2. あ。
時間だけ固定にします。夜20時に更新がなかったら、今日はないと思ってくださいませ。
宿屋についた後、ベッドの上で、ボーっとしていたら、エルサに押し倒された。
「寝なさい」
「寝ましょう」
訳がわからないまま見上げると、エルサの泣き顔と、アレクシの満面の笑顔があった。
ちぐはぐな二つの顔を見て動揺している間に、俺は眠らされた──と、思う。
アレクシが熟睡の魔法を唱えていたから、たぶん、寝かされた。
アレクシの笑顔はキレている証拠だから、後で謝るとしてだ。
エルサには……合わせる顔がないな。
泣かせちまった。
あいつが泣くと、しんどい。
ごめんって言ったら、ぶん殴られるような気がする。
じゃあ、ありがとう……か?
……なんか、違う気がする。
俺は言葉が見つからなくて、目が覚めてもボーッとしていた。
無意識に首から下げた袋を触る。
膨らんだ袋のはしっこを指でいじった。
じゃりっと、砂の感触が指に伝わった。
──入っている。
それに、ほっとした。
──バタン!
急に部屋のドアが開いて、俺は慌てて袋から手を離した。
開かれたドアを見ると、エルサが目をつり上げてこっちを見ていた。
ズカズカと大股で、俺に近づいてくる。
彼女の後ろからアレクシが来て、部屋を伺うようにミーミルが顔をだす。
昨日とはうってかわって鬼気迫る様子に、俺はベッドの上で、とっさに正座をしていた。
エルサは俺の顎を掴むと、自分の方に引き寄せた。
俺は口を半開きにした。
顎くいされている……?
え? なんで、顎くい?
怒っているのか……?
「寝たようね」
低い声で言われた。
頷こうにもこの体勢では、顔は動かせない。
俺はぎこちなく口を動かした。
「……ね、たよ?」
満足そうに頷かれて、俺は彼女から解放された。
「よろしい。次は風呂に入ってきなさい」
「──は?」
「あんた、汚い」
腕組みをしながら憮然と言われて、俺は自分の服を見た。
甲冑はぼこぼこで、渇いた血がこびりついている。
甲冑の下に着ていた鎖帷子は、あちこち破けていて、砂だらけだった。
よくよく見ると、ベッドのシーツは砂と泥だらけ。
確かに、汚い。
「一階に浴場があるわ。入ってきなさい」
「あ、うん」
「着替えはアレクシが持っていくから、隅々まで洗いなさいよ」
「……うん」
「わかったら、走る!」
一喝されて、俺は転がるようにベッドからおりた。
とりあえず、言われるがままに走り出す。
どうしたんだ、あいつ。
おねぇ師匠みたいになってんだけど。
よく分からないまま、廊下を走る。
後ろから足音がついてきた。
振り返ると、アレクシが走っていた。
四角いメガネのフレームが光っていて、腕は直角にふられていた。
よく、その体勢で走れるな。
「着替えをお持ちしました」
「あー、ありがとう」
足を止めて、アレクシが差し出した着替えを受け取った。
駆け出しの冒険者が着るような簡素な服だった。
どこで売っていたんだろう。
「……足、遅いですね」
「え? そうか?」
まー、本気で走ってなかったから、かな。
「ふむ。あなたと私が同じ速度で走っているのは奇妙です。あなたの精神力は、回復してなさそうですね」
精神力は体力、魔力の他にあるステータスだ。
あとは素早さとかもある。
精神力が下がると、攻撃されたときにダメージが大きくなる。
だけど、俺の経験上、寝ればどれも回復できるステータスだった。
「寝たからスッキリしているよ」
訝しげな顔をされた。なんだよ。
「まあ、いいでしょう。そういうことにしておきます」
生真面目な顔をして、アレクシは戻っていった。
変なやつだ。
あいつが変わっているのは前からだけど。
じゃりっとした感覚が指に伝わって、また無意識に袋を触っていたことに気づく。
俺は手を離して、浴場に向かった。
階段を降りて一階に着くと、違和感に気づく。
宿屋って、こんな雰囲気だったか?
