第3話:交差する運命 - 2つの「忘れられた言葉」
「この駅弁、ネットで調べても全然出てこないんです」
大宮駅の資料室。ユウキは、スマートフォンの画面を学芸員の高田に見せながら言った。写真から切り取った駅弁の包み紙の画像は、いくら検索しても、どこの業者のものか特定できずにいた。資料室の空気は、埃っぽく静かだ。
アヤカも隣で頷く。
「広告代理店の情報網も使ってみたんですけど、古すぎて……。そもそも、本当に駅弁なのかどうかも」
二人の報告を聞いた高田は、丸眼鏡の奥の目を細め、顎に手をやった。
「ふむ……。この緑色のデザインねぇ。記憶の片隅にあるような、ないような……。ちょっと待ってなさい」
そう言うと、高田は資料室の奥にある、埃をかぶった鉄製のキャビネットへと向かった。ギィ、と重い音を立てて引き出された棚の奥から、彼が取り出してきたのは、黄ばんだ紙の束が挟まった分厚いファイルだった。
「国鉄からJRに移行した頃の、駅構内の店舗賃貸契約書の控えだ。この中に、弁当屋の記録があれば……」
一枚一枚、丁寧に変色した紙をめくっていく高田。ユウキとアヤカは、固唾を飲んでその手元を見守った。やがて、高田の指がある一点で止まる。
「……あった。これだ!」
高田が指差した書類には、『東北新幹線開業記念・特別催事販売契約書』と記されていた。契約主は、今はもう存在しない地元の料亭。そして、販売品目の中に、二人が探していた駅弁の名前があった。
『みちのく親子わっぱ』
「親子……」アヤカが小さく呟いた。
「ああ。鶏そぼろと鮭の切り身が乗った、親子丼ならぬ“親子わっぱ”だ。鶏の甘辛いそぼろと鮭の風味が、木のわっぱに染み込んで、親子の絆を象徴するようだったよ。当時、東北へ単身赴任する父親と、見送りに来た子供をターゲットにした、泣かせるネーミングでね。期間限定だったから、記録にも残りにくかったんだろう」
高田の説明に、ユウキの表情が強張った。
「東北へ……単身赴任……」
その言葉が、ユウキの記憶の深い場所を刺激する。そうだ、自分の父親も、あの頃、東北の支社へ単身赴任したんだった。会社の大きなプロジェクトで、何年か帰れないと母が泣いていたのを、子供心に覚えている。
「どうしたんだい、ユウキくん」
「僕の父も……同じ時期に、東北へ行ったんです」
ユウキの告白に、今度はアヤカが息を呑んだ。
偶然にしては、出来すぎている。同じ時期に、同じ駅で、同じ方面へ向かう父親を見送った。運命の糸が、ますます絡みつく。
高田は二人の様子を察し、ファイルの別のページを開いた。それは、当時の駅構内の見取り図だった。
「この駅弁が売られていたのは、ここ。今の14番線ホームの階段を上がったところにあった売店だ。今はもう、コンビニに変わっちまったがね。当時は新幹線ホームが13-18番線で、東北線もここから発車していたよ」
二人は、吸い寄せられるように資料室を後にした。
目指すのは、14番線ホーム。上越・北陸新幹線が主に発着するホームだが、当時は東北新幹線もこのホームを使っていた。
エスカレーターを降りると、ひんやりとした風が二人の頬を撫でた。長く伸びるホームには、次の列車を待つ人々がまばらに立っている。あの頃の喧騒は、もうどこにもないが、鉄骨の屋根の形は変わっていない。
「ここ、なんだ……」
アヤカが呟く。写真の背景に写っていたのと同じ、白い鉄骨の屋根。形は少し変わっているかもしれないが、面影は確かに残っていた。
二人は、今はもうない売店の跡地あたりに並んで立った。そして、どちらからともなく、線路の向こうを見つめる。ホームの端から、遠くの信号機が見える。
「僕の父は、僕の頭を撫でて……それから、何かを言った。でも、発車ベルの音で……」
ユウキが、途切れ途切れに話す。
「私も……。お父さん、最後に何かを言ったの。口が動くのは見えた。でも、どうしても聞こえなかった」
失われた言葉。
二人の心を繋ぐ、悲しい共通点。
その時、ユウキがポケットから一枚の紙を取り出した。それは、先ほど高田がこっそりコピーして渡してくれた、あの日の新幹線の時刻表だった。
「見てください。この日の午後、東北へ向かう『やまびこ』は、13時台と14時台に一本ずつ」
「……ええ」
「写真の光の差し込み方からして、時間帯は午後で間違いない。もし……もしも、僕たちの父親が、同じ列車に乗っていたとしたら……」
違う。ユウキは首を振った。父が乗ったのは夕方に近い便だったと、母から聞いたことがある。
だとすれば、答えは一つしかない。
「アヤカさんのお父さんが乗ったのは、13時発の『やまびこ53号』。僕の父が乗ったのは、14時発の『やまびこ57号』……。一時間違いで、同じホームから……」
すぐ隣で。
もしかしたら、肩が触れ合うくらいの距離で。
二つの親子は、それぞれの別れを告げていたのだ。
その事実に気づいた瞬間、アヤカの頭の中に、割れたガラスの破片が繋ぎ合わされるような衝撃が走った。
聞こえなかったはずの言葉が、すぐ隣で発せられた、もう一人の父親の声と重なり合って、鮮明に蘇る。雑踏の中で、互いの言葉が混じり、記憶の欠片が繋がったのだ。
『――きっとまた会えるから、元気でな』
アヤカは、はっと顔を上げた。隣に立つユウキも、同じように目を見開いている。彼の唇が、同じ言葉を形作っていた。
「……今、なんて……?」
「『きっとまた会える』……そう、父さんは言ったんだ。僕に……」
「私の、お父さんも……」
同じ言葉。
同じ願い。
騒がしいホームの雑踏の中で、隣り合っていたかもしれない二人の父親は、奇しくも全く同じ言葉を、愛する我が子に残して旅立っていったのだ。
それは、二人を繋ぐ運命の糸が、はっきりとその姿を現した瞬間だった。
ただの偶然ではない。この出会いには、何か特別な意味がある。アヤカの胸に、温かなものが広がる。
アヤカは、震える手でスマートフォンを取り出し、実家の母親に電話をかけた。心の整理がつかないまま、衝動的にダイヤルしていた。
「もしもし、お母さん? 私だけど」
『どうしたの、急に』
「……分かったの。あの日、お父さんが乗った新幹線、東北行きだったんだね。駅弁のことも、全部」
電話の向こうで、母親が息を呑む気配がした。長い沈黙。そして、絞り出すような、震えた声がアヤカの耳に届いた。
『……綾香。その人と……もう、会うのはやめなさい』
「え……?」
『お願いだから……。もう、あの時のことには関わらないで……!』
一方的に切られた通話。
ツーツー、という無機質な音が、真実の扉が固く閉ざされたことを告げていた。
なぜ?
どうして母は、ユウキと会うことを禁じるのか。
二人の父親の間に、そして二つの家族の間には、一体何があったというのか。
ようやく見つけ出した「失われた言葉」は、二人を安堵させるどころか、さらに深く、暗い謎の入り口へと誘うだけだった。




