4. 勇者殿
森で倒れていた俺をアレクシが引っ張りあげてくれた。
無言で肩を貸してくれた。
アレクシは、すごい笑顔で俺をみている。
腰の辺りがひやりとした。
エルサを見ると、彼女の口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。
ただし、彼女の目は笑っていない。
モンスターと戦うより怖くなった。
「もおおおっ! 何してんですか!」
唯一、ミーミルが半泣きで怒ってくれて、俺は妙に安心した。
「ごめんな……」
「心配しましたよ!」
「ごめん……」
俺は申し訳ない気持ちを込めて、何度も謝る。
「エルサさん、完全回復の魔法をかけてください!」
ミーミルがエルサに訴える。
彼女はぞくりとするような笑顔になった。
「いいわよ。宿屋に戻ったら、小回復をかけてあげる」
「え? 小回復ですか?」
きょとんとするミーミル。
俺は怖くてエルサから目をそらした。
まずい。
これは、説教だけじゃすまなさそうだ。
助けを求めるようにアレクシを見たら、満面の笑顔でうなずかれた。
俺は口の端をひきつらせた。
逃げ場はなさそうだ。
アレクシにひきずられながら宿屋に戻った。
走り回ったと思っていたのに、案外、宿屋から離れていない。
おかしいなと思っている間に俺は、寝室に無理やり押し込められた。
ベッドの上に座らされる。
仲間が俺の周りを囲んだ。
「じゃあ、回復しましょうね」
エルサが丁寧な口調で話しかけてきた。
怖すぎる。
俺はごくっと生唾を飲み込んだ。
「小回復」
「あのさ……」
「小回復」
「……ごめん」
「小回復」
「ほんと、ごめん!」
「小回復」
「ごめん! ごめん! ごめん!」
エルサは俺に向かってあたたかな光を与えてくれる。
じわじわと体は回復しているけど、無言でやられると叱られるより、心が痛む。
俺の心は、あっさり折れた。
「………………ごめんなさい」
「小回復」
「……もう許してください」
情けなく頭をさげる。
ちらっと伺うように見ると、エルサはきれいに微笑んだ。
「小回復」
その一言に、俺は絶望的な気分になる。
これは、ぜってえ、許さないという強い意志が見える。
俺は反省を口にした。
「考えなしに出ていって、モンスターと戦っていてごめんなさい」
──バキンっ!
謝罪したのに、頭をグーでおもいっきり殴られた。
痛い。
俺が頭をさすると、彼女が目を少しだけ細める。
俺の知る限りでは、この顔は優しい方の笑顔。
怒りがおさまったのか?
ほっとして、へらっと笑う。
──ばしんっ!
頭をひっぱたかれた。
ぽかんと間抜けに口を開くと、彼女はまたきれいに微笑んだ。
「小回復」
また目が笑っていない。
俺はもう、どうしていいか分からなかった。
結局、全回復するまで彼女の回復魔法を無言で受けつづけた。
「風呂に入ってきなさい」
回復が終わると、エルサが声をかけてくれた。
いつものツンとした顔になっている。
怒りが解けたのだろうか。
ほっとして立ち上がると。
「では、私も入りましょう」
なぜかアレクシまで立ち上がる。
「え? お前も入るの?」
「何か問題がありますか?」
俺はぼろっぼろだけど、アレクシは戦っていないから、服も体もきれいだ。
「今のあなたは、隙を見せたら何をするかわかりませんからね。見張ります」
堂々と監視宣言をされた。
その一言に、俺は仲間からの信頼を失っているということに、ようやく気づいた。
アレクシとそろって風呂に入ることはよくあるけど、今回は気まずかった。
俺の着替えをまた買って、風呂場に向かう。
アレクシは無言だった。
無口なのはいつものことだけど、今は何か言ってほしい。
声をかけようにも、なんと話しかけていいか分からず俺も黙ったままでいた。
脱衣所で、泥と渇いた血がついた服を脱ぐ。
また首からさげた袋だけの姿になると、アレクシがじっと俺を見た。
「袋は外さないのですか?」
ぎくりとして、俺は視線をはずした。
頭をかきむしる。
なんて言い訳しよう。
そんなことを考えていると、アレクシが目と鼻の先まで近づいてきた。
け、気配がなかった。
思わず身をひく。
すると、アレクシは袋に手をかざした。
「このモノに守りの加護を与えよ。自然の摂理に逆らい、このモノの時を止めたまえ──」
アレクシが詠唱を終えると、白く優しい光が袋を包んで、やがて消えた。
