10 地獄の襲来
◇前回のあらすじ
霧崎少尉は蓬莱の玉の枝を持ち帰ることが出来なかった
昭和七年五月二十九日(日)
この日は日の光が一切見えない曇天だった。
厚い雲が広がる遠野の地を凜之助は一人歩いている。
「さてと、元気にしているだろうか」
じめじめとした地面の香りや雑草の甘臭い香りに包まれながら歩みを進めていると、次第に一軒の立派な曲がり屋に辿り着いた。
敷地に入ると神職の白衣に白紋の入った紫の袴を履く、六十代の男性が箒で庭を掃いていた。
「菊池さん、ご無沙汰しております」
凜之助の声に振り向いた菊池 玉蓮は目を見開いた。
「支知君か。いやあ、久しぶりだなあ。今日はどういった用件で」
玉蓮は現在、凜之助の依頼であらゆる厄災から小雪を守る遠野大結界を管理している人である。
「今日はマヨヒガに用があって、そのついでにあいさつに来ました。どうですかあのおてんば娘は」
凜之助の言うおてんば娘と言う者は、凜之助が警察になって間もない頃に起きた一件で出会った神様である。オシラサマと呼ばれる神様が機嫌を損ね、当時の警察官の中で妖怪の対応が出来る者が総出で派遣されたのだった。
「お陰様で。あの御方はあれからはすっかり大人しく土着神として私と一緒に遠野大結界を守っていますよ」
「それはよかった。あの時は五人が亡くなった。馬の首と本体が夫婦喧嘩をするなんてとんだ異類婚姻譚だ」
凜之助は当時のことを思い出しため息を吐く。以前仲多巡査に預けた煙草は彼らのものだ。
「何はともあれ、結界が無事でよかった。これからも小雪ちゃんをよろしくお願いします」
「他でもない支知君がの頼みだからね。任せておきなさい」
彼がそう言うのなら大丈夫だろう。小雪に降りかかる厄災に対する心配は殆ど無いと言える。
これからの魔腔探索における心配事が一つ解消された凛之助は、来た道を戻り遠野家に戻ってきた。家に戻ると小雪の父親が玄関口で待っており、無言の目線で彼の部屋に通された。
「何の御用でしょうか。お義父様」
小雪の父親の前で向かい合うように正座をしながら問うと、自分の前では滅多に開かない口が開く。重そうにゆっくりと鈍く動く口から出た言葉は、想像していた厳しいものではあったが次第に弱々しくなる。
「君にお義父様と呼ばれる筋合いは無い。....と思っていたが、最後まで娘の傍で働いて気にかけてくれたのは君だけか」
遠野小雪は人気者だった。決して目立つような人ではないものの、細やかな仕草や歩き方で多くの男性を魅了していた。しかし、日に日に表情が消えゆく彼女の周りから人は居なくなっていった。病気を疑い金を出す人も現れたが、昭和恐慌の流れもありそのような人も消えていった。
「私は....私には何も無い。傍に居続けることしかできなかった」
「十分だ。俺ですら娘の病気を諦めようと思ったこともあったからな」
凜之助は俯いた。俯いた理由を凜之助は知りたいとは思えなかった。
「....そうでしたか」
「娘を頼めるか」
父親の目は真っ直ぐだった。それも今までに見たことが無いほど。
「任せてください。今までも、これからも」
部屋を後にした凜之助は囲炉裏のある居間に向かう。
「おやおや、見ないと思ったらどこに行っていたのかね」
「三上さん、少し野暮用です」
「そうか」
昼食をとり凜之助と三上大尉、霧崎少尉、小雪は一つの部屋に集まっていた。霧崎少尉が追い出された例のマヨヒガに入り蓬莱の玉の枝を入手する作戦を考える。
「何故この家の娘さんがいるんだ」
霧崎少尉が不思議そうな表情で小雪の顔を見る。
「不本意ですが小雪ちゃんが今回の作戦の要になります」
「皆様どうかよろしくお願いします」
昨日霧崎少尉が入ることに成功したマヨヒガは、欲のある人の前には現れないとされている。成果主義の軍人や秘薬を作ろうとしているような凜之助には不可能な話である。
「作戦はこうです」
その日の夕暮れ時、小雪は蕗を集めるための籠を背負い小川の上流へと登っていた。そしてその後ろを凜之助ら三人がそれぞれ武器を持って着いて歩く。
「二人は軍服に着替えたのですね」
「基本的に軍人は休日でも軍服だ。今回のようによそ様の家に上がる時は着替えるが」
「成程。それにしても上手く気配を消せていますね」
凜之助達の背中には「静」と書かれ神の御札が貼られている。
「ふふん、これが私の妖術。貼った相手に札に書いてある言葉を付与できるのさ」
(だから三上大尉殿は、目の前にいると五月蠅いのに探そうとすると見つからないのか....)
