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有希の事情

「高志君、またね!バイバイ!」

 清花は笑顔でそう言って、高志に手を振った。

 有希は高志に一礼して、ドアを閉めた。

 隣人である以上、いつかは向こうが清花の障害に気づくことになっただろうし、いつか迷惑をかけることもあるかもしれないから、知っておいてもらって、悪くはなかったんだと有希は自分に言い聞かせた。

「高志君に会えて楽しかったね」

 きっと、こちらが遠ざけさせようとしても、清花が高志を気に入っているようなので、関わらざるを得ないだろう。

「お姉ちゃん、手、洗ってね」

「うん!」

 どっちが姉なんだか、と、有希は小さくため息をついた。


*****


 有希にとって、清花は自慢の姉だった。

 勉強も運動もできて、明るくて優しくて人気者で、そして何よりも自分を大切にしてくれる自慢の姉だった。

 そんな姉に、事件が起きたのは、ゴールデンウィークに入る少し前のことだった。

 その日は、いつも通り集団下校で帰宅すると思って、自分の分団の所に向かったところ、いつもなら一番に手をつないでくれる清花の姿がなかった。

 仕方がないので、清花の友達に、清花はどこにいるのか聞こうとしたところ、清花の一番の友達の子が、有希を見るなり、泣き叫びだした。

 よくわからないでいると、有希の担任の先生が有希を抱き上げて、教室に連れて行った。

「お父さんかお母さんが迎えに来るから、それまで待っていて」

 そう言って先生は、教室で、有希と二人で残ってくれた。

 夕暮れになって、暗くなっていく教室で、いつもはみんなの先生の担任の先生が、自分一人と話してくれていることも、先生が夜にお腹がすくとこっそり食べるカップ麺を、「皆にはないしょだよ」と、一緒に食べたことも、何だかうれしかったのに、それよりも、いつもと違う何かに、胸騒ぎがした。

 いつの間にか、夜が更けて眠ってしまった有希は、朝気づいたら、家のベッドの中にいた。

 先生と夜遅くまで一緒に教室にいたのは夢だったのかもしれないと有希は思った。

 それでも、目覚めた有希は違和感に気づいた。

 有希は昨日着ていた服を着たまま寝ていた。

 そして、いつも、有希を優しく起こしてくれる清花がそこにはいなかった。

 有希の隣のベッドにも、清花はいなかった。

 有希は一人でリビングに行った。

 リビングにも、清花の姿はなく、両親がソファに座っていた。

「お姉ちゃんは?」

 有希の言葉に反応して母親が泣き出した。

「お姉ちゃんは、頭に大けがをして、入院しているんだよ」

 しくしくと泣く母やの隣で父親が呟くように言った。

 その声はいつになく沈んでいた。

「清花が、死んじゃうかもしれない」

 そう言って、母親は声をあげて泣いた。

「イヤだ!」

 それを聞いた有希も泣き出した。

 有希も、幼いながらに死ぬということがどういうことかを理解していた。


 それからは、家からは太陽が消えたようにみんな沈み込んでいた。

 ゴールデンウィークに出かける予定ももちろんキャンセルになった。

 ゴールデンウィークが明けた後も、有希は学校に行く気になれなかった。

 いつも一緒にいてくれる清花がいない旅行なんて考えられなかった。


 静かにゴールデンウィークが終わり、学校が始まっても、清花はまだ目を覚まさなかった。

 有希はいつも一緒に学校に行ってくれる清花がいないので、学校に行く気になれなかった。

 両親も、清花の看病に一生懸命で、有希が学校に行かなくてもあまり気にかける様子はなかった。

 担任の先生が家まで来て、みんな待っているから有希ちゃんに学校に来てほしいと懇願されて、学校に再び行くようになったのは、5月半ば頃だった。

 そして、有希が学校に行くようになって数日後、昏睡状態だった清花は奇跡的に目を覚ました。

 両親も有希も泣いて喜んだが、本当の試練の日々がここから始まったことは、この時知る由もなかった。


 目覚めた清花はもう、両親の自慢だった清花ではなかった。

 母親は毎日、清花がおかしくなってしまったと泣いていた。

 母がこれほどまでに泣くということは、清花はどうなってしまったんだろうかと、有希は内心ハラハラしていた。

 だが、退院してきた清花は、いつもの朗らかな笑顔を有希に向けてくれた。

 最初はそんな清花に安心していた有希も、だんだんと、清花が普通でないことに気づいていく。

 再び学校に通うことになった清花は、今までの教室ではなく、特別支援学級に行くようになった。

 それに、清花は左の腕と足が思うように動かないようで、有希が清花の着替えを手伝うことも少なくなかった。

 そんなある日、清花の通院について行った時のことだった。

 待合室で待っている有希を見かけた、通りすがりの看護師さんが声をかけてきた。

「もしかして、清花ちゃんの妹の有希ちゃん?」

 有希がうなずくと、看護師さんは有希の隣に腰かけてきた。

「清花ちゃんは、今、診察中?」

 有希はうなずいた。

「私ね、入院中清花ちゃんの担当していたんだ」

 そう言うと、看護師さんは、「清花ちゃん、目を覚ましてからいつも、有希ちゃんの話ばかりしていたよ」と、話してくれた。

 清花が自分のことを大切に思ってくれていることがうれしくて、有希がほほ笑んでいると、看護師さんが有希の方を見た。

「有希ちゃん、清花ちゃんは、頭に大きなけがをしたのは知ってるよね」

 有希はうなずいた。

「本当なら、清花ちゃんの心とかお勉強とか、これからもっともっとお姉さんになっていくはずだったんだけど、清花ちゃんは、頭に大けがをしてしまったせいで、もう、心もお勉強も、これ以上お姉さんになれないかもしれないんだ」

 有希のために、なるべく簡単な言葉で言っているようだったが、有希には半分くらいしか理解できなかった。

「有希ちゃんが、大人になっていくにつれて、清花ちゃんが、有希ちゃんよりも色々と追いつけなくなっていくかもしれないの」

 そう言うと、看護師さんは、有希の手を握った。

「有希ちゃんだけは、清花ちゃんのこと、大事にしてあげて」

 幼い有希にはどうして看護師さんがこんなことを言っていったのかわからなかった。

 だが、大人になっていくにつれて、だんだんとその言葉の真意を理解できるようになっていった。


 まず最初に、父親が、仕事が忙しいと言い、だんだん家庭を顧みなくなった。

 今思えば、清花の医療費などを稼いでいかなければならなかったのだろうとも考えられたが、忙しくしているうちに、魔が差したのか、父親は浮気をし、やがて母親と離婚した。

 清花と有希は母親の暮らすようになったが、母親は、思うようにならない清花に日々罵声を浴びせ続けていた。

 清花は、健気に「お母さん、ごめんね」とほほ笑んでいたが、有希にはそれが耐えられなかった。

 有希は大学に入ると同時に、清花を連れて家を出た。

 今ならわかる、あの看護師さんは、両親の落胆ぶりを見て、この両親は危ういと感じていたのだろう。

 そして、有希に、清花を大事にしてほしいと、伝えたかったのだろう。

「有希ちゃん、夜ご飯作る?」

 清花に話しかけられて、有希ははっと我に返った。

「そうだね、お姉ちゃんも手伝ってくれる?」

「うん!」

 隣の家から物音がした気がした。

 隣人の高志が、清花の真実を知って、清花とかかわらないようにするのならば、それはそれで構わない。

 清花を守るのは自分の使命だからと、有希は自分にそう言い聞かせた。

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