それなりに設備が整っていて、冒険者用の服が飾られた売場があった。
奥には食堂まであるようだ。
売店を通らないと、俺が寝ていた部屋に行けないはずなのに、記憶がない。
そもそも、どうやって宿屋に着たのか曖昧だ。
みんなを回復させなくちゃって思って、足は動かした。
歩いた感覚があるのに、最終戦場──ブレイブ・シャインからどうやって出たのかも覚えていなかった。
青い空は覚えている。
白く発光していた太陽も。
それに頬をなでた風の冷たさも。
「……変だな……」
俺は呟いて、また歩きだした。
じゃり、じゃり。
右手がまた、砂の感覚を確かめていた。
風呂場は大浴場だった。
こんな辺境の宿屋に泊まっている人はいないのか、使っているのは俺だけだ。
汚い服を全部脱いで、残りは首から下げていた袋だけ。
魔法耐性のある麻の袋だけど、お湯はどうだったかな。
外さないと濡れるだろうな。
俺は紐に手をかけて──その体勢のまま、動けなくなった。
外さないと濡れる。
このまま風呂に入ったらダメだ。
濡れたら、砂がどっかいく。
消えちまう。
分かっているのに、どうしても外せなかった。
「っ……」
俺は情けなくその場にしゃがみこんだ。
紐を外せない代わりに頭をかきむしる。
戦闘をしたせいで頭はぐちゃぐちゃで、指に髪の毛が絡んだ。
くんと、引っ張られる感覚がして眉根をひそめる。
無理やり指を引っ張ると、ぷつっとした痛みが頭に走った。
指をみると、黒い髪の毛が二本、絡まっていた。
「……なんだよ。痛覚はあるじゃんか」
痛みは、俺が生きてる証拠だ。
手のひらを閉じたり開いたりしたら、間接が軋む感覚がした。
腹は減っていないけど、視界も触覚も戻ってきている。
大丈夫だ。俺は生きている。
ひとつ、息をついて立ち上がった。
取れなかった袋は濡らさないように気をつけた。
背中に袋を回せば、頭も洗えた。
さっぱりした。
案外、やればできるもんだ。
汚い服と防具は適当に丸めて、冒険者用の服に着替える。
防御力プラス2の服だから軽かった。
身軽になって、廊下を歩いていると、エルサたちがやってきた。
ぴたっと止まったエルサは、俺の足元から頭まで眺めると、ひとつ頷いた。
「きれいになったわね」
「あ、うん」
「次、食事よ!」
ハッキリと言われて、俺の手首を掴んで引っ張る。
「ちょっと、待て。荷物。服、服。汚いから」
強引に歩かれて、慌てて言う。
汚いものを食事の場所に置いとけないだろ。
「わたしが部屋に置いてきます!」
ミーミルが両手を差し出す。
「いや、自分で」
「せっかくの好意を無駄にしないで」
エルサがつんけんどんに言う。
その間にも、彼女にぐいぐい引っ張られる。
ちょっと、止まってくれ。
俺がおろおろしている間に、アレクシに荷物を取り上げられた。
あ、こいつ。
「頼みます」
「お任せを!」
ミーミルはさっと走り出しちまった。
なんなんだ、みんな。おかしいぞ。
俺はおかしな仲間たちにされるがまま、宿屋の一角にある食堂の席につかされた。
エルサに両肩を押されて、無理やり席に座らされた。
なんか、扱いが雑だ。
疑問を口にする前に、対面にエルサが座った。
四人がけのテーブルだったから、俺の左となりにアレクシが座った。
「適当に頼むわよ」
エルサがテーブルの端に置かれてあった小さなメニューを見る。
「すみません」と、次の瞬間には、あっという間にオーダーをしちまった。
まあ、いいけどさ。
しばらくすると、ミーミルも帰ってきて、エルサの隣に座った。
俺の斜め前に座った彼女はにこにこして俺を見ていた。
「お待ちどうさま」
シェフがどっさり食事を運んできてくれた。
肉、肉、肉。
肉料理ばっかじゃねえか。
匂いに胸焼けしそうだ。
「はい、食べる!」
「お、おう……」
俺は食欲がなかったから、分厚いステーキを凝視しちまった。
よくこんな辺境に、こんな肉があったもんだな。
だけど、匂いには覚えがある。
好きだったやつだ。
──ああ、そうだったな。
俺はステーキをナイフとフォークで切り分ける。
一口サイズに切ったら、右の方向へ差し出した。
「俺、食欲がないからさ。兄貴にやる……よ?」
声をだして、びくっと体が震えた。
そこには、当然。
誰もいなかった。
俺は顔をひきつらせた。
シンと、静まり返った食堂。
みんなの視線が、俺に突き刺さっている気がする。
心臓の音がどくどくと体の内側から響く。
フォークを持っていた手が震えた。
あ。──これは、まずい。
みんなに心配をかける。
「悪い! 頭、冷やしてくるっ!!」
空気に耐えきれなくなって、乱暴に皿の上にフォークを置くと、俺は駆け出した。
背中に向かって、俺を呼ぶ声が聞こえたけど、振り返られなかった。
「はあ、はあ、はあ……」
全速力で、でたらめに走る。
宿屋の周りは森になっていて、木の根っことかが地面から盛り上がっている原生林。
俺は木に足を取られながらも、無我夢中で走った。
なんで、あんなことをした。
俺はバカか。
兄貴の話をするなんて、みんなに心配かけちまうだろ。
そんなのダメだろ。
心配かけたら。
心配させたら……
…………。
ダメ、なんだっ……け?
あれ?
息を切らせて足を止める。
思考がぐちゃぐちゃでまとまらない。
自分がどうしたいのかよく分からない。
「はあ、はあ、はあ……」
一人で汗だくになって茫然と立っていたら、不意に敵意のある視線が、俺を射ぬいた。
バキバキッ!と、木々をなぎ倒して、二メートルはあろうかという巨大な狼が現れた。
モンスターだ。
裂けた口からは鋭利な牙が見えて、ぼたり、ぼたりと、涎を滴らせていた。
俺の頭上で、HPとMPが表示される。
──モンスターとのバトル開始の合図だ。
なんでこんな所に、レベル65の巨大狼がくるんだ?
魔王を倒したら、モンスターは全滅するとかじゃないのか?
俺は舌打ちしそうになって、腰の辺りを手で探る。
何もないのが不思議で、腰を見た。
あ。──そうだった。
俺の聖剣は、魔王戦で粉々になったんだ。
柄しか残ってねえじゃん。
俺、丸腰だった。




