cryingクレーマーかくれんぼ
くまぽホラー度:★★★
アブラゼミがわめく灼熱の午後3時。
ホームセンターの自動ドアが開く。
冷房のよく効いた店内に、男がひとり入る。
手には炊飯ジャー。
ピカピカの持ち手を握り、ずるずるとコードを引きずる。
プラグ部分が時々跳ねる。
Tシャツに短パン姿で、髭とすね毛が暑苦しい。
サンダルがぺたぺたと音を立てている。
男はまっすぐにレジカウンターへ。
「こちらの商品にお取り替えしました。どうぞ。」
「良かったわぁ。使えなくて焦ってしまって。交換出来て良かったわ。」
「ご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした。」
「交換出来たから、大丈夫よ。お世話さまでした。」
商品の入った袋を手にして、メガネの女性がカウンターから離れた。
そのカウンターへ新品の炊飯ジャーを叩きつけるように、男が置いた。
「飯が炊けないんだけど。どうしてくれるんだよ!」
カウンターの中に立っていた髪を結んだ女性店員が、男を見上げる。
「ここで買ったんだけど。
それで飯を炊いたんだけど。
スイッチ入んねーの。
この店は、故障品売りつけてんの?」
男が苛立たしげに、女性店員を睨みつけた。
「どうすんだよ、オレ、飯食えねーんだけど。」
女性店員は、顔を青ざめながら、確認を求めた。
「申し訳ありません。
レシートはお持ちでしょうか。」
男がカウンターのデスクマットの上に、ポケットから取り出したレシートを叩きつける。
それを手に取り、確認をする女性店員。
「はい、確かにこちらで買われたようで。」
「だから、買ったって言ってんだろ?!
何、アンタ、オレの言うこと嘘だと思ったの?」
「いえ、そういう訳では。
念の為に、確認させていただいただけで…」
「だから、飯が炊けねーのをここで買わされたんだって、言ってんだろ。
コンセント入れても何も点かねー不良品をこの店では売るのかって、聞いてんだよ!」
男がカウンターを叩く音に、女性店員がびくりと体を揺らす。
自分よりも、背丈も身幅も大きい太った男性が怒鳴り声をあげて、目の前にいる。
それだけでも充分に恐怖だった。
それでも、根が真面目な女性店員は、不良品であることを確認しようと、震えを抑えながら言った。
「それでは、今、コンセントに差し込んでみますので、一緒に確認を」
男の前にある炊飯ジャーを女性店員が手元に寄せようとしたその時。
机の上のデスクマットに引っかかり、その拍子に女性店員の手に力が入った。
恐怖で手が思うように動かない。
「あっ…」と女性店員が小さな声をあげた時には、米と水がカウンターにばら撒かれた。
当然のように、目の前に立つ男にもそれは飛び散った。
次の瞬間には、男の怒りが爆発した。
「何してくれてんだよ!米が食えねぇじゃねぇか!」
「申し訳ありません!申し訳ありません!」
顔を真っ青にして、女性店員は謝り始めた。
「…うわっ、服が濡れたじゃねぇか!どうしてくれんだよ!
弁償しろよ!」
「すみません!すみません!」
頭を下げ続ける女性店員は、青を通り越して、白い顔になっている。
それでも男の怒りは収まらない。
むしろ、声はどんどん大きくなる。
「いいから、上の人間出せよ!
