1節 僕の居場所 3
いつものように、陽が窓から差し込む。
僕はその光にいざなわれるように目を覚ました。
今日もいい朝を迎えられた。そのことに満足している自分がいる。
「おーい、朝だよ……って、もう起きてたか」
ハトホルが部屋に入ってくる。僕を起こしに来るついでに、部屋に飾ってある観葉植物の水やりに来たようだ。
「おはようハトホル」
「おはよう。今日は大きな手術も入っていないし、まだ寝ていても余裕はあるけどね」
僕はベッドから降りると、伸びをした。心地の良い朝だ。
「村の暮らしは、もうなじんだようだね」
ハトホルが水やりをしながら言う。
「朝ごはんはできているから、着替えたら食べちゃってね」
「わかった」
僕はリビングへと向かった。
――
帝都の病院でジョセフさんからスカウトを受けてからもう3週間が経つ。
僕は村唯一の診療機関である「ソルスキン村診療所」の医師として忙しい日々を送っていた。
はじめは務めを果たせるか、村の暮らしになじめるか不安でいっぱいだったが、いざ暮らしてみればそんな懸念は杞憂に終わった。
村の人々は勤勉で、そして優しい。この国の風土も関係しているのだろうか、性格も明るい人ばかりだ。
そんな彼らから、僕は必要とされている。頼りにされている。この事実が、医者としてのモチベーションを高めてくれる。きちんと誠実に向き合って、仕事をしようとする気にさせてくれる。
ハトホルは、助手という形で僕のアシストをしてくれている。なんでも、「生を司る神として、医療分野には自信がある」らしい。でも確かに、一つ一つの医療に必要な手助けを、細かいところまで丁寧にやってくれる。
そんなハトホルに、先日不思議な質問をされた。
「ねえキミ、あの話、忘れてない?」
「あの話って?」と僕が返すと、彼女は少しため息をついて、「現世に戻るか、異世界転生するのか、どっちかを選ぶって話」と言い出した。
現世? 異世界転生?
何の話だかわからない。僕はこの世界の人間だ。何を言い出すのだろう。
僕が答えに窮していると、ハトホルはふう、と一息ついてからこう言った。
「結論が出るまでは待ってあげるからね。答える気になったらいつでも言って」
僕は最後まで、彼女が何の話をしているのかがわからなかった。
――
「先生、実は最近、腰が痛くてのう…」
「先生、この子、熱があるみたいなんです」
今日も今日とて、診療所には村の人々がやってくる。僕もハトホルも忙しく動き回り、診察をし、処置をする。
やっと休めたのは、その日の午後の診察を終えてのことだった。
そこに、訪問客がやってきた。
「先生、忙しそうですね」
コリーさんだった。また倒れられては困るので定期的に来るように言ってある。
だが、今日は診察予定日ではないはずだ。どうしたのだろう。
「いやなに、ちょっと立ち寄っただけです。これ、差し入れ」
コリーさんはそういうと、持っていた袋の中を見せてきた。そこには、いっぱいのトマトやズッキーニが入っていた。
「ああ、わざわざすみません」と僕は恐縮した。ハトホルがそれらを「ありがとうございまーす!」と愛想よく受け取る。
「いつも先生にはお世話になっていますからね、お口に合えばいいんですが」
そういうとコリーさんはにこやかに笑うと、「そういえば」と続けた。
「先生は、どこのご出身なんですか?」
「……え?」
「ふと気になったんです、失礼ですが先生、外国の人のような名前をされてるでしょう。妻とも想像してみたんですが、なかなか分からなくて」
「……」
僕は答えることができなかった。
なぜだか分からない。僕はこの世界のどこの生まれなんだ?
固まる僕の様子を見逃さなかったのか、ハトホルが神妙な面持ちで会話に割って入る。
「ごめんなさい、私たち、ちょっと事情があってこの国にやってきたんです」
そ、そうなのか? 僕はますます混乱した。
僕らの様子をみてコリーさんは慌てた様子で話し出す。
「いや、申し訳ない。そりゃ、人には聞かれたくないことの一つや二つありますよね……私のデリカシーがなかった、本当に申し訳ない」
場を、気まずい沈黙が支配する。
「……トマトとズッキーニ、美味しくいただきます!」
ハトホルがそう言うと、コリーさんの表情がいくらか晴れた。僕もそうだったに違いない。
「ええ、妹さんの料理なら、先生も喜んで食べるんじゃないですか?」
「そうだといいんですけどねー」
「いつも美味しく食べているじゃないか」
先ほどの沈黙が嘘のように、会話が弾んだ。
その中でぽつりと、コリーさんが言った。
「……先生は、この村にとってなくてはならない存在です。私もそうですが、先生のおかげで命が助かったという人もたくさんいる。皆、本当に、言葉にしつくせないくらいに、感謝しているんです」
それを聞いて、心臓のあたりに、じんわりと温かいものが広がっていくのが分かった。
この村に来れて本当に良かった。
僕は心から、そう思った。
――
コリーさんが帰り、片づけをしているとき。
ふと、気になったことをハトホルに尋ねた。
「なあ、僕はこの国の生まれじゃないのか? さっき君が言ってた、事情って何なんだ?」
ハトホルは片付けの手を止め、僕の方をじっと見た。
そのまなざしは、なんとも形容しがたいものだった。悲しみがこもっているともとれたし、申し訳ないという気持ちがあるようにも見えた。
「……そのうち、わかるよ」
ハトホルはそういうと、再び片づけの作業を始めた。僕は何もわからないまま、その場に立ち尽くしていた。