公倍数の日
「あ」
手洗い用の石鹸が切れた。泡で出てくるという文句の手押しポンプがかしゅかしゅと音を立て、出来損ないの泡をむせるように飛び散らす。とりあえずそのまま手を洗い、それからつめかえ容器から中身を注ぐ。またつめかえを買ってこないと。土日を挟んで来週中の仕事帰りにでも、駅前のドラッグストアに寄ろう。
ふっ、と疑問が浮かんだ。来週、手洗い石鹸のつめかえを買ってきて。そのうち食器洗いの洗剤も切れるだろう。そうしたらそれもつめかえて、また仕事帰りに買うだろう。ティッシュも、トイレットペーパーも、最後の一箱、ひと巻きになったら買っておくだろう。食品も、なくなる前に買うだろう。
いつか、なくなるときは来るのだろうか。死ぬときも、自分の家――部屋には、つめかえや食べ物が残っているのだろうか。
嫌だな、と思った。自分が死んだら、それらのものは捨てられるのだろう。それが、もったいないな、と思った。
いつか、あたたかい休日の昼ごろ、昼ご飯は何にしようかと冷蔵庫を開けてみる。中にはなにもない。調味料も含めて、すっかりなにもない。ひんやりとした空気が、扉を開いた腕にあたる。扉を閉めてトイレに行ってみる。トイレットペーパーもない。ティッシュもない――。
そんな日が来たら。ちょうど、一定ではないある周期たちが重なって、家になにもなく、予備もつめかえも、なにもなくなる日が来たら。そのまま消えてしまおう。そうとわかった日の、まだあたたかい昼どきのあいだに、ふっと消えてしまう。そんなふうにいなくなりたい。
けれども、なくなってもきっと、遅くとも翌週のうちには、仕事帰りに買ってくるだろう。そうして、その公倍数のような日は来ないだろう。自分は、予備がなくなるとどうも落ち着かなくなる、自分の性質をわかっているのだから。