お前じゃすみませんしか、言わねーから、邪魔だ!」
「すみません、すみません!」
「ほら、出せよ!話が通じる人間出せよ!オラ!」
謝り続ける女性は、真っ白い顔をして、頭を何度も何度も下げることを繰り返した。
周りにいた客も、だんだんと遠巻きにしていく。
その後、店長に事情が伝わり、女性店員の元に店長が来るまでの10分近く、女性店員は何度も頭を下げて謝り続けた。
その後、炊飯ジャーは不良品と確認され、商品交換の上、ばら撒かれた米と濡れた服のクリーニング代として、男に金を渡すことでこのクレームは終わった。
そして、この日から、男はクレームをあちこちで繰り返すようになった。
大声で怒鳴り散らすことで、気分が昂揚した。
そして、相手が謝るのを上から見下ろすことで、男の中にあるモヤモヤとした苛立ちが消えていく。
それに男はすっかり味をしめた。
あちこちの店に、理不尽なクレームをつけて男は楽しんでいた。
ヒグラシの鳴く夕暮れの中。
男は初めてクレームをつけた、あのホームセンターへ不良品を持って、再び訪れた。
男は、炊飯ジャーを手に来店した、4年前と同じようなTシャツに短パン姿。
足元は、サンダル。
3日前にこの店で買い物は済ませていた。
ホコリが溜まっている商品棚。
そこにあった業務用の接着剤。
チューブ式で、円錐型のプラスチックの先から出るタイプ。
量が多く、値段もそれなりにする。
男はそれが使えなかったと、叫ぶ予定だ。
ホコリの溜まった商品棚にあるものほど、在庫管理がされていない。
そういう所にある商品ほど、クレームがつけやすい。
男はレジカウンターへ。
そこには、いつか見たことのあるこの店の店長。
店長は青白い顔をして、男を迎えた。
「いらっしゃいませ。」
「なぁ、ここで買ったんだけど、全然くっつかねぇんだ。
こんなに高いのに、どうしてくれんだよ。
オレの家の棚が直らねーんだけど。」
男は、レシートと接着剤のチューブをカウンターに叩きつけた。
大きな音に店長は怯む様子も無い。
店長は青白い顔のまま、頭を下げた。
「申し訳ありません。
ただいま、担当者をお呼びしますので、あちらの席でお待ち下さい。」
店長はレシートとチューブをそっと、男の方へ押し戻すと、カウンターを出て案内を始めた。
男はレシートと接着剤のチューブを持って、案内された個別ブースの席に座った。
4年前にはなかったモノだ。
店長が小さなペットボトルのお茶を、男の前にある机に置いた。
「お茶をどうぞ。
それでは、お待ち下さい。」
男は立ち去ろうとした店長に声をかけた。
「おい、アンタ、ここの店長じゃないのか?」
「いえ、もう、私は違いますので。」
店長は青白い顔のまま、頭を下げると、どこかへ行ってしまった。
窓から斜めに夕陽が差し込む。
男は喉の渇きを覚えて、ペットボトルに口をつけた。
2、3回飲んでいると、
「おじさん!それ、ぼくにちょうだい!
ちょうだい!
ぼくにちょうだい!」
3歳くらいの男の子が声をかけてきた。
男は片手を軽く振った。
「うるせえ、あっちへ行け。」
それに怯むことなく、子どもが叫ぶ。
「ちょうだい、ちょうだい!ぼくにちょうだい!」
「やかましい!親はどこだ!
テメエのガキくらい見てろ!」
「おかあさんは、ここにはいないよ!
ねえ、おじさん!ぼくにちょうだい!」
「うるせえガキだな!」
男はペットボトルを口に垂直立てると、お茶をすべて飲み干した。
「もう飲んじまったよ。あっちへ行け!」
「いやだ!ちょうだい、ちょうだい!ぼくにちょうだい!」
「うるせえ!あっち行け!蹴り飛ばすぞ!」
「じゃあ、あそんでよ!
ぼくと『かくれんぼ』しようよ!
ねえ!おじさん!」
「うるせえなぁ、あっち行けよ!」
男は椅子を揺らして周りを見た。
「おい!いつまで待たせるんだよ!
おい!いい加減にしろよ!
担当者出せよ!オラ!」
男が叫ぶも、誰も出てこなかった。
「おじさんが鬼なんだね!」
子どもが甲高い声で叫んだ。
男は苛立ちを増して、子どもに向かって怒鳴った。
「うるせえ!誰が鬼なんだよ!」
「だって、人がでてくるのをずっと、まっているんでしょ?
じゃあ、おじさんが鬼じゃないか!」
「オレは、鬼じゃねえ!」
「じゃあ、ぼくが鬼だから、おじさんかくれて!」
「やらねえって言ってんだろ!」
男は座ったまま、苛立ちを表して、どんどんと足を踏み鳴らした。
「イヤだ!ぼくが鬼だもん!
おじさん、かくれてよ!
はやくかくれてよ!」
耐えきれなくなった子どもが、大声をあげて泣き始めた。
うあーん、うあーんと、高い鉄骨の天井に響くほどに、子どもは泣き叫んだ。
誰も出てこない。
男は両手で耳を塞ぎながら、叫んだ。
「わかった!わかったよ!
かくれんぼしてやるよ!
一回だけだぞ!」
ピタッと、子どもが泣き止んだ。
そして、涙に濡れたままの顔で、言った。
「うん!じゃあ、おじさん、かくれて!」
男はレシートと接着剤のチューブをポケットに突っ込むと、適当な隠れ場所を探した。
裏口に向かって進むと、使われていなさそうな部屋があった。
窓もなく、壁の下の方に丸く空いた10センチほどの通気孔だけ。
男は中に入り、鍵を閉めた。
「これで後は子どもが飽きた頃に出ればいい。」
男は部屋にあった事務椅子に腰掛けた。
すると。
ドンドンドンドン!!
