01 五月晴れの警察官
支知 凜之助の戦いが幕を開ける。
昭和七年五月八日十七時頃、日は傾き自動車やバス、人力車がまばらに走る東京駅前の千代田通。高級な背広に山高帽を被った金持ちが帰宅する時間帯、丸の内ビルディングの周辺を走る泥棒とそれを追いかける巡査の姿があった。
「おいこら待ちなさい」
「捕まってたまるかよ」
この時間帯に帰宅するのは基本的に裕福な人たちである。この泥棒はそんな人々から財布を盗むいわゆるスリであるが巡回していた巡査に見つかったのであった。彼は東京駅の方へ走り東京市電の路面電車をひらりと躱し鉄道で逃げようとしている。
「逃がすか!」
泥棒を追いかける巡査の目に新聞売りの少年が立っているのが見えた。
「一部くれ」
ポケットから2銭銅貨を取り出して新聞売りの少年に向かって投げると、少年もそれに合わせて新聞を一部なげ返す。それをつかみ取った巡査は目の前を走る泥棒に狙いを定め、渾身の力で投げつけた。
「くらえ、読売新聞攻撃!」
投げられた新聞はバシンと泥棒の背中に命中した。
「何だ!」
泥棒がチラリと振り返ったその時だ。すぐ近くを走行していた学生の漕ぐ自転車にぶつかり泥棒はその場でグルリと一回転し、盗んだ物をばら撒きながら地面に叩きつけられた。
「おお、ごめんよ」
自転車が去ってすぐに追いついた巡査によって泥棒は無事に逮捕されたのであった。
「噂には聞いていたが、速いな。支知巡査ってのは」
「ほめてもいい物は出ないぞ。ほら、縛縄」
支知巡査、もとい支知 凜之助は山桜を咥えるとマッチを擦って火をつけ、左の袖口からスルスルと麻縄を伸ばし、泥棒の両手を縛って拘束した。その後、散らばった財布を袋に入れ、口を縛った。するとキラキラ光る何かが落ちていることに気付いた。
(なんだこれ....これも盗品か)
手に取ってみると、それは小瓶の中で七色に光る石だった。つい見惚れてしまいそうなそれを、後で詳しい話を聞くためにポケットに突っ込む。
「この昭和の時代に東京の警察に麻縄で縛られるとはねぇ…」
「風情があるだろ」
泥棒が逃げないよう十手を見せつけ、6町ほど離れた日比谷警察署に送り書類を書くと、また東京駅近くの交番所に戻るのであった。
「ただいま戻りました」
東京駅前交番所に戻ると、立番している仲多巡査と中で書類整理をしている歌藤巡査長の姿があった。仲多巡査に敬礼して中に入り、歌藤巡査長に敬礼すると何やら自分に連絡があるようだ。
「お疲れ様です歌藤巡査長。何かありましたか」
巡査長はキセルの灰を落としながら話し始める。小粋の芳醇なにおいが交番所に漂っている。
「巡回ご苦労。先程、妖怪絡みの事件があったと電話が来てな....御徒町だ。すぐに行ってくれ」
「2km以上ありますね…まあ、了解です」
「すまないな。妖怪を相手にできる人は少ないから」
「わかってます。お気になさらず」
早速外に出ると仲多巡査が話しかけてきた。彼は同期の巡査であり仲がよく、時々二人で飲みに行っている。少し怖がりな部分はあるが頼れる存在である。
「災難だな。もうすぐ帰れるってのに」
警棒を強く握り締めている仲多巡査は揶揄いつつも心配するような声で話し出す。
「そうだな....。でも、悪い話だけじゃない。サーベルやブローニングM1910を多少使ってもお咎めなしだ」
「へぇ....」
「それに妖怪は美人が多いぞ」
「僕には妖怪が見えないから分からないな....まあ、楽しそうで何よりだ。気をつけてな」
「ああ」
歩き出すと後ろからまた急に声を掛けられた。
「支知巡査!」
「おっと....」
何かが飛んできた。仲多巡査が投げたそれをつかみ取ると、それは油紙に包まれた二粒の明治キャラメルだった。甘いもの好きの巡査からのささやかな贈り物だ。
