言うと、仲間を車に押し込んで去っていった。
「が....ぎ。あ゛....て」
(赤城。待て)
無情にも意識は深い闇に沈んでいった。




