清花の事情
突然乱入してきた鈴村父。
高志は大事な話が聞けるのか?
そして、有希のほほえみの真意とは?
竜太の乱入により、高志は窓際の席に追いやられることになった。
高志が座ろうとしたところ、椅子の端に追いやられそうになっていた淡いピンクのリュックサックに気づいた。
「あ、それ、私の!」
清花がそう言って手を差し出した。
確かに、清花の服装も、パステルカラーで統一されているし、きっと、清花の好みの色合いなのだろう。
そう思いながら、リュックサックを持ち上げた時、淡い色合いに似つかわしくない赤色のタグが見えた。
真ん中に白い十字のマークがある。
確か、ヘルプマークというやつだ。
清花は、リュックサックを受け取ると、少し、どうしたものかともたついていた。
有希が手を貸して、清花の椅子の背もたれにリュックサックをかけた。
「有希ちゃん、今日もかわいいねぇ」
隣で竜太が有希に猫なで声で話しかけているが、それよりも、高志には、さっきのヘルプマークの方が気になった。
小学校の時分の記憶では、清花は、健康優良児であったように思う。
それがなぜ、今、ヘルプマークを付けているのだろうか?
それは、有希が言っていた「事情」と関係のあるものだろうか?
そして、何だか幼い感じのする清花の言動も関係があるのだろうか?
「あ、お姉さん!僕もいちごパフェ!」
有希の話を聞きたいのはやまやまだが、竜太は居座る気満々だ。
「なんかさ、なんかさ、この並びって合コンみたいじゃない?」
高志は、今日は、清花の事情を聞くことはできない気がしてきた。
「じゃあ、自己紹介から始めちゃう?僕は、鈴村竜太君です!」
「こんにちは、鈴村みな子です!」
普段より高いトーンでみな子が言いながら入ってきたのを、高志、有希、そして清花までもがぽかんとして見ていた。
「みな子ちゃん、声可愛いね!ん?え?みなちゃん!!!」
「あなた、とっとと帰りましょうね?」
「え?でも、僕のいちごパフェが……!」
「大丈夫です、キャンセルしておきました」
「そんなぁ!いちごパフェ!美人姉妹!!」
「いいから帰りますよ!」
半ば引きずるように、竜太は連れ去られていった。
静寂が訪れた。
高志はポカンとして押し黙り、有希は穏やかにコーヒーを飲んでいる。清花はいちごパフェに夢中だ。
いつの間にか、清花の前のいちごパフェはほとんどなくなっていた。
その様子を見た有希がスマホを取り出した。
「お姉ちゃん、ゲームやってて良いよ」
こくりと頷いて有希のスマホを受け取った清花は、スマホを起動してすぐにそれを有希に返した。
「なんか、みな子さんのトーク画面になってる!」
どうやら、みな子に竜太の居場所を教えたのは、有希のようだ。
「ねえねえ、有希ちゃん、音も出して良い?」
「皆のいるところだから、イヤホンにして」
有希はそう言うと、カバンの中からイヤホンを取りだした。
清花は、イヤホンを受け取ると、イヤホンをスマホに接続し、耳に装着し始めた。
右手で右耳に装着し、左耳用のイヤホンを左手に持とうとしたが取り落とし、右手で左耳にも装着していた。
高志は先ほどのヘルプマークを思い出した。
もしかしたら、左手が動かしにくいから、このタグを付けているのかもしれない。
清花の隣でコーヒーを飲んでいた有希は、コーヒーカップをソーサーに置いた。
「良いかしら?」
顔を上げた有希に言われて、高志は頷いた。
「実は、姉は脳に障害があるんです」
高志は目を見開いた。
だが、何となく、合点がいった。
年齢よりは幼いと感じられる言動や、左手の動かしにくさ、そしてヘルプマーク。
すべてが、「脳に障害がある」ことが原因であるとは考えられる。
だが、高志が知っている幼い頃の清花は、脳に障害がある様子はなかった。
むしろ、クラスの中で、勉強も運動も一番に出来るイメージだった。
首をかしげる高志に、有希が言った。
「正確に言うと、姉が小学校三年生の頃に、頭に大けがをして、その後遺症で脳に障害が残ったんです」
ほどなくして三人は帰路につき、清花と有希を部屋に送り届けた高志は自分の部屋に戻ってきた。
帰宅した高志は、ふと思い立ったように、机の中から小箱を取り出した。
その中には一通の手紙が入っていた。
引っ越ししてから唯一清花から届いた手紙だ。
振られたとわかっていても、何故か捨てられずにとっていたのだ。
不意に思い立って、高志はその手紙を開いた。
小学校三年生にしてはきれいな字で書かれたその手紙は、まだ、大けがをする前に書かれたものだったのだろう。
最後に書かれた日付を見ると、4月20日と書かれていた。
高志はふと、有希の言葉を思い起こした。
確か、清花が大けがを負ったのは、ゴールデンウィーク前だったと言っていた。
ということは、この手紙を書いた数日後には清花は大けがを負ったということになる。
「そうか」
思わず高志はつぶやいた。
高志が手紙の返事に思い悩んでいる間に、清花は大けがを負って入院してしまったのだ。
清花は、返事を書かなかったんじゃない、書けなかったんだ。
自分が何か、清花の気に障ることをしたわけでも、嫌われたわけでもなく、清花は、返事ができなかっただけなのだ。
胸につかえていた何かがすっと消えて、高志は思わず笑ってしまった。
「有希ちゃん、夜ご飯作る?」
隣の部屋から声が漏れ聞こえてきて、高志はそちらを見た。
小学校三年生のころの高志には、まさか、清花が手紙を書けないような、そして、後遺症が残るような大きなけがを負うようなことになっていたとは想像もつかなかった。
高志は大きく伸びをすると、手紙をしまった。
「竜太さん、こんなところにパンツ脱ぎ捨てるなって言ってるでしょうが!」
もう一方の隣からの怒声に思わずびくついたのは言うまでもなかった。
有希がほほ笑んだのは、鈴村母からの「今から捕獲しに行くので、引き留めといて」というメッセージを読んだからでした。