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◇
「ごめん、ちょっと無理」
なぜ人々は体育館裏で告白をしたがるのだろう。私は今まで一ミリも考えたことのない事柄を脳内でぐるぐると巡らせた。やはり、人間の体に染み込んでいるのだろうか。体育館裏での告白はスタンダードだと。日本なら、創作物の中で描写されがちだ。なら、海外ならどうだろう。どこか定番な場所はあるのだろうか。
「聞いてる?」
その声で我に返る。私は下げていた頭をゆっくりと上げた。そこには丸坊主の頭を撫で、申し訳なさそうにしている笹原一輝が立っていた。日陰になった体育館裏で額に滲んだ汗を拭いながら、笹原一輝が口角を歪める。
「タイプじゃない」
「え?」
「タイプじゃない」
二度も言う必要があるだろうか。いや、私が悪いのだ。「え?」と聞き返されたら、そりゃもう一度、同じ言葉を吐くに決まっている。私は口の中に溜まっていた唾液を、カラカラに乾いた喉へ送り込む。ごくりと鳴った音は、静かな体育館裏に響いた。
「俺、もう少しお淑やかな子が好きなんだよね」
日々、野球部の活動で焼いている肌が、日陰に溶け込む。目を合わすことない笹原一輝を見つめ、そこでようやく私は本当に彼のタイプではないのだと理解した。
じめりとした地面に、そのまま嵌っていきそうな感覚に陥る。泥濘に足を絡め、私は溺れるのだ。
「じゃ、俺、この辺で……」
手を振り、体育館裏から去る彼。眩いほどの日差しに溶けていく笹原一輝の後ろ姿を見つめることができないまま、私は項垂れた。額から滲む汗が、頬を伝い落ちる。湿り気のある地面に落ちないまま、首筋に滲んだ。
「フラれた」
まぁ、予想はしていた。無理かもしれないと。でもこんなにあっさりとフラれるだなんて。
頭ではこの現状に理解していたが心が落ち着かない。あと五年ぐらいはこうやってぼんやりと、地面を見つめたまま固まることができる。そうやって徐々に私の体に苔が生え、蔦が絡み、銅像のようになっていく。
「心ちゃん」
不意に、声がした。私は聞き馴染みのある声に顔をあげる。そこには、肩で呼吸を繰り返すミキが居た。人形のように頬を一ミリも動かさない彼女は、汗をかいていた。そのチグハグさに、違和感を覚えた。
走ってきたのか、彼女は呼吸を乱している。「大丈夫?」と抑揚のない声で問われ、私はポツリと言葉をこぼした。
「……フラれた」
「そっか」
前もって彼女には笹原一輝に告白すると告げていた。彼女はいつも通り、無表情のまま「うまくいくといいね」と溢した。冷たい手で肩を叩き、親指を立てていた。
そんな彼女が今、目の前にいる。額の汗もそのままに、ゆっくりと近づく。覗き込むように顔を見られ、思わず逸らした。
「心ちゃん」
彼女がいつも通りの声音で私の名前を呼ぶ。何故かその不変さに心臓が締め付けられた。背中に冷たい手が這う。ぽんぽんと叩かれ、不意にポロリと涙が溢れた。それを皮切りに止まらなくなる。腕で目元を拭った。
「使って」
ミキがポケットからハンカチを取り出した。真白い布切れは彼女の肌に似ている。それを手に取り、目元を拭う。「鼻水も拭いていい?」と聞くと、彼女は頷いた。
「心ちゃんが泣くと、私も悲しい」
顔をあげる。ミキは眉を八の字にして、寂しそうな表情をしている。ミキは常に無表情だ。そんな彼女が私の悲しみまで汲み取っている。むしろ、振られた私より悲しんでいるように見えた。
「……あんた、本当に私のこと好きなんだね」
「うん、好き」
キッパリとそう告げられ、私は拍子抜けした。出ていた鼻水と涙が引っ込み、徐々に気分が落ち着く。まるでなんてことないように告げるミキが、私をじっと見ている。
「……なんか、どうでも良くなった」
「もう、悲しくない?」
「うん、もうあんな男、どうでもいいかも」
「そっか。心ちゃんが元気になってよかった」。いつも通りの口調でそう言われ、肩を揺らし笑う。
「あんたは、世界が終わる日でもそうやって変わらないんだろうね」
ミキが首を傾げる。意味がわかっていないのか「世界が終わっちゃうのは悲しいね」とひとりごちた。「本当に、その通りだね」。私はいつかこの地球に訪れるであろう終わりを想像して、ほんのちょっと寂しくなった。