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目の前に、澄んだ空が広がっている。雲ひとつないそこは、水色の絵の具を塗りたくった画用紙のようだ。背中に感じるコンクリートの硬さが全身に広がり、息を漏らす。周りを取り囲む人たちが視界の端に映り、自分は一体何をしているんだろうか、と我に返ってしまう。
しかし、ここでめげてはいけないと気を取り直して、ただひたすらに空を見つめ続けた。
「ニョッキニャッキクジラクワガタ、セイチョウホルモンバンジキュウス、ダンジョジョキュウアイコウドウ、キョウリュウサクランボミドリムシ、シロモコロコムラサキモロヘイヤ、エックスエックスエックスエッグスドッグス、ワダカマリカマキリサインカイ、サンゾクサンゾクカラメルソース、オニギリニギニギ!」
女性の甲高い声と共に、周りにいた人間たちが一斉に手を上げる。私は微動だにしないまま空を見つめ続けた。緩やかに流れる雲が、静まり返ったこの空間の中で、唯一動きのある存在だろう。
私は上半身を起こし、ため息を漏らした。振り返り、背後で天を仰いでいる女性へ声をかける。
「星野さん。失敗です」
「見りゃわかるよ、心くん」
ズレかけたメガネを人差し指で直しながら、がっくりと項垂れる。一つに結った髪を振り乱し「何が悪いんだよぉ」と空に叫んだ。周りにいた一人の男が、彼女の肩に手を置く。「行き詰まりでしょうか?」と問いかけられ、星野はううんと唸った。
「心くん、本当に石は七つだった?」
「はい。その時に「集めたら夢を叶えてくれる龍が天から現れるの?」と言った記憶があるので、間違いないかと……」
「じゃあもう、七つで確定なんだよねぇ。あとは、呪文だけかぁ……」
囲んでいた人々が、私の周りに置かれていた石を回収する。それを目で追いながら、私も立ち上がった。
「私が真ん中に寝そべるのが、ダメなのでしょうか?」
「でも、生贄っぽくて良くないかい?」
星野がメガネをクイっと上げる。雰囲気を優先させるのは、彼女の癖だ。現に、彼女は視力が両方とも2.0であるにも関わらず、伊達メガネをかけている。顔のサイズに合わないメガネのせいで、いちいち掛け直さなければいけないのだ。
「……そんなもんですかね?」
「そんなものだよ、心くん」
「なぁにがいけないのかねぇ」とボヤきながら、中庭を去り、部室へ戻る彼女らの背中をぼんやりと眺める。振り返り、先ほどまで私が寝そべっていた芝生へ視線を投げた。
「ミキ……」
私は高校時代、突如消えてしまった友人の名前をひとりごちる。本当にあれは現実だったのだろうかと耽り、私も部室へ帰った。
◇
ミキがUFO────未確認飛行物体に連れ去られたあの日以降、私は抜け殻のようになってしまった。周りの友人に「ミキが消えた」と話しても「宙音さんの不思議ちゃんがうつっちゃった?」と揶揄われた。先生へ告げても「宙音は海外へ引っ越したんだ。現実を受け入れろ」と宥められた。
ミキが引っ越しをしたというテイで世界の時間は進んだ。私だけを置き去りにして。止まってくれるわけでも、巻き戻してあの日を再放送するわけでもなく、ただ無慈悲に前に進む。私は一つひとつ年齢を重ね、大人になっていった。無難な地元の大学へ進み、何処にでもある平凡な日々を過ごした。ミキという存在なしで。
あの出来事は、いったい何だったんだろうと時々思う。フラッシュバックするたびに、私の妄想なのかもしれないと考え、しかしミキの笑顔を思い出し、あれは嘘ではなかったと実感するのだ。
「君もUFOを呼んでみないかい!?」
大学内で唐突に声をかけられたのは、新学期を迎えてすぐの頃だ。ピンク色の細いふちが目立つメガネをかけた、黒髪の女。勢いよくチラシを差し出し、キラキラした大きな瞳で私を捉えた。戸惑う私をよそに、なんだか目がチカチカするチラシを押し付ける。そのチラシには、デカデカとUFOのイラストが載っていた。
「……UFO……」
私は一瞬かたまり、彼女の言葉に反応する。UFO。あの日、ミキを連れ去った未確認飛行物体────。
「おやぁ。キミ、UFOに興味があるのかな!?」
メガネのふちをクイと上げ、彼女が前のめりになる。私は反射的にポロリとこぼした。
「友人が、これに乗って消えたんです」
言葉を吐いた途端、後悔が押し寄せた。言わなければよかったと口を閉ざしたが、後の祭りである。恐るおそる、横目でメガネの彼女を見た。固まったまま、口を半開きにしている姿が目に入り、グッと唇を噛む。
────なんだよ。「UFOを呼ぶ会」とか言いつつ、私みたいな変人が来たら引くのかよ。
チラシに書いてある「UFOを呼ぶ会」という文字を睨みつつ、チラシを押し返そうとした。
「本当かい!? 実はね、私も一度、UFOを呼び寄せたことがあるんだよ!」
チラシを持った手ごと、彼女が強引に握った。困惑している私のことなど気にも留めていないのか、グイと引っ張られた。思わず、転びそうになる。
「いやぁ、数奇な経験をしたんだねぇ。しかし、まさかこんな場所でUFOを目撃した人間に遭遇できるとは。キミ、この会に入るべきだ。いや、強制的に入ってもらおう!」
無造作に束ねられた黒髪が左右に揺れる。その動きを、何も言えないまま見つめた。いや、私、こんな会には入りません。だって、絶対に変人しかいないじゃないですか。そう言いたかった言葉を飲み込む。心のどこかで、ミキとまた再会できるのではないかという気持ちが芽生えたのだ。
「キミの、宇宙人、そして未確認飛行物体に関する知識を分けてくれたまえ!」と振り向き微笑む彼女に、私は無言で頷いた。