俺は砂が消えていないか、とっさに確かめていた。
袋を掴むと、じゃりって感覚があって、胸をなでおろす。
「なに、したんだ……?」
「袋にかけられていた加護を強めました」
「え?」
「その袋は魔法が効かないようにはできていますが、それだけじゃ、心配なのでしょう?」
アレクシが微笑する。
「首回りが汚いです。しっかり洗いましたか?」
「あ、……」
手で首を触る。
俺の首はきれいになっていなくて、じゃりじゃりしていた。
「袋は濡れても大丈夫なようにしました。傷は塞がってますが、あなたの肩口は血がついているんですよ? しっかり洗ってください」
袋を濡らさないようにしているのがバレた。
俺は恥ずかしいやら、気まづいやらで、頭をかきむしる。
「ありがと」
そっけない口調になったけど、アレクシは「どういたしまして」と返してくれた。
アレクシのおかげで、体の隅々まで洗えた。
ふたりで並んで浴槽に浸かる。
「いい湯加減ですね」と、アレクシが言った。
「そうだな」
「ここ、温泉がでているそうですよ」
「え? そうなのか?」
「はい。治癒回復に最適な効能があるそうですよ。周りはモンスターだらけですからね。神の恩恵でしょう」
「そっか……」
どうりで、いつでも浴槽に湯が張っているはずだ。
浴槽の隅にはずっとお湯が流れている包があった。
浴槽に浸かっていると、体の芯まであったまる。リラックスしてぼーっとしてきた。
「勇者殿、気持ちいいですね」
いつもの呼びかけ。
アレクシは俺を勇者と呼びつづけてきたけど、今は違和感がある。
「……あのさ」
「なんですか?」
今さら勇者と呼ばないでくれって言うのもおかしいけど、魔王は倒したんだ。
それに、俺は勇者ではなかった。
ちょうどいい機会だし、違う名前で呼んでもらおう。
「魔王は倒したから、もう勇者って呼ぶなよ」
すると、アレクシは眉根をひそめる。
「意味がわかりません」
「わかれよ。魔王は倒したんだぞ?」
「確かに倒しました。でも、あなたは勇者です」
きっぱり言いきられた。
「エルサ殿も、ミーミルも、全員があなたを勇者だと思っています。私は生涯、あなたを勇者殿と呼びます」
迷いのない言葉に口をひき結ぶ。
俺は勇者と呼ばれることを許容できない。
勇者だったら、魔王は倒せたはずなんだ。
「やめてくれって。俺は強くないんだし」
「それ、本気で言ってますか?」
ずずずっとアレクシが近づいてきた。
距離が近すぎないか。
「レベル65の巨大狼を木の枝だけで倒したあなたが、強くないとおっしゃるんですか?」
なぜ、それを知っている。
「え? 俺が戦っているの見てたのか?」
「見てました」
「……加勢してくれよ……」
死にかけていたんだぞ?
「あなたなら一人で倒すと思いました。あなたが腹部を攻撃していたターンで、モンスターを仕留められなかったら、乱入しようと思っていましたよ?」
なにか?みたいに言われて、空いた口が塞がらなくなる。
「巨大狼は、本来、光魔法に弱いんです。というか光魔法が無くては倒すことはまず難しいモンスターです。あなたも戦ったことがあるでしょう?」
問いかけられ、記憶を探る。
霞がかっていた色々な出来事が、鮮明になってきた。
巨大狼。闇属性のモンスター。
やつは光魔法に弱い。
光魔法が得意なエルサが、目潰し効果のある白い光を出してやつを怯ませて、それから俺がアレクシと連携技を出していた。
アレクシの魔法を俺の聖剣にのせて、光輝く一撃を食らわせていた。
なんで、忘れていたんだろう……
首をひねっていると、アレクシが淡々と言う。
「あの巨大狼を物理攻撃のみで倒した。しかも、武器は木の棒で。攻撃力なんてないに等しいただの木の棒で」
「あの時は、ただがむしゃらで……火事場のバカ力というか……」
「火事場の馬鹿力なんてものがあったら、我々は魔王を倒せていました」
アレクシの言葉は、深く俺を突き刺した。
「この世界のバトルシステムはシビアです。奇跡を起こしてはくれない。モンスターより弱ければ死に、強ければ勝ちます。強さは全て数字に現れて、弱さは経験値不足と突き付けられます」
アレクシの表情がゆるむ。
「あなたが支援もなしに、一人で巨大狼を倒せたのは、奇跡だからでも、まぐれでもない。あなたの攻撃力が高く、強かったからです」
俺の弱い心に、アレクシの言葉が沁みていく。
「あなたは強い方ですよ。勇者殿」
勇者殿と呼ぶ声に、泣きそうだった。