◼️ 今、読書家女子は
兄貴さんを亡くして、勇者さんの痛々しい姿は見ていられなかった。
無理やり勇者さんを眠らせた後、エルサさんは「あたしが二人を幸せにしてやる!」って叫んでいて、胸がしめつけられた。
ぼろぼろになってしまった勇者さんを見ても、わたしは何をすればいいか分からなくて、着ていたスカートの端を握りしめることしかできなかった。
勇者さんが眠った後、「なるべく普段通りにしましょう」と、言ったのはエルサさんだった。
「そうですね……」と、アレクシさんも言う。
「勇者殿はショックで心を閉ざしています。生きる意思はあるみたいですが、体を動かしているだけって感じですね……」
動かしているだけ……
その言葉にはっとして、わたしは勇者さんに持っててほしいと言われた機械を、斜めにかけていた鞄から取り出す。
パーティメンバーのステータスを確認できる機械だ。
勇者さんの話ではギフト持ちの技術者の方に渡された魔道具らしい。
わたしは四角い機械を両手で握りしめる。
BとRと書かれた赤いボタン。
それに十字キーが付いたコントローラーと呼ばれる機械を操作する。
コントローラーの上にある四角い画面に数値が表示された。
勇者さんの今の状況が表示される。
レベル99 HP 20 MP 0 素早さ2
攻撃力255 魔法防御力255
精神力──1。
一の数値に、わたしは目を見開いた。
精神力はレベルをあげれば、少しは鍛えられるものだけど、持って生まれた資質によって上限が決まる。
精神力が強い人は、それだけ強い攻撃を発揮できるのだ。
逆に言うと、その人の資質で変わるものだから、回復がすごく難しい。
「これ……」
わたしは恐る恐るエルサさんと、アレクシさんにステータス画面を見せる。
二人はそろって顔を歪めた。
「精神力1……ですか。0ではないことに安堵すべきでしょうね……」
アレクシさんの言葉に声を震わせながら、尋ねる。
「0になったら……どうなるんですか……?」
彼はわたしから視線をそらした。
「生きるのを諦めてしまうでしょうね。……体はそう思っていなくても心がついていかなくなります」
わたしは血の気が引いた。
「そんな……そんなのって……あんまりです……」
勇者さんまで兄貴さんと一緒に逝ってしまったら、わたしは……
「死なせやしないわよ」
エルサさんが毅然と言う。
「あいつは生きなきゃダメなの。どんなに悲しくったって生きなくちゃダメよ」
エルサさんは拳を握って、吐き捨てるように言った。
自分に言い聞かせているみたいだった。
わたしが神妙な顔になると、彼女は大きく息を吐いて、腕組みをした。
「まずは寝かせること。HPを回復させて、それから風呂に入れて、ごはん食べさせて、生きるために必要なことはやらせるの。本人はやるのを忘れているみたいだから、あたしたちが言ってあげなくちゃダメね」
「やらせて……ですか?」
「そうよ。こっちの声は届いている。聞く耳もある。あいつだって、今のままがいいなんて思ってないでしょ。精神力1で踏ん張っているのは、あいつの意地よ。無意識でも0にしたくないんでしょ。だったら、あたしたちはあいつの精神力を1から2に、2から3にさせてあげなくちゃ」
仲間なんだし、と彼女は付け加えた。
こういう言葉を聞くと、エルサさんは勇者さんを深く思っているんだなって感じる。
敵わないな。
「そうですね……わたしにもできることがあれば……」
何ができるのかなって思って、声が弱くなった。
「そばにいてやって。それだけで充分よ」
エルサさんはわたしに優しく微笑みかける。
そんなことでいいのかな。
自信のないわたしは、うつむいてしまう。
「あなたの笑顔を見てるとね、ほっとするの。あたしは笑うのが苦手だから……笑えるときは笑ってあげて」
無理することはない。
できるときに、できることを。
エルサさんの言葉は、わたしに顔をあげさせた。
それで、勇者さんを見守って、なるべく普通に普通にって思っていたんだけど、食事中、彼はいなくなった兄貴さんにステーキ肉をあげようとした。
「俺、食欲がないからさ。兄貴にやる……よ?」
誰もいない箇所に向かって、フォークを差し出す勇者さん。
兄貴さんがいないことを受け止めきれていない姿を切ない気持ちで見ていたら、彼は急に立ち上がった。
「──悪い! 頭を冷やしてくる!」
彼の言ったことの意味が分からなかった。
何を冷やすのだろう。
どうして、悪いだなんて思うの?