そうこうしているうちに、目の前にいた小雪の姿が霧に飲まれて見えなくなる。しかし三人は慌てていなかった。これも作戦のうち、小雪がマヨヒガに迷い込んだということなのだろう。
一方その頃、小雪はマヨヒガの中で手筈通りに籠からある物を取り出し火をつけた。
「凜之助さん達がこれで入ってこれるといいけど....」
中心の太い竹筒を細い竹で支えて立たせるような形のこの構造物は、三上大尉が急ごしらえで作成した狼煙である。太く立ち上る煙は、霧に包まれた森の中を歩く霧崎少尉の目がしっかりと捉えていた。
「見つけた」
「走ろう」
狼煙の煙は真直ぐ右へ左へと大きく動いている。森の木々に紛れる微かなマヨヒガの影が目の前を通り過ぎたようにも感じた。
しかしこちらには霧崎少尉がいる。少尉は煙を見ながら感覚を研ぎ澄ませると、三上大尉に合図を送る。
「今です」
「よし来た」
─パシッ
正確にマヨヒガの影との境界に「止」と書かれた札を貼ると、狼煙の煙はゆっくりと真上に昇るただの煙に戻った。そして「顕現」の札を手に持つ三上大尉を先頭に歩くと見えない壁に札が触れ、霧が晴れた中から大きな屋敷が姿を見せたのであった。
「間違いありません、これは昨日私が入った屋敷です」
「マヨヒガに到着、怪異の作り出した空間も俺達からすれば異世界だな」
「いやはや....本当に入れたとは」
中に入ると、庭の隅にある池のほとりで狼煙を上げている小雪の姿があり、凛之助はその姿を見て安堵の表情を浮かべた。小雪のもとに駆け寄る凛之助の後姿を見る三上大尉と霧崎少尉だったが、その背後から別の気配を感じ取る。
三上大尉は腰の木製拳銃嚢から南部大型拳銃を抜き拳銃嚢を銃床のように取り付け、霧崎少尉は試製拳銃付軍刀と十四年式拳銃を抜いて構え、少し遅れて凜之助もサーベルを抜いた。
すると虚空から開いたのは以前にも見たことがある地獄へと通じる穴である。
「厄介なのが来たな。針猫狂華!」
「やはり、わてが来たと分かるか」
地獄からやって来たのは針猫狂華率いる冥府警抜刀隊、冥府警察の制服に打ち刀を差した精鋭六名である。
「俺の妖気を目印に無理やり遠野大結界を破ったな」
「わてにかかれば、場所さえ分かれば容易いこと。さて、確保だ」
狂華の一言で五人の抜刀隊員が刀を抜いて向かってくる。それを迎え撃つのは三上大尉と霧崎少尉だった。南部大型拳銃に十四年拳銃、試製拳銃付軍刀から放たれる八粍南部弾は彼らの身体を貫いだ。
「ぎゃえええええ!」
「ぎえええええ!」
しかし勢いは弱まるどころか血を見た獣のような覇気すら感じるほどに強く、猿叫と呼ばれる掛け声と共に蜻蛉の構えから二人に刀が振り下ろされる。
「霧崎君、受けるな」
「チェスト!」
(避けれない。それなら)
───メキリ
霧崎少尉は躱せないと感じるや否や、相手の腕の動きに頭を合わせ、振り下ろされる刀を持つ手の指を頭突きで砕いた。指の折れた抜刀隊員は刀を落とす。
(指が砕けたか。この男やるな)
しかし、霧崎少尉は衝撃で意識を失い倒れ込んでしまう。初太刀は外せと言われる示現流を受けたので仕方のないことではあるものの、今の状況で戦力が減るのは厳しいと言える。
「三上さん、建物の中に逃げますよ」
「そうだな」