「ありがとう」
一つを口に放り込み、先程泥棒を送った日比谷警察署まで走ると巡査用サーベルとM1910を腰につけ、制帽を脱いで簡素な革製の保護具を被り赤バイに跨った。
「行くか」
エンジンを鳴らし颯爽と昌平通を走り鎌倉橋を越え燭町の交差点を右に曲がり、東松下町の交差点を左に曲がり昭和通をしばらく走ると御徒町に到着した。御徒町駅の前に赤バイを止めると、制帽を被りなおして早速周辺を散策し始める。
「そろそろ日が暮れるな....急ぐか」
夜までかかるかと思った捜索だったが、思いのほか早くに妖怪の姿は見つかった。
「うわー!」
「おろしてくれー!」
商店街に入ると買い出しに来ていた数人がふわふわと飛んでいるではないか。人間ができるようなことではない、間違いなく妖怪の仕業だ。
「何してんだか....」
呆れつつも妖怪を視認するためにとあるおまじないを使う。『狐の窓』というものだ。手順通りに指を組んで隙間を覗いて呪文を唱える。
「けしやうのものか ましやうのものか 正体をあらはせ」
すると、人々が浮いているその中心に一人の着物の女性が立っている姿が浮かび上がってきた。姿を見られたと察した彼女は人々を降ろし、こちらを向き攻撃を仕掛けてくる。周囲の人間は皆、妖怪の姿を見て一目散に逃げていった。
「斬布・縛り斬り」
シュルシュルと蛇のような布が退路を断ち、渦を巻くように斬りかかってくる。布にあたる直前に体勢を低くして避けると、その布は女性の着物の中に戻っていった。
「あたしは肝付 織子。あたしのことが見えるなんてね....ひょっとして妖術とかも使える?」
「ああ、見せてあげるよ」
その言葉を待っていたかのように再び布が向かってくる。今度は直線的だ、落ち着いて妖術を発動することができる。
「縛縄!」
左の袖口から麻縄を出すとその縄で布を受け止めた。強い力で押し返されそうになったが何とか根性で踏んばる。
「それだけか....つまらない」
「ああ、だからこれがある」
布を受け流し、織子が体勢を立て直す前に腰のブローニングM1910を抜いて遊底を引き狙いを定めて引き金を引いた。
──パン
軽い銃声が鳴り織子が倒れる。銃口から昇る硝煙と額の傷で銃弾が命中したことがわかる。
「い....痛い...。.降参よ」
「人間にちょっかいかけたらだめだよ」
「....はい」
警察官が妖怪相手にできるのはこれくらいのことだ。事態を収めて妖怪に注意する、人間の法で妖怪を縛ることはできないのだ。
とぼとぼ帰っていく織子の後姿を見てふと思い出したかのように声をかけた。
「おい!」
「ん....?」
織子は放り投げられたキャラメルをつかみ取ると、それをカロリと口の中に放り込み笑顔を見せた。
「一件落着かな」
その日の夜、始末書やその他色々ありすっかり真夜中になってしまった。馴染みの蕎麦屋で夕食を食べようと秋葉原にある店に入ると、こんな時間にもかかわらず知り合いに出会った。
「やあ、そろそろ来ると思っていたよ」
彼は広幡 正芳。知り合いの中でも一際変わった人間だ。いつものカウンター席とは違うテーブル席に着くと、見計らったかのように二杯の天ぷら蕎麦が提供された。
「なんの用だ?」
「....単刀直入に言う。魔腔に行かないか」
魔腔とは十数年前に出現した穴のことである。調査に入った人間は、まるで喰われたかのように消えるためそう名付けられた。長話になることを察した凜之助は正芳にそばを食べるように促す。
「話は後、とにかく食べよう。伸びてしまう」
「....それもそうだな」
しかし、この時二人は知らなかった。彼らが数日後に異世界を旅していることなど。
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