走り去る彼の背中を呆然と見ていたら、わたしの隣に座っていたエルサさんが立ち上がった。
「バカ! あたしたちから逃げてどうすんのよ! バカバカっ! ブラコンっ!!」
悔しさがにじみ出た悲痛な声だった。
わたしも顔をゆがめてしまう。
わたしたちじゃ、勇者さんを立ち直らせられないのかな。
兄貴さんじゃないと、彼を救えないの?
目頭が熱くなって、ずっと鼻をすする。
「追いかけるわよ!」
エルサさんが先に、走り出した。
わたしとアレクシさんも弾けるように走り出した。
宿屋を出て、先を走る二人に置いていかれないように、必死で足を動かす。
「どこへ……行ったのでしょうか?」
走りながら問いかけると、エルサさんが言う。
「あいつはね、ハムスターみたいなやつだから、そこいらへんをぐるぐる回っているわよ」
ハムスター?
わたしの脳裏でカラカラと回し車を走るネズミの姿が浮かんだ。
「修業時代もね! 走れといわれたら、森を一周していたの。バカみたいに何周もしていたわ! あいつはね! 方向音痴なの!」
そうなんだ。
勇者さんはネズミなんだ。ちょっと可愛い。
あぁ、そうか。
今まではモンスターという標的もいたし、わたしたちも一緒だから、勇者さんが方向音痴だって気づかなかったんだ。
エルサさんの言うとおり、勇者さんは宿屋のすぐ近くにいた。
いたけど、モンスターと戦っている最中だった。
相手は巨大狼だ。
見るからに凶悪なモンスター。
闇属性のモンスターに物理攻撃主体の勇者さんだけじゃ無理だ。
「ら、乱入しますか?!」
モンスターの攻撃は三人までできる。
乱入というかたちで、二人が攻撃メンバーに加わることはできた。
でも、エルサさんが呆然と立ち止まってしまった。
見開かれた彼女の目は、信じられないものを見ているようだった。
わたしはエルサさんの服を引っ張る。
「エルサさんっ! こ、このままだと、勇者さんが危険です。HPがなくなっ──」
──ギャアウオオオオオオン!!
グズグズしている間に、モンスターから魔法攻撃がくる。
わたしは怖くて怖くて、とっさに目をつぶった。
勇者さんの絶叫を聞いて、死んじゃ嫌だって、願っていた。
いつもそうだ。
戦えないわたしは、こうやって必死で願うことしかできない。
後方からみんなの戦う姿を見ては、頑張って、頑張ってって願っていた。
必殺技を出すから戦うなって言われていた兄貴さんと一緒に──
二人で後方から、三人を見守っていた。
三人が前衛でモンスターと戦っている間、兄貴さんは辛そうな顔をしていた。
自分も戦えるのにって、言わなくても顔にでていて、見ていて心臓が苦しくなった。
魔王戦の時もそう。
三人はボロボロで、勇者さんなんかは、右手を折られて剣を折られても、まだ戦おうとしてて、もうやめてって思った。
──後は、俺に任せろ!
