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「呼ばれた」
「え?」
「上部から、命令が出た。帰れとのこと」
「は?」
私は言葉の意味がわからず、パニックになる。しかし、ミキは気にしていないようだ。平屋の裏庭に回った。その後を追う。
「ど、どういう、どういうこと?」
「心ちゃん。このぐらいの大きさの石を探して。なるべく、同じようなものを」
ミキは裏庭にあった石を手に取り、掲げる。手のひらサイズの丸い石を凝視し、訳もわからず「分かった」と返した。
「七つ集めて欲しい」
「な、なによ。集めたら夢を叶えてくれる龍が天から現れるの?」
笑いながらミキへ言う。けれど彼女は一つも反応を見せなかった。肩を竦め、石を集める。「これでどう?」と聞くと、ミキは頷き受け取った。
それを等間隔に円状に置いた。その真ん中に彼女があぐらをかき、手を天に翳す。やがて早口で言葉を述べ始めた。「────」。その言葉の全てを私は聞き取れず、遠巻きに彼女を見た。
────命令ってなんだろう。呼ばれた、とは?
先程、ミキが吐いた言葉の意味を知ろうとする。しかし、答えは導き出せない。
「────エビマヨサーモン!」
なんか美味しそうな組み合わせだなと思った瞬間、視界を眩い光が包んだ。驚きのあまり、背後へ転びかける。激しい風が体を包み、飛ばされそうになった。
「大丈夫、ミキ……」
ミキの方を見た瞬間、私は顎を外しそうになった。
彼女の頭上に、円盤状の飛行物体があった。その、どこからどう見てもハリウッド映画でしか見たことないそれを見上げ、固まる。
所謂、UFO。未確認飛行物体。それが、目の前にある。私は喉から声を搾り出した。
「そ、れ……な、なに……」
目を覆いたくなるほどの、スカイブルーの光が、彼女を包み込んでいた。私は目を擦った。しかし、現実は変わらない。
「……え? ミキ、なにこれ……」
「私たちの船」
「え? え?」
「地球の偵察を、切り上げるよう指示された。星に、帰らなければいけない」
ミキがいつも以上に淡々と述べる。一体、何を言っているんだと思う反面、今までの不可解だったピースが何故かすんなりと一致するような感覚に陥る。
「み、ミキ、もしかして、アンタ、本当に、宇宙人?」
「うん」
私が最初に抱いた「宇宙人みたい」という言葉通り、彼女は本当に宇宙人だったのだ。
ミキは髪とスカートを靡かせながら、頭上にあるUFOを見上げた。眩い光の中、彼女の白い肌が浮かぶ。
「……心ちゃん。私の正体を知っていたのに、仲良くしてくれて、ありがとう」
ミキが穏やかに微笑んだ。今まで見たことないほど、柔らかいその笑みに、私は拍子抜けする。
確かに彼女を宇宙人だと言ったことがあるが、それは小学生の頃に発したセリフだ。その馬鹿げた発言がまさか本当であると、誰も想像できないだろう。
「すごく、嬉しかったよ。心ちゃんだけは、私に優しくしてくれた」
ミキはしみじみと語る。その言葉は、いつもより感情が孕んでいた。目を細める彼女の背後で、UFOから小さくサイレンが鳴った。UFOを見上げ「分かった」とひとりごちたミキが私へ視線を遣る。
「本当はね。この船も、私の正体も、知られるわけにはいかなかった。知られたら最後。私は酷い処罰を受けることになる」
「……なんで?」
彼女ら宇宙人の事情なんて、詳しく知らない。どんな罰を受けるのか、私には分からない。
でも、何故そこまでして彼女が私にこの状況を見せたかったのか分からなかった。
「なんで?」。私はそう彼女に問う。なんで、どうして。罰を受けると知っていて、何故私に、こんな────。
彼女は黒い髪を揺らし、私を見据えた。薄くて形のいい唇が緩やかに動く。
「心ちゃんには、本当の私をずっと覚えていてほしかったから」
ミキが目を細める。ひどく落ち着いた声音が、風にかき消されそうになる。その尻尾を、離さないように必死に掴んだ。
「わがままだけど、ずっと覚えていてほしい。本当の、私の姿を」
美しい、笑みだった。今後、人間の歴史が繰り返し、幾年かの年月を重ね、全てが滅んだとしても、永遠に朽ちることなく保管される絵画のように。ただ、静かに、穏やかに美しかった。
私は何も言えないまま、口を開閉させる。「待って」も「行かないで」も言えないまま、声のならない言葉を空気に乗せる。
再び、サイレンが鳴る。ミキが「すぐ行く」と短く答えた。UFOから一筋の光が放たれ、彼女を包んだ。
「じゃあね、心ちゃん」
まるで「また明日」と言わんばかりに、いつも通りの声音で手を振るミキに呆気に取られる。「待て、ちょ、待って!」。私の必死な叫びも虚しく、一瞬で眩い光が周囲を包む。次の瞬間に目を開けると、もうその場には誰もいなかった。あるのは等間隔に置かれた丸い七つの石と、生い茂っていた草が倒されている地面だ。よく見れば美しい模様をしたそれは────。
「ミステリーサークル……」
「おい! アンタ!」
「んぎぃ!?」
背後から声をかけられ、跳ね上がる。振り返ると、そこには老婆が立っていた。ムスッとした表情を貼り付けた彼女は唇をへの字に曲げている。
ミキの家付近は木々が生い茂っているため、民家らしい民家はない。故に、予想外の登場に心臓が脈を打った。
「こんな時間に、ここで何してんだ」
「い、いえ、友達の家にお呼ばれしたので……」
私は平屋を指差す。腰が悪いのか、トントンと背中を叩きながら、老婆が私を気持ち悪いものを見るような眼差しで睨んだ。
「アンタ……ここは十五年前から空き家だ」
「……は?」
「誰も住んどらん」
ミキが住んでいた、はずでは。そう言葉を漏らしかけ、やめる。もしかして彼女は、誰にもバレないようにここに住み着いていたのか? 周りに何もない場所であるここならば、先ほどのようにUFOが降りてきてもなんら不可解に思われる点はない。
現に、あれだけのことが起こっていたのに、ここへ駆け付けたのはこの老婆だけだ。
私は頭の処理が追いつかず、その場に崩れ落ちる。老婆は訝しげに顔を顰め、ため息を漏らした。
「変な音と光があるから来てみたら、学生が空き家でイタズラしてただけかい? 学校に通報されたくなけりゃ、さっさと帰んな」
冷たくそうあしらわれ、私は何も言い返せなかった。チラリと横目で、ミステリーサークルを見る。何が現実で何が妄想だったのだろうか。もしかしたら最初から宙音ミキなんて女はこの世に存在しなかったのかもしれない。
私は放り投げていたスクールバッグを手に取り、トボトボと暗闇が支配した敷地から抜け出し、帰路へついた。