鍵を閉めたドアを叩く音。
ガチャガチャガチャガチャ!!
ドアノブを力任せに回す音。
「みつけた!みつけた!ここだね!
おじさん!ここにいるね!
あけてよ!あけてよ!
でてきてよ!」
「うるせえなあ。」
「でてきて!おじさん、でてきて!
みつけた!みつけた!
ぼくの体をかえしてよ!
ぼくの体をかえしてよぉ!!」
男は眉を顰めた。
何のことを言っているのか、わからなかった。
「あのとき、おかあさんのお腹のなかで、ぼく、きいてたよ!
おじさん、いってたよ!」
子どもの声が急に止まり、ドアの向こうから、野太い男の声が響いた。
『何してくれてんだよ!米が食えねぇじゃねぇか!』
『…うわっ、服が濡れたじゃねぇか!どうしてくれんだよ!
弁償しろよ!』
『いいから、上の人間出せよ!
お前じゃすみませんしか、言わねーから、邪魔だ!』
『ほら、出せよ!話が通じる人間出せよ!オラ!』
ドンドンドンドン!!
ドアが叩かれながら、男の声が響く。
男はぞっとした。
すべてあの日自分が言った内容だと、何故かすぐに理解できたからだ。
男はガチャガチャと音を立てるドアノブを見ていた。
「でてきてよ!でてきてよ!
あのとき、おじさんのせいで、ぼくはおかあさんのお腹のなかから、でちゃったんだ!
まだ『かくれんぼ』のとちゅうだったのに!
鬼にみつかって、でちゃったんだ!
おじさんが、鬼なんでしょ!
こんどは、ぼくが鬼だ!
さあ、おじさん、でてきてよ!」
男の隠れた狭い部屋に、ドアを叩く音、男の野太い声、ドアノブを動かす音が一緒に響く。
「出ろよ!さっさと、出ろよ!
オラ、体返せよ!
テメエのせいで、おかあさんに会えないだろ!」
野太い男の声で、ドアの向こうにいるはずの子どもが叫ぶ。
「ほら、出せよ!オラ!
出せよ出せよ!おらぁ!!」
野太い男の声が叫ぶ言葉は、すべて男が何処かで吐いた言葉ばかりだった。
それが何故かわかることが、男への恐怖を大きくさせた。
ドンドンドンドン!!
ガチャガチャガチャガチャ!!
男は咄嗟に、ポケットに突っ込んでいた接着剤を取り出す。
そして、ドアノブを中心に、接着剤をドアに沿って震える手で絞り出した。
少しでも、ドアの向こうにいるはずの子どもから逃げるため。
怒鳴り声とドアの立てる騒音は、明け方になり、通気孔から僅かに日が差し込んだ頃、止んだ。
男は、一晩中聞こえた音が頭の中で、ずっと鳴っているようで、青白い顔でふらふらと、ドアに近づいた。
とにかく、もうここには、来ない。
そう思って、ドアノブを回す。
ぎしっ、と音が鳴り、止まる。
男は何度も何度も、ドアノブを回した。
押しても引いても動かない。
男の顔が一瞬で真っ白になった。
夜になると、子どもが必ず来る。
「おじさん!おじさん!
でてきてよ!でてきてよ!」
子どもの声が止むと、今度は野太い男の声。
『ほら、出せよ!話が通じる人間出せよ!オラ!』
それは、夏の間、ずっと続いた。
トンボがコスモスの花を撫でるように飛んでいる。
秋彼岸の寺の敷地内。
その日、ある女性の希望で、墓地の入り口に小さな水子地蔵が置かれた。
丸い顔の可愛らしい地蔵は、子どものようだった。
その日の夕方。
一年以上前に閉店したホームセンターの敷地内で、かくれんぼをしていた子どもたちが、壁から何か出ているのを見つけた。
なんとなく、子どもたちが親たちに伝えると、ひとりの親が子どもと一緒に閉店したホームセンターまで出掛けて行った。
夏の終わりの怪談でもあるまいし、と笑いながら出掛けたその親の顔は、真っ白になっていた。
壁から出ていたのは、空になった接着剤のチューブ。
引っ張ると、人間の手が出てきた。
発見された遺体は、夏に死亡したと思われた。
Tシャツに短パン。サンダル姿。
ただ、何故か入り口にあたるドアが接着剤で止められていた上、発見された遺体の口からも固まった接着剤が出てきた。
空腹に耐えかねて食べたのか、自殺を目的としたのか、誰も分からなかった。