傷ついた三人を置いて、兄貴さんが魔王に向かっていってくれて、妙にほっとした。
終わるんだな──やっと、終わるんだって、思ってしまった。
でも、魔王戦の終わりはきっと、兄貴さんが死んじゃうってこと。
安堵した自分が嫌でたまらなくて、わたしは号泣するしかできなかった。
魔法も使えない。
剣をとることもできない。
無事を祈るしかできないわたしは、怖がってばかりだ。
モンスターからの攻撃がやんだ後も、わたしはなかなか目を開けられなかった。
弱虫なわたしに顔をあげさせたのは、勇者さんの咆哮。
「はあああああッ!」
──大丈夫だ。俺は丈夫だから、死なねえよ。
いつもそう言って、無茶ばっかしていた勇者さんらしく、彼は生きて、モンスターに向かって行った。
彼が戦う姿を見て、エルサさんが呟く。
「……なんだ、戦えるんじゃない……兄貴を守るためじゃなくても、あんた、戦えるのね……」
エルサさん、泣きそうな顔をしてる。
嬉しいのかな。眼差しが優しくみえた。
「あの攻撃で勇者殿がモンスターを仕留められなかったら、乱入しましょう」
アレクシさんがエルサさんに話しかける。
「そうね。でも、勝ちそうよ……ほら」
エルサさんが勇者さんを指差す。
その指先は震えていた。
「──俺の勝ちだあああっ!」
勇者さんの叫び声がして、モンスターは消滅した。
勇者さんは最後まで立っていた。
生きていてくれた。
勇者さん、気づいていますか?
あなたが立っている姿にわたしは何度も、何度もほっとしたんですよ。
あなたが生きているだけで、わたしは勇気づけられるんです。
しんと静まり返った辺りに、エルサさんの切ない声が響く。
「あんた、強すぎよ……あたしたちの出番、作りなさいよね……」
強すぎる。
彼女の言葉の意味は、何となくわかる。
彼は一人でモンスターを倒せちゃう人。
強い。強い人だ。
強い人だから、弱い人を守ろうとしてくれる。
自分を犠牲にしてまで、守ろうとする。
守ってくれる姿は頼もしく見えるけど、同じ戦場に立つエルサさんは、じれったいのかもしれない。
倒れた勇者さんに駆け寄って、わたしは「心配しましたよ!」と声をかける。
彼は傷だらけなのに、「ごめん」と返してくれた。
素直に謝られると、何も言えなくなってしまう。
ちょっと、ムッとした。
でも、エルサさんとアレクシさんの怒りはわたし以上だったらしい。
二人とも笑顔で怒っていた。
あれ?
これって、いつもの光景だ。
兄貴さんがいなくなる前の三人みたい。
右をみると、わたしの隣には誰もいない。
代わりに優しい風が頬をなでていった。
その後、宿屋に戻ると、エルサさんは勇者さんに小回復しなかった。
ちまちま回復するのって手間じゃないのかな?
なんであんなことをしたんだろう。
勇者さんとアレクシさんが、お風呂に入っている時に、わたしはエルサさんに聞いた。
エルサさんは頬を少し赤くして、ツンとした表情で言った。
「何回、癒しの魔法をかけたら、ブラコンが治るのか試したの。でもやっぱり、無理だった。悔しいわ」
わたしは、ふふって笑っちゃった。
彼女はちょっと分かりにくいけど、彼女なりにとても勇者さんを心配しているのだ。
「勇者さんがエルサさんの気持ちに気づいてくれるといいですね」
エルサさんは顔を赤くした。
「あたしの気持ちなんていいのよ。あいつが生きてくれれば、それで……いいのっ!」
ツンと顔をそらされてしまった。
エルサさん、可愛い。
勇者さんも気づけばいいのにな。
そう思っていたら、お風呂から出たのかタオル一枚の姿で勇者さんが走ってきた。
びっくりするぐらい逞しい体が、濡れて、光って、こっちに向かってくる。
きゃあ!と思ったけど、アレクシさんがのぼせたって聞いて脱力した。
あれ?
やっぱり、前と同じ雰囲気だな。
勇者さんは慌てて、エルサさんは怒っていて、アレクシさんは何かをやらかしている。
三人がぎゃあぎゃあ騒ぐ姿は見慣れた光景。
前と一緒。
変わらない日常。
わたしはふふって笑いながら、右隣をそっと見る。
──ははっ。今度は何があったんだ?
隣で笑っていた人の声はなかった。
一人で三人を見守る今に哀愁が込み上げる。
でも、それでも。
「何があったんでしょうね。……ふふっ。みんな仲良しですね」
三人に気づかれないように、話しかけた。
返事はなかったけど、それでもよかった。
「大丈夫ですかー?」
わたしは収拾がつかなくなった三人に近づいた。
わたしはこれからも、三人を見守ります。
兄貴さん。あなたの分まで、見守りますからね。
次は弟視点に戻ります。