4.彼の全てが欲しい
私にとって彼――永瀬皇は、私の人生の全て。私の世界はコウくんを中心に回っている。
幼い頃、よく体調を崩して学校を休んだ。そのこともあり、私には友達――コウくんを除けば――はいなかった。
そんな私が寂しい思いをしなかったのは、コウくんがいたからだ。
私のために、コウくんは毎日家に来てくれた。台風で大雨が降っても、大雪で歩くのが大変でも。
ベッドで横になっている私に、その日学校であったことを聞かせてくれた。
私はその場にいなかったのだけれど、まるで一緒に体験しているような感じがした。
だから私は友人なんていなくても、満たされていた。コウくんさえいれば他に何も必要ない。そう思っていた。
しかし、中学に入ると、私は病弱ではなくなり、コウくんの学校での話を聞く機会がなくなった。
中学には同じ小学校の人もいて、私が出席するようになった途端、馴れ馴れしく声をかけてきた。
その中には、コウくんを苦しめる相沢拓哉という人の形をした生物もいた。
正直不愉快だった。私が学校に出席できなかった時、一度も見舞いに来なかった人間があたかも親しいように振る舞うのだ。
私はそう言った人達は避け、コウくんと話をするように努めた。
けれど、私が部活に入ったこともあり、時間が合わず、次第にコウくんとの関係が薄れていった。
このままではコウくんとの繋がりが自然と消滅してしまう。
それを避けたかった私は、幼馴染より強固な――恋人という関係をコウくんと結べばよいのではないかと考えた。
告白するにはかなり勇気が必要だ。もし失敗すれば、コウくんと疎遠になることは間違いない。
現状を打開するためには、リスクを背負う必要がある。それでも私は実行することにした。
――コウくんと離れたくなかったから。
決心した次の日、私は部活を休み。放課後の空き教室にコウくんを呼び出した。
大切な話があると。
「コウくん……私……コウくんのことが好きなの! 私の彼氏になって下さい!」
考えを巡らせて紡いだ愛の言葉は、時間をかけた割には結局シンプルなものに落ち着いた。
心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい、胸が高鳴る。
コウくんが口を開くまで、ほんの数秒。私にはそれがとても長い時間に思えた。
「うん、いいよ」
「ありがとう!!」
答えはあっさりとしたものだったけど、そんなのどうでもよかった。
大事なのはその内容。私の交際の申し出に対して、コウくんはそれを了承した。
こうして、私はコウくんの恋人になった。
そのおかげで、一緒に登下校するようにもなったし、必然的に顔を合わせることも多くなった。
デートも楽しかった。幼馴染の時に遊びに行った場所も、恋人同士になってから行くとより輝いて見えた。
コウくんはいつも私のことを気遣ってくれた。
以前の私の身体のことを知っている彼は、またぶり返していけないと、遅くまで私を連れ回すことは決してしなかった。
嬉しかった。コウくんが私のことを想ってくれている。それだけで、私はとても幸せな気分になれた。
★★★★★
コウくんと交際を始めて二、三ヶ月くらい経った。
私とコウくんの関係は付き合い始めた時と、あまり進展していなかった。
何も問題はないはずなのに、彼は私にそういった行為をしようとはしてこない。
私からコウくんを誘っても、「お互い責任を取れるようになってからね」とはぐらかされてしまう。
なので、未だにコウくんと私はキスもしていなかった。
そんなある日のこと、それはデートの待ち合わせをしていた時だった。
「ちょっとコウくん! どうしたの!?」
待ち合わせの場所に、見るも痛々しい姿でコウくんが現れた。
その頬はぷっくりと張れ、顔のあちこちに大きな痣があった。
「何でもないよ。美帆は気にしなくて大丈夫。ごめんね、こんな変な顔で来て」
「いいの。それより今日はデートは止めときましょう」
よほどのことがあったのだろう。一緒に帰るその途中、コウくんのその表情がコロコロと変わった。
暗い顔になったのかと思えば、途端に苦虫を噛み潰したかのように顔を歪ませる。
私の知らないコウくんがそこにはいた。
心配だった。
何かしてあげたい。そうは思ったものの、結局何もできず私達はコウくんの家の前で別れたのだった。
コウくんは終止無言だった。私に何も話してはくれなかった。もしかしたら、私に何かを望んでいたのかもしれない。
でもコウくんの望むことって――なんだろう?
思い返してみれば、私は長い間コウくんの話を聞いていたのに、彼の趣味もよく分からない。
一緒に外でご飯を食べる時も、私の好みを優先してコウくんが食べたいものは食べたことがなかった。
私は愛する人のことを理解できていない。私が知っているのは、コウくんが優しいということだけ。
コウくんにも、人間なのだから負の感情というものが必ずある。
だけど、怒りや憎しみ、それらの感情はコウくんから私に向けられたことなど一度もない。
彼の攻撃的な側面は理性によって押さえつけられている。その一端に触れることさえ私はできていないのだ。
私はコウくんの全てを知りた――いや欲しい!
欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!
彼が意識してない負の感情も、私は体感したい!
もう話を聞くだけじゃ物足りないの!
…………。
でもどうして?
どうしてコウくんは、私に手を出してくれなかったの?
コウくん、私は平気だよ?
私に何をしてもいいんだよ?
あ。
私はようやく気付く。
コウくんはその優しさから、私が傷付く可能性がある行為はしようとしなかったのだと。
キスも性行為も場合によっては、心に深い傷を負わせてしてしまう。
彼にとって、傷付けても平気な存在になれば、私との性行為も躊躇はしないはずだ。
恩は一時、恨みは一生。コウくんに恨まれることができれば、私はコウくんから忘れさられることはない。
愛しさ余って憎さ百倍。逆を言えば、憎まれているということは同時に愛されているということ。
つまり、コウくんの全てを手に入れるには、コウくんから憎まれる必要があったのだ。
アハハハハ!
なんで私はこの事実に思い至らなかったのだろう!
私はコウくんの恋人――正の感情のみ受け取れる存在――ではなく、奴隷――負の感情を受け取れる存在――になるべきだったんだ!
人が憎しみを覚えるものはなにか。それは裏切りだ。私が浮気をすれば、コウくんからしたら立派な背信行為だろう。
ただ、私は自分の身体を汚すようなことはしたくない。私を犯す――愛するのはコウくん以外あり得ない。
だから私は、寝取られたフリをすることにした。