1.断罪
「美帆を解放しろ! もう美帆に付きまとうな! お前は美帆の彼氏なんかじゃない! ただのストーカーだ!」
昼休みの教室、僕を糾弾する声が響き渡る。
僕は悪いことはしていない。僕の彼女――植村美帆に、昨日他の男と抱き合っていたことを問いただそうとしただけだ。
しかしこれで確定した。
美帆の姿を校舎裏で見かけた時は、僕の勘違いかもしれないと思ったけどやはり不貞行為を働いていたらしい。
「最低!」
何も知らない頭の悪い女子が僕のことを非難する。
なるほど、僕が悪者というわけか。
僕の前に立ち塞がっている――美帆と抱き合っていた――男の言葉が、純粋な正義感から発せられたものであれば、僕は憤りを感じることはなかっただろう。
確かに表面だけ見れば、彼女のためを想っての発言にも思える。しかし、根源を辿ればそこにあるのは性欲。
美帆が可愛くなければ、男――相沢拓也の好みの女でなければ、相沢は美帆を助けようとなんてしない。
――醜い。
相沢は美帆を救うという大義名分を隠れ蓑にして、自分の欲望を満たすために僕をストーカー呼ばわりしているのだ。
もういい。美帆とはこれでお別れだ。初めてできた彼女だったけど、こうなっては仕方がない。
美帆とは幼稚園からの付き合いで、家も近くということもあって自然と仲良くなった。
元々美帆は病弱で、学校を休みがちだった。あまり学校に来ることができない美帆に、その日あったことをよく聞かせたものだった。
恐らく成長と共に身体が丈夫になったのだと思う。美帆は中学に上がる頃には毎日学校に来るようになった。
つやつやの長い黒髪に、雪の様に白い肌。キラキラと光るつぶらな瞳の美帆に、男子は蟻のように群がった。
ただ美帆は、そういった男は苦手だったようで、いつも僕とばかり話していた。
だから僕はてっきり、美帆は相沢みたいな男とは関わり合いになりたくないのだと思っていた。
でも、違ったらしい。僕に罵声を浴びせるクラスの女子のように、人の本質を見抜けない馬鹿な女だったようだ。
「ふーん、良かったね美帆。最低な僕とは別れて相沢と付き合いなよ」
「……」
美帆は僕に怯えているのか、ブルブルと身体を震わせて、俯いたまま口を開こうとはしない。
「僕を裏切って何がしたかった? ねえ、何がしたかったの?」
「止めろ!」
相沢が僕の胸ぐらを掴んだ。グリグリと拳が胸板にめり込んでちょっと痛い。
全く嫌になるよ。僕は美帆に触れてさえいないのに暴力に訴えてくるんだから。
自分の行為を正しいと思っているやつほど質の悪いものはない。
きっと相沢はこう考えている。
容姿端麗な美帆が、冴えない僕――自分より弱いやつ――のことを好きになるはずがない。
美帆が僕と付き合ったのは、僕に弱みを握られているからに違いない。
だから相沢――自分が美帆を守ってやらなければならないと。
馬鹿らしい……。そもそも僕と付き合いたいと言ってきたのは美帆の方だ。僕は脅したりなんかしていない。
それに相沢は過去に僕にしたことを忘れている。
中学の時、相沢は僕をいじめた。
相沢は所謂元ヤン。元ヤンってのは、当たり前のことをしただけで周囲から誉められる。教師からも構ってもらえる。
反省しているフリをするだけで何故か周囲の人間が味方になり、そして昔やんちゃしてましたって男ほど女の子にはモテる。
それがよくない。贖罪はおろか禊をしていないのに、あたかも罪が消えてなくなったかのように思わせてしまう。
僕は一度だって相沢から頭を下げられたことなどないというのに。
その結果、自分のことを棚に上げ、他人の恋人に手を出しても罪の意識がないとんでもない屑野郎が出来上がるのだ。
「美帆のせいで殴られそうなんだけど、どうしてくれるの?」
「…………ごめんなさい」
「美帆! こいつと話しちゃだめだ!」
相沢はもう彼氏面か。横からしゃしゃり出てきて何様なんだこいつは。
初めてかもしれなかった。僕がここまで憤怒したのは。
僕と美帆が付き合い始めたのは中学の時。僕は美帆から突然告白され、それを受け入れた。
今まで一度足りとも喧嘩なんてしたこともなかったし、自分で言うのも何だけど美帆には優しく接してきたつもりだ。
だからこそ許せなかったのだと思う。
僕が美帆と付き合っていて気に食わないという理由で、不良仲間と一緒に僕に暴力を振るってきた相沢と浮気したことが。
されど、煮えたぎる感情とは裏腹に、僕は今客観的に自分のことを見ている。
浮気したことを彼女に尋ねようとしたら、逆に悪者にされてしまうと言う、ありえないこの状況。
とても現実として頭で理解できず、そうなってしまったのかもしれない。
★★★★★
結局僕は、美帆と別れることになった。相沢曰く、二度と美帆に近寄るなだそうだ。
茶番劇とも言える激動の昼休み。
クラスの皆が僕の敵となり、不良から更生し、正義の心に目覚めた主人公の相沢によって、悪党である僕は退治された。
確かに僕は美帆に対して少しきつく当たった。でもそれだけだ。何故こんな理不尽な目に合わなければならないのだろう。
授業が終わっての帰り道、僕はそんなことを考える。ちなみに、学校からはいつも美帆と二人で帰っていたけれど今日は一人だ。
考えても意味はない。美帆は僕を裏切り、相沢の女になった。そうなった時点で結論は出ていたのだ。
ただ一つ不可解なのは、相沢のものになる前に美帆は僕と別れるという選択をしなかったことだ。
お互い責任を取れるようになってからということで、美帆とは今まで手を繋ぐくらいしかしたことがなかった。
模範的――と言っていいのだろうか、僕と美帆は取り返しのつかないようなことは一切していない。
極論を言えば、美帆が僕と別れようと思えばいつでも別れることができた。
どういう訳で浮気という倫理的によろしくないことをしてしまったのか、長い付き合いの幼馴染の行動は理解不能だった。
とは言え、美帆とはもう破局した。
美帆はこれから、相沢とそう言った――男女が身体を重ね合う行為をするようになるだろう。いや、既にしていたのかもしれない。
幼馴染の女の子は、恋人から他人になってしまった。願わくば、相沢に言われた通り今後一切会わないようにしていきたい。
彼女と顔を合わせてしまえば、僕の怒りは頂点に達してしまう。
その時の僕は本物の悪人になることだろう。僕は幼馴染に暴力を振るってしまいそうだから――。
しかし、会いたくないと強く願うほど、そうならないのがご近所さんのやっかいなところだ。
「なんだよ」
「……」
敢えて時間をずらして帰ったはずの元恋人が、僕の家の玄関の前で待ち構えていた。