No2 声と目覚め
シリアス風味ですが、必要だとおもったので。
場面が切り替わる場所がありますが、お付き合いください。
No2
享年六十三歳。日影一人は天寿を全うした。家族は、両親が十代の頃に離婚し俺は父方に、母方には妹が連れ立った。俺は父と一緒に暮らすが旅行先にて亡くなった。まだ成人して間もない俺は父の死を悲しむ余裕はなかった。
働き出しているとはいえ社会人成り立たての若造である為に知らない事はたくさんある。父方の親戚類に葬儀を手伝ってもらいなんとか葬式は形になった。だが、離婚した母と妹には父の死を伝えたが一緒に暮らすことはしなかったし、親戚にも頼らなかった。
母や妹、親戚を嫌ってるわけではなかったが、好きでもなかった。当時から何処か冷めた気持ちで周りを見ていたよう子供だったからだ。
それからは、ただ働いた。特にやりたいことがあるわけもなく、生活する為に生きる為に働いた。人並みの暮らしが出来るようになると気持ちに余裕が産まれてくる。
余裕が産まれると色々と考えるようになった。社会に対して、世界に対して、自身の人生に不平不満は産まれた。後悔が浮かび上がってくる。
あの時にこうしておけば。あの時にこう判断すれば、などと・・・。
だが、そんな事を考えても後の祭りだと気がつく。後悔先に立たず、とはよく言ったものである。
だが、楽しい事や幸せだと感じる事もあった。好きな女性と付き合い、気持ちを伝え肌が触れ合い愛を囁きあった時はそう感じる事が出来ていた。
綺麗な景色を見たり、旨い食事をした時には感動したり喜んだりもした。しかし、飼っていた猫が死んでしまった時には悲しさで涙を流した時もある。
他にも数多くの喜びや悲しみを体験した。
でも、心がすべて満たされたとは感じてはいなかった。もっと違う満足感が欲しかった。毎日、刺激に溢れた暮らしがしたかった。
朝起きて出勤して、与えられた仕事をこなし帰宅する。そして、労働に見合った金銭を受け取り死が訪れるまでの長い時間を生きていく。
もちろん、そんな考えをしてるのは日影だけではなのが他にも同じような考えを持つ人いるだろうと考える。
日影は、善くも悪くも達観した考えで生きて暮らしていた。そんな暮らしを十数年おこない、そして日影は死んだ。最後に一言いってーー
『くだらない、世界だった』と、残して。
▼△
あの時、"死"をちゃんと感じた。意識が遠くなるのを感じたし、底無し沼に沈んでいくような感覚だったのは覚えている。まぁ、底無し沼に沈んだ事は人生で一度も無かったが。なんというか、ふんわりと自分の体が沈んでいくような感じがしたんだ。
これが"死"なんだと思った。ようやく、あの"世界の歯車"から解き放たれると思うと少し嬉しかったかもしれない。
そして、俺のすべての意識や感覚が無くなると思ったその時に"声"あるいは"響き"、そんな表現が正しいかは分からないがとにかく"ソレ"が聞こえたんだ。
『よぉ、やっと"目覚めた"かよ。聞こえてるかよ? まぁ、聞こえようが聞こえまえがどっちでも良いがな。とりあえず、"オレ"の暇潰しに付き合え。適当にイジッて与えといてやるから、"生きてみろ"。それから、オレの事は黙っとけよ? "アイツ"に見つかると面倒だからなっ! お前がどう"生きようと死のうと"するかはお前が決めればいい。オレはただ"ソレ"を視るのが好きなだけだからな。だが、ただ視るだけじゃつまらねぇからこうして"素質"のあるヤツを拾ってちょっとだけイジッちまうのはしかたねぇよな? オレを楽しませろよ? 期待してるぜ、【覚醒者】』
声が、響きが聞こえたんだ。確かに聞こえた。俺の意識は声が聞こえた時点で少しの間だけ引き留められていたのだろう。しかし、こちらからは声を発する事は出来なかった。
もし、声が発する事が出来るなら様々な事を問いかけていたのはずだ。"オレ"と名乗ったヤツは誰なのか? "目覚め"とは何なのか? "アイツ"とは誰なのか? 他にも聞きたい事はたくさんあったが俺の意識は、感覚はそこでプッツリと途切れた。
そして、次に目覚めたの暗がりの洞窟内だった。
そんな少しだけ前の事を思い出しながら、俺は頭上に広がる青空に少しだけ視線を向け、歩きやすいとはあまり言えない土固められた街道を一人で歩いている。
燦々と降り注ぐ陽の光を頭上から浴び、左右を見れば立派な太い幹に濃緑の葉を繁らした木が森をつくっている。少し鼻から息を吸い込めば森と土の匂いがする。
前に世界でも自然豊かな場所は幾つもあったが、ここまで雄大な自然は国内には少なかった。国を離れ海外に行けば此処のような立派な木を生やした森はあるだろうが。ここは前の世界ではない。
耳を済ませば、鳥の鳴き声や獣の鳴き声、さらには"魔獣"と呼ばれる生物の鳴き声もたまに聞こえ来たりする。そんな鳴き声も旅には必要不可欠なBGMだと今は思える。最初に初めて"魔獣"を見た時にはかなりビビったのはしかないだろう。未知なる生物を見れば少なからずの者は理解が追いつかないのだから。
こんな風に一人ボンヤリと歩いていれば、昔の一つや二つぐらいの思い出が甦ってくるのは"この姿"のせいなのかはたまた"この世界に来た"からなのかはわからないが。
たまに、"あの時"の事を思い出すのは確かだ。それだけ、あの出来事は摩訶不思議だった。言葉では明確な答えは全く出ないけど。だが、あれは確かに錯覚や夢とかいった類いのものでは無かったと理解している。
あの洞窟で目覚めたあと、俺は"生きる"という事を改めて理解したのだから。
明日も投稿します。