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◇
「ああするしか道はなかったんだよ」
映画館でチケットを買いながら、私は呟いた。タッチパネルを操作し、出てきた小さな紙切れを手に取る。二つ出てきたうちの一枚をミキに渡すと、不思議そうな顔をしていた。
「それがなきゃ、映画見れないから大切に持っててね」
売店へ向かい、ポップコーンとドリンクのセットを頼んだ。私がキャラメル味で、ミキが塩味のポップコーンだ。
注文した品が出てくるまで、私は先ほどの光景を思い出していた。
引き攣るナンパ男の顔、そんな男の顔の歪みが面白くてつい意地悪心がくすぐられた私。私の背後で棒立ちしているミキ。
きっとあの男は今後、顔が異様に綺麗な女を警戒する羽目になっただろう。しめしめと私はほくそ笑む。しかし、自分がどこの誰とも知らない男に「変な宗教に入っている変な女」というレッテルを貼られたことは嘆くべきだろう。
だが、私の迫真の演技に気圧され、そそくさと逃げていくのは爽快だった。
「逃げちゃったね、変なの」とひとりごちるミキには、私とナンパ男の間に流れた微妙な空気を察することは、出来なかったに違いない。
「はい、こっちがミキのね」
「ありがとう」
出てきたポップコーンを受け取り、劇場へ入る。中はまだ人が少なく、がらんどうとしていた。
「ところで、本当にこれが観たいの?」
私たちが今日見る映画は、ラブストーリーものだ。甘いマスクの人気俳優と、売れっ子女優の、どこにでも転がっていそうな恋愛模様。そんなものを目が飛び出るほどの大型スクリーンで見るだなんて、口から砂が出てきそうだ。
指定された席へ腰を下ろし、流れる予告を見つめる。ミキも同様、隣に腰を下ろした。
「うん、みたい。人間がどのように繁殖するのか、みたい」
何を言っているんだ、こいつは。私はその言葉を呟きそうになりながら、氷がたっぷり入ったコーラを飲む。
不思議ちゃん発言はいつものことだ。気にしないでおこうと思う反面、この映画を何かと勘違いしているのではないかと不安になる。
「ま、アンタが期待してる内容だといいね……」
「うん、楽しみ」
彼女の横顔へ視線を遣る。スクリーンを見つめる目はキラキラと輝いていた。私は頬杖をつきながら、徐々に埋まっていく席をぼんやりと眺める。
つまらなくて寝てしまわないようにしないと、と頬を軽く叩いた。
◇
「まさか後半で主人公が死んで、ヒロインが悪の組織と戦うとは思ってもいなかった」
帰路についた私は、先ほどまで見ていた映画を思い出していた。ミキが選んだ映画は、ただの恋愛映画ではなかった。最初はどこにでもあるラブコメディだったが、突然悪の組織に主人公が狙われているということが発覚し、逃走劇が始まった。その最中、主人公が亡くなり、ヒロインが武器を手に取り戦うバイオレンスアクションへ変わった。
「意外と、面白かったねぇ」
ミキの方を見ると、彼女はぼんやりとしていた。「大丈夫?」と返すと、浅く頷いた。
確かミキは「人間がどのように繁殖するのか、みたい」と言っていたなと思い出し、あの映画にそんな要素あったかなと首を傾げる。
というか、なんなのだ。人間がどのように繁殖するか、みたいとは。なんだかとてもマッドサイエンティストみがある言葉だ。
「ミキ、この後、うちくる?」
そう言った私の唇を、彼女が塞いだ。唐突なキスに、私は硬直したまま動けなかった。唇同士が触れたのはほんの数秒だった。けれど私には五分にも思えたし、五時間にも思えたし、五年のようにも思えた。
パッと離れた彼女は一言、「これで繁殖できる?」と問うた。
「でっ、きるわけ、ないっ、じゃなーい……」
「でも、あの映画では好きな人同士がこういうことをしていた。これをしたら、繁殖できるはず」
彼女は艶めいた唇を動かし「何か間違えてる?」と困った表情を見せる。
「間違えてる、よ」
「地球人同士が恋愛をする映像を見たら、繁殖できる方法を学べると思ったから映画を見たのに。違ったのか。残念」
彼女はうむむと顎に手を当て悩んだ。確かに劇中でキスシーンは何度も出てきた。しかし、それが人間の繁殖に繋がるかと言われたら……まぁ遠からず繋がるかもしれないが、そこから走り幅跳びをして大きな飛躍をしなければいけない。
「て、ていうか、なんで、私にキスしたの」
「心ちゃんと繁殖したいから」
「おおい、おい! なんだそれ、おい!」
私は目の前にいる女に鼓膜が弾けんほどのツッコミを入れた。しかし、ミキは動じない。
「そもそも、女同士では繁殖できない!」
「できないの? キスしても?」
「出来ないよ! これが義務教育の敗北ってやつか!」
「ぎむきょういくのはいぼく?」と舌足らずに鸚鵡返しされて狼狽える。やっぱりこいつは不思議ちゃんじゃない、宇宙人だ! と私のファーストキスを奪った女に対して喚き散らかしたくなった。