三上大尉が「煙」と書かれた札を地面に貼り付けると、庭に敷かれた砂利の隙間からもくもくと大量の煙が立ち上り始め、瞬く間に視界が真っ白になる。凜之助は小雪の手を取り、霧崎少尉を縄の妖術で持ち上げるとマヨヒガの建物の玄関口に向かって駆け出し、三上大尉は冷静に南部大型拳銃で相手を牽制しながら後ろ向きに歩き、縁側から建物に上がり込んだ。
玄関口から入った凜之助は霧崎少尉を安静に寝かせるための部屋を探していた。
(足音がしない。銃を撃っていた三上さんの方に行ったか)
凜之助は霧崎少尉を畳の上に寝かせると小雪の手を握り妖力を流し始める。いきなりのことで戸惑う小雪だったが、すぐに意図を察して流れ込む物を受け入れる。
「小雪ちゃん、この場所は妖力が強いから小雪ちゃんも妖術を使えるかもしれない」
「大丈夫ですかね」
「大丈夫さ、妖怪が全く見えない霧崎少尉もここでは冥府警の姿が見えているようだし」
「やってみます」
小雪は全身に溜まる力を右手に集中するように想像し、念じた。
「凍え・忘れ霜」
「う....冷たい」
霧崎少尉の額に霜が降りてくる。すると間もなく意識が戻ったようだが、回復したというより冷たさが深いで目が覚めたという様子である。
「よかった。目覚めたみたいだ」
「刀貸せ」
霧崎少尉は目が覚めるや否や、凜之助のサーベルを抜いて飛び起る。その刹那玄関口から炎を纏う縄が何本も伸びて迫り、狂華がその上を跳ぶように音も無く滑り込んでくる。
「獄炎・黒縄渡」
速度が十分に乗った狂華の緋色の刀は、霧崎少尉の持つサーベルに当たるとそのまま身体ごと吹き飛ばし襖を突き破る。
狂華は当初の目的であった凜之助と小雪に刀を向ける。
凜之助は拳銃嚢からM1910を抜いて小雪を背後に隠し隙を伺うと、遠くの三上大尉が戦っている音が近付いて来ていることに気付き小雪の手を引いて駆け出す。
「逃がすものか」
凜之助と小雪を追う狂華は、日々荷車を引いているため脚力では負けるはずがない。追いつくことが出来る前提で次の攻撃を考えているため、狂華が刀に妖気を込める際にやや距離が離れる。
しかし、凜之助はこの隙を見逃さなかった。
「三上さん、来店の札です!」
その時、襖の反対側では三上大尉が追手である抜刀隊員を粗方倒していた。三上大尉は凜之助の叫び声を聞くと、襖に「来店」と書いた札を貼りつけた。
「支知君に何かいい作戦があるようだね」
凜之助が襖に手を掛けた時、狂華の燃え盛る凶刃が小雪の首に届きかけていた。
「獄炎・刀輪斬」
「小雪ちゃん!」
「熱い」
凜之助と小雪が襖の奥に滑り込み襖を閉じると、それに続いて狂華が襖を開ける。しかし、狂華の開けた襖の奥には凜之助と小雪の姿は無く、三上大尉が南部大型拳銃を構えていた。
「そんな筈は....」
三上大尉の手には「入店」と書かれた札がある。動揺した様子の狂華は、後ろから迫る存在に気付くのがほんの僅かに遅れる。
「不意討ち御免!」
畳を思い切り踏み込む霧崎少尉の両手には試製拳銃付軍刀と凜之助のサーベルが握られており、狂華の斬り上げを左手のサーベルで受け、勢いそのままに右手の試製拳銃付軍刀で袈裟を斬る。
「見事だ」
斬られた誇り高き剣士である狂華は鮮血を散らし、マヨヒガの畳に倒れ込むのであった。




